【最終話】次に会う時は、笑顔で会いましょう。
人を信じるということは、人に裏切られる覚悟を背負う事。
人を愛するということは、人の死を受け入れる覚悟を背負う事。
それでも私は人を愛したい。
恋人
子供
親友
全てを同時に失った者が綴る物語。
初めから読みたい方はコチラ。
突然の妊娠報告
彼女の口から突然告げられた言葉
『妊娠した。』
初めは言葉の意味を理解出来なかった。可能性は0%では無いが思い当たる時が無かった。
しかしながら、自分の巻いた種を刈り取る選択などあるハズ無かった。
人身売買という名の温情
そこからは本当に必死だった。
サクラよりも割りが良い仕事を探す為、事務所へ行き、おやっさんに直談判。
話を聞くや、声に驚いた若い衆がノックも無しに入ってくる程に、見た事も無い剣幕で怒鳴り散らすおやっさん。『謝る相手は彼女の親以外には居ません。』と伝えると少し冷静になったのか、1つの提案を受けた。
おやっさんから受けた提案は、まさに人身売買とも言える物。最終的には『私の1ヶ月を300万で買い取る』という形で、話が付いた。
300万円分の働き
300万円分の働きを求められる仕事。「一体何をさせられるのか?」そんな不安とは裏腹に湧いてくる「子供の為なら頑張れる」という思い。恐怖の1ヶ月が始まった。
初めての仕事は市内某所にある高級ホテルの1室で行われた。中にはカッチリとスーツを着込んだ男性が1人。真っ先に頭に過ぎった事は「あー、そうゆう仕事は嫌。」促されるままに椅子に腰掛ける。少々の沈黙の後、男性は世間話とも呼べない程にどうでも良い話を始めた。
ひとしきり話が落ち着いた頃、部屋のベルが鳴った。そして運び込まれた見るからに高そうな料理達。目の前に並べられる料理に圧倒されながらも意識は常に男性の行動に向いていた。
「良し、食べよう食べよう」男性に促されるままに口へと運ぶ高そうな料理達。人生経験の浅かった当時の私にはそれはさぞかし美味しい物だった。マンションの一室に呼び込み、初対面の若造に高級料理を振る舞う男性の意図が見えぬまま、運ばれてきた食事全てをたいらげた。
「よし、そろそろ帰ろうか」世間話をしながら高級料理を食べただけの数時間、相手の意図が解らないまま、男性が呼んでおいてくれたタクシーに乗り込み、帰路に着いた。
過ぎて行く時間
その後、売却した1ヶ月の間にした仕事と言えば、2~3日置きに料亭や高級ホテルへと足を運び、どこの誰とも解らない男性と食事をしただけ。その場で色々な事を聞かれ、色々な事に答える。たったそれだけだった。
そして迎えた最終日。呼ばれたお店に出向くと、そこには珍しくおやっさんが座って居た。そしてそれを囲む様に、見知った顔が4人座って居た。
『この中から好きな人を選べ』状況を全く理解出来ず、返す言葉に困っている私を見かねたおやっさんは『ガキが産まれるまでに、どこに就職するか答え決めときや。』と重ねた。
そう、この1ヶ月間で参加した食事会の全てが面接だったのだ。
4人の中には初日ホテルでご飯を食べさせてくれた人もおり、渡された名刺には10代の若造でも知っている企業の名前が書かれており、それはもう立派な役職名が書かれていた。
その日は結局仕事の話は一切せず、6人で記憶が飛ぶまで飲んだ。堅い職業、怖い職業、その他全ては業種に対するイメージでしか無い。バッチを外せば、ネクタイを緩めれば、そこに居るのはただの気がよいオッサン。お金の余裕は心の余裕なのだと学んだ。
夢から覚めて
翌日、目を覚ますと事務所に居た。記憶が飛ぶまで飲んだので何がどうなってここに居るのかは解らない。唯一解っているのは枕元に積まれた5本の札束と添えられた1枚の手紙の存在。
手紙には『1ヶ月分の給料と祝い金』と書かれていた。
手紙を裏に返し、メッセージを残してその場を後にした。
『子供が産まれたら、また来ます。抱っこさせてあげる代として保管しておいて下さい』
会う度に見せられる手紙にはそう書かれていた。
音信不通
妊娠報告から数ヶ月が経った頃、名刺を貰った企業には世話にならず自力で就職先を見つけようと毎日走り回っていた。そしてある日を境に、彼女と連絡が取れなくなった。
