櫻井光政(弁護士、元大田区教育委員長)

 私が4年前、大田区の教育委員として中学校の教科書を選ぶに際して考えたことは、中学生たちに、

1 生きて行くのに必要な知恵を身に付けてほしい
2 豊かな知識で人生の彩りを豊にしてほしい
3 きちんとしたエリートが育ってほしい

 ということでした。また、中学校の大事な目的は、明日の主権者を育てる仕事である。そのことが将来の国の進路を誤らせないために必要である、と考えました。

 そのためには、例えば歴史教科書ならば

ア 歴史がどのように動いていたか、何が歴史を動かしたかを観察し、今後どのように歴史を作って行くか考えることに役立つもの。特に、誤りはなぜ起きたかをきちんと分析されているもの
イ 学問である以上科学的な見方がなされていて、最新の研究の成果が現れているもの。そしてより高次の学問へのつながりが展望できるもの
ウ 教育の手法としても優れているもの

 という条件を備えたものを選ぼうと心がけました。

 そうした観点から、ある事象を積極消極の両面から分析して、その原因を探求する深さを当時私が感じたのが帝国書院のものでした。

教育の手法で見劣りした育鵬社版


 他方、採択された育鵬社版は、愛国心と自尊感情に配慮した作りになっていましたが、そのあまりナショナリズムの歯止めとなる力が弱いように感じました。また、教育の手法も、歴史ある教科書会社と比較して見劣りがしました。この点は今度の改訂版を見ても大きく変わっていないと思います。

 例えば古代のヤマト王権の隆盛について、帝国書院版では、製鉄技術で進んでいた朝鮮半島とのつながりがヤマト王権を優位に立たせたことが書かれています。そうして「何故」という疑問に答えると同時に、隣国の進んだ文化の恩恵に浴したことにも触れられています。

 図版の取り上げ方も帝国書院が優れており、育鵬社版は見劣りがしました。ただ、私が従前指摘していた数点のうち、ルネサンスの三美人の変遷とアイヌオムシャの錦絵については、今回の改定で、育鵬社も帝国書院と同じ図版に変更しました。

 東北平定について、育鵬社版は「律令のしくみを九州南部や東北地方へも広げていきました。東北地方に住む蝦夷がおこした反乱には(中略)これを鎮圧しました」とありますが、しくみを広げるという表現は意味が解りません。帝国書院版では「東北地方北部には律令国家の支配が及ばない人々が住んでいました。(中略)朝廷は(中略)城や柵を築いて闘いに備えつつ(中略)兵士や農民を移して開拓を進めました。蝦夷は律令国家の支配に対し、激しい戦いを繰り広げましたが…」とされており、当初から武力による平定であることが端的に解ります。

 育鵬社版の民本主義についての記述は、「吉野作造は、民本主義を唱え、選挙で多数を占めた政党が内閣を組織すること(政党政治)が大切であると主張しました」というものですが、これでは民主主義との違いが解りません。帝国書院版では、「これは、主権がどこにあっても、民衆の考えに基づき、政党や議会を中心に政治を行おうとするものでした」となります。主権がどこにあっても、つまり天皇主権のもとであっても民衆の考えに基づいて政治ができる、すべきだというのが「民主」でなく「民本」の真骨頂なのです。

 また、帝国書院版では、「国民」という概念が所与のものではなく、国家によって形成されるものであるという点にも触れています。「新政府は、中央集権化とともに、人々が「日本国民」として国家のために同じような考えや生活習慣を身につけるように求める政策を進めました。」という記述です。帝国書院は欧米近代国家形成の項でも「こうして欧米諸国では(中略)「国民」という意識を持たせることで人々を1つにまとめる近代国家をつくろうとしました」と指摘しています。これらは残念ながら育鵬社版には見られません。

 日清戦争について育鵬社版の記述は「清は朝鮮の求めに応じて『属国を保護する』という理由で出兵しましたが、これを認めないわが国も清との取り決めに基づいて出兵したため、両軍は衝突し、日清戦争がはじまりました」というものですが、素直に読むと、取り決めに基づいて出兵したのになぜ戦争になるのかわかりません。これが帝国書院版だと「朝鮮政府が清に援軍を求めると、日本も清に対抗して朝鮮へ軍隊を送りました。(中略)朝鮮王宮を占拠するなど干渉を行いました。そのため、朝鮮を勢力範囲と考える清との対立を深めました」とあり、解りやすいです。先の「取り決め」が朝鮮に軍を送るときは互いに通知する旨の取り決めであることは註で触れられています。取り決めに基づいて出兵したという表現は誤解を招き、適切でないと思います。

 太平洋戦争に関しては、沖縄戦の記述が対照的でした。育鵬社版は、戦火に逃げ惑う沖縄県民としてある母親の手記や、ひめゆり学徒隊の看護活動としてひめゆり学徒の手記を掲載し、戦争の悲惨さを伝えています。そして太田実少将の海軍次官に宛てた電文を紹介します。電文は、沖縄県民の献身的な働きを述べ、「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世、特別のご高配を賜らんことを」と結んでいます。

