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◆すべては原爆から始まった:2

 宇宙をイメージしたのだろうか。銀色のパッケージに、流れる隕石(いんせき)のデザインと「МЕТЕОРИТ」のキリル文字。おみやげ用の「隕石チョコ」だ。

 2年半前、隕石騒動に見舞われたロシア・チェリャビンスク州の州都チェリャビンスク市。その取材で当時泊まった市内のホテルに今年夏、再び宿泊してみると、この新名物の「隕石チョコ」が1階ロビーのカフェで売られていた。日本円で千円ちょっと。

 ホテルから道路を隔てた向かいには、チェリャビンスク国立郷土博物館がある。ここでも、近郊のチェバルクリ湖から引き上げられた重さ約500キロの隕石片が、すっかり常設展示の目玉になっていた。先の隕石騒ぎで見つかった最大の隕石片だ。それを目当てに訪れた同館で、20世紀をたどる展示の中に、一つのブロンズ像を見つけた。

■核の町、開発者は郷里の英雄

 旧ソ連の原子力の父、イーゴリ・クルチャトフ(1903~60)。現在のチェリャビンスク州出身の核物理学者で、ソ連の原爆開発プロジェクトの中心人物だ。米国でいえば、原爆開発をめざすマンハッタン計画を主導したオッペンハイマー博士に匹敵する。旧ソ連最大の核研究センターで、今もロシアの原子力研究の中心を担う施設は、彼の名を取ってクルチャトフ研究所(モスクワ)と名付けられている。

 そういえば、チェリャビンスク市内の中央公園にもクルチャトフの記念像が立っていた。その像を引き立てるように、ウランやプルトニウムの核分裂を連想させる巨大なモニュメントが背後にそびえている。それは「核こそ力」の思想を体現し、だからこそ、核開発に取り組んだ彼は郷里の英雄なのだ。

 ソ連の原爆第1号のプルトニウムを生んだ核施設マヤークが、なぜチェリャビンスク州のへき地に建てられたのか。

 重要なのは、原子炉の冷却に必要な水が豊富にあることと、極秘の計画ゆえに秘密を守りやすい場所にあることだった。そして、原子力の父クルチャトフの故郷だったことから白羽の矢が立った、とも言われる。

 チェリャビンスク市内のジョージア(グルジア)料理店で、核汚染の被害者支援や環境問題に取り組むNGO「自然のために」のアンドレイ・タレブリン代表(42)に会った。彼は「クルチャトフこそが、この場所に核施設をつくることを提案した」と語り、こう続けた。

 「当初の技術は不完全で危険なうえ、突貫工事で進められた。誰も環境や安全に注意を払わなかった。放射能は工場の労働者だけでなく、近隣地域の住民にも及んだ」

 冷戦時代、世界の覇権を二分する米国と渡り合う力を、ソ連指導部は「核」に求めた。兵器用プルトニウムを生産する核施設マヤークは、その力の源泉であり、クルチャトフは郷里の誇りのはずだった。

 しかし、当時何も知らされていなかった地元住民たちはやがて、やっかいな核の苦難に絡め取られることになる。

■「魚は食べないよ」

 核兵器の材料であるプルトニウムを生産する過程では、液状の高レベル放射性廃棄物が排出される。つまり核のゴミだ。ソ連の原爆第1号のプルトニウムを生産した核施設マヤークは、1948年の稼働以降、その廃液をテチャ川に垂れ流していた。川を汚染した主な核種は、筋肉に集積するセシウム137(半減期30年)と、骨や歯に集積するストロンチウム90(半減期29年)。福島第一原発事故でも耳にした人は多いだろう。放射性物質が体内に残ると、内部被曝(ひばく)につながる。

 テチャ川流域に連なる村々の住民たちは、川の水を飲み、川で泳ぎ、魚を取って食べていた。家畜の牛も川の水を飲み、川辺の草をはみ、そのミルクを住民たちは飲んでいた。

 50年代に始まったのが、汚染が深刻と見られた村からの強制移住だった。時はスターリン体制下。マヤークは秘密の施設であるため、政府は移住の理由も明かさなかった。

 以来、テチャ川は「不浄の川」として流れ続ける。村ごとの強制移住にまでは至らないところでも、流域にあった家々は高台へと離れた。人が土手に降りないように鉄条網を巡らせたコンクリートの支柱が、壊れかけているものも含め、あちこちに残っている。

 緑の中を貫くテチャ川は、時に印象派の風景画をほうふつとさせる姿を見せる。だが、見た目は美しくても、人を寄せ付けてはならない悲しい川なのだ。

 マヤークから50キロ以上は離れているだろうか。テチャ川中流のニジニペトロパブロフスコエ村を通りかかると、川辺で5人の子どもたちが釣りを楽しんでいるのを見かけた。

 本来は土手の下の川辺は緑の草に覆われているはずだが、このあたりは大粒の砂利が敷き詰められ、白っぽく見える。地面からの放射線を抑えるためなのか。あるいは、牛が川辺の草を食べないようにするためなのか。持参した放射線測定器をかざすと、毎時0・04マイクロシーベルトと線量は高くない。

 子どもたちのところへ近づいてみた。バケツには、釣果の小さなカマスが数匹。

 「川には近づかないように大人から言われていないの?」と質問してみた。子どもたちは黙々と糸を垂れている。

 「よく釣りをするの?」と再度尋ねると、6年生のマクス君(11)が口を開いた。

 「昨日から夏休みに入った。なんで釣りをしているかって? 面白いからだよ」

 そして彼はこう続けた。

 「魚は食べないよ。食べてはいけないんだ」