リーラ

阿部敏郎の公式ブログです。

2015年10月03日

いま起きていることについて

いま実際に起きていることに対して、僕の考えを述べさせてもらいます。

何から書いたらいいのかわかりませんが、いまいろいろと言われていることに対して、きっちりと説明責任を果たすべきだとの思いになりました。


僕や僕の活動が批判対象になっていると知ったのは数ヶ月前です。

様々な感情が現れては消えて行きましたが、そういう取り方をする人もいるとわかり、書かれていることに向き合ってみようと思いました。

最初に書き始めたブログ主さんには、きちんと説明したいとの旨を伝えましたが、それは叶いませんでした。


この流れはいつしか僕だけでなく、僕に関わる人たちにまで及ぶようになりました。

仕事関係者に対しては様々な言葉が浴びせられていて、僕と関わったばかりに申し訳ないことになってしまいました。

家族までもが事実を歪曲して侮辱されていたのには心が痛みました。

ここに来てくれる人たちも、何をしでかすかわからないカルトの一員と位置づけられていて、やるせない気持ちにもなりました。


先月までに、いくつかのブログが閉鎖したようですが、そのことも、僕が裏から手を回したのではないかと言われています。

そのようなことは断じてないことを、あらためて申し上げておきます。

ご本人が一番良くわかっていることなので、そうではないことを一言でも表明してくれたら、おかしな憶測を呼ぶこともなかったことでしょう。

どのような形でもいいですから、よろしくお願いします。


しかしここから先は、僕自身が行動を起こしていくので、そのことに対して様々な動きがあるかもしれません。

必要であればすべてを公開しながら粛々とことを進めていきます。


ネット社会はバーチャルとは言え、人の心に直接訴える影響力は実社会となんら違いはありません。

実際にいま、僕を犯罪者のごとく思い始めた人もいます。

先日いくつかのブログを読んでみて、これではそう思われても仕方がないと思いました。

このことについては、きちんとした対応をしていきます。


これを機に、僕の活動が本当に反社会的行為なのかも検証していこうと思います。

文章はどのようにでも解釈することが可能なので、僕が何を言っても、こういう理由で許しがたいと思っている人に届くのは難しいのかもしれません。

しかし、何が事実で、何が印象によって作られたことなのかを明らかにするのは、僕の責務だと思います。


話し合いの場を持ちたいと伝えましたが、第三者機関を通さなければ応じないという方もいたので、司法の場に舞台を移すことに決めました。

その方はご自分のブログで、既に弁護士を用意しているとありましたので、司法の判断を仰ぐことになると思います。

とは言うものの、訴訟は最終手段なので、こちらから一方的に踏み切るのではなく、その方の最終判断の機会も設けさせてもらいました。


ネット社会はまだまだ未成熟で、個人の尊厳を傷つけるような誹謗中傷も後を立ちませんが、この機会にどこまでが許され、どこからが法に抵触することなのかを司法の場で明らかにしていくのは、今後のネット社会のあり方においても有意義なことだと思っています。


最初に書状を送らせていただいた方は、今日を境にブログを閉鎖しました。

ほんの少し違ったタイミングで話が出来ていたら、まったく違う関係が持てたことと思います。

僕のほうにも、そこまで思わせてしまった要因があるのでしょう。

いまいちど自らを振り返り、改めるべき点は改め、さらに信頼される活動を目指していこうと思っています。

謝罪文を載せてくれましたが、本当にそう思ってくれたと信じています。

僕が圧力でねじ伏せたかのような印象を持たれてしまうとしたら残念なので、この先も、何が起きてきたのかも含めて、包み隠すさず自身の考えを述べていこうと思います。


いま同様のブログの一つを読んでみたら、この一連の流れに対して「スピに関わるとこういうことになるんですね」と書かれていました。

これは問題のすり替えです。

スピ以前に、ご自分が書いてきたことが社会的に許されるのか、そしてどこままでが事実なのかということを問うているだけです。

さらに他のコメントには、「社会主義国のようだ。アンチスピブログは許されないのか」ともあります。

これも見当違いな意見で、批評批判は大いに結構ですが、相手が社会的に暮らすのが難しくなるような形で誹謗中傷を続けてきたことへの抗議です。

また、閉鎖したブログに対して、「彼女のブログを以前から読んでいましたが、何らおかしな事は書かれておらず、当たり前のことが書かれていたと感じていたので、正直びっくりしました」との意見がありますが、こちらこそびっくりしました。

もしそれが正当なもので事実であれば、違う選択もあったことでしょう。

当初は裁判が負担だから閉鎖すると書かれていたようですが、ご本人には思い当たることが多々あったのではないでしょうか。


そしてもうひとりのあなたに申し上げたいのは、もし後ろめたい気持ちがないのなら、なぜ今になってこれまでの記事を削除されたのでしょうか。

コメントをした人の安全を考えてのことだと言いますが、全くの詭弁です。

一から万事がこの調子で、最初から読んでみると巧みな印象操作が繰り返されてきています。

明日あなたにも同様の書状が届きますが、あなたに関してはブログの削除よりも、そのことに対する真摯な返答を求めます。

そしてあなたが希望したように、第三者機関を通しての話し合いを続けていきましょう。


このまま無視するべきとの考えもあるでしょう。

精神世界を論じるなら、このような対処はおかしいという考えもあるかもしれません。

たしかに起きていることのすべてはストーリーですが、そのストーリーに問題が生じたときは、そのことに対処するだけの脳も持ち合わせているので、現実社会への対応もしっかりしていきます。

存在の真実を明らかにしながら、同時に肉体を持った人間として必要な対応をとっていきたいと思っています。


我々は肉体を超えた存在であると同時に、肉体を持ってこの現象界に生きている存在でもあります。

その両方が同時に起きていて、どちらがなおざりになっても、人生のバランスを欠いてしまいます。

その辺を踏まえながら対応していきます。


このシリーズが、いま一番役に立つという人たちもいることでしょう。
  

Posted by Toshiro Abe at 14:39Comments(23)

