F1・自動車ジャーナリスト
世良耕太(せら・こうた)
出版社勤務後、独立し、モータリングライター&エディターとして活動。主な寄稿誌は『Motor Fan illustrated』(三栄書房)、『グランプリトクシュウ』(エムオン・エンタテインメント)、『auto sport』(三栄書房)。近編著に『F1機械工学大全』(三栄書房/1728円)、『ル・マン/WECのテクノロジー2015』(三栄書房/1728円)など
あぶり出された「カタログと実際は違う」という事実
VWの不正問題があぶり出した、一企業の不正にとどまらない事実とは?
いくら考えを巡らせても真意はつかめず、「何でそんなことしたんだろう」という疑問が湧いてくるばかりだ。コトが発覚したときの影響の大きさに見合う行為にはとても思えない。
ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲン(VW)の不正問題だ。アメリカ合衆国の環境保護局(EPA)は9月18日、VWと傘下のアウディが販売した一部のディーゼルエンジン搭載車が、違法ソフトウエアによって不正に排ガス規制を逃れていたと発表した。
不正と判断されたVW/アウディのディーゼルエンジン車は、試験施設内で行う台上での測定時には、有害物質の排出量を規制値以下に抑えるよう排ガス浄化機能が適正に働く。一方、実際の走行時にはディフィートデバイス(Defeat Device)と呼ばれる「無効化装置」が働き、排ガス浄化性能を意図的に低下させる。
EPAによれば、違法ソフトウエアが組み込まれたVW/アウディのディーゼルエンジン車は、光化学スモッグの原因となる窒素酸化物(NOx)を基準の最大40倍排出するという。
「VWはなぜそんなことをした?」と疑問に思うのは、排ガス測定モードを外れた際に規制値以上の有害物質を排出してしまうことは「違法ではない」からだ。
実のところ、世の中を走るほぼすべてのディーゼルエンジン搭載車は(実はガソリン自動車も)、量の多少はあるが、測定モードを外れた領域、すなわち実際の走行では規制値以上の有害物質を排出している。「出てしまっている」のは罪にならないが、オン/オフの切り替えで意図的に「出している」のは悪質であり、だから糾弾されているのだ。
カタログに記載されている性能が出ないのは、自動車に限ったことではない。スマホの連続通話時間にしても連続待ち受け時間にしても、カタログに掲載されているのは一定の条件で測定した際の数値であり、実際とは異なる。
クルマの排ガス性能も燃費も、実は同じだ。
今回のVWの問題は、世界で一、二を争う自動車メーカーが不正を働いたという事実にも増して、「カタログに載っている数値と実際の数値が違う」という事実をあぶり出した点にも注目すべきだ。スマホの待ち受け時間なら目安と割り切ることはできても、クルマの排ガス性能はそうはいかない。地球環境の悪化や健康被害に直結するからだ。
不正の動機は触媒にまつわるコストをケチったこと
不正に走った動機はどうやら排出を防ぐ触媒をケチったことにありそうだ
排ガスの測定は、試験施設にあるローラーにクルマを載せ、実際の走り方を模擬した加減速や車速(これを「モード」と言う)をなぞって行う。
日本やヨーロッパに比べてアメリカのモードはエンジンの高負荷領域を使う頻度が高いのが特徴だ。今回の不正問題で焦点となっているNOxは、高負荷領域で発生しやすくなる。また、NOxの規制値は日本やヨーロッパ比べてアメリカは格段に厳しく、排ガス規制をクリアするためには、より高い浄化性能が求められる。
こうしたアメリカ特有のNOxに厳しい測定モードと規制値が、VWの不正につながった背景にありそうだ。
ディーゼルエンジンが排出するNOxは、エンジンの下流に配置する後処理装置によって行う。後処理装置には吸蔵触媒とSCRがあり、前者はNOxをコーティング層に吸蔵して排出を防ぐ仕組み。吸蔵量がいっぱいになった場合は、燃料を余計に燃やして排ガス中の物質とNOxを反応させ、無害の窒素にして排出する。また、定期的に排気温度を高温にして触媒に付着した硫黄分を燃焼させる必要がある(やはり、余計に燃料を使う)。
