このシンポジウムは新国立競技場問題を契機として、建築コンペのあり方を考える、という趣旨でした。
今回、公共建築における専門家と市民の断絶、情報の不透明性、自治体や行政の組織的不備が様々な面で問題視され、なおかつ議論のかみ合わなさが露呈したわけです。
その大きな要因のひとつに、建築の価値感のズレ、乖離を巡る問題が大きく横たわっていると考えています。
そのため、建築の価値をどうみていくかが、専門家においても一般の利用者においても、行政においてでも、首長においても、マスコミや専門情報紙においても、建築教育においても、建築現場においても、情報の非対称性が起きている。
そのことを是正する前に、その現実をまず認識する必要がある。
そんな趣旨です。
以下のごとく発表してきました。
当日説明不足の点も文章で補足しながらご報告いたします。
本来、「建築家と市民の乖離」、「建築家と市民の矛盾」つまり建築専門家とそれ以外といった対立構造があること事態がおかしいと考えています。
それは、他のジャンルで比較してみれば明らかでしょう。
「シェフと市民」、「シェフと市民の矛盾」、そんなレストランはすぐに潰れます。
「漫画家と市民」、「漫画家と市民の矛盾」、連載中止です。
「映画監督と市民」、「映画監督と市民の矛盾」、上映館が限られるでしょう。
しかし、
「デザイナーと市民」、「デザイナーと市民の矛盾」、これはなんか聞き覚えがあるような、、、
これではどうでしょう
「芸術家と市民」、「芸術家と市民の矛盾」、これもよく聞きますよね。
その理由は、供給者側と需要者側で直接的な市場ではないもの、大衆評価の前に専門家評価が優先していたり、開示の不足があるためです。
価値感のズレ、解釈や読み取りによる評価、それを生み出す情報の非対称性に起因していると考えられます。
「情報の非対称性」とは本来経済用語で、(asymmetric information)といいます。wikiによれば以下です。
市場取引において、保有する情報に差があるときの、その不均等な情報構造である。「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態のことを指す。
情報の非対称性があるとき、一般に市場の失敗が生じパレート効率的な結果が実現できなくなる。このとき、必ずしも情報を持たない側に不利益が生じるわけではなく、情報を持つ側に不利益が生じることもある。
つまり、専門家だけが情報を占有しているからといって、必ずしも統合的優位にならないこともあるというわけです。
いわゆる博打の胴元がイカサマをやり過ぎるとその賭場には客がこなくなって不利益になるとかそういったことです。
「レモン市場」という呼び名が面白いですね。
新国立競技場問題は「レモン市場」だったんでしょうか?
建築業界全体がレモン市場に陥っているのでしょうか?
今回は建築についてですので建築について議論すると、建築の評価は本来大きく下のレーダーチャートのように分類できるはずです。
それは、他のジャンルで比較してみれば明らかでしょう。
「シェフと市民」、「シェフと市民の矛盾」、そんなレストランはすぐに潰れます。
「漫画家と市民」、「漫画家と市民の矛盾」、連載中止です。
「映画監督と市民」、「映画監督と市民の矛盾」、上映館が限られるでしょう。
しかし、
「デザイナーと市民」、「デザイナーと市民の矛盾」、これはなんか聞き覚えがあるような、、、
これではどうでしょう
「芸術家と市民」、「芸術家と市民の矛盾」、これもよく聞きますよね。
その理由は、供給者側と需要者側で直接的な市場ではないもの、大衆評価の前に専門家評価が優先していたり、開示の不足があるためです。
価値感のズレ、解釈や読み取りによる評価、それを生み出す情報の非対称性に起因していると考えられます。
「情報の非対称性」とは本来経済用語で、(asymmetric information)といいます。wikiによれば以下です。
市場取引において、保有する情報に差があるときの、その不均等な情報構造である。「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態のことを指す。
