福岡での抗争や山口組分裂騒動など暴力団絡みの大きなニュースをよく見かけるようになった一方で、暴力団についてよく知らないこともあって暴力団とは何かを知る概説書としてベストセラーになっている溝口敦著「暴力団」「続・暴力団」を読んでみた。
「暴力団」(2011)では「暴力団とは何か」その概要、組織、収入源(シノギ)、人間関係、海外の組織の動向と比較、警察の立場や諸法、暴力団に代わって台頭しつつある「半グレ集団」の動向などが解説される。続く「続・暴力団」(2012)では、2011年以降全国で制定された暴力団排除条例の解説と、その影響で大きく変わる暴力団の動向、今後の展望について描かれている。
暴力団については子供の頃近所に有名暴力団の事務所があって、丁度中学生の頃に山一抗争が勃発、福岡市中央区なので、どうやら山道抗争と呼ばれているものだったらしいが、同学年の男子生徒が撃たれてしばらく入院していたという思い出がある。確か、お父さんが暴力団員にお金を貸していてそれに対するなんらかの威嚇でマンションのドア越しに銃弾が打ち込まれ、それが偶然当たったものだったと当時聞いた。改造拳銃でドア越しだったので威力が弱く一命を取り留めたとか。まぁ、思い出してもひどい話だ。
あと、暴力団で思い出したけど、二十年ぐらい前、ホットドッグプレスで連載されていた北方謙三の「試みの地平線」への質問で「政治家になるかヤクザになるか悩んでいます」ってのがあって、いくらなんでもサンクチュアリに影響されすぎだろと読んでいて気恥ずかしさが爆発したことぐらいだ。いいからソー(以下略)。今でもたまにこの質問思い出して自分のことのようにひぃ!ってなるので、質問した当人はねぇ今どんな気持ち?
さて本題に戻って、ヤクザは全く縁のない世界で映画やマンガなどのイメージしかなかったので、本書を読んであらためて自分が知らなかったことが多いことに気付かされた。
とりあえず言えることはこの二冊読んでヤクザに憧れる人がいたら頭おかしいってレベルで全く夢のない世界が広がっていることだ。
一つには暴力団の組織の酷い搾取体制で、下の者が上の者にお金を上納することで成り立っている。末端になるほどお金だけ取られて生活がままならない。暴力団の看板を与えられて金が稼げるから、その代わりにまとまったお金を上納するという、コンビニなどのフランチャイズ制と良く似た体制になっているが、一方で暴力団は諸法の整備で締め付けられ、半グレ集団という対抗勢力も台頭してどんどん稼げなくなっている。
主なシノギ(収入源)は覚醒剤、恐喝、賭博、ノミ行為の4つだが、どれも取り締まりが厳しく先細りだという。一方で、これらにも半グレ集団や全くの素人が参入して暴力団の独占が崩れている。特に賭博はそうらしく、本書では元力士の相撲賭博の話が紹介され散るが、つい最近も巨人選手の野球賭博のニュースがあったばかりだ。これもニュースを見る限り暴力団員ではなく素人の事件っぽい。また、「女に貢がせる、つまり女のヒモになるのは組員の基本的なシノギの方法」だそうで、「女依存型」と呼ばれる。あとは最近、特に東日本大震災以後、主要なシノギになってきたのが解体と産廃処理・・・ってそこまでいったら普通にカタギでやればいいのにと思わないでもないが、暴力団が産廃処理業に乗り出しているのも社会の歪みではある。
「暴力団」では岩井弘融「病理集団の構造」(1963)の分析を紹介するかたちで、暴力団組員の性格特性として「力の原則、男の観念、攻撃性、瞬間的感覚、宿命主義、マゾヒズム的性格特徴、外界の敵視、退行的原始的諸行為」(「暴力団」P79)を挙げ、病的、すなわち「きわめて原始的であり、単純な物理的暴力として表現される」(「暴力団」P79)力の追求がヤクザ気質の中軸にあるという。
「その過剰な力の追求欲は後述の自己顕示の特徴と随伴し、またその過剰性による神経過敏や、劣等感とその補償作用としての自己膨張や自己卑下を生んで来る。」(「暴力団」P79)
また、著者は、暴力団を必要悪だとする意見を断固として退けている。
「犯罪グループはいつでも、どこの国にも存在します。諸外国はそれぞれのやり方で犯罪グループに対抗しています。大きな問題は生じていません。暴力団がなくなると、マフィアに変質して大ごとになるという見方は現状を固定化して、現状をよしとすることに通じます。
このように皆でサッカーを楽しんでいるのに、一人だけ手を使って反則して、威張っている人たちには、退場してもらってよいのではないでしょうか。
