オーストラリアが果たして「救いの地」なのか。オーストラリアで5年間生活した経験を基に、小説集『カンガルーがいる砂漠』を出したヘイス氏は、正反対のことを話す。この作品に登場する移民たちは留学費用を稼ぐため、詰まった便器に手を突っ込むような過酷な仕事もいとわなかったが、賃金を踏み倒され、仕事もなくさまよった末、妻とも別れて窃盗犯へと転落した。希望の光を求めて「ヘル朝鮮」を脱出しても「ヘル豪州」という別の地獄で苦しむというわけだ。
慢性的な低成長と若者の就職難は今日、先進国の大部分が直面していることだ。韓国だけが「ヘル朝鮮」であるならば、脱出することこそが生きる道になるが、それは正答ではなく、若者たちが苦しみから解放されるためにも決してプラスにはならない。「ヘル朝鮮」を脱出しても、別の地獄が待っているだけだ。ダンテの『神曲』で、地獄を特定の場所ではなく「希望のない場所」だとしたのも、そのような理由からではないだろうか。
だとすれば、答えはこの地で見つけなければならない。私たちの住む場所が地獄だからと、つばを吐き、自嘲するのではなく、「パラダイス朝鮮」にしていくための希望を見出せるプロジェクトを立ち上げていくべきだ。若者たちと中高年層が共にその方法を探るべきだ。