2015年10月03日

10月3日の記事

まずは札幌サットサンへのお申し込みです。

詳細はコチラから


今日はいろんな動きがある一日になります。

少したったら、僕からも報告することがあります。


またあとでね。  

Posted by Toshiro Abe at 10:56Comments(10)

2015年10月01日

人生は出会いによって展開していく

最も過酷な修行と呼ばれる「12年籠山行」、さらにその行に入るためにパスしなければならない荒行「好相行」。

どちらも命懸けの行として現代に伝えられています。

それらの行を戦後初めて満行した男は、それでもまだ飽き足らず、そのままインドに渡り現地で更に過酷な行を続けます。

その男の名は堀澤祖門。

京都大学の学生だった彼の内側で、ある日突然「比叡山」という言葉が浮かび(それまではまったく考えたこともなかったそうです)、そのまま入山して出家得度し、先に挙げた修行の日々を送ることとなるのです。


そんな堀澤祖門さんと大和田菜穂さんと僕との鼎談が、今日中に無料動画サイト「End of Seeking」にアップされる予定です。


この動画サイトは、物理的にイベントに参加できない人のために、少しでもノンデュアリティの真実を届けるためのものでもあります。

最後まで無料で楽しんでもらえますから、どうぞ活用してください。

自分の意思でご覧になるという気持ちを持っていただくために、無料ではありますが会員制をとっています。

登録はコチラからお願いします。



それから、昨日紹介したイベント、「ノンデュアリティの夜明け」は、満席のため受付を終了しました。

今回は大きなホールだったので席数に余裕があると思っていたのですが、参加ご希望の方は10月8日10:00から、キャンセルが出た場合の再募集を行いますので、そちらをご利用ください。


それと、北海道の皆さんからの熱心なお招きで、大和田菜穂さんのサットサンを10月25日に札幌で開催することになりました。

明日詳細をお知らせする予定です。



今日の沖縄は抜けるような青空が広がっています。

まだまだ泳げるので、午後から妻と久しぶりに海に出かけてきます。

でも泳がない・・たぶん(笑)
  

Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(88)

2015年09月30日

始まりの唄

昨日、とある取材で聞いた話ですが・・・

この数ヶ月で、ノンデュアリティに向けて多くの人が関心を持ちだしたのだそうです。

この数ヶ月??

ちょうどここで紹介が始まった頃と一致するなぁ。

いわゆるシンクロ現象か。

もしかして、ここに集ってくれた人たちが牽引したのかもね。


でもこのメッセージはいまになって生まれたのではなく、最も古く、最も基本的なものです。

ところが「自己の不在」を感得する人はいつの時代も僅かだったから、メッセージ自体が教義になってしまって、「自己の不在」を自己が学ぶという状態が続いてきました。

それが十数年前から欧米で流行りだしたのだそうで、一神教文化の閉塞感が東洋思想に一気に流れた60年代の再燃みたいな現象が火付け役になったのかもしれません。


ブームは広く一般に広がるということでもあるけれど、同時にメッセージは劣化します。

だから欧米には無数のノンデュアリティスピーカーが、自分が学んだメッセージを話だしているとか。

その中から本物を探すのは困難になるし、メッセージ自体の信ぴょう性も薄れ出します。


日本においてはまだ始まったばかりだけれど、この先もっと注目が集まっていくことでしょう。

いかに純粋性を保っていられるか、その辺に目を凝らしていきたいですね。


まさに日本においては「ノンデュアリティの夜明け」という言葉がピッタリだと思います。


このイベントは、豊かな表現で語る溝口あゆかさんと、言葉ではなく場に違いを作り出す大和田菜穂さんという、真逆とも言えるキャラクターが作り出す時空間です。


まずは一時間ずつ、それぞれ単独の時間を担当してもらい、その後僕を含めた3人のトーク、そして最後に特別ゲストの三千院門主・堀澤祖門大僧正に感想を伺おうと思います。

堀澤師は本来の釈迦の真髄である非二元論を徹底させようと尽力されている方で、この流れを大変喜んでくれています。


最も古いメッセージが、伝統を超えてピュアな状態で目の前に現れています。

21世紀の今だからこそ起きている新しい現象です。


もう、宗教の時代は終わっています。

団体で徒党を組む時代も終わっています。


組織としての徒党ではなく、個人の集まりとしてのサンガとして、出入り自由で、なんの拘束もない、そんな自由な環境で真理に出会える時代がやってきたのです。


11月8日の「ノンデュアリティの夜明け」は、多くの人が参加できるよう期間限定で半額で招待します。

今日から一週間が、その期間です。


イギリス在住の溝口あゆかさんと、パリ在住の大和田菜穂さんという、ふたりの日本女性が、日本の夜明けの先陣を切ってくれるのも何だか象徴的ですね。


溝口さんのプロフィールと、イベントの詳細はコチラから。 満員御礼


・・・・・・・・・・


以下は溝口あゆかさんの公式サイトからの非二元メッセージです。

僕と同じ事を言っているけれど、打合せしたわけではありません(^^)


・・・・・・・・・・


それはストーリーがまったくなく、

あまりに透明だから何色にもなれ、

まったくの静けさだから、いかなる音も鳴らし出す

今という時間のない永遠のなかで

無限の時が流れる

それが真のあなた

あらゆるすべてで、どれでもなく、

言葉に表せなくても、否定しようがなくある

ここに

いまここに!



非二元の話は、時によってただ言葉遊びをしているように聞こえるかもしれません。

まるで、意味のないことをもっともらしく書いているかのように。

でも、真実の理解が難しいのは、私たちに深く刷り込まれた二元的な見方で捉えようとしてしまうから。

つまり、“私”を中心とした主体と客体の世界観で考えてしまうからなんです。

例えば、“本当の自分”、“真の私”、“真我”といった言葉。

こういった言葉を聞くと、“私が”本当の自分になる、“私が”真の私とつながる、“私の”深いところに真我があると、私たちは“私”中心に考えがちです。

しかし、本当の自分とは、その“私”の崩壊によって見えてくるのです。

もっと正確に言えば、“私”など存在していなかったと見抜けたとき、主体と客体というパラダイムも消え、無限の生命のエネルギーだけがあることを認識するのです。


そ してまた、“真のあなたは無限の生命のエネルギー、すべては愛である、分離は幻想”といった言葉を聞くと、あなたはどんな状態をイメージするでしょうか?