暴力団を決して特別扱いしてはいけないのです。」(「暴力団」P189)
一方で、暴力団はすぐに無くなることはないとしている。そして、暴力団排除条例の施行以後、暴力団は大きく変容を迫られているという。暴力団排除条例が暴力団と市民との交際を禁じたことで、暴力団は大半の経済活動を禁じられ急速に追い詰められている。それが、窮鼠猫を噛むの諺通り暴力団組員の暴発を生み、特に福岡での苛烈な抗争につながっている。
この暴力団排除条例の特徴と問題点について、まず特徴として「暴排条例は、これまでの対決構図だった『警察対暴力団』を『住民対暴力団』に切り替えることで、暴力団を社会的に孤立させ利益(資金)やサービスの供与、供給を断つ狙いを持って」(「続・暴力団」P60)いる。一方で、「暴対法」では暴力団を「その団体の構成員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体」と定義して、指定暴力団を挙げているが、この暴力団は違法ではない。暴力団を合法組織として認定しながら、その一方で市民をその対決の矢面に立たせて、暴力団をかつてないほどに追い詰めているという状況がある。しかし、充分に市民を守れているとはいえず、むしろ無力な例の方が多い。ただし、著者は暴排条例廃止論には反対し、改正を唱えている。
市民を対暴力団の全面に押し出して危険に晒しながら、それを充分に守る体制が構築できておらず、一方で警察にはこれまで暴力団の存在を前提とした様々な利権構造と捜査体制で成り立ってきており、本当に暴力団を壊滅させる意志があるのか、様々な面から考察、問題点の指摘が行われていてとても参考になる。
紹介されている千葉県民暴委員会でのある弁護士の発言が日本の体制のいびつさを言い表しているのだろう。
「ご承知かもしれませんが、先進国ではほぼ例外なく『犯罪結社罪』などの法規制が整備され、暴力団的な実態を持つ不良集団の存在自体を法が正面から否定、排除して、法的に非合法集団と位置づけ、そうした組織犯罪集団への参加や、組織の運営に対する支援行為をことごとく規制しています。
こうした国際的な規制状況に照らせば、日本の暴力団規制はいびつすぎます。先進的な法治国家と胸を張れるようなものではありません」(「続・暴力団」P110)
暴力団を合法化しつつ追い詰めて弱体化させながら、暴力団に代わって台頭する「半グレ集団」に対する有効な手段が無く、むしろ事態が悪化してきているという問題点がある。
孤立させるだけ孤立させておきながら、元暴力団組員の社会への受け入れには冷淡で、暴対法で定められた「社会復帰センター」はただの警察OBの天下り先でしかなく、11年に「社会復帰センター」によって暴力団から離脱した組員は六九〇人だが、再就職できたのはその〇・四%、三人でしかないという。しかも暴力団離脱後も五年間は組員扱いで銀行口座も開けないし不動産契約も難しいし、不正受給問題もあって生活保護も事実上受給できないから、支援なしには暴力団を辞めることはほぼ不可能だ。
本書であきらかになるのは最も暴力団を必要としているのが警察であることで、市民ではないということだ。暴力団という敵がいることで、その危険を煽ることにより警察は装備整え人員を拡張し体制を強化し権限を拡大し、そして様々な天下り先を確保する。警察機構の肥大化が司法の形骸化を生み、司法の形骸化のしわ寄せが市民生活に悪影響を及ぼすことになる、というスパイラルの一端が暴力団の分析を通して見えてくるので興味深い。一方で、司法の形骸化を背景として警察は恣意的な捜査を行い、その矛盾を逆に暴力団に突かれて、捜査や訴訟で苦渋を飲んだ例なども紹介されていて、なんか笑うに笑えない。
「暴力団」の存在を通して日本社会の孕む脆弱性と問題点が垣間見えるとても良い入門書の二冊だと思ったので、もう少し関連書籍にも手を伸ばしてみようと思う。
「暴力団」目次
第一章 暴力団とは何か?
第二章 どのように稼いでいるか?
第三章 人間関係はどうなっているか?
第四章 海外のマフィアとどちらが怖いか?
第五章 警察とのつながりとは?
第六章 代替勢力「半グレ集団」とは?
第七章 出会ったらどうしたらよいか?「続・暴力団」目次
第一章 組長・幹部たちはどう語るのか?
第二章 法律はどこまで守られるか?
第三章 出合ったら、どうすればよいか?
第四章 芸能界はまだ蝕まれているか?
第五章 警察は頼りになるのか?
第六章 暴力団は本当になくなるのか?
第七章 どうやって生き延びていくのか?