なるとん先生の疫学講座(仮)
疫学の話をするなら、ゼンメルワイス、高木兼寛、ジョン・スノウの話をせねばなるまい。疫学の三偉人。
それから、メカニズム論の誤謬。病気が治ればそれでよい。
それから、メカニズム論の誤謬。病気が治ればそれでよい。
なるとん先生の疫学講座(仮)
エビデンスレベルの説明が要る。けれども、どうも「エビデンス」という用語自体が誤解を招くことが多いようだ。別の用語、たとえば、「医学的根拠」のほうがいいか。「医学的根拠(エビデンス)」として、次からは「医学的根拠」のみで通すとか。
となると、エビデンスレベルは、「医学的根拠のレベル」か。
となると、エビデンスレベルは、「医学的根拠のレベル」か。
なるとん先生の疫学講座(仮)
リードタイムバイアスとレングスバイアス。
過剰診断は、リードタイムバイアスの極端な例である。また、過剰診断は、レングスバイアスの極端な例でもある。
図入りで説明したい。
過剰診断は、リードタイムバイアスの極端な例である。また、過剰診断は、レングスバイアスの極端な例でもある。
図入りで説明したい。
なるとん先生の疫学講座(仮)
パラシュート問題。
早期胃癌に対する手術療法の有効性はRCTで証明されたわけではない。RCTはできない。放置群に振り分けることはもはや倫理的ではない。
「パラシュートの有効性には質の高いエビデンスは無い」という有名なジョーク。たしか元ネタはBMJだったか。
パラシュートなしの群は設定できなくても、普通パラシュートとやや小さめパラシュートの比較は可能である。早期癌についても、標準術式と縮小術式の比較ができるように。パラシュートなし、あるいは、放置群がもっとも成績がよければ、こうした「標準」対「縮小」を続けることで、どんどん標準医療が縮小に近づいていく。倫理的な問題はクリアできそう。胃がんはどうか知らんが、乳がんは確か、「さすがにここまで縮小したら成績悪いっす」という比較研究があったはず。放置療法に対する反論になる。
早期胃癌に対する手術療法の有効性はRCTで証明されたわけではない。RCTはできない。放置群に振り分けることはもはや倫理的ではない。
「パラシュートの有効性には質の高いエビデンスは無い」という有名なジョーク。たしか元ネタはBMJだったか。
パラシュートなしの群は設定できなくても、普通パラシュートとやや小さめパラシュートの比較は可能である。早期癌についても、標準術式と縮小術式の比較ができるように。パラシュートなし、あるいは、放置群がもっとも成績がよければ、こうした「標準」対「縮小」を続けることで、どんどん標準医療が縮小に近づいていく。倫理的な問題はクリアできそう。胃がんはどうか知らんが、乳がんは確か、「さすがにここまで縮小したら成績悪いっす」という比較研究があったはず。放置療法に対する反論になる。
なるとん先生の疫学講座(仮)
外部妥当性。
喫煙の害はRCTで証明されたわけではない。観察研究のみ。いわゆる「エビデンスレベル」だけを言うなら、レベルは低い。しかし、喫煙の害の確実性はきわめて高い。なぜか。
喫煙の害はRCTで証明されたわけではない。観察研究のみ。いわゆる「エビデンスレベル」だけを言うなら、レベルは低い。しかし、喫煙の害の確実性はきわめて高い。なぜか。
なるとん先生の疫学講座(仮)
「臨床的に有効」という言葉の意味合いも。よしんば仮に、成人の甲状腺がん検診が甲状腺がん死を減らします、と証明されたとしても、それだけでは「臨床的に有効」とは言えない
がん死(あるいはその他の有害なアウトカム)を減少させることは、がん検診を推奨するための必要条件ではあっても、十分条件ではない。
がん死(あるいはその他の有害なアウトカム)を減少させることは、がん検診を推奨するための必要条件ではあっても、十分条件ではない。
なるとん先生の疫学講座(仮)
外部妥当性。
肺がん検診は臨床的に有効か?
海外のRCTでは肺がん死を減らさない。国内の症例対照研究では肺がん死を減らす。
「RCTのほうがエビデンスレベル高いじゃん」vs「外国人と日本人は違うっしょ。読影や手術の技術はこっちが上っしょ」
どっちが正しいかは厳密にはわからない。日本人を対象にRCTをするしかない。でもコストに見合うのか?結果が出るまでどうする?
臨床では「どっちが正しいかは厳密にはわからない」問題ばかりである。今ある情報でエイヤと決めるしかない。私は個人的には非喫煙者を対象にした肺がん検診は止めればいいのにと思っている。しかし、そう思わない人の意見も理解できる。
この「意見は合わないけど理解はできる感」もけっこう重要。言語化したい。福島県の子供を対象にした甲状腺がん検診は継続したほうがいいと、個人的には思っているが、中止したほうがいいと主張している論者の意見も理解できる。「どっちが正しいかは厳密にはわからない」からね。
まあでも、過剰診断の害をどうしても理解できない人たちは「甲状腺がん検診は継続したほうがいい」という意見では一致するけれども、理解できない。理解できないっていうか、彼らは明らかに間違っている。最近では明らかにトンデモ。
肺がん検診は臨床的に有効か?