きっと今の状態とは違う何か至高の世界、恍惚とした状態、または穏やかな平和な状態などをイメージするかもしれません。

しかし、本当の自分にしっかり寄り添ったとき、何気ない日常の風景のどこに目を落としても、あなたはそこに親密さを見るはずです。

どこを見ても、太古の昔から知っていたようななじみのある感覚。

自分から一度も離れたことがない感覚、決して特別な状態ではなく、今ここに普通に流れている出来事。その隅々に行き渡る親密さ。

そして、それが真のあなたなんです。
  

Posted by Toshiro Abe at 09:27Comments(69)

2015年09月30日

9月30日の記事

それはストーリーがまったくなく、

あまりに透明だから何色にもなれ、

まったくの静けさだから、いかなる音も鳴らし出す

今という時間のない永遠のなかで

無限の時が流れる

それが真のあなた

あらゆるすべてで、どれでもなく、

言葉に表せなくても、否定しようがなくある

ここに

今ここに!



非二元の話は、時によってただ言葉遊びをしているように聞こえるかもしれません。まるで、意味のないことをもっともらしく書いているかのように。

でも、真実の理解が難しいのは、私たちに深く刷り込まれた二元的な見方で捉えようとしてしまうから。つまり、“私”を中心とした主体と客体の世界観で考えてしまうからなんです。

例えば、“本当の自分”、“真の私”、“真我”といった言葉。

こういった言葉を聞くと、“私が”本当の自分になる、“私が”真の私とつながる、“私の”深いところに真我があると、私たちは“私”中心に考えがちです。

しかし、本当の自分とは、その“私”の崩壊によって見えてくるのです。もっと正確に言えば、“私”など存在していなかったと見抜けたとき、主体と客体というパラダイムも消え、無限の生命のエネルギーだけがあることを認識するのです。

そ してまた、“真のあなたは無限の生命のエネルギー、すべては愛である、分離は幻想”といった言葉を聞くと、あなたはどんな状態をイメージするでしょうか? きっと今の状態とは違う何か至高の世界、恍惚とした状態、または穏やかな平和な状態などをイメージするかもしれません。

しかし、本当の自分にしっかり寄り添ったとき、何気ない日常の風景のどこに目を落としても、あなたはそこに親密さを見るはずです。どこを見ても、太古の昔から知っていたようななじみのある感覚。

自分から一度も離れたことがない感覚、決して特別な状態ではなく、今ここに普通に流れている出来事。その隅々に行き渡る親密さ。そして、それが真のあなたなんです。


11月8日
虎ノ門ニッショーホール
14:00~17:30

詳細はコチラから  

Posted by Toshiro Abe at 07:51Comments(17)

2015年09月29日

四智円明の月さえん

今日のタイトルのような、とてもクリアな感覚が続いています。

時間が止まり、すべてがあるがままに展開しています。


その中にあって、とある決意が生まれました。

ずっと手をつけてこなかったことに、正面から取り組んでみたいと思います。


粛々と、そして淡々と。



この先、ブログ内容が変わっていくやもしれません。

そのときは、ひとりの人間のドキュメントをお届けしていきます。


これがいままでのブログ記事の中で一番面白いかもしれません。


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明日より、大和田菜穂・溝口あゆか・阿部敏郎のコラボイベントの参加お申し込みを開始していきます。

「ノンデュアリティの夜明け」と銘打ち、長期にわたり仏教界から一元の真実を説いてこられた堀澤祖門大僧正にも、最後に一言頂きたいと思っています。

溝口さんとは久しぶりの再会となりますが、個人的にもたいへん楽しみにしています。


明日また詳しく紹介します。
  

Posted by Toshiro Abe at 15:29Comments(58)

2015年09月27日

起きているけれど、何も起きていない

ただ起きることだけが起きている。


誰のせいでも、もちろん自分のせいでもなく、ただ起きることが起きていく。

そして、これしか起きない。

起きていることしかない。(ここはすごく重用なポイント)


それはマインドの流れも同じだ。

いままでどおり、考えや衝動が起きてくる。

そして行為も起きていく。


それを起こしているのは「自分」じゃない。

自ずと起きているのだ。



でも人は「自分」がやっていると信じている。

コントロールしている「自分」がいると思っているから。


その自分を握りしめている分だけ、摩擦が生じ、ストレスを抱えることになる。

だからと言ってそれが悪いわけじゃなく、それが起きているって話。

その分だけ苦しむけれど、その苦しみはすべて、目覚めるための仕掛けでしかない。

だから全部上手くいっている。



もし何かメッセージがあるとしたら、いままでどおり、自分が一番いいと思ったことをやっていけばいいってこと。

というより、生き方に対する固定的なメッセージなど存在していない。


「べきだ」「ねばならない」と言いながら、あるいは、「べきだ」「ねばならない」に縛られないと言いながら、結局人はドラマを紡いでいく。

そしていつの日か、ドラマをドラマと見抜く日が来る。

完全にいまに帰ってきた状態において。

その時、初めて人は、この言葉の意味を知ることだろう。


「起きているけれど、何も起きていない」


それまでは無理だ。

たいていは言葉の最も表面的意味に捉われてしまうから。

そうなれば、このような言葉は全てナンセンスだ。



さてこれから、東京サットサンが始まる。

いままで信じて疑わなかった存在の根底に、初めて揺らぎを感じだすことだろう。


これが、最初のヒビとなって、やがては思いこみが崩れさり、真実の姿が現れるんだ。

  

Posted by Toshiro Abe at 09:39Comments(70)

2015年09月25日

綱渡り師の消滅

りももさんからのコメント

私は、10年前から自分も他者も愛せず、「起きるこは全て自分のせいだ」「私には価値がない」「何のために生きてるんだ」と、出口の見えない暗いトンネルを歩いてきました。

中略

ある日、突然苦しみから解放されました。

感謝の気持ちと内から溢れる愛を感じ、ふわっとした居心地の良さが一週間くらい続きました。

これは何だったのでしょうか?



