kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブコメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブコメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブコメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年10月08日

ノーベル文学賞を受賞したベラルーシのジャーナリストについて(メモ)

日本語圏はきっとまた「期待されていたあの日本人作家は受賞なるか(受賞ならず)」という、正直、ものすごくどうでもいい話が「ニュース」として扱われているのだろうと思って(それも、今年は既に発表された医学・生理学賞と物理学賞で日本人が受賞者に含まれていることで、煽って煽って煽りまくって売り上げ・view数を伸ばすようなイケイケドンドン調が例年以上だろうとげんなりして)、今日は日本語圏のニュースを一切見ていない(ポータルのトップページさえも)のだが、そんなこととは関係なく、ノーベル平和賞は淡々と発表された。

ウクライナ生まれでベラルーシを活動の場とするスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんという女性のジャーナリスト・作家が受賞した。女性の文学賞受賞は14人目だそうだ。

私は無学なので、これまで名前も聞いたことがなかった人だが、Twitterでフィードされてくる英語圏の報道記事をざっと見ただけで、「ああ、この人の書いたものは読みたいな」と思った。英訳はもちろん、日本語訳もけっこう出ている。

4006032250チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
スベトラーナ・アレクシエービッチ 松本 妙子
岩波書店 2011-06-17

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0312425848Voices from Chernobyl: The Oral History of a Nuclear Disaster
Svetlana Alexievich Keith Gessen
Picador 2006-04-18

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4905821797ボタン穴から見た戦争―白ロシアの子供たちの証言
スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ 三浦 みどり
群像社 2000-11

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4903619109戦争は女の顔をしていない
スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ 三浦 みどり
群像社 2008-07

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4905821290死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録
スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ 松本 妙子
群像社 2005-06

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0393336867Zinky Boys: Soviet Voices from the Afghanistan War
Svetlana Alexievich Larry Heinemann
W. W. Norton & Company 1992-09-01

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以下、報道記事のフィードなどをメモ。



















ノーベル文学賞といえば、シェイマス・ヒーニー(2013年没)についてのニュースもある。



※この記事は

2015年10月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:07 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【おことわり】「阿修羅」掲示板にこのブログ、および当方の管理下のブログの記事が全文転載されているのは、無断転載(コピペ)です。当方の関知するところではありません。詳しくはこちら(2015年7月以降、当方のブログの「阿修羅」への無断転載は、固くお断りします)。



なお、ここに貼ってあったZenbackは2015年2月19日にコードを外しました。今後は検討中です。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