どうも、出家を勧められたことがあるMistirです。
さて。
mistclast.hatenablog.com
今回もこの記事と関連する話題なんですが……
この記事の結論のひとつは「ゆとり世代にとってこのCMの世界観は他人事とは思えない」ってことでした。
で、それに対する反応が、
「ゆとり世代は檻の中で生きてるのか」みたいなものが多かった。
当たっているような、そうでもないような……
ズレてる。そんな気がする。
だから語ります!
ここからは完全な持論です。
研究の結果ではなく、僕が思っていることです。
極論も多いと思います。
ぶっちゃけ「ゆとり世代の話」というより「僕の話」です。許せ。
さらに言えば、筆が段々乗ってきて、「客観的に語ろう」という意識が欠如してきます。開き直ってます。
なので賛同できることも、賛同できないこともあるでしょう。
一種の「あるあるネタ」としてお聞きください。
グダグダと語ります。
さて。
僕は一つ、ゆとり世代に対する「とある評価」に猛烈に違和感を抱いているのです。
その評価、というのは……
「ゆとり世代はお金よりも他のものを大事にする」っていう評価です。
例えば、「車に乗らなくなった」。
車が欲しいと思わなくなった。
「家がほしい」とかも聞かないですね、あまり。
何故だと思います?
実は、ここに対して「何故か」という分析をあまり見かけない。
僕は、「何故ゆとり世代はお金を派手に使わなくなったのか?」という問いに、ダイレクトにこう答えます。
「お金が大事だから」です。
……まあ、当たり前過ぎる結論のような気もしますが……
何故、ゆとり世代はお金を大事にするのか?
「お金が無いから」です。
現代はお金がどんどん「稼ぎにくく」なってる。
いや、もちろんある種「稼ぎやすく」なってるのかもしれませんよ?
でも、労働者に対して求められるモノ、技能その他諸々がインフレしてるじゃないですか。やれコミュニケーションやれグローバル。
だから競争に勝たないといけない。
ここ、よく覚えといてください。
実はコレ自体は「しゃあない」ことなんですよ。
景気なんて上下するもんですから、たまたま僕らが生きた時代が「お金が無い」、そうしないと「生きていけない」だけの話。
でも、現実にお金が無いと、お金を稼げるのが一部の人間だけになるとどうなるか?
お金の相対的な価値が上がります。
無駄に使えなくなる。
そうすると、どういった意識が生まれるか。
コストパフォーマンスに対する意識です。
そう、この「コストパフォーマンスに対する意識」は僕らの世代、非常に強い。
だからひとまず「ゆとりはお金に対して拘らない」ってイメージは捨てて欲しいですね。違うんです、拘りたくても拘れないんです。
お金の話をすると、必ず「夢」の話もくっついてきます。
僕だけじゃなくて「夢」って言葉に嫌悪感を抱くゆとり世代、多分多いです。
夢持て、目標持て。
そういった言葉に対する、凄い嫌悪感。
で、現代の若者って「夢を持たない」とか言うじゃないですか。
違うんです。夢の方向性が偏ってるんです。
言い換えれば、「お金を増やすことを前提とした夢」が夢として機能してないんです。例えば「社長になる」とか「家を建てる」とか。
これ、いくつか理由があるんですよ。
代表的なものを挙げましょう。
1.僕らは知りすぎた
2.この先の世界に期待できない
どういうことでしょうか。解説しましょう。
1.僕らは知りすぎた。
僕らは物心ついた頃から、インターネットに触れています。
マスコミなりなんなりが語る「常識」や「夢」、その「裏側」が簡単に見られる。
人間、「裏側」には弱いんです。
「きれいな言葉」を聞く。
それを論理的に否定する冷めた言葉を聞く。
人が信じやすいのは後者です。
インターネット世代は、ずっとずっとこの構造に触れてきてるんですよ。
そりゃだんだん、冷めてくる。それが良いことか悪いことなのか全く別にして。
2.この先の世界に期待できない
厨二病臭い言い方になっちゃったけど、これは是非じっくり考えてみて欲しい。
世の中、ここ20年ほどで凄く便利になった。
にも関わらず、労働時間は減っていない。
むしろ「過労死」が社会問題化している。
「夢」を売る社長の会社で過労死が出て社会問題になったのは記憶に新しい。
原子力発電の問題も起こってしまった。
「脱成長」を唱える政治家も現われるくらいだ。
このことに対して、僕は色々と考える。
結論は出ない。
だけど、ひとつだけ言えることがある。
この状況で、夢を押し付けるのはやめてくれ、と。
あ、僕が理想とする世界は「人々が一日2時間労働で生きられる世界」です。
で、「働きたい人は好きなだけ働ける」ことも前提。
でも、これ実現するためにはまず「競争を諦める」、つまりいわゆる「脱成長を受け入れる」必要があるでしょ?
そうすると、国家間の競争でも何でも「飲まれちゃう」。
そう、僕らは……
ただただ、飲まれないために経済活動に参画している。
飲まれないために生きている。
だから、僕の考えでは「夢」「努力」は「幻想の機構(システム)」ということになる。
「夢」「努力」という幻想・理想の糸が切れた瞬間、僕らは「飲まれてしまう」。
世界のスピードに。
こういったことを言うと、上の世代は言うんです。
やっぱり「さとり世代だ」と。
本当ですか?
僕はとてもそうとは思えない。
だって、絶対に今、「クリエイターになりたい」のような「自己実現的欲求」を持つ人たちは全く減っていない。むしろ多様になって増えているようにさえ見える!