僕たちの人生には、ときおりそのような開放的体験が起きることがあります。

それまで強く握りしめていた力が、何かの拍子に急に抜けて、最初から力む必要がなかったことを教えてくれます。

最初からお任せしていれば、ちゃんとことは起きていくのですが、僕たちの自我は自分でなんとかしようと奮闘するのです。

そしてことが混乱していきます。


本当はたどり着きたい地点に、すでに全員がたどり着いています。

それは一瞬も失われたことがありません。

いまもね。


僕たちは全員、綱渡り師みたいなもので、綱から落ちないように毎日必死でバランスを取っていますが、実はその綱、地面と同じ高さに張られているんです。


な~んだ、そうだったのか(≧◇≦)

って思う日が来ますよ。


これが、最初から救われているよっていう意味です。



まるこさんのコメント


菜穂さんのサットサンにも参加し、何となく理解できるようになりました。

以前から、本当は物体は、ほとんど空間であって、それでも物体と認識することからしても、この世の実体のあるがままを見ていないのかも、と感じていました。


誰か私に,量子物理学をわかりやすく教えて!

そこに、保江先生の登場です。

最近は保江先生の著書を次々読んで、へえ~とワクワクの連続です。

保江先生の自伝がおもしろすぎるのです。


質問です。

非二元の世界では、時間はありません。

過去は記憶としてあるだけで、本当に経験したわけではないようです。 (経験する個はないので)

それでも、阿部さんも保江先生も自分のヒストリーを語ります。

そのヒストリーって、本当は幻想なのでしょうか。

様々な歴史も幻想なのでしょうか。




ヒストリーは、あなたが言うように幻想です。

教わってきた歴史も、歴史上の人物も、実際にはすべて幻想です。

どんな人も時間の中にしか存在したことがありません。

時間の中で固定された人格が作られ、それが語られてきただけです。


そして、時間そのものが幻想です。

常にいま、たったひとつのリアリティが表現されています。

ところが僕たちは時間という幻想の中で、さらに幻想のストーリーを生きているのです。


保江さんのことは知りませんが、僕にはまだ自己という分離したエネルギーが残っていて、そこに同化してストーリーを語ることがあります。

それとは別に、完全に幻想を見抜きながら、ストーリーを語るときもあります。


大和田さんもストーリーを語ることがあります。

人に説明するときに必要な場面があるからです。

でも彼女の場合は、幻想と同化することは決してありません。

というより同化する個人がいないのです。


人は人に自分を投影するので、大和田さんという個別意識がいろいろ喋っていると考えます。

だから、彼女が本物か偽物かなどという議論になるのです。

それ以前に、彼女と呼べるような個人はいないのです。


僕たちはその方向に向かおうとしています。

これが最後の旅になると予感しながら。


保江さんも、同じことを志す仲間だと思いました。

そこに大和田さんの切れ味鋭い一太刀を受けながらのコラボ講演会になると思います(^^)


・・・・・・・・・・


とても興味深い顔合わせです。

僕もこんな人たちは初めてなので、どうにもワクワクしています。


保江さんからのお話ですが、保江さんは物質次元から神の次元まで、新しい理論ですべてを説明できると言っています。

量子理論を超える理論だと、とても興奮していました。

大和田さんのことも、それによって最も正確に説明できるのだそうです。

難しい話が苦手な僕にも分るように話してもらいます。


10月31日(土)

大和田菜穂・保江邦夫・阿部敏郎

コラホ講演会。


詳細はコチラです。

今日からお申し込みを開始します。

  

Posted by Toshiro Abe at 10:00Comments(84)

2015年09月24日

科学とワンネス

初めて会った瞬間に

「あっ、この人、前に会ったことがある」

って思ったことないですか?


それが異性なら恋の花咲くこともありますが、同性だと・・・あはは、何も起きないけど、仲間に出会ったという喜びがあります。


量子力学、脳科学者の保江博士が、まさにそんな人でした。

もしあの世があるのなら、あの世の同じ村の出身ではないかという感じです。

いずれにせよ彼と心が通じたということは、この先の対談も遠慮なく進行できるということで、内容に妥協する必要がない期待感があります。


科学はつまるところ、人間存在の意味、宇宙の成り立ち、森羅万象の仕組みや法則を解明しようとしているわけですが、観察者と観察されるものという二元性は常について回ります。

その科学がいかに非二元を説明するのか、ここは大変興味深い点だと思います。


そのためには科学者自身が、非二元について、何かしらの内なる体験をしていることが求められます。

しかし内なる体験は科学とは呼べません。

科学である以上、客観事実としての理解の共有と共感が必要だからです。


主観と客観。

この統合が、人間社会における真理解明への絶対条件だというのが僕の考えです。


そのような意味で、大和田菜穂さんと保江邦夫博士の出会いは、大変興味深いものだと思っています。


トークショーは時間が限られているので、話の方向をリードするナビゲーターが必要です。

その役は、不肖阿部が担当させてもらいます。


その日、僕が保江さんから聞いてみたいことは、


科学者の立場からの非二元の解説


最新の量子力学、脳科学が到達した真実


たくさんの稀有な存在と会われてきたであろう保江博士から見た大和田菜穂さん論


瞑想とマントラに対する科学的見地

などなどです。


菜穂さんからは、そのことに対する率直な意見と感想をもらえればと思います。


大和田菜穂・保江邦夫・阿部敏郎のコラボ講演会は、10月31日(土)、東京両国のKFCホールで開催されます。

時間は

開場 13:20
開演 14:00
終演 17:30

です。


お申し込みは明日10:00からとなります。

今回も先着順となりますので、なにとぞよろしくお願いします。


・・・・


直前になりましたが、9月27日(日)、東京サットサンのキャンセル分の再募集をします。

サットサンは講演ではなく、存在の奥深くを刺激する、大和田菜穂さんの真髄です。

お申し込みはコチラから。 満席のため受付を終了しました。
  

Posted by Toshiro Abe at 10:53Comments(21)

