産まれた日の息子。
まいどです。でくのぼうちゃんです。
4年前のこの日、息子は産まれました
早いものです。息子が産まれて4年。
ジェットコースターのように色々なことが次々とありました。
気付けば4年。
早いものです。
息子が産まれる時の日、産まれるまでは覚えていますが、産まれる時、産まれてからはうっすら記憶となっています。
今回はその記憶を想い出したいと思います。
長いです。
こんな出産もあるんだーと出産体験に興味がある方はどうぞ。
息子が産まれる時
破水があったのは夜中1時ごろでした。
急にパッチリ目が覚めました。
すると下の方があきらかに尿ではないものがでてきてます。
ああ!!これが破水というものか!
それまでたまごクラブを破れるほど読んでいた私。
人の体験談ばかり読んでて「陣痛ってどんなんだろう?破水ってどんなのだろう?」と
想像を膨らませていました。
気付かなかったらどうしよう・・・痛すぎて倒れたらどうしよう・・・・そんな変な心配ばかりしていたような。
とりあえず「ああ、これが破水だ」と冷静に理解し、父親や母親を起こし車を出してもらうようにお願いしました。
なんせ、その時、山に暮らしていましたから病院が遠い。
30分くらいのところに病院はありました。
体験談で車の中で出産した!とかトイレで出産した!とかを読んで頭でっかちになってますからまた変な心配をしていて「車で産まれたらどうしよう・・・」と思っていましたが、その時はやたら冷静で用意していた鞄を整理し、車にすぐに乗りました。
父親も母親もすぐに起きて病院へ。
陣痛はありません。ただ、水がでる。
これはどうしたものかいな。こんなものかいな。
そう思いながら車に乗っていました。
病院についてみてもらうとまだ産まれる気配はなく、ただ破水だけしている状態。
しばらく様子を見ましょうということでベットに横になりました。
旦那には「すぐ来てください」と連絡しました。
関西から岡山蒜山に旦那は車で夜中高速を使ってやってきました。
3時間後だったかな。
でも、まだ産まれる気配はありません。
その日は夕方まで産まれる気配がなく「このままでは羊水がなくなってしまう可能性がある。陣痛誘発剤を飲みましょう」ということになりました。
バースプランというのを何日か前に書いて提出していました。
この「バースプラン」を真剣に書かなければいけない病院だったのでかなり考えて提出しました。
そこに書いたのは「できるだけ医療の介入をしないでほしい」。
最悪の事態は仕方がないのですが、簡単に医療の介入をしたくない気持ちがありました。
ですからその陣痛誘発剤を飲むときも「むむむ」と思いましたが「羊水がなくなる可能性がある」なんて言われると飲むしかありません。
看護婦さんもそんな私の気持ちを察したのか「1錠の半分だけ飲みましょう」ということになりました。
それを飲むとすぐ今までうんともすんとも言わなかったお腹がどんどん痛くなってきました。
それはすごいスピード。
あれよあれよと分娩室に入ることになりました。
私がその病院を選んだのは家の近所ということもあったのですが(近所と言っても車で30分)出産の時に分娩台に乗るのではなく、布団の上で自由な姿勢で出産できるというところが気に入ったからです。
決められたスタイルで産むのは抵抗があったのです。
その分娩室もフローリングの部屋に布団を敷いてソファーもあってどんな姿勢で陣痛を痛がってもいい感じでした。
もう、様々な姿勢をとりました。
壁にあたまつけたり、よつんばになったり。
そのたびに助産婦さんが背中や腰をさすってくれました。
このさすり方、さする場所がナイスなポイントでしたのでどんなに嬉しかったか。
それに比べ、旦那にもお願いしましたがまあポイント外れている。
旦那には「もう、いい!!」と切れてましたね。
まだ、一緒に入った母親のほうがポイントを知っていました。
あっという間に息子は降りてきました。
出産する時
陣痛の時や、出産する時にだす声ってどんな感じを想像します?
私はどすの利いた声を想像していました。
自分もおっさんみたいな声をだすだろうなあと妄想していました。
しかし、出たのはまあ、びっくりするほどの高音。
ソプラノですわ。
開放されている感いっぱいなソプラノ音。
助産婦さんの声がします。
「この方は普段どんな声ですか?」
「結構低いです」
「ああ、だからですね。こんな高音だすのわ。」
そんな会話が聞こえてきました。
どうやら普段低い声で話す人は出産するとき高い声をだす方が多いようです。
最後は力む力がでなくてトイレのつまりをとる道具みたいなものを持ってこられました。
うっすらと「なんじゃ~これで引っ張るのか~」と思いながらも、なんとか助けてくれい!!という思いでいっぱいでした。
酸素ボンベもでてきました。
呼吸困難に陥っていたようです。
意識が朦朧となるし力はでないし、どうなる!私!と思ったときに
!!!
しかし、声がしません。
なんで?
