前回の記事で、「少なくとも現代社会では『みんな』英語ができなければ『絶対困る』ということはない」と説明してきました。
しかし、これからグローバル化が進展していってきっと英語が必要になると主張する人がいるでしょう。そういう人には、きっと必要になるのは英語だけではないと返します。
今は数年先の未来も見渡すのが難しい時代で、企業も5年先のことはわからなくなってきたため、3年先の中期計画が経営のメインになってきています。それでも長いという人もいます。
5年先になにが起こるかわからない時代に、将来必ず英語がみんな必要な社会になると断言できるでしょうか?
音声認識による自動翻訳が出てくるかもしれない
情報技術が発展して英語と日本語の音声認識による同時通訳ができるようになるかもしれません。
音声認識の制度はSiriで皆さんご存じの通り、日常的に使えるレベルに達しており、あとは英語と日本語の相互変換かできれば実用化できます。
英語とスペイン語の翻訳はほぼ実用レベルに達していることから、日本語と英語の翻訳もパターンを集めればいつかは実現できるといえ、時間の問題でしょう。
ようはなにが起こるかわからないんです。英語がやはり必要になるかもしれないし、英語が話せなくてもよくなるかもしれないし、英語よりもパソコンの方が大切になるかもしれない。そんな先のことを見通そうとしたって無駄です。リーマンショックだって、予測できなかったからショックなんです。
いつか使うかもなんて意味がない
元マイクロソフト取締役の成毛眞氏は著書の『日本人の9割に英語はいらない』のなかで以下のように述べています。
語学だけを継続して5年も10年も学び続ける人などいないだろう。(中略)普通のビジネスマンは忙しいから1年間通い続けるのが精一杯だと思う。1年間でペラペラになったつもりであっても、半年も使わなければ完全に忘れてしまう。*1
英語は継続して学び続けなければ忘れてしまうことはよく知られています。いつ使うか、本当に使うかわからない英語を継続して学ぶ意味はあるのでしょうか。
パソコンだって数学だって簿記だっていつか使うかもしれない
なんで英語だけいつか使うからと特別扱いされるのでしょうか。
今はグローバル化社会と呼ばれると同時に、情報化社会と叫ばれています。しかし、ぼくは数百人の大学生にパソコン操作を教えていますが、社会に通用する技術を身に着けている人はほとんどいません。エクセルの「SUM関数」を知らないのも当たり前です。
パソコンの授業は英語ほど行われないことはご存知でしょう。だからできないのです。いつか必要になるでしょうが、きっと就職した会社で必要な技術を学ぶのだと思います。
今現在は英語がなくても生きていけるのに、なぜ英語だけは「今のうちに」できなければいけないのでしょうか。パソコンだって数学だって簿記だっていつかは使うかもしれません。
英語だけがいずれ必要になることが強調されることは不思議でなりませんし、英語だけが今のうちにやっておけと言われるのもおかしいと感じます。
成毛氏もマイクロソフトに入り、シアトルに出張するようになってから英語を覚えたと述べているように、英語だって必要になってから学ぶことで十分に対処できるのです。
英語が必要な人は限られている
英語は全員できなければならないというのは、ただの妄想でしかないことがわかりましたでしょうか。
一方で、英語ができる人は間違いなく必要とされます。ホテルマンや通訳、翻訳家などがあげられるでしょう。
ただ、グローバル化が進んでも外国人と取引をするビジネスマンは限られてくるでしょう。全員が英語話せないといけないのだとしたら、一体誰か国内の取引をするのでしょうか。
それに日本人がみんな不自由なく英語を扱えるようになったら、通訳も翻訳家も廃業です。
英語の先生は生き残っても、英会話塾はほとんどなくなるでしょう。みんな英語が話せるようになるということは、英語が長所ですらなくなるということです。通知表で英語だけがよい成績なんて人は、なんの取り柄もない人に成り下がってしまいます。
英語ができる人がもてはやされるのは、英語ができない人がいるからです。英語ができない人を馬鹿にしたり、全員が英語をしゃべれなければならないと主張することは、そうした人にとって損だといえるでしょう。
運動ができること、数学ができること、歴史に詳しいことは長所です。
それができたら賞賛されます。しかし「歴史ができないなんて将来困るぞ」とは言われません。
英語も同じように1つの長所なのでは、と考えずにはいられません。本当に英語は特別で、将来できないと困る分野なのでしょうか。
英語は当たり前ではなくて、1つの人としての長所であると考えるほうが合理的であるように思えます。
*1:成毛眞(2013)『日本人の9割に英語はいらない』祥伝社 p.42