1905年7月8日、サンフランシスコで巨大な蒸気船がいかりを揚げた。排水量2万7000トン、全長はサッカー場二つ分にもなる「マンチュリア号」だ。セオドア・ルーズベルト大統領が派遣した米国史上最大規模のアジア歴訪外交使節団が乗っていた。ハワイ、日本、フィリピン、中国、大韓帝国を経る長い旅程だった。使節団長は、体重147キロに達する巨躯(きょく)の陸軍長官、ウィリアム・ハワード・タフト(1857-1930)。当時21歳だったルーズベルト大統領の娘、アリス(1884-1980)も同行した。
アリス一行は9月19日、仁川港に到着した。朝米修好通商条約(1882)に伴い、米国が大韓帝国を助けてくれると期待した高宗は「アリス公主(姫、王女)」を手厚くもてなした。皇室楽団が米国の国歌を演奏し、一行を歓迎した。巨額の資金を投じてアリスが通る道路を修繕し、皇室の輿(こし)に乗せて宿泊先に案内した。出発の日には、各部(省に相当)の大臣が南大門の停車場に出てきて見送りをした。ところが後日、アリスはこのように回顧した。「歓送の会見場で、皇帝と皇太子はそれぞれ写真を私に贈った。彼らに皇帝らしい存在感はほとんどなく、哀れで、鈍感な様子だった」
■ルーズベルトの娘の一行に写真をプレゼント
高宗皇帝がこの使節団一行に贈った高宗の肖像写真が、米国のニューアーク博物館で発見された。国外所在文化財財団(安輝濬〈アン・ヒジュン〉理事長)は5日「今年4月に同博物館が所蔵する韓国文化財を調査していたところ、1905年に慶運宮(徳寿宮)で撮影された皇帝服姿の高宗の肖像写真を発見した」と発表した。大韓帝国の皇室写真家だった金圭鎮(キム・ギュジン)が撮影し、米国外交使節団に贈り物として提供した写真だ。財団は「当時使節団の一員だった、米国の鉄道・船舶財閥、エドワード・ハリマン(1848-1909)の所蔵品だったものを、彼の死後、夫人が1934年に博物館へ寄贈した。韓国国内では全く知られていなかった写真」と説明した。
当時高宗がアリスに贈ったもう一つの肖像写真は、米国スミソニアンのフーリア・サックラー・ギャラリーが所蔵しており、3年前に国立現代美術館徳寿宮分館で開かれた「大韓帝国皇室の肖像」展で公開されたことがある。アリスのアジア歴訪には、当時下院議員だったニコラス・ロングワースが同行していた。翌06年、アリスはホワイトハウスで、13歳上の「浮気者」ロングワースと結婚した。アリスは96歳で世を去るまで、ワシントン社交界の女王として君臨した。