戦後の国際秩序を揺るがす大事件イラン・イスラム革命
現在のイランと言えば、ブッシュ前米大統領に「悪の枢軸」と名指しされたほどの反米国家。
シーア派イスラム聖職者が強大な権力を持つ半神権国家で、中東地域のシーア派に絶対的な影響を持つイスラム大国であります。
長年イランはアメリカを始めとする西側諸国に敵対し、核開発を進めたり、イスラエルに対しミサイル発射を仄めかしたり、シーア派イスラム原理主義勢力ヒズボラを支援したりと、何かと物騒な国です。
ところが2015年7月、イラン核協議で合意がなされ、長年イランを苦しめていた経済制裁が解除される見込みとなっており、まだ未知数ですが、和解へと繋がるキッカケが作られようとしているところです。
今ではまったく想像できませんが、昔はイランは中東随一の親米国で、国王が統治する世俗的な国家でした。ところが1978年のイラン・イスラム革命でパーレビ国王は追い落とされ、シーア派イスラム主義者が指導する強烈なイスラム主義国家に転じてしまいました。
さて今回は、ロシア、メキシコ、フィリピンと続く革命まとめシリーズの第4弾、イラン・イスラム革命のまとめです。
1. レザー・シャーの近代化革命期
ロシア「よお、ペルシャの野郎ども。元気してっか?おいおい、元気ねーな。しょうがねーから、北部ペルシャはオレたちロシアのカネを落としてやるよ」
イギリス「ロシアがペルシャ全土を掌握したらマズいでえ。やつら、わてらのカネづるのインドに進出してくるかもしれん。ほなペルシャはん、わてらが南部にカネを落としまっせ」
カジャール朝「あ、あの…ちょ、ちょっと待ってよ…」
→ カジャール朝ペルシャ北部は拡張するロシア帝国の影響下に入り、ロシアの南下を食い止めたいイギリスがペルシャ南部の影響下に入る。
ペルシャ南西部マスジェデ・ソレイマーンで石油が発見される
イギリス「これはわてのもんや!絶対渡さへんでえ!」
ロシア「テメエ!よこせ!オレたちのものだ!」
→ 1907年、英露協商でロシア・イギリスのペルシャ南北分割が決定される
ペルシャ人A「北部はロシア、南部はイギリスの植民地状態だ。まじでふざけんな!国王は何やってんだよ」
ペルシャ人B「部族勢力がのさばってまるで中世だ。おいはぎや強盗がたむろしてて、おちおち買い物にもいけないよ」
レザー・ハーン大佐登場
レザー・ハーン「どげんとせんかいかんばい。ロシアは革命が起こってるし、いつ北部が共産化してもおかしくない。こうなったら国王を追い出すまでや!野郎ども、いくぜ!」
レザー騎馬隊「おお!!!」
1921年2月、レザー・ハーンによるクーデーター成功。カジャール朝崩壊。
レザー・ハーン「よっしゃ、イランをトルコのような政教分離の近代国家にするばい」
部下A「お待ちください閣下。イランはトルコと違って多民族国家です」
部下B「イランが統一を維持するには国王が必要なのです、どうか…」
レザー・ハーン「えぇぇ…オレが王になるの?えぇぇ…?」
1925年10月 イラン・パーレビ王朝設立。レザー・ハーン、レザー・シャーと名乗り国王となる
レザー・シャー「近代化ガンガン進めるばい。まずは政教分離な。あと男女平等。女性のチャドル、あれ禁止ね。銀行作って、大学作って、鉄道作って…ああ忙しい!」
シーア派勢力「だ、だ、だ、だ男女平等だってぇぇぇ!?なんて愚かなぁぁ!アラーに反する暴挙だ!全力で止めろぉぉぉぉぉ」
レザー・シャー「何いってやがるんだ、トンチキども。今は20世紀だぜ、時代すら分かってない連中は滅びてしまえ!」
→ レザー・シャー、シーア派勢力と衝突しながらも近代化を推進
1939年9月10日 第二次世界大戦勃発
ソ連「う、うわああ、ドイツが攻めて来たぁ!イギリスさん、助けて!」
イギリス「イランはん、ソ連を助けるためや。あんたの国に軍隊を進駐させまっせ。補給路に使わせてもらいますさかい」