彼女の親に聞けど行き先が解らない。
慌てて親友に電話をかける、出ない。
何か事故に巻き込まれたのかも知れない。使える人脈の全てを使い、彼女の行方を追った。いつ鳴るとも解らない電話を抱え、殆ど睡眠も取らずに探し回った。
そして2週間後、私を見かねた親友の親から1つの答えが返って来た。
彼女のお腹に居たのは親友の子供だった。
そうとは知らず、必死に走り回る私に対する罪悪感。
言い出したくても言い出せない苦悩。
悩み抜いた末、2人で荷物も持たずに出て行った。
申し訳無いが、その後は本当に知らない。
もし生きていたら、2人を許してやって欲しい。
『彼女、子供、親友。それらは二度と帰っては来ない』
その答えは私を壊すに十分過ぎる物だった。
祭りの後
来る日も来る日も同じ夢を見た。2人の背中をそっと押す私、暗闇の中に落ちて行きながら、涙を流し謝り続ける2人。そんな夢。
壊れた人間の行動パターンなど限られている。好き勝手暴れて、馬鹿なことやって、面倒事があれば若い衆に行かせるだけ。何をやっても私は一切傷付かず、周りが傷付くだけ。壊れたフリをするのは本当に楽だった。
お金さえあれば何でも解決出来る。
いつ捕まるとも解らない、いつ死ぬかも解らない様な事を幾度となく経験してきた。
親友なんて物は要らない。
社会に出れば使う側と使われる側しかなく、親友なんて言葉は1円にもならない。
色恋なんて糞の役にも立たない。
1度たりとも女性が切れる事は無く、いつ消えても良い様に平行で確保してきた。
そんな生活が何年も続いた頃、父が死んだ。
若かった自分には余りある程にあったお金。しかし、どれだけお金があっても病気が治ることは無かった。
父の葬儀で友人が涙を流してくれた。
あの時、全てを置いてきたつもりだった。お金でも無く、仕事でも無く、気持ちで繋がる存在の意味を知った。
アメブロを通じて妻と出会った。
妻との関係に弊害を及ぼす可能性がある人間関係全てを捨ててでも大切にしたいと思えた。
1204
以前書いていたブログのニックネームにも含まれる12月04日。
彼女・子供・親友。それら全てを同時に失った日。
妻と知り合うまで、毎年この日は朝から晩まで1人で出掛けた。
行く宛も無い、話す人も居ない。
そこにあるのは完全なる1人。
自分の罪を見つめ直す貴重な時間。
妻と知り合い、初めて迎えた12月03日。『明日は1人で出掛けてくれて良いよ。』という妻の言葉を理解出来ず『なんで』と返してしまった。少し言葉を詰まらせながら、妻は『だって明日は12月04日やろ。』と言っていた。
忘れようとして忘れた訳でも無い、勿論過去1度も忘れた事なんて無かった。しかしながら、妻と知り合って初めて迎えた12月04日は私にとって特別な日という感情は無く、妻と過ごす貴重な1日という位置づけでしか無くなっていた。
父の死、妻との出会い、この2つが私を正常な人間へと戻してくれた。
そしていつしか、2人の背中を押す夢を見る事は無くなった。
後書き
何度も何度も考えた。
どんな事を考えて。
どんな話をして。
どんな顔をして飛んだのか。
飛ぶしか無かったのか?
正直に話せば許せたのか?
私を良く知る2人だから。
無駄な事だと解っていたのだろう。
私は今、人の親になりました。
妻と出会いその全てが変わりました。
2人には想像も出来ないと思いますが、妻の前ではCMの真似して踊ったり、おもむろに物まねをしたり出来ます。母親から引かれるくらい息子の前では猫なで声になります。
メッチャおしっこかけてくるし、何回もウンチ膝の上にしてくるし、2時間置きに泣きじゃくるけど、可愛い可愛い自慢の息子です。
もう何年もの間、喧嘩という喧嘩はしていません。次に本性が出るのは息子に危害が加わった時だけだと確信出来る程、穏やかな気持ちで過ごせる人間に成長しました。
こんな手紙が2人に届くとは思っていません。
ありがとうは言いません。
ごめんなさいも言いません。
次に会う時は笑顔で会いましょう。
いけない理由が出来ました。
もう少しだけ、待ってて下さい。