※以前の記事を編集した記事です。
教えることについて考えてみました。
「教える」は相手に良い影響を与えることだと思います。
いかにも教えているふうに説明するだけが教えるということじゃなくて、
「手本を見せて教える」「相手に考えさせるように教える」みたいにいろいろな教え方があって、一番大切なのは教えてあげているという自己満足じゃなくて相手にどれだけ良い影響を与えられるか。
教える相手
「部下に仕事を教える」「赤ちゃんに生き方を教える」「動物に芸を教える」
教える相手は部下、赤ちゃん、動物など、人それぞれです。
部下と赤ちゃんと動物、だれに対して教えるのが一番簡単かを考えたときに、単純に考えると簡単なのは部下かなと思います。話は出来るし、いろいろなことを学んできているから。あと相手も大人なのでその気になれば出来が悪いからと責任を押し付けることもできます。
赤ちゃんは言葉がわからないしまだ何も知らない。全てが一からのスタートなので教えることは本当に大変。いくら言うことを聞いてくれなくても赤ちゃんのせいにすることもできません。
動物に関してはペットの犬に教えるのと動物園やサーカスの大きな動物たちを教えるのとでは大変さは違ってくるとも思いますが、言葉が通じない分大変だと思います。
部下に教えている方が簡単というわけではないとも思います。相手のせいにするか自分の教え方が悪いと考えるかは人それぞれですし、今までお互いに違う経験をしてきたからこそ分かり合えない部分もあると思います。部下が多いとより大変にもなってきます。ただ、相手が違うだけで同じ「教える」ということについて、それぞれから学べる事はとても大きいと思います。
特に言葉も通じない赤ちゃんや動物に教えるということに「教える」ことの本質が隠されていると感じます。
娘と妻から学んだ「教える」ということ
2歳の娘がいます。
僕はなんでも論理的に考えがちなのかな。子育てに関して言えば「論理的」はあまり役に立たない気がします。説明しても2歳の子供には伝わりません。
長々と説明してるわけではないですが、「机に登っちゃダメ!」と情報を伝える僕の言うことより、「大丈夫?こわかったね、、危ないからやめようね」とまずは感情を受け止めてあげるママの言うことの方が圧倒的に言うことを聞きます。
情報を伝えようとするよりも、まず感情を分かり合うようにする。
そしてこれは子供に対してだけではありません。
大人相手に何かを教えるときにも同じことだと思います。わかりやすい説明だけが教えるということではない。
相手の気持ちを受け止めることの方が大切だったり、見本をみせることの方が大切だったりします。
みんな親のすることをマネて学んできたし、お母さんに感情を受け止めてもらったからこそやる気を出して頑張ることがでたはずです。
学ぶ(まなぶ)は真似る(まねる)と同じ語源。学ぶの本質はマネをすることだと思います。人はわかりやすい説明を聞くよりも見本をみて見習う方が得意なのかもしれません。
それに本当にわかりやすい説明だと思うのは自分の感情や立場を理解してそれに合わせて伝えてくれる人の言葉です。そういった意味では上手な説明には相手の気持ちを受け止るということが含まれています。
何かを教えるときに重要なのは見本をみせて見習わせることとやる気を出してもらうために感情を受け止めてあげること
何かを教える機会があれば、このことを意識するようにしたいです。