こも巻き作業は、松を枯らす害虫を幹に巻き付けたこもに誘い込んで冬を越させ、春先に、害虫ごとコモを焼却して駆除する伝統的な方法です。
きょうはシルバー人材センターのお年寄りたちが、およそ100本の松に
(黒柳)こちらは12年前に『徹子の部屋』に出ていただいた園芸家の柳生真吾さんでいらっしゃいます。
残念なことに今年の5月にお亡くなりになりました。
お父様今日おいでくださいました。
お父様は21年ぶり。
柳生博さんです。
どうもしばらくでございますね。
お久しぶりでございます。
お元気そうでね本当に。
随分林や森のお話を前伺いましたけど今日はまた息子さんのことも伺わせていただきます。
よろしくお願いいたします。
息子さんのことはあとでお伺いするとしてもそれにしてもお父様は21年前に出ていただいてから出ていただいてないんですよ。
あれから呼んでいただいてないんですね。
その前は5回か6回出てるはずなんですけど。
それで…そう。
あそこの八ヶ岳のほうにいらっしゃっちゃったもんですから出ていただくの申し訳ないような気がして…。
そんなことありません。
そんなことなかったですか?その間に息子さんには出ていただいてたんですけどお父様は21年ぶりだったんです。
お父様は昭和12年生まれでいらっしゃいまして現在78?8でございます。
すごい。
もうじき80。
そうですか。
柳生新陰流で有名なあの柳生さんの…柳生さんっていうか柳生一族の子孫でいらっしゃいまして。
そういう家から俳優が出るとは何事だって随分叱られました。
そうでしょうねきっとね。
親たちに。
そうですよね。
そんなことありました。
さて真吾さんは園芸家として非常に人気が…。
特にNHKの番組に出ていらしたんですね。
そうですね。
で出ていただきました。
『趣味の園芸』にお出になっていらしてとても感じのいいキャスターを8年間お務めになったという方でいらっしゃいました。
『趣味の園芸』。
それまでは一応お年寄りのものだと思ってた園芸がこういう若々しい方がなさったもんですから園芸に人気が出てみんなとても喜んだ…その頃『徹子の部屋』にも出ていただきました。
そうでしたね。
じゃあちょっと2003年でございますけど柳生真吾さんVTRございますので。
あるんですか?あります。
『徹子の部屋』においでいただきましたので。
ちょっとおつらいかもしれないんですけどご覧ください。
「僕が小学校の時に…なりたい職業ってありますよね?」「そこに僕が書いた言葉は役者以外って書いたんです」「役者以外?なりたいもの役者以外?」「役者以外だったらいいなと思ってた時代がありました」「父は僕を…全て出ている番組を見なさいと」「僕のやった仕事を…俺のやった仕事を見なさいっていうふうによく見せられました」「次の日に学校に行くと“昨日ラブシーンやってたぞ”とかねなんかそういうのが…」「“昨日犯罪者だったな”とかそんなのがどうにも僕はその時には受け入れられなくて」「いじめられっ子というかいじめられてると思ってたんでしょうかね?」「お父様のこと言われることが?」「ことが。
注目されることが」「だからどんどんどんどん…内にはあったんですがなんかこう…。
でもしょうがないじゃないですか」「役者の息子であることとかこの名前この顔役者の息子でもしょうがない」「これで生きていこうと思った瞬間に1秒も変わったんですよ」「走って?」「100メーター走るスピードが」「速くなったの?」「なんかこう…」「背も伸びたんでしょ?その辺りで」「背も伸びました。
グンと伸びました」「不思議なもんで肉体まで変わるんだなって思った瞬間がありましたね」そう。
ありがとうございます。
こんなの見せていただいて。
でもおつらいでしょう?ご覧になるの。
でもなんか…なんかひどく懐かしく…。
いじめに遭ったって本当にそうで…。
八ヶ岳へ引っ越して野良仕事つまり森の手入れとかね力仕事をやろうっていうのはやっぱり息子がいじめられて帰ってくるっていうのはありましたね。
そうね。
色々ね。
そうなのね。
その時代でも。
その時代でも?さっき仰ったように柳生家の末えいということで…。
これこの写真はね13歳…。
柳生の家には13歳になったら一人旅に出なさいっていうのがあるんですよ。
すごいですね。
中学2年生の時で。
えー。
そして今住んでいる八ヶ岳の辺りの駅でこう全部毛布にくるまってベンチに寝て1カ月近く生活して一丁前になってというか…。
するとおじいちゃんが迎えてくれて「おう。
