元弘の亂終結
これまで數日間で、太平記を讀み進めながら新田義貞の生まれた群馬縣太田市から始め北條得宗家が滅亡した東勝寺址まで新田義貞の足取りを辿つてみた。荒寥とする上州新田の大地で武藝を磨いた新田義貞は、武骨な人柄に育ち典型的な鐮倉男兒であつたのかもしれない。さう言ふところが好きだ。
今囘の新田義貞の足跡を辿る旅はいちわうこゝで小休止します。
初めは關東の身近に足跡を辿れる場所があり、太平記を讀み直す機會にもなつて良い試みだと思つたが、太平記を改めて讀み、遺跡を巡ると新田義貞に鐮倉男兒の典型を見る思ひがし、その益荒男振りに惹かれるやうになつた。また、太平記は時に本文の補足として、時に脫線して和漢の故事、佛敎道德、和歌の心などを隨所に盛り込んでゐる。この一書を讀むと相當な量の敎養や生きる上での心得を身に附けることが出來るのではないかと思ふ。
この後の暫くの投稿は新田義貞の足跡を辿る旅の途中で立ち寄つた先などを投稿しつゝ、新たなるシリーズを展開する豫定です。
今囘の新田義貞の足跡を辿る旅はいちわうこゝで小休止します。
初めは關東の身近に足跡を辿れる場所があり、太平記を讀み直す機會にもなつて良い試みだと思つたが、太平記を改めて讀み、遺跡を巡ると新田義貞に鐮倉男兒の典型を見る思ひがし、その益荒男振りに惹かれるやうになつた。また、太平記は時に本文の補足として、時に脫線して和漢の故事、佛敎道德、和歌の心などを隨所に盛り込んでゐる。この一書を讀むと相當な量の敎養や生きる上での心得を身に附けることが出來るのではないかと思ふ。
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東勝寺址 ~北條得宗家終焉の地~>>
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