恩赦濫発の伝統は今も生きる
恩赦は、①建国時②国王即位、立后、立太子、太后尊号、王と王族の誕生、薨去など③国王行幸時④宮の造営と罹災⑤極寒猛暑に際し獄囚を憐れんだ時⑥天地異変、彗星出現時など⑦女真族を成敗した時⑧瑞象出現⑨疫病流行⑩個人特赦(父殺しの仇打ち)などで頻発された。
恩赦はあまりに頻繁で数えることができないほどだった。歴代の王が赦をもって徳治となして、これを行うことですべての災厄から逃れることができると信じたことによる。
その弊害を「濫赦の弊」という。粛宗10年(1684)に、奸人の僥倖(ぎょうこう)を開いてしまったと言い、恩赦を行いすぎたことを悔いて官をいさめた。英祖王代にも、自分の濫赦を悔い、今後の王は行うなと戒めた。これらは濫赦の弊害を伝える。
浅見倫太郎「朝鮮法制史」中に、「寛典(あまい法律)の弊に至っては苟免(こうめん)無恥(一時逃れの恥知らず)の思想を誘致し、半島人をして非行を為すを以て意に介せざるに至らしめたるものなり」とある。罪囚のすべてが恩赦の前例を知っているので、長期刑を下されても苦にせず、釈放機会を予期して待ったという。
現代の韓国でも、この「濫赦の弊」は、伝統として続いている。蓄財で逮捕された元大統領や、贈賄で収監された元会社社長、左翼運動で事件を起こし死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章のようにして左翼政党の議員として返り咲いたりするのはこのためである。
以上より、「濫囚」「濫刑」「濫赦」が彼らの「放政」の伝統であることは明らかだろう。したがって私は、今の韓国の地で、いかに日本人が不当な逮捕、審問、判決、投獄をされようとも驚かないのである。