レザー・シャー「ダメだ。イランは中立を守ります」
イギリス「…あぁ、そうでっか。それ言ってもうたら、あんさん死ぬしかないねんなぁ」
1941年8月23日、イギリス軍・ソ連軍、イラン侵攻
レザー・シャー「みんな、ごめん!オレ逃げるわ」
→ レザー・シャー、息子のパーレビに王位を譲り亡命
21歳の新国王レザー・パーレビ登場
パーレビ国王「イギリスしゃん、ボクどうすればいいのかなぁ」
イギリス「わてらが全部やりますさかい、国王様は椅子に座ってればよろしいです」
パレービ国王「うん、よろしくね」
イギリス「ほな、石油の利権はもらっていきまっせ」
パーレビ国王「うん、いいよ」
ソ連「おい、パーレビ国王よ。北部の石油利権はオレたちがもらうぜ」
パーレビ国王「あ、そうなの?OK!」
2. モサデクの民族主義革命期
民族主義政党・国民戦線党首 モハンマド・モサデク登場
モサデク「なにやっとるんじゃい!ソ連とイギリスにカネを全部吸い取られとるじゃねえか!イランの資源はイランのものだ、そうだろうみんな!」
イラン国民・国会議員「そうだ、そうだ!ソ連は出て行け!イギリスは出て行け!」
1951年4月28日 モサデク、首相に就任
モサデク「えっと、今日から国内の石油施設は全部国有化するから、シクヨロ」
イラン国民「モサデク、ナイス!」
シーア派勢力「うむ、これでガッポガッポ、我々の既得権も安泰だな」
イギリス「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?ふざけるな!怒った。本気で怒ったで。わてが怒ったらどんだけ怖いか思い知らせてやるで」
→ モサデクの石油国有化宣言を受け、イギリスは直ちに国際司法裁判所に提訴
イギリス「世界のみなさん、イランから石油を買うな。買ったらどうなるか知らないよ」
日本「イランから石油買いたいんだけど…」(ボソッ
イギリス「は?なに?バカ?死ぬの?」
→ イギリスによるイラン産石油のボイコットにより、国際市場からイランが閉め出される
イラン国営石油会社「今日採れた石油、これどうしましょう?」
モサデク「港の倉庫に置いておけ!」
イラン国営石油会社「倉庫はもう一杯ですよ」
モサデク「じゃあ、フタして砂漠にでも置いておけ!…ああ、石油が売れない。売れないよぉぉぉ、どうすりゃいいんだよぉぉぉ」
イラン国民A「せっかく生活が良くなると思ったのに!苦しくなる一方だ」
イラン国民B「やってらんねえぜ。モサデク、ふざけんなよ」
イラン共産主義ツデー党「ビッグチャーーーーンス!この混乱に乗じて革命起こしてイランに共産主義国家つくるよーーー」
アメリカ「What!? 共産主義者のクーデーター?それはバッドですネー。モサデクを引きずり降ろしますネー」
1951年8月 CIAの資金でパーレビ国王を動かし、モサデクを罷免
その後モサデクは捕えられ、テヘラン西部の領地に軟禁される
アメリカ「Wondefulですネー。共産主義国家の設立を防げたし、おかげでイランの石油利権に食い込めてガッポガッポだヨー」
3. パーレビ王政の白色革命
OPEC(石油輸出国機構)「国際石油会社は原油価格の値上げを認めろ。さもなくば売ってあげないよ」
石油会社「そ、そ、そ、そればっかりはご勘弁を〜〜〜〜〜〜」
→ 1972年1月に1バレル2.479ドル、1973年6月に1バレル2.898ドルと原油価格が上昇
第4次中東戦争時に5.12ドルまで一方的に値上げ、その後11.651ドルと高騰し、オイルショックが発生
OPEC加盟国の原油価格大幅値上げにより、莫大な富が産油国にもたらされる
秘書「国王様、今月の収支報告書になります」
パーレビ国王「はあっ、なにこの額!?こ、このカネが全部オレたちのもの…?」
