インドネシア(当時オランダ領)のバリクパパンで慰安婦生活を送ったカン・ドアさんは、韓国政府の調査に対し「(身分を隠すために)慰安所の主人が持ってきた白衣を着せられたが、病院の近くにも行ったことがない」と証言した。昼間には看護婦として、夜は慰安婦として動員されたというケースもある。インドネシアのスマトラ島で過ごしたイ・ドゥクナムさんは「毎日車で15分の所にある大きな野戦病院に行き、負傷した兵士の治療をしたり、洗濯もしたりした。夜になると今度は(慰安婦として)軍人たちの相手をしなければならなかった」と証言した。故国に帰った「インスタント看護婦」たちの多くは、自分の身分が軍病院所属になっていることを知らなかった。だが、日本軍の書類の上では「臨時看護婦」として残ったり、2カ月ほどで解雇されたりした。
問題は、旧日本軍所属の看護婦として身分をごまかされたため、元慰安婦として認められなかったケースだ。日本軍の留守(外地勤務)名簿に、慰安婦ではなく看護婦として記載されていたからだ。インドネシアのジャカルタにあった第5陸軍病院の看護婦として搭載されたHさんの遺族は、Hさんが慰安婦だったとして政府に届け出たが、証明する方法がなかった。1946年1月、胃潰瘍のため死亡した第9陸軍病院の臨時看護婦Aさんは、靖国神社に合祀(ごうし)されている。慰安婦だった可能性が取り沙汰されたが、やはりそれを裏付ける方法はなかった。
朝鮮人女性たちが一斉に病院の看護婦とされたケースは、板垣征四郎が司令官を務めていた第7方面軍(南方軍)傘下の病院で特に多かった。板垣征四郎はそれ以前に朝鮮軍司令官(1941-45年4月)を務めていた。板垣が朝鮮軍司令官だった当時、慰安婦の動員に関与したということが、連合軍の調査で分かった。戦犯として処刑された板垣もまた、靖国神社に合祀されている。