2015-10-09

クリスチャン反日左翼についてのクリスチャンとしての見解

はい、ここの話です。

http://togetter.com/li/883745

多くのクリスチャンはこういう問答に答えることをよしとしません。その心情も分かりますし、その理由も分かります。ですが私は人生の半分以上をクリスチャンと過ごし、一方で日本人として日本に誇りを持って生きてきました。なのに突然後ろから反日だ、左翼だと言われると、かなり辛いものがあります。多くのクリスチャンは決して反日でも左翼でもありません。

コメントを見ていきましょう。

日本には信教の自由はあるが、他人や国を脅かして良いものではない。信仰心のあまり政治的アクションを行うことにより、信仰対象を貶めていることに一刻も早く気づいてほしい。

信仰心はそのような政治的アクションを産みません。「クリスチャンならそうしなければいけない」と言うなら明白に異端です。「行いによる救い」は異端に生じる非常にありがちな教義です。

「反捕鯨運動は鯨を聖獣視するキリスト教カルトから始まった」の根拠プロジェクトヨナです。

知りませんでしたが、それは異端です。何らかの獣を聖なるものを見なすのは明白に異端です。

心あるクリスチャンの方々のお怒りはごもっともです。やつてGHQによって燃やされそうになったという靖国を守ったのはバチカンから派遣された神父だというし穏健派も多数いるでしょう。ならばそういった方々は反キリストに反発するより先に「日本基督教団」と「日本キリスト教協議会」と「カトリック正義と平和協議会」を何とかしたほうがいいと思います聖書を読むよりも日本の歴史を叩くのにご執心な人達のようですので。

クリスチャンは「何とかする」という権限を持ちません。が、一方で「日本基督教団」が一クリスチャンを「何とかする」という権限もありません。もし「何とかして欲しい」という話であれば、「裁きの日を待ってください」ってことになるかもしれません。

日本キリスト教婦人矯風会は成立から一貫して娯楽の規制と言うか道徳強制活動をしてるよね。で、今はマンガアニメ児童ポルノとしようとしてる。

そうなんですか。しかし「こういう規則に従うと救われる」という風に説くなら異端です。聖書が禁じている律法主義です。

律法主義はクリスチャンが陥りがちな異端です。「行いによる救い」も同様にクリスチャンの陥りがちな異端です。

「こういう規則に従えば、救われる」「こういう行いをすれば、救われる」、いずれも異端です。規則に従ったり、行いを行ったりすることで、良くなることはありません。

そのような実態があるならまず「同胞危険思想偏向思想政治関与」をありのまま受け止め、「内部批判してますよ」じゃなくて、実際はどのように受け止め、行動してるのかを教えてほしい。「上から目線」とかそんな態度で反論しても、ここを見てるのは「キリスト教徒存在懐疑的になりつつある(そう西早稲田関連とかSEALDsとか)一般人である可能性を忘れてないでいただきたい。何も変わらず西早稲田が怪しい行動続けてたら結局このまとめのタイトルに偽りなしになるんだって

クリスチャン同士は別に同胞」ではないです。クリスチャン内部でもプロテスタントカトリックではかなり違いますし、個人的にはカトリック敬遠します。「同胞」という意識で言うなら、クリスチャン同士よりも、むしろ近所の人付き合いとか、日本人であるとか、そういう方向の「同胞」に親しみを覚えます

さてどのように受け止めているかというと、ごく一般の日本人と同じで、「不愉快だなあ」と思っている程度です。彼らがクリスチャンを名乗っていることについては、「また面倒なことが増えるなあ」と思います。が、切り離すこともできないのが事実です。

クリスチャン破門・絶縁・除名・村八分のいずれの手段もとりえません。そういうシステムがないのです。

しかし「異端だ」と言うことはできます。ですがクリスチャンは「こいつは異端だ」と言うことに対し、極めて面倒な処理をしなければなりません。

彼らの行い、述べ伝えていること、これらが聖書に基づいているのかどうかを一々チェックしなければなりませんし、それらの信仰が神によるものかどうかも試す必要がありますし、「悪魔悪霊がとりついている」なんて言い出したらそれこそ日本人は冷ややかな目線を送るでしょう。

軽々しく異端だと言うことはできず、異端判定には非常に慎重にならざるを得ません。

いきなり異端だと叫び出すと、まさかの時のスペイン宗教裁判になってしまます

明らかな偶像崇拝三位一体否定なんかがあれば、ああそれは異端ですよって言えるんですが、異端はそういう気配を殺しながらやってきます

正直言って聖書の全ての箇所を暗記することは不可能ですし、一対一で議論しないと異端の判定はできません。

なので、「異端かもしれないが、異端とは言い切れない。異端とは言い切れない以上、破門・除名・絶縁・謝絶などの(実務的・感情的処分はできない」というのが本当のところです。

