そのヒントは、この2本のBCAとともに載った総説「多能性の特徴(Hallmarks of Pluripotency)」にあるように思える。この総説の17人の著者の多くは、再現実験の失敗を報告したBCAの著者27人と重なる。どちらも幹細胞の専門家集団が著者だから、重なるのは当然だ。それでも総説の方にだけ著者になっている研究者がいる。その1人はカナダ・トロントの小児病院研究所のジャネット・ロサン氏だ。
彼女は昨年7月の国際幹細胞学会で大会長を勤め、開会の挨拶で「幹細胞研究と社会との関係に2つの課題がある」と指摘した。1つは科学的根拠に乏しい幹細胞治療の蔓延で、もう1つは市民の過剰な期待を招くような過大な宣伝だ。後者の具体例としてロサン氏があげたのがSTAP細胞だったという。捏造や改ざんなどの研究不正ではなく、最初の記者会見と報道のされ方を問題視したようだ。
革新的な論文が出ると、同じ分野の研究者はすぐに自分でも試してみるものだ。そうした再現実験に成功すれば、その研究は“本物”と認められる。一方で、誰も再現できない状態が長く続くと、元の論文は忘れられていく。これは、科学のすべての分野に共通して言えることだ。
生命科学の場合、試薬のロットの違いや実験者自身も気づかない環境条件やちょっとした実験テクニックなどが、実験の成否に大きくかかわることがある。なので、再現性がないからといって不正とは限らないが、他の研究室で再現できない研究は、やがては消えていく。
STAP細胞も大騒ぎをせずに、そのように消えるに任せておけばいいという主張は科学界にもあった。不正追及をしてまで、わざわざ否定するまでもない、というわけだ。否定をするにも、時間やコストがかかるという現実的な問題もある。
ニセモノを蔓延させない - データとともに反証する必要性
しかし、そうもいっていられない事情が幹細胞研究にはある。ロサン氏が指摘した課題の1つ、「科学的根拠に乏しい幹細胞治療の蔓延」だ。
実は、幹細胞の分野では再現性がないため“消えつつある”幹細胞がすでにいくつもある。STAP細胞の責任著者であるヴァカンティ氏が2001年に発表した胞子様細胞はその一例にすぎない。
科学界では消えつつあっても、話題になった研究は一般の人々の記憶に残る。それが、科学的根拠に乏しい幹細胞治療がはびこる一因にもなっている。この状態は真摯な幹細胞治療(日本でいう再生医療は幹細胞治療やそれをさらに発展させたもの)の研究を進める上でも好ましくない。
米国では、学会がテレビ局と連携して、怪しげな幹細胞治療を受ける前によく考えようと視聴者に促している(例えば、ほとんどどんな病気も治ると言われた被害者に取材したCBS NEWS)。
こうした事情もあり、わざわざコストをかけてでも、きちんと否定する論文が幹細胞の分野では出始めている。骨髄にあるとされた多能性細胞「VSEL細胞」は、2013年にスタンフォード大学のワイスマン氏らが詳細な再現実験を行い、今回のSTAP細胞と同じように、否定的な結果を報告している。こうした論文が学術論文として出ていれば、「この細胞で治療できる」という宣伝文句に対して、「再現できないという報告がある」と論文データを引用しながら反論できる。
論文が撤回されたとはいえ、STAP細胞は日本ではほとんどの人が耳にしたことのある有名な細胞となった。きちんと否定しておかないと、「実はできていたんですよ」などと言って、あやしげな治療に名前を使われかねない。データを載せて失敗を報告した論文は、こうしたときに武器になる。