いい顔になったな」っていうのが大体儀式でございましてね。
大変でしたねでもね。
13歳っていうとね中学…1〜2年ですかね?えーと…今年の夏休みねうち7人孫がいるんですがねその中の6番目が一人旅を終えていい顔になって帰ってきました。
どこ行ったんですって?これはね彫刻とかなんかが好きでそういう彫刻家の家とかあと陶芸家の家とかあとそうですねそういう作家さんの家を回ってお手伝いをさせてもらって。
そういうのもあるんですか。
もう好き勝手にやってますねみんなが行きたいところへ。
とにかく柳生家は13歳になったら一人旅に出るべしということでどこに行こうとその子の勝手でまあ13歳…。
でもその時あれですかねご自分で13歳にああいうふうに旅してみてやっぱり何か得るものありました?というかガラッと変わりますね。
ほう…。
何といっても親がいて兄弟がいてみんなに可愛がられて甘えていたのが一人で旅をするわけですから。
そうですよね。
それでかなり体を使って…。
例えば長男は…さっき出てきました真吾は富士山の麓をうろうろうろうろしてテントを背負って歩いてたし。
次男はあの…そうですね山陽線…本線で行って山陰線周辺をうろうろうろうろして色んなことを体験して。
一様に…極端に寂しいわけですよね。
男の子が…13歳ですからね。
なんかあれですって?お泣きになったんですって?あなた。
泣きましたね…夜中にね。
こう駅のベンチで寝てるでしょ。
ええ。
払い下げの毛布にくるまってもうどうしようもなく泣けてくるんですよね。
えー…13歳?ベンチ触ってるとね大きな蒸気機関車の動輪が彫ってあったり…。
それ実は今でもあるんです。
へえー。
僕が今住んでる八ヶ岳の駅に。
そうなの?ええ。
駅長室に…。
小さい時にはそこにいらした…?だから泣き泣きこう触るわけ「母ちゃん…」とかね。
馬鹿みたいですがね。
13歳だとまだ泣くんですねそうやってね。
泣きます泣きます。
さて柳生さんはずっと出ていただいてなかったって言ったんですけど36年前のVTRを皆様に見ていただこうかなと思うんですけど。
あるんですか?ええ。
ございますんでちょっとご覧ください。
うわー…。
「理想の…例えば父親とかそういうんじゃなくて恋人としていいんですってね?」「そうですね。
どういうことなんですかね?」「ファンレターいただきますね皆さんから」「恋文なんですねほとんどが」「フフフッ。
そういうのはうれしくていらっしゃいます?やっぱり」「うれしいというか何ともどうも…駄目ですね」「フフフ…。
それで今日ちょっと見せていただいて面白い…面白いって言っちゃ失礼かしら」「若いお嬢さんたち高校生がですねサークルでもうこういう会報第1号なんていうのできて…」「“柳生博ファンクラブブラックターゲット第1号発行であります”って…」「取材に来るんですよ」「このファンクラブが?」「そして“ジャーンジャーン”って音入りですよ」「“ジャジャーン!ついに目の前に我々の理想の男性柳生博様登場”」「“身長175センチ”」「“スリムでダンディーで決まってました”」「“やはり画面より迫力あったな”ですって」「へえー。
ブラックターゲット」「でもいつ頃からですか?こういう現象は」「こういう若いお嬢さんたちからのその…」「ここ2〜3年ですね」「ああ…」たばこを吸ってるよ。
そう。
すいませんでした。
いいえいいえ。
他にもたくさんたばこ吸っていらっしゃる方いらっしゃって時々みんなで見て驚きます。
当時はたばこ吸ってたんだって。
申し訳ありませんでした。
いえいえいえ。
あの頃ちょうどナイスミドルっていう言葉がはやって。
ありました。
その時柳生さんもう何たってナイスミドルだっていうことで。
あんな若い女の子からもお手紙が来るぐらいですからね。
やっぱりね素敵な…おじ様っていうのかしら?そういうのでもてはやされ…。
ドラマにもたくさんそういうのお出になった時だったからね。
ドラマを含めてねテレビで年間700本ぐらいやってたんですよ。
そういう時代でした。
うわーすごい。
毎日の帯番組NHKも含めてねありますでしょ。
その他クイズ番組とか色んなこと…。
ちょうどその頃の…。
すごいですね。
それでみんなが…なんか会う時間も子供ともなくなるし女房と話す…。
ああ解けていっちゃう壊れていくという…。
柳生博さんの奥様は俳優座養成所の同期生で二階堂有希子さんと仰いまして大変声などでも…声優としてもご活躍。
そうですね。
そうでしたね。
だもんだからひと頃奥様のほうがちょっと売れっ子になったりして。
