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ノーベル医学・生理学賞 大村智さんが会見10月5日 23時39分
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ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった北里大学の大村智特別栄誉教授は5日、大学で会見を開きました。
大村さんはノーベル医学・生理学賞の発表から2時間後となる午後8時半から東京・港区の北里大学で会見を開きました。
学生や大学の職員たちから大きな拍手と笑顔で迎えられた大村さんは、受賞を知った経緯について、「きょうは午後4時半ごろに帰ろうとしていました。予感がしたのか知りませんが、秘書から待つように言われて待っていたら、スウェーデンから電話がありました」と話しました。
みずからの業績については「私の仕事は、微生物の力を借りているだけで、私自身が難しい事をしたわけでも偉いわけでもありません。私は、微生物がやってくれた事を整理しただけです」と話しました。
受賞が決まったことを誰に最初に伝えたのかという質問に対しては、大村さんは「いちばん最初は心の中で16年前に亡くなった家内に伝えました」と答え、「家内は私が研究者としていちばん大変なときに支えてくれた。受賞を何より喜んでくれると思います」と話しました。
また、研究に取り組む姿勢について聞かれた大村さんは「私の母は小学校の先生で忙しくて、面倒をみてくれていた祖母からいつも繰り返し、人のためになることを考えなさいと言われていました。研究者になっていろいろとやりたいこともあるが、何をやるかを決める際にはどちらが人のためになるかという考えを基本にしていた」と話しました。
苦労した経験については「大学院に通っていたときは、昼は大学で勉強、夜は夜間高校の先生として生徒を教え、夜中に次の日の授業の準備をするという毎日でした。結婚した際に、家内からは『病人のようだ』と言われるくらいやせてしまっていた。ただ、自分は負けず嫌いで、昔、スキーの長距離種目で山を登っていたとき、心臓が破裂してぶっ倒れそうなくらい大変だったが、それに比べれば楽だと考えて続けていました」と当時を振り返りました。
そして、若い学生たちに伝えたいことを聞かれると、「いろいろやりたいことはあると思うが、失敗してもいいからやっていこうという気持ち。成功した人はあまり失敗のことをいわないけれど、3倍も失敗している。人よりも何倍もへましていると思うが、そういう中から成功が出てくる。とにかく失敗を繰り返してやりたいことをやりなさいと言いたい」と話しました。
学生や大学の職員たちから大きな拍手と笑顔で迎えられた大村さんは、受賞を知った経緯について、「きょうは午後4時半ごろに帰ろうとしていました。予感がしたのか知りませんが、秘書から待つように言われて待っていたら、スウェーデンから電話がありました」と話しました。
みずからの業績については「私の仕事は、微生物の力を借りているだけで、私自身が難しい事をしたわけでも偉いわけでもありません。私は、微生物がやってくれた事を整理しただけです」と話しました。
受賞が決まったことを誰に最初に伝えたのかという質問に対しては、大村さんは「いちばん最初は心の中で16年前に亡くなった家内に伝えました」と答え、「家内は私が研究者としていちばん大変なときに支えてくれた。受賞を何より喜んでくれると思います」と話しました。
また、研究に取り組む姿勢について聞かれた大村さんは「私の母は小学校の先生で忙しくて、面倒をみてくれていた祖母からいつも繰り返し、人のためになることを考えなさいと言われていました。研究者になっていろいろとやりたいこともあるが、何をやるかを決める際にはどちらが人のためになるかという考えを基本にしていた」と話しました。
苦労した経験については「大学院に通っていたときは、昼は大学で勉強、夜は夜間高校の先生として生徒を教え、夜中に次の日の授業の準備をするという毎日でした。結婚した際に、家内からは『病人のようだ』と言われるくらいやせてしまっていた。ただ、自分は負けず嫌いで、昔、スキーの長距離種目で山を登っていたとき、心臓が破裂してぶっ倒れそうなくらい大変だったが、それに比べれば楽だと考えて続けていました」と当時を振り返りました。
そして、若い学生たちに伝えたいことを聞かれると、「いろいろやりたいことはあると思うが、失敗してもいいからやっていこうという気持ち。成功した人はあまり失敗のことをいわないけれど、3倍も失敗している。人よりも何倍もへましていると思うが、そういう中から成功が出てくる。とにかく失敗を繰り返してやりたいことをやりなさいと言いたい」と話しました。