こんばんは、くるんちゅです。
最近コメント欄やツイッターなどを通して、わたしに自らの体験を語ってくれるかたが増えました。
全部、読んでいます。
みなさまそれぞれのつらさや、やるせなさ、いろいろなものを抱えて、それでも自分の足で歩いていらっしゃる、その事実に胸を打たれます。
お話ししてくださったみなさま、本当にありがとうございます。
そのつらさは、誰と比べるものでもなく、一人一人の人生として捉えるべきもので、ひとつひとつがとても重いものだと感じています。
ですので、今日は、そんなみなさまに向けてメッセージを送りたいとおもいます。
なにか、きにさわることばがあったらごめんなさい。
それはわたしの至らなさのせいです。
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あなたが奪われてしまったものは、たいせつなひとかもしれません。お仕事かもしれません。それとも、たいせつな時間ですか。尊厳ですか。
わたしには残念ながらわかりませんが、きっとそれはあなたにとってとても、ことばではあらわせないくらいたいせつな物だったのですね。
そんなにたいせつな物を奪われてしまったら、誰だって悲しいです、暗い気分になって、のたうちまわってしまうでしょう。
いつまで続くのだろうこの悲しみは、と、終わりの見えない悲しみに深く絶望してしまうでしょう。
落ち込んで、いつまでもネガティブな考えに囚われてしまっている自分がいやですか。
気持ちを切り替えなければ、とむりをしていませんか。
答えのでない問いについて考えてしまうこともありますが、あなたの人生の過程であなたが考えていることです、あなたなりの答えが出せるまで、悩んでいても大丈夫。
悩むのは苦しいですが、悩んでいるときは、自分なりの答えに近づくチャンスです。
それにわたしは、たとえ答えが出せなくても、悩むことそのものに意味があると考えます。
くよくよするな、こっちまで暗い気分になる、というひとがいるかもしれません。ですが、わたしはそんなことは絶対に言いません。
わたしはあなたが思い悩み、苦しんでいるとき、このブログ、そしてこの文章を通して寄り添っていたいとおもっています。
わたしは、人生で一度も悩んだことがない人はそれはそれですてき、とおもいますが、深い苦しみや悩みを抱え、そして「自分の人生を自分で悩み苦しんで生きているひと」も、おなじくらい素敵だと思います。
そんなすてきでまじめなあなたですから、たくさん悩み苦しんだ結果、人生に根をはり太い幹を育て、豊かな枝葉をつけきれいな花を咲かせることは、きっとできます。
わたしは、ただただうわべだけ幸せになろうとむりをするよりも、今ある不幸を生きた結果、人生をより深く豊かに見ることができるようになったほうが魅力的だと考えます。
そしてその結果、ひとに優しくなれたり、豊かなこころで生活できるようになったり、ひとりひとりの花が咲くのです。
それは、ひとつひとつがとても尊いものです。
なぜならそれは、むりに得た幸せではなく、自分の豊かなこころが生み出したしあわせ、だからです。
今の、悩んでいる苦しい時期を乗り越えたら、すこし休んで、今度は枝葉を育てはじめればいいのです。
それまで、一緒に悩んでいきましょう。
わたしなどがなまいきなことを書いてしまいましたが、わたしもまだ悩んでいる途中です。
一緒に、自分の人生を生きてゆきましょうね(*^^*)
あなたはきっと、大丈夫。