海外のRCTでは肺がん死を減らさない。国内の症例対照研究では肺がん死を減らす。
「RCTのほうがエビデンスレベル高いじゃん」vs「外国人と日本人は違うっしょ。読影や手術の技術はこっちが上っしょ」
どっちが正しいかは厳密にはわからない。日本人を対象にRCTをするしかない。でもコストに見合うのか?結果が出るまでどうする?
臨床では「どっちが正しいかは厳密にはわからない」問題ばかりである。今ある情報でエイヤと決めるしかない。私は個人的には非喫煙者を対象にした肺がん検診は止めればいいのにと思っている。しかし、そう思わない人の意見も理解できる。
この「意見は合わないけど理解はできる感」もけっこう重要。言語化したい。福島県の子供を対象にした甲状腺がん検診は継続したほうがいいと、個人的には思っているが、中止したほうがいいと主張している論者の意見も理解できる。「どっちが正しいかは厳密にはわからない」からね。
まあでも、過剰診断の害をどうしても理解できない人たちは「甲状腺がん検診は継続したほうがいい」という意見では一致するけれども、理解できない。理解できないっていうか、彼らは明らかに間違っている。最近では明らかにトンデモ。
なるとん先生の疫学講座(仮)
時系列研究は、仮説の構築には役に立つが、仮説の証明には役に立たない。交絡要因ががっつりあるから。時系列研究を出すこともあるけど(たとえば吸入ステロイド導入後に喘息死が減った、喫煙率のピークの30年後に肺がん死亡率がピークになった)、その場合は、時系列研究以外に、必ずちゃんとした根拠がある。
なるとん先生の疫学講座(仮)
ランダムサンプリングと選択バイアス。インターネットで「インターネットの利用率」のアンケートをとったら100%になるってやつ。nを増やしてもまったく意味がない。むしろ小さいバイアスを有意差ありを判定してしまうことになる。適切なn=100の研究のほうが、不適切なn=10000の研究より信頼できる。
用語は選択バイアスでよかったっけ?
用語は選択バイアスでよかったっけ?
なるとん先生の疫学講座(仮)
大学生のときに家庭教師のアルバイトをした。中学生の数学とか教えるわけだけど、まあこれが家庭教師を雇おうかってぐらいの子だからできない。たとえば二次方程式を解けない。こちらは受験戦争を勝ち抜いて大学生になりたてだから、もはや瞬間的に解ける。だが、報酬をいただいて教えているわけだから、きちんと、なぜ解けないか、どこでつまづいているのかを分析する必要がある。
数学はとくにそうだけど、順序を持って、積み木を積み重ねるように、より高次の概念を理解していく。土台なしに高次の概念を理解することはできない。因数分解や、そもそも代数という概念を理解していないと、二次方程式を解くことはできない。高校数学まで学ぶとそうした「土台」は常識となっているので、意識的に分析しないと、できない子がなぜできないのを把握できない。
最近、過剰診断について議論をする機会があった。お馴染みの読者だったら「いつものやつ」みたいな相手。なんかもう、何から何まで間違っているという感じ。主に疫学の「土台」を理解できていない。中学生の数学なら問題集に答えが書いてあるけど、現実にはそんなに親切な答えはないので、自分が間違っていることすら気付けない(まあ、NEJMとLancetに載っている時点で気付けよ、とは思うが)。理解させようとしても、ほんとうに一から説明しなければならないし、どうせこちらが説明しても聞かない。どうもこうもならない。
ただ、改めて「土台」の大切さを学ぶことができた。あらためて分析してみると、過剰診断の議論を理解するのって、けっこう難しい。たとえば、韓国の甲状腺がんの罹患率と死亡率の乖離を示した、いまではかなり有名になった図(
)。この図はよくできていて、これだけで韓国の...
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数学はとくにそうだけど、順序を持って、積み木を積み重ねるように、より高次の概念を理解していく。土台なしに高次の概念を理解することはできない。因数分解や、そもそも代数という概念を理解していないと、二次方程式を解くことはできない。高校数学まで学ぶとそうした「土台」は常識となっているので、意識的に分析しないと、できない子がなぜできないのを把握できない。
最近、過剰診断について議論をする機会があった。お馴染みの読者だったら「いつものやつ」みたいな相手。なんかもう、何から何まで間違っているという感じ。主に疫学の「土台」を理解できていない。中学生の数学なら問題集に答えが書いてあるけど、現実にはそんなに親切な答えはないので、自分が間違っていることすら気付けない(まあ、NEJMとLancetに載っている時点で気付けよ、とは思うが)。理解させようとしても、ほんとうに一から説明しなければならないし、どうせこちらが説明しても聞かない。どうもこうもならない。
ただ、改めて「土台」の大切さを学ぶことができた。あらためて分析してみると、過剰診断の議論を理解するのって、けっこう難しい。たとえば、韓国の甲状腺がんの罹患率と死亡率の乖離を示した、いまではかなり有名になった図(