「あんた、その『僕』っていうの、やめたら?」
母と会うたびに、そう言われる。夫のことを『僕』と呼んでいることが、どうにも気に入らないらしい。
うちの家は男尊女卑の古風な考え方が強いこともあってか、一家の大黒柱である主人に対して「僕」と呼ぶことがどうも、母にそう言わせるらしい。
個人的にはけっこう気に入っているし、当の本人である夫からも苦情はこないが、傍からみていると、みっともなく思えるのかもしれない。
夫を『僕』と呼ぶのには理由があって、まず「英太郎」という名前が長い。「英くん」などと呼ぶガラでもないし、そもそも出会ったのがWeb経由で当初の呼び名がハンドルネームだったのも、実際の名前を使わない理由の一つだ。
夫の呼び名が『僕』なのは、彼の一人称に由来する。
"僕"という一人称にはすごく非力な感じがあって、まだ自我が確定的でないというか、男の子とも男の人とも言えない危うさがあるように感じる。その中でも僕の"僕"は、すごくいい匂いがする
特別な名前 - 本トのこと。
私は結婚願望がまったくなく、結婚というものにまったく期待をしていなかったが、これは男尊女卑のこの家庭の影響が色濃い。
「男は一家の大黒柱として稼ぎ、女は影で家と夫を支える」といった類の思想は、現代社会という範疇だけでなく、私と僕の関係性にもまったくそぐわない。
僕が病弱なこともあり、重い荷物は私が持ったほうが早く運べることも多いし、家庭教育の反動からか夫が家族を養うべき的な考え方も持ってないので、好きに会社を辞めたり働いたりしてくれて構わない。もちろん、その前提として信頼関係があり、自主性があり、行動に対する目的があって成り立っている。
私と夫は性格的には殆ど似ていないけど、日常的に得た知識や感じたことをシェアし、どう思うかなどを話し合うことが好きで、異なる視点や考え方に、お互いに刺激され、発見や学ぶことも多い。
そういうところから id:chira_rhythm55 さんがブログに書いていた結婚を決めた理由にも、頭がもげるほど頷いた。
夫(当時は恋人)が良いと思った最大の理由は「一緒にいると人生が面白くなりそうだったから」
バツイチ子持ちおっさんと結婚した話 - chirashi
こういう僕との関係性には、従来私が受け続けてきた家庭教育の一端もない。
たぶん、大人として明確に性別とその役割を区切られた従来の家庭教育にあった「夫像」から、遠く離れた静謐なところに僕がいるのが、私が僕と結婚した最大の理由なのだと思う。
そのようなものの象徴として、私の中では「僕」という呼称で繋がる二人の関係性は、この生活を継続するのに意外と大きな意味を持っているんじゃないかと思うけど、毎回、母にそれをうまく説明できる気はしない。
大人気ないひとが好きじゃないんだけど、僕はけっこう大人気ないのになんで僕のことは好きなのかなって考えたけど、多分そもそも大人カウントしてないんだな
— 深町ミネコ (@meymao) 2015, 10月 6
今週のお題「結婚を決めた理由」