飼っていた犬が死んだ。死んでしまった。
12歳のボーダーコリーで本当に本当に本当に可愛くて、本当に本当に本当に大好きだった
僕が中学生の時からずっと一緒で、僕が帰ってくるといつだって尻尾を振って傍に来た。
僕が庭の段差に腰掛けると、必ず僕の隣に来て、足の上に頭を乗せるのだ。それがあいつの定位置だった。
ふさふさとしていて、手触りの良いあいつを撫でながら、庭でぼーっと過ごすのが好きだった。
散歩の後、僕達は決まってそうしていた。暑い日も寒い日もそうやって過ごしていた。
様子がおかしくなったのは二ヶ月程前だった。
急に元気がなくなり、ご飯を食べなくなった。
様子を見ても一向に回復しないので病院にいったところ、「膵炎」という病気らしい。
膵液が膵臓内に逆流し、膵臓自体を消化することで生じる病気という事らしい。
簡単にいうと内蔵にダメージがあるのだ。
すぐに入院が決まった。
僕の犬は病院が大の苦手で、行き先を察するとまったくいう事を聞かなくなる。
いざ病院内に入っても、診察室に入るのを怖がり、待合室の椅子の下から出てこない程だ。
さっそく面会に行くと、僕のことには大して目もくれず、自動ドアの前から動かなくなってしまった。
帰れると思ってしまったらしい。
「早くよくなろうね」
と声をかけて、病院をあとにした。
毎日のように面会したが、愛犬の体は段々と細くなっていった。
ふさふさだった毛並みも、以前よりいくらか薄い。尻尾もなんだが随分細くなってしまった。
点滴のために毛を刈った前足が、随分痛ましく見えた。
病院でもご飯をちゃんと食べていないらしい。点滴等で最低限の栄養補給はしているが、それでは退院した後に困ってしまう。
始めは3日程で退院出来る予定だったが、1週間に長引いた。
ある日、母親が病院に呼ばれた。
こういった事を言われたらしい。
「これから使う薬のレベルを1つ上げる。それは今ある中でもっとも強い薬。
そして、もしもこの薬でも症状が改善しない場合、手術が必要になる。
しかし、今の衰弱している状態では、手術のための全身麻酔に体が耐えられないかもしれない。
それでも、効かなかった時、手術をしますか? 連れて帰りますか?」
そんな事言われても、直る可能性もあるならば、それに賭けるしかない。
母親は「お願いします」とだけ答えた。面会してきた愛犬は、目も合わせずにブルブルと震えていたらしい。
母親は僕に
「あの様子では、ダメかも知れない」
と言った。
その話を聞いた僕は部屋で一人泣き、その「強い薬」が効くことをひたすらに願った。
薬は効いた。
犬は元気をいくらか取り戻し、数日のうちに退院する事になった。
しかし大量の薬を渡され、週に1回は病院に連れてくるように、という事だった。
そして、僕がショックだったのは
「食事はどういうモノを上げたら良いですか?」
という質問に対して
「食べられるなら何でもあげてください」
という回答だった。
それはつまり、長期的な健康を考える必要はないと、そういう事なのだ。
それはつまり、そういう事なのだ。
薬は1回で7錠もあり、支持されたとおりにドッグフードと混ぜながらスリバチで擦り、注射器のようなものに入れて、口の中に直接飲ませていた。
しかし明らかにおいしくないのかとても嫌がる。
吐き出してしまうこともあった。
家に帰って2日目にして注射器を見ると犬小屋に隠れるようになってしまった。
毎日何とかあの手この手で飲ませていた。
そして犬の様子はというと、入院前と比べて明らかに元気がなかった。
大好きなご飯にもあまり興味を示さないし、以前のように僕に飛びついてくることもなかった。
それどころか力なく寝転がっている事が多く、歩くときは足が震えて、ふらついてしまう。
そして噛む力が弱いのか、以前まであげていたビスケット等も噛み切れずに落としてしまう。そして再び拾うのだが、やはり落とす。そのうち諦めてしまう。
以前までならおやつをくれ! と吠えるような場面でも一切吠えない。元気がないのは明らかだった。
医者の言葉が蘇る。「食べられるなら、何でも与えてください」
それなら、食べられるものを探してやる。
僕は車でペットショップに行き、体に良さそうな事が書いてある柔らかそうな「犬のおやつ」を片っ端から買いあさった。
その中の1つ、犬用ミルクボーロ、国産で無添加で何か色々こだわってるらしく、1袋600円もする。
それを犬の前に差し出すと、気だるそうにしばらく匂いを嗅いだ後、口に入れた。
やはり落としてしまうが、再度拾い上げると今度はしっかり噛む音が聞こえた。そして、飲み込んだ。
犬が、こちらを見た。
どうやら、欲しがっているようだった。
震える手で今度は2粒差し出すと、あっという間に食べた。そして、こっちを見た。
鼻をすんすんとさせながら僕の手を舐める。もっとクレという事だ。
本当に嬉しくて、涙が出た。
そのボーロを初め、今まで買わなかったような、少し値の張るおやつやフードを与えると段々と自主的に食べるようになった。
何だ? もしかして食事がまずかったから食わなかったというだけなのか?