声はもちろん『ルパン三世』の…ああいうのとか。
声はもちろんですけど連続ドラマで主役やってましたからねずっと。
そうそうそうそう。
それからグレース・ケリーの声とかね。
僕はヒモだったわけで…。
そう。
ヒモヒモ。
ヒモ生活。
ヒモの話をしましたね前。
そうですね。
奥様も八ヶ岳に行くことは反対じゃなかったんですか?いや最初は反対でしたね。
東京生まれの東京っ子ですからね。
無理やり連れていって色々…甘いことつらいこと色々話して。
なるほど。
手伝ってくれました。
これ初めの頃ですよね?息子さん2人いて。
奥様とね。
ちょうど行ってすぐぐらいでしたね。
この橋も僕らがこの息子たちと作ったんですよ。
そうなんですか?電柱で…柱立ててねそこへ丸太で…。
ヤマザクラシラカバそれからミズナラとかなんか何千本もお植えになったっていう…。
そうですね。
そうこうしてそこ「八ヶ岳倶楽部」というふうに命名して?八ヶ岳で共に楽しもうやみたいなね。
みんな誰でも来ていいよみたいな。
だからもう誰でも来られるような。
担当の者が行って八ヶ岳倶楽部の風景をちょっと撮らせていただいたビデオがございますんで。
素人が撮ったものですけどちょっとご覧ください。
もしかしたらあれかな?これですね。
そうです。
へえー。
緑ですね。
このずっと今映っているこの木の半分ぐらいは真吾も宗助…兄弟が手伝って。
これ私ですが。
植えた…。
いつもああいうハサミとかあれぶら下げて。
これが次男の…。
宗助さん?ええ。
今真吾の後を継いで。
そうですか。
働くんだ一生懸命。
すごいです。
へえー。
これあれですかね?これ線路のところにある…。
線路の枕木です。
枕木ですね。
えー。
それをだからもう…お兄ちゃんの頃に一緒にやって今だんだんボロになってきて取り換える…。
ボロになるんですか?あれ。
それはだって…。
枕木ってボロになるんですか。
30年も経ってるんだもん。
あっそうか。
これは何だ?あっこれは枝打ちといいましてね。
太陽の光が入らなくなってくるでしょ。
これ柳生さんご自身ですか?僕です。
なんか…。
だから少し切らないといけない…?そうです。
そうすると木漏れ日がこう入ってきて…。
すごいなでも。
野良仕事。
ええ。
日本野鳥の会の5代目の会長でもいらっしゃる。
はい。
やっております。
すごいですね。
何でも詳しい…。
ちょっと八ヶ岳倶楽部のインサートもう少しちょっと見て…。
あるんですか?まだ。
なんかあるみたい。
「アカゲラの巣です」「この木の上ずっと見てってごらん」「穴開いてるでしょ」「あれ去年ここから巣立ったんです」「アカゲラが」「この森の中に…いくつかの巣があるんだけどそれはみんなこいつの兄弟とか家族だろうね」あっ。
これも…。
巣箱。
はい。
これはシジュウカラが入った…。
こんなね軒下にある…。
これうちの孫たちの…孫の友達やなんかがみんな絵を描いて…。
そしてこう屋根の軒下に置いた巣箱に入るんです。
そこにも入ってくるんですか?入ってる。
もう今年巣立ってるし…。
これは何ですか?これは何だろう?コゲラかな?ゲラ?ゲラのあれですね。
これもキツツキの一番小さい…。
これも僕らが色んなことを作業しているすぐそこで今年もひなを孵化させました。
そうなんですか。
巣立って…。
コンコンコンコンなんてやって…。
あっ可愛い。
子供が口開けてますね。
これはねキセキレイといいまして。
だから皆さんが見られるハクセキレイ。
全部白い…。
黄色の…白いのハクセキレイ。
これはスーパーとかなんかの駐車場なんかにも…都会にもいるんですけど。
あのキセキレイって本当に山に入って山奥で…ああいうところに。
であんな人が…僕が立ってこうやったらつかめるような…人が何十人って一日歩くところに作ってるんです。
平気で作ってる。
信用されてるんですね人間って。
でも真吾さんも大好きだったんですってね鳥が。
そうでしょうね…そうでしょうね。
あいつは好きでしたね。
ちなみにあの巣箱を作ったのは真吾なんですけどね。
そうなんですか。
孫たち…ちっちゃい子たち幼稚園生ぐらいみんなに描かせて…。
さて今お話に出ました大変残念なんですけどこの間お亡くなりになりました真吾さんのことちょっと詳しく伺いたいと思います。
はい。
ちょっとコマーシャルです。
園芸家でいらっしゃいました息子さんの真吾さんは残念ながら47歳という若さでこの5月にお亡くなりになったんですけど。
