・「じぶんと、じぶんの仲間」が、
生きていくためにどうしたらいいかを必死で考えて、
それを実行していく。
あらためて文としてこう書くと、
「それは、いいんじゃない?」と思うだろう。
とても当たり前のことで、だれだってそうしてる。
一所懸命に働いて、じぶんや家族を守っている。
できるだけ、じぶんや仲間が幸せになればいいと思う。
こういうふうに考えることに、なんの問題もない。
ただ、たぶん、実際にそういうふうに口に出したら、
「じぶんたちさえよければいい、という考え方は、
よくないんじゃないの?」と言う人もいるだろう。
「もっと困ってる人もいるんだし、
みんながじぶんと仲間のためにと行動してたら、
競争や争いでいっぱいになっちゃうよ」
と、たしなめようとするかもしれない。
かつて、矢沢永吉という人が登場して、
音楽活動ばかりでなく、さまざまな発言をしたとき、
たくさんの人びとに、新鮮なインパクトを与えた。
「おれは金がほしい」と言った。
「もっと上に行きたい」と言った。
「キャデラックに乗って、10メートル先のたばこ屋に
ハイライトを買いに行くのが夢です」
などというマンガみたいに愉快な夢をしれっと語った。
それを、「みんなで愛し合おう」とか、
「世界に平和を」とか言ってる同世代の若い人たちは、
半分笑って見ていたかもしれない。
同じセリフを、「そうだ、おれもがんばろう」と思って
聞いていた同世代もたくさんいた。
「じぶんの足で立てないやつが、
四の五の言ってもどうしょうもない」と
若いときの矢沢永吉は言っていた。
じぶん自身が、立てるか立てないかのところで
必死になっていたという覚えがあったのだろう。
愛だ平和だの歌を聴き、歌っていた若い人だったぼくは、
矢沢のことばのほうに、強い「真実味」を感じた。
あのインパクトは、いまも続いて、まだ胸に響いている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
どっちかの話でなく、重なってる真実というものなのかも。
生きていくためにどうしたらいいかを必死で考えて、
それを実行していく。
あらためて文としてこう書くと、
「それは、いいんじゃない?」と思うだろう。
とても当たり前のことで、だれだってそうしてる。
一所懸命に働いて、じぶんや家族を守っている。
できるだけ、じぶんや仲間が幸せになればいいと思う。
こういうふうに考えることに、なんの問題もない。
ただ、たぶん、実際にそういうふうに口に出したら、
「じぶんたちさえよければいい、という考え方は、
よくないんじゃないの?」と言う人もいるだろう。
「もっと困ってる人もいるんだし、
みんながじぶんと仲間のためにと行動してたら、
競争や争いでいっぱいになっちゃうよ」
と、たしなめようとするかもしれない。
かつて、矢沢永吉という人が登場して、
音楽活動ばかりでなく、さまざまな発言をしたとき、
たくさんの人びとに、新鮮なインパクトを与えた。
「おれは金がほしい」と言った。
「もっと上に行きたい」と言った。
「キャデラックに乗って、10メートル先のたばこ屋に
ハイライトを買いに行くのが夢です」
などというマンガみたいに愉快な夢をしれっと語った。
それを、「みんなで愛し合おう」とか、
「世界に平和を」とか言ってる同世代の若い人たちは、
半分笑って見ていたかもしれない。
同じセリフを、「そうだ、おれもがんばろう」と思って
聞いていた同世代もたくさんいた。
「じぶんの足で立てないやつが、
四の五の言ってもどうしょうもない」と
若いときの矢沢永吉は言っていた。
じぶん自身が、立てるか立てないかのところで
必死になっていたという覚えがあったのだろう。
愛だ平和だの歌を聴き、歌っていた若い人だったぼくは、
矢沢のことばのほうに、強い「真実味」を感じた。
あのインパクトは、いまも続いて、まだ胸に響いている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
どっちかの話でなく、重なってる真実というものなのかも。
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