SCRは排気中に尿素を噴射することで、尿素から発生するアンモニア(NH3)とNOxを反応させ、浄化する。SCRの場合は尿素水を搭載し、定期的に補充する必要がある。NOxの浄化率は吸蔵触媒よりSCRの方が高い。
一般に、NOxの発生を抑えるような燃焼(燃焼温度を一定以下に下げる)にすると、出力は落ち、燃費も落ちる。NOxは発生するに任せ、浄化を後処理装置に頼り切ってもいいが、吸蔵触媒の場合は還元を繰り返すことで余計な燃料を消費して燃費が悪くなるし、触媒の寿命も縮まる。
SCRの場合は尿素水の消費量が増える。補充のインターバルは変えたくないので、搭載量を多くするとクルマは重くなるし、コストは上がる。やはり、酷使すれば触媒の寿命は縮まるし、長寿命にしようと思えばコストはかさむ。
VWが不正を働いた動機は今後明らかになるだろうが、触媒にまつわるコストをケチったこと、NOx浄化性能を維持することで実用燃費が悪くなるのを嫌ったことなどが考えられる。ディフィートデバイスを使えば、厳しい規制はクリアしつつ、触媒のコストは抑えられ、実用燃費は良くなる。
一見すると企業にも消費者にも都合のいい対応だが、その代わり、有害物質(NOx)は垂れ流しだ。言語道断である。
ディーゼルの将来を左右する問題に発展しかねない
不正と会長の「1000万台トップ」宣言とが軌を一にしているのは偶然だろうか?
先に触れたように、今回のVWの一件で、測定モードでの排ガス排出量と実際の走行での排ガス排出量がかけ離れていることが問題視されるようになってきた。これまでは暗黙の了解事項として作り手も取り締まる側もやり過ごしてきたが、明るみに出てしまった以上、無視できないテーマになるに違いない。
それは当然で、規制だけクリアして実際は垂れ流しでいいわけはないからだ。
最近では試験施設で燃費や排ガスを測定するモード走行(日本の場合、JC08モード)から、実際に道路を走行して燃費と排ガスを測定するRDE(Real Driving Emission)への切り換えが検討されている。計測装置の小型化が進んだこともあり、導入が現実味を帯びてきた。
日本ではまだ具体的に検討されていないが、今回の出来事を契機に世界的に導入する流れが加速するだろう。
そうなると、現在よりもずっと高負荷領域でのNOx排出量に目を配る必要が出てくるため、ディーゼルエンジンの設計を根本から見直す必要に迫られることになりそうだ。VWの不正問題は一企業の問題に留まらず、ディーゼルエンジンの将来をも左右する問題に発展しそうだ。いや、エンジンにとってはいいきっかけと言えるだろうか(自動車メーカー各社の負担は大きくなるが)。
それにしてもVWの不正問題は、販売台数という「数」を追いかけ始めた動きとリンクしているように思えてならない。
2004年に約500万台だったVWの販売台数は2014年に1000万台を超え、トヨタとトップを争っている。「1000万台でトップ」を宣言したのは、今回の一件で引責辞任したウインターコルン氏が会長に就任した2007年のことだ。VWが不正に手を染めたのは2008年からだとされている。急拡大戦略のひずみが今回の不正を誘発したと考えるのは、短絡に過ぎるだろうか。
2008年のリーマン・ショック前に1000万台を目指していたトヨタは、アメリカで大規模リコールの対応に追われ、この一件を機に台数を負わない方針に転換した。ホンダは前社長在任中の2012年に「全世界で600万台の販売を目指す」と宣言したが、2015年に就任した新社長は数値目標を撤回している。やはり、相次いだリコールの反省に立った決断だろう。
「数」だけを追うと隅々にまで目が行き届かなくなり、対応がおろそかになって品質も商品性も「何でこうなったの?」という事態に陥る。そんなことは百も承知と信じたいが、VWの不正問題は他山の石を見過ごしたがゆえの末路に見えてならない。
ユーザーにとっては、その企業が業界トップであるかどうかなど、大した問題ではない。ユーザーが所望するベネフィットをはき違えてもらっては困る。
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