2015-10-07

七人の侍に全く凄さを感じない

AKIRA凄さがわからない若者、という話が話題になったが、実はあの話は2chまとめ系では何度か取り沙汰されており、出るべくして出た議論だと思った。僕らの世代童夢でショックを受けAKIRAという洗礼を受けて、ああでならなければならない、という戦後ショックに近いカルチャーショックを受けた。どうも戦後世代にとってそれがなにかといえば黒澤明だったらしい。馬のいななく声や、実は竹千代が落ち武者狩りによって武具を集めていた貧農出であったという驚きも、似たような後継作品の前では霞んで見える。こういう生きるための凄み、というテーマ自体芥川龍之介羅生門で先にやってしまったので、恐らく小説ファンからしてみれば七人の侍ですらもマウント対象だったに違いない。他にも剣の久蔵なんかの今では全く見られない役者ストイック雰囲気などは必見だとしても、役回り自体はさほど新しいものでもない。はっきり言えばこれを二十歳の頃に見て僕はあくびが出っぱなしだった。これの何が凄いのかわからないまま当時の師匠としていた人物にそれを述べると、「お前は何を見ているんだ、あの映像音楽生き様全てが凄まじい作品だ」と。それ自体が何も新しくないと感じるのだから仕方ないでしょう、と僕は思わざる得なかった。スピルバーグが協力したくらいだから本物なのだろう、位にピントが合わない。同じ黒澤作品「夢」なんかはある程度面白さがわかる。CGもないあの当時の映像美として突き詰められたものだし、VHS世代自分たちでも理解できる。しかし音がズレまくった白黒映像と膜が貼ったような音声でどうしても感動は出来ないし、模倣されていないところが一つもない時点で一体何を遺したんだろうと思ったりもする。これはきっとハリウッドにおけるベン・ハーなのだろうし、物語世界におけるシェイクスピアなのだろう。

多分僕らはAKIRA凄さ解説する必要性があるのだろうが、その場合AKIRAを見て誰もが納得できる部分があるだろうかと考えた時、陽子反陽子のぶつかりにより地球が消滅するレトリックや、オウムを切り取ったエヴァ以外の作品という語り口以外に何も用意できない事がわかる。メビウスを受け継いでいるとか、細やかな描写だとかは同人レベル実践されてしまって自慢できることじゃない。もちろんあの独特のハッチングが世代的に好きだということも、全く若い人には刺さらないだろう。その時AKIRAというものから何を体験したのか明確化する必要性がある。群像劇として優れているのは確かなのだから

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