ごめんな。お前が食えるものなら、僕がこれからいくらでも美味いものを食わせてやるからな。
それから1週間立つと、さらに色々なものを食べられるようになった。
そして、ついに「ワン!」と吠えるようになった。
少し前なら「うるさい」と怒っていた家族も、この時ばかりは「吠えた!」と喜んだ。
以前までと違い、歩くときにふらつく事もなくなった。
僕が仕事から帰ると、出迎えるようにもなった。
相変わらず薬は飲んでいたし、毛並みは悪いままだったが、入院前と遜色ない程元気になったように、そう思えた。
ある休日、いつものように庭で腰掛けると、愛犬が擦り寄ってきた。
座った僕の足の上に頭を置く。夏も終わって、風が気持ちいい日だった。
もう二度と出来ないと思っていた「いつもの時間」を、もう一度過ごす事が出来た。それが本当に嬉しかった。
退院から3週間、病院に連れて行き検査をすると、今まで問題だった数値が嘘のように下がっていた。
もちろん基準値よりは高かったが、これには獣医師も目を丸くした。
薬の量は半分になり、病院に連れてくるのも2週間に一回で良いと、そう言われた。
僕も家族も喜んだ。その夜も、たくさんご飯を食べた。
でもその翌日、愛犬はこの世を去った。
朝、明らかに様子はおかしかった。
食事を欲しがらないのだ。
「昨日食べ過ぎたからかな?」
何て言って、でも昨日見てもらったばかりだし、夜になってもおかしかったら病院に連れて行こうという事になった。
僕が仕事から帰ってくると、朝と同じように丸くなっていた。名前を呼んでも反応しない。
僕が目の前に行くと、目線を合わせて少し尻尾を振った。少し安心した。
でも、犬小屋の中には吐いた形跡があった。
とりあえず犬を室内に入れることにした。退院後からはずっと、夕方から翌朝までは家の玄関で過ごしている。
玄関にシーツ等を引いてから鎖を外してやると、ガクガクと震えながら立ち上がり、ふらふらと玄関に入っていった。
その様子に不安を覚えながらも、「自力で歩けた」事に少し安心をした。それすら無理だった時期もあったのだ。
体を投げ出すように座り込む。
顎の辺りが自分の吐瀉物で汚れてしまっていたので、それを綺麗にしてやる。
水を近づけるが飲まない。大好きなおやつも匂いだけ嗅いで食べようとしない。
様子を見ていると、何度かふらふらと立ち上がっては場所を変えて座っている。
心配になって近づいたところで、その体が力無く、ガクっと倒れた。
息はしている。しかし目は焦点があっていない。ショックだった。
丁度そのとき父親が帰ってきたので、急いで病院へ行くことにした。
通っている動物病院に電話をする。
「営業時間を越えますので特別料金が発生しますがよろしいですか?」
という質問に、勝手ながら腹が立った。
父が車を運転し、僕が犬を抱きかかえて後部座席に座った。
犬は体のどこにも力が入っていなくて、だらんと手足を投げ出していた。
元気はないが、息はしている。抱いている僕には呼吸で上下する体をしっかりと感じ取る事が出来た。
やけに信号に引っかかっている気がする。犬の体を撫でながら、1秒でも早くついてくれと暗い車内で祈った。
病院につくと、すぐに処置が始まる。待合室で検査結果を聞くと、正直よく覚えてないが、とにかく悪い結果だった。
昨日は良かったのに、何で。と言いたくてたまらなかった。
そして、医師は言った。
「まだ、可能性はあります。しかし、情況はあまり良くありません。
このままこちらに置いて処置をしますか? それとも連れて帰りますか?」
そんなの、生き残る可能性があるのならそちらに賭けるしかない。
僕と父は犬を置いて、帰ることにした。
最後に顔を見に行った。
口には呼吸器、心臓にはAEDのようなものをつけられていて、目は虚ろで、何とも痛ましい姿だった。ショックだった。
頭を撫でても反応は無かったが、泣かないように「頑張るんだよ」とだけ小さく言って、病院を後にした。