秘書「そうです、我々はとうとう石油会社に勝ったのです!」
パーレビ国王「うおおお!やるぞ!このカネでイランは経済発展を遂げるぞ!1980年代にはイランは世界七大工業国になって、世紀末には五大国の仲間入りをするぞ!」
イラン国民「やった、やった!イラン万歳!国王万歳!」
パーレビ国王の白色革命開始
- 農地改革(小作人への土地の供与)
- 森林、牧場の国有化
- 国有企業の株式会社への転換
- 労働者への企業利益の配分
- 選挙法改正(普通選挙の実施。婦人参政権の実現)
- 文盲退治の教育普及部隊の創設
パーレビ国王「国民に等しく土地と教育、権利、富を与えるべし!」
シーア派指導者ホメイニ師登場
ホメイニ「白色革命など嘘っぱち!神の道への背徳じゃ!イスラムの伝統をぶちこわす代物じゃ。皆の衆、聖戦(ジハード)の準備をせよ!決起してこの狂った国王を倒すのじゃ」
シーア派信者「そうだ、そうだ!国王をぶっ殺せ!」
パーレビ国王「やかましい、この頑固ジジイめ。国外追放にしてしまえ」
→ 秘密警察がホメイニを拉致し国外追放に処す
ホメイニ「ワシは諦めんぞ!皆の衆、騙されるな、国王を支持する者は今に神の怒りを買うのじゃぞ」
→ ホメイニ、亡命先からカセットテープに演説を吹き込み反国王を訴える
パーレビ国王「さあて、邪魔者も消えたし。工業化を推進するぞ!世界の商社マンのみなさん、イランはガンガン物を買うよ、どんどん売りに来てよ」
3-1. ワイロの横行
商社マンA「ぜひ、我が社が提供する火力発電の建設をですね…」
商社マンB「いやいや、A社よりも我がB社のほうが優れておりまして…」
イラン政府高官「うーん、どっちでもいいけどさ…まあ、アッチをはずんでくれたらね…」
商社マンA「…?アッチ?」
商社マンB「は…20%でいかがでしょうか」
イラン政府高官「うん、悪くないね。じゃあB社さんで決定」
商社マンA「はっ、ワイロか!汚いぞお前!」
商社マンB「ばーーーか!この国じゃこれが当たり前なんだよ」
→ 外国の商人と政府高官の癒着が凄まじくなり、腐敗・汚職が蔓延する
3-2. 場当たり的な工業化
外国コンテナ船C「去年ご依頼いただいた製鉄20トン、納品に来ましたよ…って、なにこのコンテナ船の数!!」
外国コンテナ船D「よお、C社さんか。港への積み上げはあと半年かかるよ」
外国コンテナ船C「半年!?」
外国コンテナ船D「そう。オレはここで3ヶ月待ってるよ。ちなみに積み上げをできても、目的地まで輸送するのにさらに半年はかかるよ」
外国コンテナ船C「はあ!?なんだそれ?」
外国コンテナ船D「バカだよなあ。インフラが未整備なのにモノばっかり買い散らかして。輸送が全然ままならねえんだよ」
外国コンテナ船C「何だそれ、急いでくれっていうから急ピッチで作ったのにさ」
外国コンテナ船D「それにイランは技術者が本当に未熟だからよ、C社さんの高品質の製鉄、たぶん納品後は雑に扱われて、せいぜい砂漠に放置されるのが関の山よ」
→ インフラが未整備なまま工業化を進めたため、輸送船やトラックが立ち往生し全然納品できない事態が相次ぐ
3-3. 急激なインフレ
農民「故郷の土地を売ってテヘランの工場で働きにきたぞい。さあさあ、一家で住む家を探そうかの」
不動産屋「えーと、家賃1ヶ月100万リアルでっす」
農民「ほげぇぇぇぇぇ!30万リアルじゃないのかね!?」
不動産屋「あ、それ先月っすね。ちなみに来月はまた値上がりしますよ、きっと200万リアルにはなるかと思うので、よろしくお願いしますねー」
農民「故郷の土地売ったカネが400万リアルじゃぞ。んなもん払えるかい!」
不動産屋「知りませんよ、要らないならどいたどいた。商売の邪魔だよ」
→ 急激なインフレ・物価高騰が貧しい人々を直撃し、乞食になる者が相次ぐ
4. 国王を倒せ!
