集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法の成立を待っていたかのように、外務省のホームページ(HP)にある「歴史問題Q&A」の内容が更新された。

 以前は掲載されていたアジア諸国への「植民地支配と侵略」という言及がなくなり、それらを認めた「村山談話」や「小泉談話」などのリンク先を紹介するだけに簡略化された。

 それに先立ち、「Q&A」は、戦後70年の「安倍談話」が出された8月14日に突然、削除されていた。国会で質問されると、「(安倍)談話を踏まえ、現在改訂中です」と表示した。

 削除から1カ月以上たってからの改訂は、安保関連法の審議に悪影響を与えまいとの配慮が働いたためではないか。そう見られても仕方あるまい。

 安倍首相は談話で、自分がそう考えているとは明言しなかったものの、「わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきた」とし、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」と訴えた。

 にもかかわらず、談話が出されるや即座に外務省HPから「植民地支配と侵略」という象徴的な記述がなくなったとなれば、安倍政権の歴史認識に揺らぎを感じざるをえない。

 外務省HPでは昨年も似たような問題があった。

 日本が慰安婦問題で国民的な償いを試みた「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」への参加を呼びかけた文書が急に削除されたのだ。

 基金は、これまで慰安婦問題で日本も努力してきたと主張する根拠となっている。だが、それを強調するどころか自らの手で見えにくくしてしまった。

 首相が「国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要」と訴えた安保法は先週公布された。だが、その法制に反対する国民は不安を抱いたままだ。法の中身だけでなく、過去の侵略や、おわびの意思を自分の主体的な見解として明言しない首相によって、日本の戦後平和主義は変質してしまうのではないかとの危惧もあるのではないか。

 国の安全を守るのは防衛力だけではない。不断の外交努力によって日本を取り巻く国際社会の緊張をやわらげることが不可欠だ。そのための外交が内向きに終始しては話にならない。

 日本はこれまで、過去と向き合い、過ちを認めることで国民と近隣国に安心感を与えてきた。最近の安保環境の変化を強調する政権に今、足りないのは歴史への謙虚さではないか。