個人的感想を言わせてもらえれば、怪しい在日朝鮮人系の牧師だの(そう、大量の性被害者を出した事件もありましたよね)そういうのを野放しにして「内部批判してますよ」程度で終わらせてる「その他90%を超える大多数のキリスト教」そのものに極めて懐疑的なんですよ。はっきりいって「カルト汚染されるままになってるじゃねーか」でしかない。

内部批判っていうか、やはり先ほど述べたように「破門・絶縁」などの処分システムとして存在しない以上、できません。「その人をクリスチャンキリスト教から追放する」というシステムはないのです。ただし教団の名簿から外す、といった処分はできるかもしれません(そうされたかどうかは知りません)。

言えるとすれば、審判の日まで待ってくださいということです。その日にはきちんと裁かれます日本的表現をすれば、地獄に落ちるので心配しないでください、という形になるでしょうか。

あと一部クリスチャン神社に油まいたり訴訟したり嫌がらせやめてください。

すいません。偶像崇拝を戒めている一方、偶像破壊したことによって神に誇れると思うなら、異端です。

キリスト教の人には、カトリックプロテスタントの違いすらわからないのが多い。もちろん俺も知らないし、興味もない。だから暴走してるのは○○派だとか言われても、当事者以外では区別が付くはずもなく、一くくりに「キリスト教」にしてしまうのは当たり前のこと。だから誰よりもデカい声をあげなければならないのは「まともな」キリスト教徒自身なんだよ。たまに見る「まともな」宗教指導者は現状を嘆いてばかりで、何一つ行動が見えない

どういう声を上げれば良いのか正直分かりません。「反日したりしているクリスチャンは悪いクリスチャンです」と、もしかりに私が、クリスチャン代表として言うなら、それは異端になってしまうでしょう。「反日と思われるのは困ります」と声を上げたいとは思っていますが、単に「いち日本国民として」という肩書きしか言えません。

クリスチャンが集まって、あいつらは悪いやつらだと裁くことはできません。異端かどうかを判断することはできますが、異端である認定するのは大変ですし、ほとんどのクリスチャンにそのような手間暇はありません。

.crape_myrtle_ 削除の件、謝謝。次に「慰安婦問題松井やよりのような異常な反日左翼キリスト教徒によって始められた」にも異論ないと思いますが、問題はその後も一部のキリスト教徒によって脈々と受け継がれ、ナヌムの家を聖地のように訪問している実態がありますね。シールズのようにキリスト教バックグラウンドを隠して大規模な反政府運動をやる学生まで登場した。どうするんですか?それでもキリスト教非難するなと?内部で解決できる目処があるのですか?

えーといよいよもってよく分からなくなってきました。キリスト教を隠して政治活動をしたらキリスト教批判されるんですか……?なんかそろそろ頭がぼーっとしてきました。SEALDsには共感しませんが、もし「キリストの御名において」なんて言っていたら明白に異端だと言えたので楽だったかもしれません。なおもう一度言いますが、「行いによる救い」は異端ですので「キリスト教徒はナヌムの家を訪れなければならない」のような言説は、異端です。ましてやそれによって救われると思っているのなら、なおさら明白に異端です。一方、個人的信条で行くことに関してはやはり何も言えません。鳩山由紀夫が何をしようと一般の国民にはどうしようもないのと同じです。

 

えーとめんどくさいので以上です。簡単にまとめておきます

クリスチャンには他のクリスチャン破門・絶縁などの処分をして、クリスチャンキリスト教から追放する権限はありません。ただし、異端である非難することはできます

しか異端非難するには極めて面倒な手続き必要であり、また異端である認定する過程異端に引き寄せられることは多くあります

・そのため「処分」としては、「異端認定する」ことが必要ですが、「異端と簡単に認定できない」のが実情です。

クリスチャンの方に向けてはこんな感じです。

異端の二大特徴は「律法主義」「行いによる救い」です。「何かの規則に従うと救われる」「何かの行動をすれば救われる」このどちらも異端ですので、異端かどうかを簡単に判別するには、この二点を聞いてください。

・ただし、自分たち異端だと分かっているなら、この二つのいずれの質問もうまく交わすと思いますので、簡単な判別は難しいと思います(ですが、非クリスチャンだと思って油断していると、漏らす可能性はあります)。

異端でないなら、悪いクリスチャン・良いクリスチャンをこの世で裁くことは不可能です(刑事・民事的には別)。

・いずれにせよ最後の審判で裁かれます申し訳ないですが、そのときを待ってください。

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