2015年09月22日

明日の大阪での、秋分点イベントについて

今日は全く違う話。

さっきコメントを読んだら、明日の大阪での秋分の日イベントに広島から来るという方の書き込みがありました。

なんでもっと紹介しないのかって書いてくれました。

そういえば、小さく二回書いただけかも。


最近、躍進めざましい、さとうみつろう君とのコラボイベントで、企画も制作も何もかも全部彼に任せてしまって、僕の方はほとんど何もしないまま今日になってしまった。


構成

第1部、僕とみつろう君のコラボトークショー。

第2部、みつろう君がバンドを従えて、音楽とトークでメッセージを伝えます。もちろんカノン瞑想も。

第3部、僕と妻の智子さんとのミュージックステージ。

第4部、智子さんのマントラ瞑想。


ちなみに智子さんは、全米でメジャーデビューした最初の日本人シンガーです。

デビュー曲はポ ールマッカートニーから贈られ、エンゲルベルトフンパーディングとラスベガスの一流ホテルでディナーショーをしていたんですよ。

このこと本人は滅多に言わないけど、僕は友達にバリバリ自慢してきました(笑)


4時間半にも渡るイベントですが、アッという間に終わってしまうことでしょう。

さっきリハをしていてそう思いました。




クライマックスはマントラ瞑想の時間。

なぜなら明日、太陽が秋分点を通過する17:21分に合わせて実践するから。

と言っても秋分のことを僕はよく知らなくて、全部みつろう君からの受け売り。

だから彼のブログを読んでほしい。

http://ameblo.jp/mitsulow/entry-12074157571.html


今日、リハや打ち合わせをしていて、今頃になって、こんな面白いイベントはみんなに伝えなきゃって思いました。

当日券もありますから、どうぞいらして下さい。

明日会場に来ればなんとかなります。

メルパルクホール大阪

入場料6300円
  

Posted by Toshiro Abe at 16:35Comments(35)

2015年09月21日

孤独について(質疑応答)

それではフィッシュさんからの質問。


私はよく小さい頃から寂しい、という感情に押しつぶされそうになります。

家庭環境、仕事などは恵まれておりますので、パートナーが居ないせいかな?と恋人を探したりもしました。

が、そう上手くいくわけでもなく未だに独身です。

本質的な側面を追及しようとして、菜穂さんいわく(見せ掛けの)分離が原因で孤独感・不足感を感じているのでは?とノンデュアリティの本など読み漁ってみてもいまいち実感が沸きませんでした。

最近では不幸なままでもいい、孤独を感じてもいいと開き直ったところ(サレンダー?)一瞬安堵のような感覚が沸きましたがすぐに消えてしまいました。

このままでは孤独を癒せないのでは?との思い込みから、現在という時のありのままにリラックスできません。

阿部さん、(パートナーなどの)人間関係に頼らず満たされ、つながっているという感覚は、どのようにして感じることが出来るのでしょうか。

やはり瞑想ですか?ご教授頂ければ幸いです。




この文章の中で最初に目を引かれたのが

>孤独を感じてもいいと開き直ったところ(サレンダー?)一瞬安堵のような感覚が沸きましたが、すぐに消えてしまいました。

という箇所です。

その瞬間、あなたが現状をコントロールしようとしていた力が抜けたのです。

人は安心したくて、現状をよりよく改善しようとしますが、そうはならないストレスが、逆に不安を煽っていきます。

自分がなんとかしようと頑張るから苦しいのです。

その苦しみの大きさは、『自分』という思いこみの強さと比例しています。


この先の状況だけでなく、自分の考えや行動までも、すべて起きることが起きていくということをしっかり認めてしまえば力が抜けます。

自分が現象に干渉し、コントロールできているというのは誤解です。

だって自分(行為者)なんていないのだから。


いまも自分の意思でこの文章を読み、自分が考え、自分が反応しているように思いますが、実際にはそのすべては起きています。

「そんなことはない。やっているのは自分だ」という思いが湧けば、そういう思考が起きているということです。

あなたが考えたんじゃない。

ことは起きているのです。


>つながっているという感覚は、どのようにして感じることが出来るのでしょうか。


すでに繋がっているのですが、「自分がいる」という錯覚が分離感をもたらしています。

あなたが避けようとする寂しさや孤独感は、この分離感が原因です。


>つながっているという感覚は、どのようにして感じることが出来るのでしょうか。


「どのようにして・・・」という思いは、自分がなんとかできるという錯覚の表れです。

自分にはどうすることもできないことを徹底的に認めた時に、求めていた一体感があります。


>やはり瞑想ですか?ご教授頂ければ幸いです。



瞑想も、「瞑想することで○○になるんだ」という思いを持たずに、すべての思いを横に置いて、ただ静かに坐る。

自分には何もできないことを認めて、心のゴタゴタを全部放り出してただ坐る。

内側で何が起きても干渉せず判断せず、ただ起こるに任せているという基本姿勢があれば、生活シーンとは別の、いままで見えなかったもう一つの現実が明らかになってきます。

それは静寂にして、何ものにも影響されず、いつもいまここに在るリアルな実存です。

ここでは何も起きていませんし分離もありません。

だから、我々は最初から救われているというのです。

見てくれ、センス、考えかた、立場など、我々の表面的な違いは著しいですが、その根っこは同じで一つのものです。


自己流でもいいから、毎日10分から15分、ただ目を閉じて何もしない時間を作るのは、心身のバランスを取るためにも効果的ですよ。


にっちもさっちもいかなくなって、どうしていいか分からなくなってしまったとき、大きく深呼吸して大空でも眺めてみてください。

あなたが何を考えようが、何を感じようが、ただこうして物事が進行しています。

大騒ぎしても、しなくても、ことはただ起きているのです。


あなたは単独に存在しているわけではありません。

あなたが全体だからです。


聞いた話ですが

alone

の語源は

all one

だそうです。


  

Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(136)

2015年09月19日

なんだUFOか

昨日いただいたいくつかの質問に答えます。

フィッシュさんの質問には、また改めて答えてみます。


鈍宮さん

>「これ」しか起きていない、ということについて分離意識が理解を進めることには、なにか有益なことがあるのでしょうか?



