今週の必読 週刊文春 掲載記事

占領下の日本で繰り広げられる、驚天動地のスパイアクション

『猫に知られるなかれ』 (深町秋生 著)

評者杉江 松恋 プロフィール

すぎえ まつこい/1968年東京都生まれ。書評家。著書に『読み出したら止まらない!海外ミステリー マストリード100』など。

ふかまちあきお/1975年山形県生まれ。2005年『果てしなき渇き』で第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、デビュー。同作は2014年に中島哲也監督作「渇き。」として映画化された。他の著書に『ヒステリック・サバイバー』『ダブル』など。 角川春樹事務所 1600円+税

 これは壊れてしまった世界を我が手で繋ぎ合わせようとする者たちの物語だ。

 占領体制下の東京で幕は上がる。戦争の生き残りたちは地べたを這いずるような暮らしをしていた。闇市では占領軍の残飯をシチューと称して売っている始末。そうした打ちのめされた者たちの中に永倉一馬がいた。地回りの用心棒として目を光らせる永倉は、米兵さえも叩きのめす全身凶器のような男だ。

 その永倉に接近してきた者がいた。藤江忠吾、陸軍中野学校出身で、戦時中はさまざまな諜報活動を行ってきた人物だ。藤江は、香港憲兵隊でスパイ狩りの名手として知られていたころの永倉の、獲物を捕まえて巣に持ち帰るジガバチに喩えられ〈泥蜂(ニーフオン)〉と怖れられた顔を知っていた。その腕をスカウトしに来たのである。

 藤江に同行した永倉は緒方竹虎と面会する。かつての政府の要人である。公職追放されて隠遁した緒方だったが、まだ死に体ではなかった。彼は壊滅した日本を立て直すための秘密組織を設立し、新たな闘いを始めようとしていたのだ。

『猫に知られるなかれ』は、犯罪小説の雄・深町秋生が敗戦直後の日本を舞台として描く、本格スパイ小説である。永倉が属することになる組織の名は〈CAT〉。古代ローマの政治家・キケローが遺した「武器は平服に譲るべし」という意味のラテン語の頭文字をとったものだ。敗戦直後の日本は、警察が急激に弱体化したことや、GHQ関係者による治外法権的な振る舞いにより、何かあれば社会全体が転覆しかねないほどに不安定な状態になっていた。そこに国共内戦で揺れる中国や、共産主義を拡大しようとするソ連からの魔手が忍び寄り、まさに内憂外患の状態にあった。〈CAT〉はそれに挑むのだ。

 腕力の永倉、知力と変装術の藤江にもう一人、運転技術と狙撃に長けた新田がいる。このチームで話が進んでいくのは、リチャード・スタークなどの犯罪小説の型を踏襲したものだろう。〈CAT〉に属した後も街の暴漢狩りは止めないといったように、永倉が揺らぐ人間として描かれているのもいい。そこに成長小説の味わいが出てくるからだ。

 作者の深町はこれまで「どうにかなってしまった」日本の現状に怒りを叩きつけるような作品を書いてきた。今回は原点に立ち返り、冷静な目で戦後日本を見つめ直そうとしている。もしシリーズ化されれば、これは日本冒険小説史上の里程標的な作品になるだろう。怒れ、深町。そして、お前の目に映る汚いものをすべて書き尽くせ!

この記事の掲載号

2015年10月1日号
2015年10月1日号
山口組と芸能界
2015年9月24日 発売 / 定価400円(税込)
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深町 秋生杉江 松恋

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