視聴者からの手紙やメールをもとに取材する「あなたのファミリーヒストリー第2弾」。
今回も徹底取材でルーツに迫ります。
曲芸師として活躍した祖父。
しかし過去を語る事はありませんでした。
過酷な運命。
戦後の芸能界で脚光を浴びた事実が明らかになります。
偶然出会った同じ名字で顔のよく似た2人。
戦国時代の先祖まで遡ると意外な事実が…。
かつて活躍した…その娘さんからのメール。
先祖に関するある言い伝えがありました。
謎に包まれた父の実像。
手がかりはたった1枚の写真。
浮かび上がったのは…70年の時を経て初めて父の真実が明らかになりました。
この日初めて家族のルーツと向き合う事になります。
神戸に暮らす…91歳になる祖父の事でメールを送ってくれました。
若い頃に雑技団というか芸をしていて例えばこういう感じで…。
祖父邦夫さんの戦後間もない頃の写真です。
邦夫さんは過去についてほとんど語る事なく今は施設で暮らしています。
(取材者)こんにちは。
はじめまして。
91歳の祖父邦夫さん。
10年前に脳梗塞で倒れて以来会話をする事はできません。
邦夫さんはどんな人生を送ってきたのでしょうか?邦夫が生まれたのは鳥取県湯梨浜町。
大正12年邦夫は家庭のある父とまだ若かった母の間に生まれました。
母が育てられなかったため父のもとに引き取られます。
しかしその家族にはなじめませんでした。
邦夫3歳のある日。
地元の芝居小屋に旅回りの中国人雑技団がやって来ました。
芝居小屋の経営者の孫…当時の様子を伝え聞いています。
訪れた雑技団の名は…日本を拠点に活動する中国人の雑技団でした。
当時息子を亡くしたばかりの団長は跡取りにする男の子を探していました。
この話を聞きつけた父がなかなか家族になじめなかった邦夫を5円で売ったのです。
邦夫3歳の事でした。
突然雑技団の一員となった邦夫。
厳しい修業の日々が待っていました。
5歳で初舞台を踏み旅回りの雑技団として全国を巡ります。
そのため学校には通えませんでした。
寂しさからいつも泣いてばかりいました。
その後雑技団は活動の拠点を東京・浅草に置きます。
そして邦夫は16歳の頃「川田道夫」という芸名を名乗るようになります。
二十歳になった邦夫に思わぬ連絡が入ります。
鳥取の実家に召集令状が届いたというのです。
邦夫は17年ぶりに鳥取に戻りました。
その時の事を覚えている人がいます。
山田重夫さん84歳。
邦夫の異母兄弟に当たります。
邦夫とは70年以上連絡が途絶えていました。
(取材者)そうですか。
邦夫は自分を雑技団に売った父と対面しました。
そして昭和19年9月。
邦夫は地元の歩兵部隊に入隊。
部隊に号令をかけるらっぱ手を務めました。
そして終戦から1年後。
邦夫は鳥取で見合い結婚します。
2歳年下の藤原知加江の家に婿養子に入ったのです。
その後子供にも恵まれます。
すると邦夫は家族を養うため再び東京で曲芸師として働く事を決心します。
進駐軍兵士のためのナイトクラブなどで連日舞台に立ちました。
これは当時の芸能事務所が作成した芸能人一覧表。
邦夫の芸名「川田道夫」が登録されています。
そこには当時まだ10代の江利チエミ。
染之助・染太郎の名前もありました。
邦夫と共に進駐軍相手のクラブなどを回った…80歳の今も現役で舞台に立っています。
(拍手)当時鏡味さんは10代。
先輩が皆怖い印象だった中邦夫だけは違ったといいます。
邦夫の得意技は宙返りでした。
鏡味さんと同じグループで邦夫とも共演した…当時の新聞に邦夫の事が紹介されています。
曲芸師として評判を呼ぶ邦夫。
人気落語家とも共演しています。
三代目三遊亭圓歌とは特に親しくしていました。
現在落語協会の最高顧問を務める三遊亭圓歌さん83歳。
このころ地方公演も増え邦夫は全国を飛び回るようになります。
すると次第に家族と過ごす時間がなくなっていきました。
37歳になった邦夫はある決心をします。
3歳で雑技団に売られ深い孤独を味わってきた邦夫。
自分の家族には寂しい思いをさせたくありませんでした。
昭和35年邦夫は妻の実家から程近い町に小さな家を建て家族6人で暮らし始めます。
そして中華料理店を始めます。
幼い時から雑技団で仕込まれた料理の腕が役に立ちました。
邦夫はそれまでの不在の時間を埋めるかのように家族と共に過ごしました。
邦夫がふるさとに戻った頃の事を覚えています。
自らの過去を語る事なく家族のために尽くした邦夫さん。
現在91歳。
その人生には壮絶な過去が隠されていました。
北海道函館の医師高澤宏文さん。
同じ名字の同僚高澤彰さんとの事でメールをくれました。
医師の宏文さんが函館で働き始めたのは1年前。
生まれ育ちは福井県福井市です。
一方理学療法士の彰さんはずっと函館で暮らしてきました。