何もありません。分離意識は最初から存在していないからです。

ただ真実が明らかになるだけです。



とらねこさん

>人間のまま生きていて「私」が完全に消えたら、人間から見ると「死」と一緒なのでしょうか?


その通りです。

ただし、「私」という幻想が死ぬだけなので、実際には死は起きません。



七尾のハルジオン さん

>阿部さんは菜穂さんに会われてから自分が変わったと仰っていましたが具体的にはどのような変化がありましたか?


あはは、この質問が一番難しい。

ズバリ言えば、UFOだとか、宇宙人だとか、幽霊だとか、霊魂だとか、超能力だとか、いままではことごとく無視してきたけれど、なんでもあっていいし、なんでも起こり得るんだって思うようになった。

非二元のことではないけれど、自分としては面白い変化でした。

早い話が、頭ごなしに否定しなくなったってこと。


そうそう、そしたらね・・・先日娘が、家の前で三日続けて夕焼けを撮ったのね。

あんまり綺麗だから撮ったそうなんだけど、その3枚共に、絵に描いたみたいなUFOが写っている。

他人の写真なら、「ふ~ん」ってなもんだけど、僕にしては絶対に否定できない事実が目の前に現れた。

しかも3日連続、たまたま写ったなんて、先方の意図を感じてしまう。

この先もしかしたらUFO研究家になるかもしれない(笑)


あとは、目の前の薄いベールが落ちて、剥き出しの真実を感じだしていること。

だからといって何か変わったわけじゃないんだけど、静けさが深まったような気がする。



いぬさん

>阿部さんの東京のお宅で、阿部さんと智子さんと、そして集まったみんなとただ粛々と瞑想をしていた時間が懐かしいです。


人生に瞑想習慣があるかないかは大きな違いです。

現在進行形で続けている人は、誰もが実感していることでしょう。

しかもマントラ瞑想はスムーズに瞑想状態に誘ってくれる不思議な力を有しています。

新しい内容と、新しいシステムは、きっと多くの人に貢献できると思います。

そしたらまた我が家に来てください(^^)



話は変わりますが、去年の秋分の日に、さとうみつろう君とやったコラボイベントがあって、6時間に及ぶイベントだったんだけど、それを1時間にまとめたものを、期間限定で無料公開しているそうです。

それを聞いて、今朝初めてそのビデオを見ました。

会場にいるみたいな感じで、すごく面白かった(^o^)

出ている当人なのに、内容をほとんど忘れていて、うん、なるほど、なるほど、なんて、自分で感心したり(笑)、そういえばこんなこともあったなって懐かしかった。

会場の雰囲気が味わえて臨場感がある。

今日の、さとうみつろう君のブログで見られます。

http://ameblo.jp/mitsulow/entry-12074157571.html



そしていまから、雲 黒斎君をゲストにしたノンデュアリティ・トークショー

「世界が消えたときにある世界」

黒斎君が付けたタイトルだけど、これだけで今日の世界が見える気がする。

大和田さんと黒斎君の初顔合わせも楽しみです。

もうすぐマイクテストだ。

  

Posted by Toshiro Abe at 12:35Comments(133)

2015年09月18日

「完璧」について (質疑応答)

Mayさんからの質問


>菜穂さんはよく「起きていることは全て完璧」と言いますね。

>もし阿部さんが、今晩子供達に食べさせるお米がなかった時、阿部さんの目に現実はどのように映っているのですか?



これは古から繰り返されてきた質問です。

そしてこれからも問われ続けることでしょう。


「起きていることは完璧」

この言葉の意味は、分離意識の我々から見て、「起きることはいつでも最高」ということではありません。

それどころか、我々はどんなに素晴らしいことが起きても、さらなる素晴らしさを求め出します。

それを探求といいます。


完璧という言葉が指し示しているのは、いままさに起きている「これ」は、これ以外に在り様はなく、修正することもできず、修正できる人もおらず、ひとつの全体として、超バランスの中で起きている「これ」のことです。

「これ」は時間の中にはなく、まさにいまとして永遠の中にあるのです。


部分である分離意識からは、その見方によって「これ」に対して様々な判断が生まれます。

さらに、分離意識は時間の中に在るので、その現象に前後のストーリーを見ます。


「あのとき、ああしていれば、こんな事態にはならなかった」

「米がなければ飢えて死んでしまう」

「この先は絶望的だ」

こうして、いま米がないという現実が、何倍もの苦しみとなって襲ってきます。


マインドはどんな想像もできるので、このような質問はさらに、

「戦争も完璧か」

「人殺しも完璧か」

という風に続きます。


これらは人間社会において最悪な出来事ですが、それが起きていた時はそれが起きていて、それ以外には在りようがないのです。

「あのときこうしていれば」

「もしあの人がこうだったら」

という想いはまったくの無力であり、起きることしか起きないのです。



もちろん人間は、そうならないように何千年もの間、平和に対する思いを捨てずに生きてきました。

しかしいまだにそれは実現していません。

なぜなら、分離意識は自と他を分けるので、そこには対立構造が生まれるからです。


分離意識(自我)は、どんなに立派なことを言おうが、どんなに立派な功績を残そうが、つまるところ自分の為に生きています。

人は正直に自分を見れば、誰もが心の奥で「自分が一番大切」という思いを持っているのです。

相手に違和感を持てば、自分は正しく相手は間違っているというふうに考えがちなので、タイミングによっては、それが争いの種になります。

なぜなら、どのように見えようとも、相手には相手の言い分があるからです。

そして対立したときは、いつだって、正しさと正しさの戦いになるのです。

これは口喧嘩から戦争に至るまで、すべて同じ構造です。


したがって、人間から分離意識が消え、我々が同じ一つのものであることを知らない限り、この先も様々なもっともらしい争いが繰り返されることでしょう。


では多くの人がこの先、存在の究極的真実に目を向けだすのでしょうか。

それはわかりません。


たとえいまのまま、分離意識のままで何も変わらないとしても、それで完璧なのです。

もう一度言いますが、それは最高ではなく、修正の余地がない、何者も修正できない、という意味において、起きている「これ」しかなく、「これ」が完璧なのです。


「いやそんなことはない。人の心がけ次第でできるはずだ」

そのような想いは、「これ」そのものではなく、時間の中に生じるストーリーの中にしかありません。


話を理解していますか?