情報の非対称性があるとき、一般に市場の失敗が生じパレート効率的な結果が実現できなくなる。このとき、必ずしも情報を持たない側に不利益が生じるわけではなく、情報を持つ側に不利益が生じることもある。
つまり、専門家だけが情報を占有しているからといって、必ずしも統合的優位にならないこともあるというわけです。
いわゆる博打の胴元がイカサマをやり過ぎるとその賭場には客がこなくなって不利益になるとかそういったことです。
情報の非対称性という用語は、アメリカの理論経済学者ジョージ・アカロフが1970年に発表した論文 “The Market for Lemons: Quality Uncertainty and the Market Mechanism” で初めて登場した。
この論文は中古車市場を例に、情報の非対称性が市場にもたらす影響を論じたものである。買い手が「欠点のある商品」と「欠点のない商品」を区別しづらい中古車市場では、良質の商品であっても他の商品と同じ低い平均価値をつけられ、良質な中古車は市場に流通しなくなる傾向があることを指摘し、これを「売り手」と「買い手」の間における情報の非対称性が存在する(売り手のみが欠点を知り、買い手の側は欠点を知る術がない)環境一般の問題とした。なお、アメリカの中古車業界で不良中古車を指す隠語が「レモン」であるため、このような市場はレモン市場と呼ばれるようになった。
「レモン市場」という呼び名が面白いですね。
新国立競技場問題は「レモン市場」だったんでしょうか?
建築業界全体がレモン市場に陥っているのでしょうか?
今回は建築についてですので建築について議論すると、建築の評価は本来大きく下のレーダーチャートのように分類できるはずです。
わかりやすい言葉に代えていますが、右上から時計まわりに、「かっこよさ(デザイン性)」、「頭のよさ(哲学性)」、「こだわり(希少性)」、「性能の良さ(機能性)」、「お得感(経済性)」、「面白さ(話題性)」と分類することができるでしょう。
たとえば、デザイン雑誌やファッション雑誌に採り上げられるような建築物で、使い勝手が悪かったり、工事費が高かったりするような建物があったとすると、この上図チャートのようになるでしょう。
一方、ただただローコストを謳うハウスメーカー等の住宅で量販素材のみで、なんのデザインもしないで建った建物を考えてみた場合には上図チャートのようになるでしょう。
どちらが良いとか悪いとかを判断するものではなく、こういったチャートで分析すると、この二例では目的も目指す価値感も異なっているということが分かります。
同時に、チャート上で弱い部分を是正していくことが出来れば、より普遍的な評価に近づくというわけです。
どちらが良いとか悪いとかを判断するものではなく、こういったチャートで分析すると、この二例では目的も目指す価値感も異なっているということが分かります。
同時に、チャート上で弱い部分を是正していくことが出来れば、より普遍的な評価に近づくというわけです。
ところがですね、建築物は一品生産なので当事者以外がその評価を下すのがなかなか難しいジャンルなのです。結果として実際に建った建物が流通するのではなく、二次複製物としての写真と解説が雑誌やメディア等の媒体を通して流通します。
それらの二次複製物を媒介として、建築物の評価が行われているといっても過言ではないでしょう。
と、同時にその建築を取り扱う雑誌においても、その主に評価するポイントがメディアごとに異なっています。
結果として、どの流通メディアに掲載されているかによって、建築的価値には大きく開きが生じています。
つまり、雑誌ごとに建築物の評価の重要度が異なっている点を理解する必要があるのです。
次に、このチャートの具体的使い方を解説します。
6つの価値基準は、3つのグループで二分することが可能です。
この右下がりの分割では、抽象的価値と具体的価値に分けることができます。
この二分線のどちらに比重が偏っているか?が重要な理解のポイントです。
6つの価値基準は、3つのグループで二分することが可能です。
この右下がりの分割では、抽象的価値と具体的価値に分けることができます。
この二分線のどちらに比重が偏っているか?が重要な理解のポイントです。