大勝軒分派に「本店に屈するな!」など多くの激励の声
今年は「分裂」の年なのか―。政界で「維新の党」が、暴力団で「山口組」が、そしてラーメン業界では「大勝軒」が分裂した。
人気店「東池袋大勝軒」(東京・豊島区)の創業者で、“ラーメンの神様”と呼ばれた山岸一雄氏(享年80)の死から半年も経たぬ間に、弟子約60人で構成された互助組織「大勝軒のれん会」から多くの弟子が脱会した。
「のれん会」を脱会した弟子ら31人は8月、新たに「大勝軒 味と心を守る会」を発足し、本店「東池袋大勝軒」に対抗する構えを見せている。「守る会」側は発足の大きな理由として、4月1日に山岸さんが亡くなったことや葬儀日程を本店から知らされなかったばかりか、葬儀の後、本店幹部から火葬場から追い出されたことを挙げた。
だが、今回の分裂劇は、火葬場の一件だけで起きたわけではない。「のれん会」は、本店の2代目店主・飯野敏彦氏(47)が2008年ごろ、山岸さんの弟子らを集め発足した。「守る会」側によると、本店から原料などを安く購入できるように取りはからってもらったり、均等に店のPR取材を受けられるようにしてもらうことなどが目的のはずだった。
しかし、実際はPR取材について本店からほとんど許可は降りず、使うように指示されていた小麦粉は値段が高かったという。また、「山岸さんの教えに背き、味を変える店が増えたことに疑問を感じた」という。このように鬱積(うっせき)した不満が、今回の集団脱会の温床になったといえる。
今や日本人の食文化となった「ラーメン」にまつわる“お家騒動”は、世間も大いに注目した。「守る会」代表発起人の一人で「お茶の水、大勝軒」店主・田内川真介氏(38)の下には、取材が殺到した。対応に追われた田内川氏は「ここまで全国的に反響があるとは思わなかった」と驚いた様子。同時に、「本店に屈するな!」「頑張れよ」といった激励の声も多く寄せられたという。
「もりそば」、いわゆるつけ麺を考案した山岸さんのもとには、全国から修行に訪れる人が絶えなかった。その弟子たちに惜しげもなくレシピを公開し、平均修行期間約3~5か月で独立させていったことで、「もりそば」は全国に広がった。山岸さんなくして、現在のつけ麺文化はないだろう。
「麺絆(めんばん)」すなわち麺が作る絆を大切にしてきた山岸さん。その思いが踏みにじられる形となった今回の分裂騒動について、実妹の斉藤節子さん(78)は、「兄が生きていたら怒っていると思う」と嘆いた。だが、天国の“神様”は「怒り」以上に「悲しみ」に暮れているように思えてならない。
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