夢を持てないのは限定的。
「サラリーマン的な夢」だけなんです。
家庭を作って、高級車を買って、企業の中で出世して……
びっくりするほど、そこに魅力を感じない(もちろん僕の話です。だから同意できない人も凄く多いと思います)。
でも、違うんです。
「自己実現的欲求」だけは人一倍強いんです。
だから、「未来のある世界に生きていた」人たちの押し付けてくる「夢・目標」が、凄く薄ら寒く見えるんですよ。
ブレンディのCMに嫌悪感を抱いたのも近い構図です。
そういう意味だと、物凄く、本当に物凄くよく出来た「モデルケース」なんですよ、ブレンディのCM。
ネット上で「悟ってる」ゆとり世代いるじゃないですか。「冷めてる」ゆとり世代いるじゃないですか。
多分、そういう世代、そういう人たちが最も嫌うのがあのCMの「特別になるんだよ!」って上に言われながら、「特別」になった結果が「企業への就職」で、かつ「それを祝福する」という空気感です。
クソ食らえって感じですね。
違うんです。もう、そんなのありがたくもなんともない。
多分「就職活動が終わって」みんな「安心する」んですよ、近頃の学生は。
よく考えるとおかしくないですか?
なんで「安心しないと」いけないんだ?
なんで「生きられる」と安心しないといけないんだ?
これだけ便利になった世界で!
これだけ、
こういった「年配の人々」が作り出した、未来の世界で!
ふざけんな!!!!
……いや、熱くなってしまった。
……申し訳ない。
誰も、悪くないんです。
ゆとり世代のことが分からない世代、上の世代が悪いかって言うと、全然そんなことはない。
「この世代がどうのこうの」って言うじゃないですか。
そんなこと言っても不毛です。この世の誰一人、いわゆる「ゆとり世代」が60代になったらどうなるか、分かりません。
ただただ僕らは時代といううねりの中で、必死こいて生きてるだけなんです。
……でも。
さすがに悲しくないか。
僕らはただ飲まれないために必死こいてるだけなんです。
限界なんです。臨界点に来ているんです。
夢のために頑張る、その構造はいつからか、「飲まれないために頑張る」に転嫁したんですよ。
最初に語った「ゆとり世代は檻の中で生きている」、これは正解とも不正解とも言いましたよね?
そう、正解。確かに時代という檻の中で生きている。
でも不正解。どういう意味か。
「僕らが理想とする世界のためには、一度上の世代が夢見てきたような世界の構造を壊さないといけない」んですよ。
で、そうするためには、世界は既に競争に飲まれすぎてるんです。
そろそろ結論に入ります。
「さとり世代」とは、何か。
「その先」が見えない世代です。
「その先」が見えないから、とりあえず今を生きるために、とりあえず競争に参画する。
飲まれないようにするために、その競争の中で取りうる選択肢って実は幾つかしかないんです。
・固有の夢を追いかける。
→ボカロPなり、プロゲーマーなり、イラストレーターなり……
「お金が欲しいなら、もっと効率的な仕事がある」にも関わらず、唯一のアイデンティティを求める人間は後を絶ちません。
これは完全に僕の肌で感じる感覚でしかないのですが、最近、昔より増えてませんか?
誰もが気楽に目指せるようになった。その分、ハードルがどんどん上がってますが(ここも激しい競争です)。
ゆとり世代ではないですが、ある意味イケダハヤト氏なんかもこのタイプかもしれません。
・一昔前の生き方を貫く
→いわゆる「意識高い系」です。
・競争から降りる
→京都大学を卒業して「隠居」した大原さんはこのパターンです。
中島義道氏も。ゆとりどころじゃない世代ですけど。
・競争で過度に傷つかないように生きる
→多分、上の世代が扱いにくいゆとり世代の大半はこのパターンです。
こう言うと、「未来に希望が見えない」「それは政治のせいだ」のような話題だと思われてしまうかもしれませんが、違います。
政治がどうこうとか、そういう問題じゃないんです。
政治はそもそも「キープする」とか「より良くする」の発想じゃないですか。違うんです。
いっそのこと、「リセットされてくれ」、それに近い感情なんですよ。
なお、この感覚に近い感覚を持っていたのがジョルジュ・バタイユです。
ここまでくると完全に余談ですね。
さて、無益な記事を書きました。
なので少しだけ有益なことを言います。
ゆとり世代は扱いにくいとお困りの、「上の世代」の皆さん。
「夢」語ってますか?「努力について」語ってますか?
違います。
それじゃ、多分「あ、いつものね」です。
じゃあ逆に、「努力には意味が無い」とか「しんどい」とかネガティブなこと言えば若者はついてくる?
違います。余計嫌います。
僕らの世代をぱぱっと手懐けたいなら、近道は……
「努力は仕方なしにやる『システム』なんだ」「だから、それを信じといたほうがとりあえずは楽だ」とか、そういった大人だから分かる冷徹な事実言うだけで良いんです。
それだけで良いんです。
で、そこに前向きな態度も後ろ向きな態度も要らないんで。
「どうやったら僕らが『肩の力抜いて』生きられるようになるか」教えて下さい。
……まあ、大半の人は「なんで若者に迎合しなきゃならないんだ」と思うと思います。それでいいよ、っていうのがゆとり世代なので尚更扱いにくいと思いますが……。
「夢を追いかけろ」的なことを言うと、多分僕らの世代は本気で夢追いかけて退職するので注意してくださいね。
僕らは小賢しいですよ。今の日本では最悪でも死なないことを知ってます。
逆に言えば、「これから生活ができなくなる」とか、そういったことをあまり恐れてませんよ、この世代。
僕はある意味、そこに「希望」を見出してるんですが……ね。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。