とても簡単なことですが、すっかりストーリー(時間の世界・夢の世界)に魅惑されてしまった個人には、解りにくいことだと思います。



完璧なる全体の表現が、どこに向かっているのか誰も知りません。

先のことは誰にもわからないのです。

でもまさにいま、ことの全体性と完璧さを見抜くことは可能です。

たとえ一瞬でも、あなたという分離意識が消えたとき、いま述べたことが訪れます。


そのとき、世界中の分離意識が消えます。

自らの個人が消えると、そこから見て、すべての個人という幻想が消えてなくなるのです。

ですから菜穂さんのような人の目から見ると、すでに誰もいません。

肉体はあるけれど、その中に誰もいないことを知っているのです。


しかし各々の肉体の中には、脳の作用により、

「この肉体は私だ」

「この肉体の中に私が宿っている」

という偽のイメージが起きていて、それを自分だと信じています。

脳科学者の保江さんからは、講演会でそのあたりのことを引き出してみようと思います。



>菜穂さんはよく「起きていることは全て完璧」と言いますね。

>もし阿部さんが、今晩子供達に食べさせるお米がなかった時、阿部さんの目に現実はどのように映っているのですか?



そうなってみなければわかりませんが、たぶんその時できる精一杯を生きると思います。

それは誰でも同じではないでしょうか。

ブッダたちもそうする可能性があります。

ブッダも我々も、いま目の前のことを生きることに変わりはありません。


でも何が起きているかという認識が違います。

ブッダは判断を伴った認識(ストーリー)を持ちません。

ただ「いま」に在ります。


「いま」を生きなければと自分に言い聞かせるのとも違います。


「いまを一生懸命生きよう」

一見まともな宣言ですが、分離した個人にはいまを生きることはできません。

分離した個人からは、時間しか見えません。

なぜなら分離意識が時間だからです


いまに在るか、ストーリーの中に在るか。

両者にはその違いがあるので、同じ現実を前にした時の体験が変わってくるのです。



「完璧」とは、個人から見ての「最高」とは違うという話でした。


・・・・・・・・・・・


10月11日・12日の「大和田菜穂・大阪サットサン」


詳細はコチラから
  

Posted by Toshiro Abe at 09:25Comments(85)

2015年09月17日

9月17日の記事

昨日配信した動画、もう見ましたか。

一本目とは違うテイストだったのではないでしょうか。


この動画シリーズには、台本もなく、演出もなく、ただそこで起きたドキュメントをお届けしています。

非二元の状態とはなんなのか、個人には想像の域を出ない現象を、ただ記録しています。

どのような見方も出来ますが、それは個々に委ねて、このまま回を重ねてみたいと思います。


収録日は9月6日

御殿場リトリートが終わったその足で都内の撮影現場に向かったので、この日の夜の菜穂さんはかなり疲れていたはずです。

保江教授、マネージャー、お付の人2名、その他にギャラリーやスタッフを入れると、総勢9名が一緒でした。


そしてすぐに対談が始まり、話が佳境に入ったとき、突然現れたのが吉野さんでした。

あの動画は前半部分をカットしているのですが、実は吉野さんは一度登場していて、なにかの実験で僕の体を軽々と持ち上げました。

不思議な人だなというのが印象でした。


それが最後にあのような展開になったのですが、そういう役を担ってくれたのでしょう。

おかげで、いつも漠然としていた視点の違いが明らかになりました。


言うまでもなく、吉野さんの現れは、誰もの中に眠る一面ではないでしょうか。

いろんな意味で、インパクトのある場面でした。



それと五年目さんからのリクエスト


>まず阿部さんが、ノンデュアリティと禅について、大和田さんについて、「探求の終わり」という新企画について、それとか前回の動画の中の向さんと大和田さんの考えの違いについ、て阿部さんは、今現在どうおもってるのかとか、それが一番知りたいです。 対談じゃなくて一人で。

もうとっくにわかっていると思っていたけれど、新しいシリーズで始める以上は、その辺を明確にすることも必要だね。

番外編で収録してみようか。


あと、なんでも質問があったら寄せてください。
  

Posted by Toshiro Abe at 09:57Comments(94)

2015年09月16日

秋の香り

さとうみつろう君からは、いろいろ教えてもらっています。


去年も

「阿部さん、秋分の日はとっても大切だから一緒になにかしましょう」

って、そのときもいろいろ秋分について教えてくれたんだけど、僕の耳には入ってこない。

歳を取ると理解力が極端に落ちるように思う。

でもみつろう君と何かするのは面白いから、東京光が丘ホールでイベントしました。


早いな・・・あれからもう1年か。


今年も

「阿部さん、秋分の日はとっても大切だから一緒に何かしましょう」

って誘ってくれて、こんどは大阪で開催することになりました。


そして太陽からの光線が地球の地軸と垂直になる時間を見計らって、瞑想タイムになります。

瞑想の導入は智子さんのマントラソングが担います。

比叡山リトリートの時と同じです。


きっと思い出に残る時間になると思うので、いらしてください。

詳細は

笑えるスピリチュアル



さきほど、「End of Seeking」の動画第二弾を公開しました。

お互い初対面だったので、オープニングの向禅師との動画の雰囲気とは異なりますが、また違った意味で興味深い作品になったかと思います。

科学者の保江さんは、すごく普通の人で楽でした。

普通の人というのは常識的な人という意味ではなく、自分に何かを付け足すでも取り去るでもなく、ただ自分として普通に存在しているという意味です。

烏合の衆の一員ではなく、完全に一人です。

すると、一般的には「変な人」になります。(笑)

