大正中学校「十段ピラミッド」に関してみなさんはどんなご意見を持っていますか?
全国から色々なご意見が届いているようなことをyahooニュースなどが伝えています。
「狂気の沙汰だ」
「『事故』とは言いたくない。事件だろ」
「さっさと(人間ピラミッドを)廃止にして欲しい」

ケガをした生徒には心よりお見舞い申し上げ、早期の完全治癒を願いながら、今回ことについて私の考えを書いていきたいと思います。
まず、この学校の先生方がこのピラミッドをなぜつくろうと思ったのかを推測します。
私の推測では一つ「充実感を持たせたい」と思ったのではないでしょうか。
二つ目、ある意味での「勇気」を持たせようと思ったのではないでしょうか。
三つ目、仲間との信頼感や協調性を持たせようと思ったのではないでしょうか。
四つ目、成功したときの感動を味わってもらいたいと考えたのではないでしょうか。
これらのことはすべて日本教育の中ではとても大切なこと。
そして、これらは少しばかりの危険性があった方がより身につけやすいというのは事実です。
このピラミッドが完成したのなら、上にあげたものすべてが生徒に還元される取り組みだと思います。
もし、そういう体験を学校が生徒にさせたいと強く強く思ってさせたことなら、私は実施は仕方のないことだったと思います。
物事は何をするにしてもリスクというものはついて回ってきます。リスクに代えて手に入るものを目指すのは何をするにしても一緒。そう私は思っています。
昨今教育の中で「危険」というリスクの名のもとにたくさんの感動や充実感や協調体験が失われているような気がしてなりません。
先日は娘の体育祭を見学しに行きましたが、「あの種目は危険」「この種目は危ないから」といって数々のおもしろい種目がなくなっていました。
その結果、生命感や闘争心、もっというと生身の人間らしさを感じない、はっきり言ってつまらない体育祭になってしまっています。
あんなに傷つくことを恐れ、ケガを恐れ、危険を恐れた体育祭に何の意味があるのか。
極端にいうとそんな事も感じてしまいます。
子ども達の成長にはどうしても冒険が必要です。
冒険は当然危険が伴います。
しかし、冒険は子ども達に大きな自信をもたらします。
そして、そういった体験を通じて子ども達が手にするものは、決して金銭では手に入れられないし他人から与えてももらえない大きな「生きる力」です。
オルゴナイト ピラミッド【チャージ】
もし、この中学で来年も10段ピラミッドを実施するならば、後輩達は「先輩ができなかった10段ピラミッド」と次回絶対に思います。
しかし、それに挑む気持ちができたなら、後輩生徒は必ず絶対に達成に向けて燃えることでしょう。
そして、それを達成したあかつきには死ぬほどの充実感を得ることができると思います。
どうか安全性に一工夫をもうけ、もう一度10段ピラミッドに挑んでもらいたい。
そう思います。
*もちろん危険性にもレベルがありますので、これは「死ぬレベル」だと思っていて実施させたのなら学校には大きな問題があると思いますし、来年はやらない方が良いとは思っています。
而今
全国から色々なご意見が届いているようなことをyahooニュースなどが伝えています。
「狂気の沙汰だ」
「『事故』とは言いたくない。事件だろ」
「さっさと(人間ピラミッドを)廃止にして欲しい」
ケガをした生徒には心よりお見舞い申し上げ、早期の完全治癒を願いながら、今回ことについて私の考えを書いていきたいと思います。
まず、この学校の先生方がこのピラミッドをなぜつくろうと思ったのかを推測します。
私の推測では一つ「充実感を持たせたい」と思ったのではないでしょうか。
二つ目、ある意味での「勇気」を持たせようと思ったのではないでしょうか。
三つ目、仲間との信頼感や協調性を持たせようと思ったのではないでしょうか。
四つ目、成功したときの感動を味わってもらいたいと考えたのではないでしょうか。
これらのことはすべて日本教育の中ではとても大切なこと。
そして、これらは少しばかりの危険性があった方がより身につけやすいというのは事実です。
このピラミッドが完成したのなら、上にあげたものすべてが生徒に還元される取り組みだと思います。
もし、そういう体験を学校が生徒にさせたいと強く強く思ってさせたことなら、私は実施は仕方のないことだったと思います。
物事は何をするにしてもリスクというものはついて回ってきます。リスクに代えて手に入るものを目指すのは何をするにしても一緒。そう私は思っています。
昨今教育の中で「危険」というリスクの名のもとにたくさんの感動や充実感や協調体験が失われているような気がしてなりません。
先日は娘の体育祭を見学しに行きましたが、「あの種目は危険」「この種目は危ないから」といって数々のおもしろい種目がなくなっていました。
その結果、生命感や闘争心、もっというと生身の人間らしさを感じない、はっきり言ってつまらない体育祭になってしまっています。
あんなに傷つくことを恐れ、ケガを恐れ、危険を恐れた体育祭に何の意味があるのか。
極端にいうとそんな事も感じてしまいます。
子ども達の成長にはどうしても冒険が必要です。
冒険は当然危険が伴います。
しかし、冒険は子ども達に大きな自信をもたらします。
そして、そういった体験を通じて子ども達が手にするものは、決して金銭では手に入れられないし他人から与えてももらえない大きな「生きる力」です。
もし、この中学で来年も10段ピラミッドを実施するならば、後輩達は「先輩ができなかった10段ピラミッド」と次回絶対に思います。
しかし、それに挑む気持ちができたなら、後輩生徒は必ず絶対に達成に向けて燃えることでしょう。
そして、それを達成したあかつきには死ぬほどの充実感を得ることができると思います。
どうか安全性に一工夫をもうけ、もう一度10段ピラミッドに挑んでもらいたい。
そう思います。
*もちろん危険性にもレベルがありますので、これは「死ぬレベル」だと思っていて実施させたのなら学校には大きな問題があると思いますし、来年はやらない方が良いとは思っています。
而今
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