 これに対して帝国書院版は、「日本軍によって、食料を奪われたり、安全な壕を追い出され、砲弾の降り注ぐ中をさまよったりして、多くの住民が犠牲になりました。日本軍司令官は6月23日に自害し、日本軍の組織的な抵抗は終わりましたが、「最後の一兵まで戦え」という命令は残っていたため住民と兵士の犠牲は増え続けました。人々は集団死に追い込まれたり、禁止されていた琉球方言を使用した住民が日本兵に殺害されたりもしました。また、八重山列島などではマラリア発生地にも移住させられたため、多くの病死者が出ました。」と記述し、日本軍自体の問題をも厳しく指摘しています。ここでは、軍事作戦行動の主たる目的が、必ずしもその地の個々の住民を守ることではないことがリアルに示されています。また、徹底抗戦の命令を残したことが、指導者の在り方としてどうだったのかという点も考えさせられます。その意味で、私は帝国書院版に記述の深みを感じました。

「押し付け」憲法ではないことを示唆した帝国書院版


 最後に憲法制定過程の記述について比較します。

 育鵬社版では、「GHQは、我が国に対し、憲法の改正を要求しました。日本側は、大日本帝国憲法は近代立憲主義に基づいたものであり、部分的な修正で十分と考えました。しかしGHQは日本側の改正案を拒否し、自ら全面的な改正案を作成すると、これを受け入れるよう日本側に強く迫りました。
 天皇の地位に影響が及ぶことを恐れた政府は、これを受け入れ、日本語に翻訳された改正案を、政府原案として帝国議会で審議しました。議会審議では細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択されました」と記載されています。この、「日本側」という表現がここでは重要です。

 これに対して帝国書院版は、「総司令部の指示で、日本政府は新しい憲法の制定に着手しました。政府原案ができましたが、その案では民主化が徹底されていないと判断した総司令部は、自ら作った草案を日本政府に示し、修正を促しました。
 こうした過程から日本国憲法は『総司令部の押しつけ』といわれることもありますが、総司令部は、政党や民間の学者らによって独自に作られた憲法草案も参考にしました」と記載されており、必ずしも押し付けられたものではないことを示唆し、また、修正を促されたのが「日本政府」であることを明確にしています。

 この、GHQが草案を示して日本政府に迫ったのが1946年2月13日のことで、その時の様子はGHQが速記録を作成しています。そしてその速記録は国会図書館のホームページからアクセスできます。まさにその、「押し付け」の場面はこうです。

 ホイットニーが次のように発言しています。

"General MacArthur feels that this is the last opportunity for the conservative group, considered by many to be reactionary, to remain in power; that this can only be done by a sharp swing to the left; and that if you accept this Constitution you can be sure that the Supreme Commander will support your position. I cannot emphasize too strongly that the acceptance of the draft Constitution is your only hope of survival, and that the Supreme Commander is determined that the people of Japan shall be free to choose between this Constitution and any form of Constitution which does not embody these principles."


 概略は、「マッカーサー元帥は種々の点から考えてこれが保守層にとって、その権力を維持する意味からも、左翼に対して打撃を与える意味からも最後のチャンスと考えておられる。もしあなた方がこの草案を受け入れるなら最高司令長官はあなた方の地位を保障するだろう。草案の受諾はあなた方が生き延びる最後の希望だ。最高司令長官は、日本の人民が、この憲法か、それともこれらの原則を含まずに憲法の体裁を整えた物のいずれかを自由に選ぶようにさせる決意である」というような内容です。つまり、GHQ案を飲まなければ国民に選ばせるぞ、というわけです。もし「押し付け」というのであれば、押し付けられているのは日本国民ではなく、保守党が支配的な勢力を有する当時の日本の政府だということがわかる記述です。これをことさらに「日本側」とくくるのは、こと国民が政府の専横を縛ることを目的とする憲法の制定過程の議論においては大雑把すぎると思います。

 最近、近隣諸国でのナショナリズムの高揚を感じます。これに対しては冷静な対応こそ望まれるのであって、わが国がナショナリズムの高揚をもってこれに対抗するのは賢明な態度ではないと考えます。近隣諸国を侵略した過去を持つわが国であれば、誠実かつ忍耐強く平和への努力を続けることこそが、現代を生きる日本人の誇りとすべきことだという視点が特に重要な時代になって来ているように思います。

 それらの点をいろいろ比較して、他社の教科書が優れていると判断しました。

 教科書を読むのは面白いです。機会があればぜひ読み比べてみて頂きたいと思います。

さくらい・みつまさ 桜丘法律事務所代表弁護士(第二東京弁護士会)。1954年、東京都生まれ。77年中央大法学部法律学科卒業。79年に司法試験に合格、82年弁護士登録。東京弁護士会副会長などを歴任。2003年から11年まで大田区教育委員を務める。