それが僕の見た、愛犬の最後の姿だった。
翌朝、医者からの連絡は無かったので、僕はいつも通り出社した。
しかし、午前の休憩時間、母からのメールがあった。
「○○が死んじゃったよ。明日は友引で斎場が休みだから、今から連れて行きます。」
僕は、全身から力が抜けてしまった。
悲しみが溢れてくるが、職場で泣くわけにはいかない。
決して嗚咽を漏らさないようにしていても涙は出てきてしまう。ぬぐってもぬぐってもどうしようもないのでトイレに避難した。
狭い個室で10分程、声を出さないようにして泣いた。
本当はすぐにでも帰りたかった。最後に一目見てあげたかった。
しかし、大事な仕事の最中でそれも出来なかった。
とにかく、そのことを考えないようにして仕事をした。
不意打ちで少しでも考えると涙が溢れてきてしまう。しかし、何とか考えないように蓋をする。無理矢理する。
僕だってもう、いい大人だ。
午前中こそ大変だったが、午後にはなんとか仕事ができるようになっていた。
定時で切り上げ、急いで家に帰る。
駐車場に行き、車のドアを閉じた途端、「もう泣いても良いんだ」と思うと、さっきまで蓋をして閉じ込めていた感情が一気に溢れ出てきた。
大の大人が1人で声をあげて泣いた。喉が痛い。
僕は簡単に泣くタイプではないのだが、この時ばかりはどうしようもなかった。
何とか運転して家に辿り着く。
車を降りても、今まで一番に飛んで来ていた出迎えはない。
いつもの彼のスペースには、今までと同じように餌入れがあって、犬小屋があって、でも、中を覗いても誰も居なくて
それでまた泣けてしまった。
何とか落ち着いてから家の扉を開ける。
両親が先に帰っているときには、犬が先に玄関に居ることもあって擦り寄ってきていた。
もちろんその姿は無い。
母親に話を聞いた。
「あの後、夜の12時頃にそのまま死んでしまったらしい」
「明日は斎場はやっていなくて、明後日となると、氷等を使っても匂い等が出てきてしまう」
「もう年だし、どうしようもなかったと思う」
こんな内容だったけど、僕は「うん」としか言えなかった。本当は色々喋りたかったけど、声を出そうとすると先に涙が出てきてしまうのだ。
1人早足で部屋に戻った。
そして、また声をあげて泣いた。
布団に口を押さえつけながら、ただ泣いた。
最後を見てあげれなかった。
見てあげたかった。
昨日、病院から連れて帰ってあげたほうが良かったんじゃないか。
嫌いな病院なんかよりも、大好きな家で、僕達に看取られた方が良かったんじゃないか。
最後の最後に置いていかれたと、もしかしたらそう思ったんじゃないか。
もっと撫でてあげたかった。
もっとおいしいものを食べさせてあげたかった。
もっと一緒の時間を過ごしたかった。
もっと一緒にいたかった。
もしも僕があの日、もっと早く帰っていたら結果は違ったんじゃないだろうか。
もしも僕があの日、会社を休んででも、すぐに病院に連れて行けば、もっと長く生きることが出来たのではないだろうか。
でももう会えないんだ。もう会えないんだ。もう会えないんだ。もう会えないんだ。
考えれば考えるほど、後悔と涙が止まらない。
悪いほう悪いほうに向かっていると思い、これはダメだと外にでた。
いつものように、庭に腰掛ける。もちろん大好きな愛犬はいない。振り返っても犬小屋がただあるだけ。太ももに感じていた心地よい重みを、心地よいさわり心地を、感じることは二度とない。
その事実に、結局泣けてしまう。
でも、ふと思った事がある。
彼は最後の1週間、今までよりもきっと、おいしいモノをたくさん食べて過ごした。
少なくとも外見上は、元気いっぱいに、入院前と変わらずに過ごした。
いっぱい撫でられ、いっぱい愛された、いっぱい抱きしめられた。
もう二度と叶う事はないと思った「いつもの時間」を一緒に過ごした。
出来過ぎだ。
一度医師まで諦めかけたような、そんな状態から、こんな風な事があるだろうか。