かつて先祖が北海道に移住してきた事は知っていますが詳しくは知りません。
まずは理学療法士の彰さんのルーツをたどります。
4代前高祖父の戸籍を調べると明治36年に石川県から函館市に移住してきた事が分かりました。
もとの本籍地は能登半島の中部に位置する羽咋郡領家町村。
この辺りは江戸時代北前船の寄港地として栄え北海道とはつながりが深い土地柄でした。
彰さんの高澤家の本籍地は現在さら地になっていました。
地元の人によると江戸時代には既にこの村で暮らしていてかつては墓もあったといいます。
今度は医師の宏文さんのルーツをたどります。
出身は福井県ですが戸籍によると祖父は石川県七尾市生まれだという事が分かりました。
2人は同じ能登半島にルーツを持っていたのです。
七尾には今も親戚が暮らしていました。
医師の宏文さんの曽祖父は七尾に来る前羽咋市下曽祢町で暮らしていた事が分かりました。
下曽祢には今も高澤姓が多く暮らしています。
実は高澤家がこの下曽祢で暮らすようになったのにはある歴史的背景がありました。
そこには地元の寺の歴史が関わっていました。
その時に同行したのが高澤家でございます。
戦国時代高澤家は新潟・上越で暮らしていました。
しかし信仰していた一向宗その一派があの上杉謙信の祖父を殺害。
そのため上杉家の弾圧を受け高澤家は地元の寺と一緒に上越から能登半島に向かったのです。
そしてこの下曽祢にたどりついたのが…その後江戸から明治にかけて高澤家の末えいたちが七尾市や金沢市など各地に散っていきます。
果たして2人の先祖はつながっているのか?能登の歴史に詳しい専門家に尋ねたところ…。
2人のルーツがつながっているのかどうか残念ながら特定はできませんでしたがその可能性も否定できないとの事でした。
(笑い声)神奈川県に暮らす内藤一二美さんから頂いたメール。
父の本名は…戦後活躍したプロレスラーのミスター珍さんです。
あの力道山に見いだされ一躍人気者になりました。
小柄な体で繰り出すコミカルな技で知られた珍さん。
病と闘いながら60代まで現役を貫いた異例の選手でした。
(拍手)兵庫県宝塚市で生まれ育った珍さん。
幼い頃に養子に出されたため実家出口家のルーツについて全く知りませんでした。
唯一伝え聞いていたのが…。
戸籍をたどると曽祖父出口三四郎の本籍地が彦根市にあったのです。
「滋賀県犬上郡松原村」と書かれていました。
彦根といえば桜田門外の変で暗殺された井伊直弼が藩主の彦根藩。
出口家のルーツを調べるため彦根市を訪ねました。
本籍地旧松原村は琵琶湖沿いに広がる地域。
江戸時代彦根城の城下町として栄えました。
ちょうどこの家の辺りが本籍地…。
曽祖父出口三四郎の本籍地には一軒の家が建っていました。
あっすみません。
ここに暮らす…出口家を知らないか尋ねてみました。
若林さんの家の敷地の一画。
今は畑になっているこの場所は昭和初期に買った土地だといいます。
更に取材を進めると出口家の先祖に関する手がかりが見つかりました。
彦根藩の歴史を研究する…見せてくれたのは一枚の地図。
江戸後期天保7年に描かれた…現在の地図と照らし合わせると出口家の本籍地があった地域は江戸時代赤く塗り潰されています。
彦根藩が大津や京都など西へ船を出す際に船乗りとして働いた水主。
出口家も水主として彦根藩に仕えていた可能性があるのです。
しかし水主と桜田門外の変との関わりを示す資料は見つかっていません。
ではなぜ出口家には桜田門外の変で名字をもらったという言い伝えがあるのか。
彦根城博物館の野田さん。
明治維新より桜田門外の変を重要視する彦根の人特有の感情があるのではと指摘します。
かつて彦根藩に水主として仕えた可能性があるミスター珍の先祖出口家。
彦根藩の一大事を我が家の一大事と捉えた事が今回の言い伝えを生んだのかもしれません。
三重県に暮らす土屋美佐さん。
父憲一さんの事で番組にメールをくれました。
実の父は母と結婚する前に亡くなったため戸籍に記載されておらず手がかりがありませんでした。
こちらですね。
ところが4年前母の遺品の中からこの写真が見つかったのです。
戦後母ツユさんは別の男性と結婚。
憲一さんには実の父の事を一切語らず亡くなってしまいました。
写真の裏には母が書いた父に関する手がかりがありました。
一枚の写真を手がかりに取材を始めました。
まず訪ねたのは戦時史を調査研究している偕行社。
白石博司さんに写真を見てもらいました。
(白石)「テ一二三」。
「気付テ一二三」とは部隊ごとにつけられた郵便番号のようなものでした。
(白石)「テ一二三」ですねこれが「テ壹貳参」になる。
「第三四三航空隊」という事が分かるわけです。
武田武一が海軍第343航空隊に所属していた事が分かりました。
「三四三空隊誌」という記録が残されています。