意識朦朧ですがそれは思いました。
すると先生がパンパンとたたいてやっと
「おぎゃ~~~」と泣き声が聞こえてきました。
その声聞いて嬉しくて涙があふれてきました。
ワンワンワンワン泣きました。
酸素ボンベをつけながら。
出産の瞬間は見たくないと言っていた旦那が部屋に入ってきました。
その病院の先生は写真撮影が大好きだったようで、産まれたら写真をバシバシ撮ってくださいました。
その写真撮影の音と息子の泣き声と私の泣き声。
部屋はその音でいっぱいでした。
貧血になっていてすぐに起きれなかった私はしばらく一人で部屋に横になっていました。
その時に、無性に「ポテトチップス」が食べたくなってバリバリと食べました。
その「ポテチ」がどんだけ美味しかったか。
息子が産まれてから
子どもと同室をお願いしていましたので一緒に個室でいました。
泣いたら「おしめ」か「おっぱい」か。
そう思って泣いたら動くぞ!!と構えていましたが息子は泣きません。
ずっと眠っています。
「おっぱい」の上げ方も実際に練習したわけではありませんからどうしたらいいかまったくわかりませんでした。
とりあえず、くわえさす。しかし、飲んでいるのかまったくわからない。
もう、不安で不安で押しつぶされそうでした。
乳頭はカチンコチンの硬い状態です。
飲んでいるのかわからない。こんなのでいいのかわからない。
どうすればいいかわからない。
そんな私を心配に思ったのか担当ではない助産婦さんがこっそり夜やってきました。
「おっぱいマッサージをしてあげますね。」
するとカチンコチンだった乳頭がびっくりするほどやわらかくなりました。
おっぱいも湧き出るように出てきました。
「これで飲ませられやすくなったと思いますよ」
そういってその助産婦さんは部屋を出て行きました。
この助産婦さんがいなければ最初はまったくおっぱいがあげられてなかっただろうと思います。
育児の仕方なんてだれも教えてくれない
私の痛い勘違いは、病院はおっぱいのあげかたや赤ちゃんの世話の仕方など手取り足取り教えてくれる場所と思っていたことでした。
だから、おっぱいをあげるときも教えてくれるものと思っていました。
お風呂の入れ方は手取り足取り教えてくれましたが、おしめの替え方なんて手取り足取りは教えてくれません。
おっぱいの上げ方なんてのも手取り足取り教えてくれません。
だんだん、事情がわかってきました。
あ、これは教えられるもんではないようだ。
泣けばおっぱい、おむつなんだけど泣かないぞ、息子。
ずっと眠っていました。
だから、息子の体重はグングン減っていきました。
このままではだめです!ということでミルク投入です。
母乳育児をしたかった私はミルクに抵抗がありましたが危ないといわれて仕方なくミルクを飲ましました。
ミルクの量は日に日に増えて行きました。
母乳の量は日に日に少なくなっていく感じでした。
なんとか母乳を飲ませたい。
搾乳器を買って絞ってみましたが、まったく絞れない。
だんだん乳頭が切れて血がでてきました。
これを買って塗ってました。痛い。でも母乳を飲ませたい。しかし、でない。
そんな不安な状況で退院となりました。
1週間後に様子を見せにいくことになりました。
ミルクがどんどん増えました。
「私は母乳で育てたい・・・」
「母乳が出ないのですから仕方ないです!!ミルクを増やしましょう!!」
なんだかモンモンとした思いが一杯になりました。
母親の気持ちは受け止めてもらえないのはなぜだろう。
とりあえず、いわれた体重にさせれば向こうもなにも言ってこないだろうと思い、
言われた体重にミルクで増やしました。
しかし心は泣いてました。
なにか、おかしい。なにか、おかしい。
なにがおかしいか、わからないけどなにかがおかしい。
そんな思いがいっぱいありました。
外に出るのがとても怖く、何をするのもとても怖かったです。
そんな不安な気持ちいっぱいな時に親と衝突して帰ることにしました。
不安はいっぱいありましたが、ここにいても不安は解決しないと思ったからです。
愛あるスパルタ母乳相談室
関西に帰ってまず行ったの母乳相談室です。
この母乳相談室にいっていままでの価値観をめった刺しにしてもらいました。
最初は家に帰って毎日泣いていたように思います。
相談室でも大泣きしました。
くやしくてくやしくて。
なんで私はお金払ってこんなに言われなくちゃいけないのだろう。
しかし、おかげで不安でいっぱいだった心は、どうすればいいかという軸を手にいれることができました。
その先生はオケタニでも異質なオケタニだったようです。
しかし、この先生からたくさんのことを学びました。
この本を書かれた方です。
この方は、朝から晩までずーーーーーーとおっぱいを揉んでいます。
ほんと、ずーーーーーーーーーーーーとです。いつトイレにいっているのかわからないほどです。食事もおっぱいを揉みながら。
たくさんのお母さん方が待っているのです。先生のマッサージを。
先生のまわりで座って朝からずーと。
まとめ
久しぶりに息子が産まれてた日から関西に戻ってくるまでを思い出しました。
ほんと、すべてが不安でしたね。
外に出るのが不安でした。
外気にさらすことが不安でした。
ミルトン消毒が一番となんでも消毒させていたなあ。
なんでも抗菌、除菌、菌を殺せ!菌を殺せ!
今の私には考えられない話です。
今では I LOVE 乳酸菌 なのですから。
人の価値観は大きな出来事が起きたら変わるもんですね。
ほな、また。
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