留辺蘂町金華の丘に、石北本線の常紋トンネル工事で殉難したタコ労働者の追悼碑が建立されたのは、1980年11月16日今から35年前のことでした。まもなく廃止といわれているJR金華駅を眼下に望みながら3日、北見地区のキリスト者の皆様による「常紋トンネル追悼式」が厳かに行われました。
常紋トンネル工事は、山岳鉄道の難所を極め、トンネル付近に建立されている勧和地蔵の由来には「湧別線工事中最大の難工事とされていた常紋ずい道(507m)は、大正元年にはじまり3年の年月をかけ大正3年10月に完成しました。工事は本州方面から募集してきた労務者を飯場に収容し、通称タコと呼ばれた者によって行なわれた。労務者は人権を無視された苛酷な取り扱いをうけ、粗食と重労働で病気にかかる者も多く、医薬も与えられず体罰を加えられた。そして使役不能とみたものは一定の箇所に監禁し、死者はそのまま次々と大きな穴の中へ投入してしまうという、残虐非道なことが公然と行われていたといわれている。このずい道工事中、百数十人の若者が犠牲となり、ずい道付近に埋められております。」(1959年)と記されているそうです。
鎮魂の祈りを捧げるようにつるはしを置くブロンズ像を見上げながら、北海道の開拓期、人間を人間として認めない罪によって、闇に葬られた数多の命にやすらぎが訪れますように心からお祈りしました。

常紋トンネル工事は、山岳鉄道の難所を極め、トンネル付近に建立されている勧和地蔵の由来には「湧別線工事中最大の難工事とされていた常紋ずい道(507m)は、大正元年にはじまり3年の年月をかけ大正3年10月に完成しました。工事は本州方面から募集してきた労務者を飯場に収容し、通称タコと呼ばれた者によって行なわれた。労務者は人権を無視された苛酷な取り扱いをうけ、粗食と重労働で病気にかかる者も多く、医薬も与えられず体罰を加えられた。そして使役不能とみたものは一定の箇所に監禁し、死者はそのまま次々と大きな穴の中へ投入してしまうという、残虐非道なことが公然と行われていたといわれている。このずい道工事中、百数十人の若者が犠牲となり、ずい道付近に埋められております。」(1959年)と記されているそうです。
鎮魂の祈りを捧げるようにつるはしを置くブロンズ像を見上げながら、北海道の開拓期、人間を人間として認めない罪によって、闇に葬られた数多の命にやすらぎが訪れますように心からお祈りしました。