バカにされると思うが、僕はこれは一種の奇跡のようなものではないかと、そう思っている。
この1週間は、僕達にやり残しがないように、誰かが与えてくれた、そんな時間なんじゃないかと、そう思っている。
そして、その期間を満喫した僕達は幸せだったんじゃないかと、そう思っている。
現実逃避のような考えかもしれないけど、そう思っている。
そう考えると、少しは前向きになれる。
愛犬が死んでしまっても、明日だって、僕は会社に行かなければならない。やらなければいけない事がある。
いつまでも凹んでいるわけにはいかない。
その復活の儀式として、今僕はこの文章を書いている。
こんな事、誰にも言えない、誰にも話せない。家族にも恋人にも親友にも、誰にも話したくない。第一話されても困ってしまうと思う。
でも、吐き出さずにはいられないから、ここに書いている。全部を吐き出してしまわないといつまでもうじうじしてしまいそうだから、ここに書いている。全部、吐き出している。かれこれ二時間はパソコンに向かっている
感情に任せて書き殴っているから、おかしなとこがあったらごめん。悲劇のヒロインかよってなったらごめん。いつか落ち着いたらちゃんと直そうと思う。あと、今ひどいこと言われるとすぐ泣いてしまうから、コメント欄は閉じるね。これも落ち着いてからちゃんと見るよ。
そもそも誰がここまで読むんだみたいなとこあるけど、もしも読んでくれた人がいたら、僕のただの復活の儀式につき合わせてしまって申し訳ない。
いつか、この記事をリライトして、同じようにペットロスに悲しむ人達に何か伝えてあげられたらと思う。それくらいの事を考えることが出来るくらい、書いているうちに心が落ち着いてきた。既に箱ティッシュは1つ消費したが。
そしてペットロスに関して、まだ愛犬が元気だった頃に調べたことがある。
その中に、虹の橋という作者不明の詩があった。引用する。
天国のちょっと手前に
虹の橋と呼ばれる場所があります。
この世界で誰かと特に親しかった動物は死を迎えると、虹の橋に行くのです。
そこには親しかった彼らのために用意された草地や丘があり、
動物たちは一緒に走ったり遊んだりできるのです。豊富な食べ物に水、お日様の光があり、
動物たちは暖かく心地よく過ごします。病にかかったり年老いた動物たちは皆、健康になって元気になります。
傷ついたり不自由な体になった動物たちも、また元通りになって力強くなります。
まるで、過ぎ去った日々の夢のように。
動物たちは幸せで充実していますが、一つだけ小さな不満があります。
みんな、とても特別な誰かと、残してきた誰かと会えなくて寂しいのです。
彼らは一緒に走ったり遊んだりしています。しかし、
ある日、一匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきらと輝き、
身体はしきりに震え出します。突然、彼は群れから離れ、緑の草を速く、速く飛び越えて行きます。
彼はあなたを見つけたのです。
そして、ついにあなたとあなたの特別な友だちが出会うと、再会の喜びにあなたは抱き合います。
そして二度と離れることはありません。幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。
あなたは両手で再び最愛の友の頭をなで回します。
そして、あなたは信頼にあふれる友の眼をもう一度覗き込みます。
その瞳は、長い間あなたの人生から失われていたものですが、心から決して消え去りはしなかったものです。それから、あなたは虹の橋を一緒に渡って行くのです。
ペットロスで悲しむ人を、慰めるためのものなのかもしれない。詭弁かもしれないし、適当なものかもしれないし、嘘っぱちかもしれない。
でも、信じたいと思う。
僕は正直言って神様も仏様も幽霊も超能力も信じちゃいないけど、「虹の橋」だけは、信じたいと思う。
いつか、虹の橋でもう一度、彼に会いたい。