2015-10-03

ヒモザイルとぶら下がり社員、ぶら下がり女子

ぶら下がりたい女子もいる

かつてはよく婚活告白の場において「僕が幸せにしてあげる」という言葉を聞くと虫酸が走る、という言葉を聞いた。これは一種流行を産んで普遍的な問いかけを残しながらも意識化に釘を差した。今では言えない空気を作り出しているという意味では一定の効果があったとものと思われる。しかし一方で目的なく生きつつ苦労はしたくないという層が一定層いるはずであるし、実際そうした人は前進力がないので現状維持ストレスを抱え込んだりする。こうした人が守ってあげるという人参をぶら下げられたらまず飛びつく。彼女たちは何しろ現状維持こそが目的なのだ。それがたとえ屈辱であったとしても目的がない以上甘んじざる得ない(断っておくが、こうした人種日本女性の大多数とは言わない)。

ぶら下がりアシ

アシスタントという仕事基本的にこの構造に似ている。もちろん多くはそうでないと信じたいし、アシスタント開始の動機はぶら下がることではないだろう。東村氏の記事はこうした希望を打ち砕くに十分なモラトリアム表現があったし、実際ルーティンに飲まれ目的を失い現状維持を続けてしまう人も少なくはないはずだ。このことは才能がないことが第一義ではなく日常に飲まれ怠惰に走ってしまった事が第一義なのであり、氏はこれに「幸せにしてあげる」という助け舟を出したのである

ぶら下がり社員

このような二者の関係性に類似した例がもう一つある。それが2011年ころのキーワード『ぶら下がり社員である。ぶら下がり社員定義は上記二者とさして変わらない。目的生産性指向性を持たず、現状維持のための活動しか興味を持てない鈍重なストレスを抱えた人々である。これらの人々の特徴はそれほど難しいものではなく、「ある母体依存する目的なき(目的喪失した)人々の決まりきった行動維持姿勢」と言える。

東村氏の仕事

従って東村意図がどうあれ半ば目的なくたむろする、と言っても過言ではない、幸せになるビジョン目標喪失したアシスタントに手を伸ばすのは、不健全どころか健全であるとすら言える。需要供給を読んだ上で動かないと気がすまない人々と、何もしたくない人々を噛みあわせているだけに過ぎないのだ。因みに目的なきもの目的を与えて使役するのだ、と言ってはばからないのがジブリ鈴木Pであり、事実目的のないものカリスマが現れるとその色に染まるか、ちっぽけな自分を隠して何物にもなれないまま愚痴をいうかのどちらかである。それならば踊っていたほうが当人のためになるだろう(ヘイトを高めたいわけではない。自分にも当てはまることを言っている)。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20151003171404

記事への反応(ブックマークコメント)