初めにお連れになった時はやっぱりあんなふうに色んなことやってたんだけど初めチューリップを植えようとしたんですって?彼が。
そうなんですよ。
可愛い。
基本的にね僕らの森…林というのはそこに…八ヶ岳の南麓に生えている木草でやるんだよっていうことを言っているんだけど隠れてねチューリップ植えていくんですよ。
「駄目だよそういう外来」…。
「そういうものは駄目だ」って言うんだけどやりたかったんだね。
だから…。
やっぱり咲いてきません?そうすると。
そう…。
でもすぐわかりますからね引っこ抜いちゃいますけどね。
するとこれぐらい大きな…。
あっこいつですね。
割と大ぶりの植木鉢を買ってあげましてね。
そしてそこに何でもいいからそこ植えろと。
チューリップでも何でも。
この森に植えてはいけないものを何でもいいから植えろって…。
そこの大きな植木鉢の中ならばいいっていうことで。
外来種であったり園芸種であったり。
そこからあいつたちが考えて寄せ植えっていうの作りましてね。
寄せ植え?こういうふうに色んな植物をこう植えて…。
そこに元々あったものじゃなくても別のものでも…。
その土はどこから持ってきた土なんですか?それはもううちの森であった…。
その森にあったり…。
種が違うだけで。
種が違うだけで?そうですね。
もうこの頃は…。
だからそこから園芸の道みたいなものへいったのかもしれませんね。
ああなるほどね。
面白い。
面白い色んなものをこう…バラやなんかも…。
でもあれですよねそういうところにチューリップやなんかは植えられないんだけども大きな鉢…。
…を買ってあげた。
その中に自分の好きなものを種でも何でも植えればそこから生えてくるっていうのはできるっていうことがわかったんですね。
だからそこへ一つの自分の好きな世界を作っていったんでしょうね。
そういうのありましたね。
そんな元気でいらしたのに5年ぐらい前からお体悪くなって…。
そうですね。
いやもっと前ですかね。
もっと前だったんですか…。
そう。
最初に手術したのもだいぶ前ですね。
この辺にこう…微妙なところですからね。
だから結構長い間苦しんでました。
そう…。
はい。
あれはいん…いん…?咽頭がんですね。
咽頭がんですか。
非常に微妙なところらしいですよね。
最後は筆談でねやってましたね。
息子がいて僕が病院に行くと「おやじ」って書くわけですよ。
一番最後は「おやじ」って…「ホトトギス鳴いた?」っていうのが一番最後でしたね。
「いや鳴かない」。
「今晩辺り鳴くかもね」みたいな。
夏の鳥ですから。
亡くなった当日は…鳴きやがってね。
そうですってね。
亡くなった直後に。
そうですそうです。
初鳴きっていうんだそうですけど。
そうです。
ホトトギスの…。
「キョキョキョキョキョキョキョ」って鳴くんですよ。
そう…。
ええ。
真吾さんはその亡くなるほんのちょっと前に…2週間ぐらい前にみんなにちょっと倶楽部の皆さんにお手紙をお書きになって。
それをちょっとお預かりして係の者が来ましたので皆さんにご紹介したいと思います。
すごく奇麗な字です。
どうぞご覧ください。
「ピンクの花に染まる事なく過ごすゴールデンウィークははじめてです」ピンクの色っていうのはカタクリのことですね。
カタクリです。
「さみしくて…くやしくて…うらやましくて」「そんな想いを八ヶ岳の雑木林に送ります」「“倶楽部の美しさ”を大いにお客さんに教えてあげて下さいな」「じまんしてあげて下さいな」「みんな頼むネ」「YAGYUSHINGO!!」カタクリです。
「ピンクの花に染まる事なく過ごすゴールデンウィークははじめてです」亡くなるこれ2日前にお書きになったものなんですね。
ゴールデンウィークの時に亡くなった…。
カタクリってね…。
これですか?これです!これです。
これうちのカタクリです。
えー奇麗ですね。
これはいつも4月のその…中旬ぐらいから咲きだしてその年の春ちょっと…ちょっと寒かったらゴールデンウィークまで咲いてるんですよ。
するとゴールデンウィークに何百人っていう方がおいでになりますから何千人って。
するとその人たちに見せてあげたいっていうのが奴のこう…思いでしてね。
そう。
でも随分広々してるんですね。
そうなんです。
それでこの時ちょうどもう入院してて本当に死ぬちょっと前なんですが…。
だから「カタクリ」って言うとねギョロッとにらむんですよ。
「おやじ“カタクリ様”って言ってくれよ!」みたいな。
それで半年間…八ヶ岳で1360メーター地点っていうのは半年間緑も花もないわけですよね。