イラン国民A「物価が上がり続けるのに給与は変わんない!もう暮らしていけないよ」
イラン国民B「オレたちがこんなに苦しいのに、政府高官は贅沢三昧してやがんの。おかしいよ、絶対おかしいよ!」
ホメイニ@イラク「ほおら、言った通りじゃろう。今こそ国王を倒すときじゃ」
イラン国民A「そうだ、そうだ!ホメイニは正しかった」
イラン国民B「国王は国を去れ!」
シーア派ホメイニ支持派「今こそ国を変革する時!」
民族主義政党・国民戦線「今こそ国を変革する時!」
イラン共産党ツデー党「今こそ国を変革する時!」
パーレビ国王「やかましい!今すぐ黙れ!黙らないとこうだ!」
1978年9月8日 黒い金曜日事件勃発
反パーレビ集会に軍が発砲。85人が死亡、200人以上が負傷。
ホメイニ師「何たることを…。イラン国民よ、よく聞け。心あるものは政府に抗議の意思を表せ。ストを敢行せよ!街角にでよ!抗議せよ!政府を打倒せよ!」
民族主義政党・国民戦線「イラン民族の誇りに賭けて、全力で戦え!」
イラン共産党ツデー党「共産主義革命は近い!労働者よ立ち上がれ!」
イラン国民「うおおおお!ホメイニ万歳!国王は去れ!」
1978年12月11日 テヘランの100万人反王政大集会
Work by XcepticZP
アメリカ「Oh…もうパーレビはダメですネ…見捨てるしかアリマセン」
パーレビ国王「ええ!?そ、そんな、アメリカさん…」
1979年1月16日 パーレビ国王、王妃と共にバカンスの名目で国外脱出
1979年2月1日 ホメイニ、イラン帰国
Work by Mrostam
5. ホメイニの神権国家建設
ホメイニ「悪の時代は去った!新たな国作りの始まりじゃ」
民族主義者「うむ、ではまずは新憲法を策定して、国民が統治する民主主義・自由主義を確立するのが先だな」
ホメイニ「お前はアホか?イスラムの国はイスラム法学者によって統治されねばならん。予言者ムハンマドの時代に還るのだ」
民族主義者「ええええええ!?いつの時代に生きてると思ってんだよ?」
共産主義者「宗教なんぞが政治を握るなんて、マルクスの教えと正反対だよ。絶対反対!」
イスラム穏健派「いや、ムハンマドの時代って、アンタさすがに…」
ホメイニ「皆の衆、反対勢力をぶっ潰すのじゃ」
シーア派ホメイニ支持者「神の国を作るのだ!死ねぇっ!」
→ イスラム復古主義者が民族主義者、共産主義者、左派を大弾圧。44もの新聞、雑誌が廃刊される
こうして、国民の圧倒的支持を受けたホメイニ師による、イスラム法学者の支配する国づくりに向かってイランは一気に舵を切る。
民族主義勢力は大弾圧され、イランは硬直したイスラム主義の国家となっていった。
まとめ
かなり長くなってしまいましたが、一連の革命の流れをまとめてみました。
伝統的にイランはシーア派の国。第4代カリフ・アリーとその末裔たちの悲劇的な物語は、常にチグリス・ユーフラテス流域を支配するアラブ民族と抗争を続けてきたペルシャ民族にとって、最も共感を感じるものだと言います。
そんな中で、度重なる諸外国の外圧と侵略。シーア派の教えと相容れない欧米の価値観を上から押し付けられる。
加えて富は一般の人々の頭上を超えて、一部の富裕層や外国を富ますばかり。
その民族主義と排外主義が巨大なエネルギーとなって王政を倒したのが、イランのイスラム革命でした。
もともとそのような思想からスタートしているだけあって、歴代のイランの政府が欧米と対決姿勢を鮮明にするのは当然と言えば当然の話であります。
ただそのような頑迷的な政治だと、経済的に立ち行かなくなるのは当然のことです。
現在のロウハニ大統領は、イランのシーア派のナショナリズムを御しつつ、うまく諸外国と経済連携を図るという、難しい仕事を成し遂げようとしています。
下手をすれば欧米資本に再び国を牛耳られ、政治にまで関与されかねない。
今後のイラン情勢も目が離せないものがあります。
参考文献:ペルシャ湾 横山三四郎 新潮社
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