その中に戦没者の一覧表がありました。
これですね。
「整曹」とは戦闘機の整備兵を意味します。
パイロット120人その他整備兵など総勢3,000人の大部隊でした。
この部隊の最大の特徴は最新型戦闘機「紫電改」が配備されていた事です。
343航空隊でパイロットだった…笠井さんはエースパイロットの一人でした。
(取材者)あのこの方なんですね。
残念ながら武田武一については覚えていませんでした。
343航空隊の紫電改の事は忘れられないといいます。
そんな戦闘機を乗りこなすため重要な存在が整備兵でした。
今回の取材で武田武一の軍歴を手に入れる事ができました。
武一は大正9年生まれ。
高知市の高等小学校を卒業。
二十歳で海軍に入り戦闘機の整備兵になります。
昭和19年9月武一は宮崎基地の勤務となりました。
ここで武一に運命の出会いが訪れます。
当時整備兵たちは休日の外出を楽しみにしていました。
あっこんにちは。
あっ…。
武一とは面識はありませんが同じ部隊の整備兵だった…武一は宮崎市内の飲食店で働いていた一人の女性と親しくなります。
憲一さんの母です。
2人は恋仲になりました。
しかし戦況は悪化。
昭和20年1月。
武一は343航空隊に配属され四国松山基地に異動となります。
こんにちは。
当時343航空隊に所属し武一と同期だった人が見つかりました。
わざわざ当時の軍服を着て出迎えてくれました。
覚えてますか?優しかったんやな…。
うん。
休暇に合わせて武一はツユを松山に呼び寄せます。
そして撮ったばかりの自分の写真をツユに渡しました。
ツユはこの先も連絡が取れるよう武一から部隊の気付番号を教えてもらい書き留めます。
間もなくツユは憲一をみごもったのです。
間もなく武一の部隊は長崎大村基地に移動し本土決戦に備えます。
しかし待っていたのは連日の激しい空襲でした。
戦闘機は次々と攻撃を受け修理や出撃のために整備兵に休む暇はありませんでした。
当時の記録が残されています。
そんな激務がたたったのか武一は倒れます。
24歳という若さで帰らぬ人となったのです。
死因は心臓麻痺。
息子憲一が生まれる4か月前の事でした。
武一の軍歴そこには本籍地も記されていました。
武一の親族がいないかどうか調べるために高知県高知市に向かいました。
ここに書いてあるこの辺りなんでちょうどこの建物の辺りですね。
そこは現在アパートになっていました。
近所で知っている人がいないか探します。
次に訪ねたのは地元に古くからある寺。
住職の母に話を聞こうとすると…。
調べておりまして…。
「武田武一」という名前を覚えていました。
更に武一には弟がいた事も分かりました。
武一の弟が経営していた電器店。
現在は別の人が営んでいました。
武一の親戚の家が分かりました。
武一の弟晴信の妻の兄の子供が哲信さん。
子供がいなかった晴信夫婦の面倒を見てきました。
引き出しにしまわれていた武田家代々の遺影。
その中にこれまで誰か分からない遺影がありました。
そんなね…。
昭和10年武一が地元の高等小学校を卒業した時の写真です。
更に武一のめいが健在だという事も分かりました。
武一には父親が違う姉がいました。
その娘が節子さん。
武一のめいに当たります。
節子さんが武一の存在を知ったのは戦後の事。
戦死の知らせが来た事を祖母熊尾武一の母から聞いています。
武一に息子がいた事を初めて知った節子さん。
せめて武一の母熊尾に教えてあげたかったといいます。
びっくりやね。
優しい人やったってなお父さんと一緒やな。
若い頃の写真まで見れるとは思わんかったばあちゃんの写真も…。
よかった。
いやぁほんと感謝やね。
2015/10/02(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「あなたのファミリーヒストリーSP パート2」[字]
寄せられたメールで制作した視聴者版SP。▽曲芸師だった祖父。3歳で売られた壮絶な歳月。▽生まれる前に戦死した父。母も亡くなり手がかりがなかった。70年後の真実。
詳細情報
番組内容
寄せられたメールをもとに送る視聴者版SP。オムニバス形式で紹介する。(1)曲芸師だったと言われる祖父。3歳で中国人雑技団に売られていた。謎だった壮絶な歳月が明らかになる。(2)生まれる前に戦死した父。戸籍もなく、母も亡くなり、手がかりが全くなかった。一枚の写真だけが残されていた。徹底取材で浮かぶ父の素顔。所属していた部隊には、あの紫電改も配備されていた。戦後70年にして新事実が明らかになる。
出演者
【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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