そして一番先にこのカタクリが咲いてくれる。
すると色んなチョウたちとか虫その他…。
そういうことを見ない年ってなかったわけです当然。
自分が植えて…何万球と植えてきたわけですから。
僕ももちろん手伝わされてやってましたけど。
それを見られない悔しさ。
それとお前らうらやましいっていうのとこれからゴールデンウィークみんなをお迎えしてこのカタクリやみんなの色んな自慢をしようねっていうのが…。
自慢をしたかったんですね。
「どうだい奇麗だろこの森」って。
「この花ってね…」って「この鳥はね…」というその自慢…自慢したくてそこをパブリックスペースに作ったわけですから。
だから…。
すごい人数がいらしてます。
これはあれですねしのぶ会の時に…。
そうだったんですか…。
たくさんの方が山の中…山の中の一番山奥へ…。
そうですってね。
全国から色んな方おいでくださいましてね。
1300人もの方がこの八ヶ岳においで…。
皆さん記帳してくだすって。
来てくださったってね。
息子たちと家族で作ってきたその林でそれぞれがみんな…そこに真吾もいるような感じが…今でもするんですけど。
そうですか。
真吾さんもうれしかったでしょうきっと。
そうでしょうね。
でもあれですってね真吾さんの奥様もすごく悲しんでいらっしゃると思うんだけどお子さんが4人いらっしゃるんですってね?4人。
だからみんな…中学から大学まで…。
それが一番心配だったですね。
でもスポーツとかあと八ヶ岳での野良仕事とかそういうふうなことで随分と落ち込んだりしないで…。
次男のほうにも3人いますから…。
みんな元気です。
そうですか。
まあみんなそうやって気を紛らわすことがあれば…。
うん…。
そして一緒に真吾さんの好きだったものをみんなで手入れしてやっていけば…。
そうですね。
まあ真吾さんはね…。
つまり真吾と僕という形で今言ってますけどあとその弟もさっき出てきました。
みんな孫も…。
「じいじ」って言うんですけどじいじの野良仕事のお手伝い…。
野良仕事「野が良くなる仕事」を…この間も話しましたけども。
そういうことの手伝いって子供は好きですからね。
あっ…。
これですよ。
これがねもうそろそろ始まる。
この時期。
そう。
えー。
10月の半ばから11月にかけてもうあらゆる木が落葉広葉樹が紅葉するわけです。
奇麗でしょうね。
全部野生の木がね…。
ええ。
奇麗な…。
僕運転するから行かない?フフフッ行きたい。
行ってみたいです。
本当にね体中染まりますから。
そう…。
今やってる僕の一番大きな仕事はね草刈りをやるわけです。
ええ。
草がボーボーとしててそこへ落ち葉が落ちたら草の間へ入っちゃうでしょ。
ええ。
そうじゃない。
奇麗にするの。
なめるように。
そうすると…まあ来年の春のことを考えてやって…。
そこへ落ち葉がこう落ちるでしょ。
するとねこうじゅうたんなんです落ち葉の。
へえー。
するとそれをみんなそこへ来た人たちが子供たちもみんなこう…。
拾って?拾ってノートに挟んでお土産に…。
もうすぐ落ち葉のじゅうたんです。
落ち葉のじゅうたん…。
そうですか。
考えてみますね。
お迎えに上がります。
そうですか。
ありがとうございます。
どうも。
ありがとうございます。
このあとも引き続き『ワイド!スクランブル』ご覧いただきたいと思います。
どうぞ。
2015/10/08(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 柳生博[解][字]
〜5月に逝った長男への想い…長男も愛した八ヶ岳の生活とは?〜柳生博さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
21年ぶりの出演。俳優・柳生博さんがゲスト。
◇番組内容
園芸家の長男・真吾さんを5月に亡くした柳生さん。園芸番組のキャスターとして活躍し親しまれていた真吾さんは、咽頭がんが発病してからも仕事を続け、八ヶ岳にある家族で造った「八ヶ岳倶楽部」の鳥や花のことを、亡くなる寸前まで気にかけていたという。最期は筆談でしか会話できなかった真吾さんだったが、その直筆のラストメッセージに柳生さんも目を潤ませていた…。
ほか、家庭崩壊寸前だったという過去を明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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