そのような意味から言えば、御多分に漏れず、保江さんも十分に変人です。

だから気が合います。


でも気が合うからといって、なんでも話を合わせるのではなく、心を開いてそれぞれの考えを言うことは大切なことだと思います。


一連の動画を見て何を感じるかは、人それぞれだと思いますが、こうして回を重ねるごとに、あなたの中の何かが変わり始めるかもしれません。


・・・・・・・・・


10月11日12日

大和田菜穂 大阪サットサンを開催します。

どちらか一日でも両日でも参加することができます。

10:00~17:00

クロスウェーブ梅田


9月18日10時からお申し込みを開始します。
  

Posted by Toshiro Abe at 12:17Comments(59)

2015年09月15日

質疑応答

一昨日沖縄に帰ってきて、青い空と白い雲を見て、ああそういえばここに暮らしているんだって思いました。

智子さんや、子供たちや、12匹の気ままな猫たちと一匹の老犬。

今回のツアーは智子さんの代わりに娘のみねりが同行して現場をやってくれたので、彼女とは久しぶりの対面で、なんか新鮮でした。


今日の青空も綺麗だな。


たったいまの写真


実は今夜、禅アカデミーの中で初めてユーストリームの講演会するんだけど、そこに質問が欲しいと言ったら、たくさん送ってくれました。

それが面白い質問ばかりで、たとえばT君は


阿部さんの「ニートって最高!!」の言葉に会いました。

まったくニート的生活のおやじには「?」の一言でした。

言葉自体を持ち運ぶつもりはありませんが、

阿部さんのこの言葉の真意が自分の今の状態に非常に関係あるように思えます。

もう少しこの言葉の意味についてお話しいただけたらと思います。



この世では、生産的な生活が善で、なにも生産しない存在は悪だみたいな風潮がまだ残っていて、その社会通念がニートをニートとして楽しませてくれません。

ニートは人間としてあるべき姿ではないというわけです。

見る側からするとニートはだらしなく見えますし、無責任であり、将来のことを考えない姿が不安になります。

それが大方の見方ですから、ニートがニートを楽しむのも難易度が高いでしょうね。


今回、こうやって質問を募集して思ったのだけれど、このブログでももっと質疑応答をしてみましょう。

あんまり長くなりすぎずに書いてみてください。



「End of Seeking」の動画第二弾「脳科学とノンデュアリティ」は、明日の午前中に公開されます。

会員の方にはメールが届きますのでお楽しみに。

まだの方はこちらから無料登録してください。

最後まで、すべて無料でご覧いただけます。
  

Posted by Toshiro Abe at 12:34Comments(40)

2015年09月12日

現場から

あと2日間で合宿リトリートが終了。

石垣島、御殿場、雄琴温泉、計三回、延べ170名による旅でした。


雰囲気は毎回違いますが、起きてくるプロセスは同じものを感じます。

大抵は2日目にして、見えない真実を理解し始めます。


いや、理解というのも正確じゃないな・・・予感のようなもの・・・か・・・

「自分」という感覚は幻の主体であり、最初から存在していなかったということへの気配を感じだすのです。

これがリトリートの力です。


サットサンも同じで、サットサンの場合はたった一日なのですが、多くの時間を使って気配を促していきます。

わずかの時間で、ずっと人生の大前提だった「私」という感覚の幻想を見抜くのだから、そこに作用しているパワーは相当なものです。


人はそのようなパワーの源が大和田菜穂さんだと考えます。

しかし、そのような個人はいません。

菜穂さんだけでなく、場にパワーを与えられるような個人は存在しないのです。

そこに起きた変化を「私が作った」とするマスターもいますが、その人は「私は存在する」という段階に生きています。

いわゆる二元の世界です。


菜穂さんは言います。

「ここに現れる変化は、分かち合っている内容が作りだしている」

と。


繰り返しますが、大和田菜穂と呼べるような独立した実体は存在していないのです。

彼女だけではなく、我々は全員「私はいる」と感じてしまっただけで、実際には誰もいません。

ただひとつの全体エネルギーが、あらゆる形を取りながら、刻一刻と表現を繰り返しているだけです。



先日の保江博士との対談で面白かったのは、ノンデュアリティが述べるいくつかの現象が、最新の科学データによって説明されていることです。

その最も重要な部分は、近い将来に動画で公開します。

興味がある人は、会員登録(無料)をしてお待ちください。


大和田菜穂「End of Seeking




それともう一つ面白かったのは、保江さんがボブ・フィックス氏を敬愛していること。

二人で会ったことがないのに、その学術的理論が似ていて、相思相愛のようです。

僕を含めた3者対談も、そう遠くない将来実現することでしょう。

そのとき、マントラが単なる呪文ではなく、量子場において作用する何らかの力であることを科学的見地から説明してもらおうと思います。

科学と真理の融合が、二人の天才によって明らかになることでしょう。


ご縁に感謝します。

そしてこのような配役として参加させてもらって嬉しく思います。



ノンデュアリティは思想ではなく存在の基本事実です。

人間の自意識が覆い隠してしまっただけで、すべては一つであり、分離はどこにも存在していません。

科学がこの事実を発見して久しいですが、これらの研究成果を受けて、真剣に取り組む精神科学はまだ確立していません。


もし確立したとしても、それをやっている者は誰なのか・・・

そうです。あらゆる行為は自己の存在感覚を強化するので、個人が個人の不在を証明することは不可能なのです。

そのような理由から、明白な事実でありながら決して表面に現れることがないのが、「私はいない」という世界です。


この2か月間で僕の中のいくつかの薄膜が剥がれ落ち、視界がさらにクリアになりました。

非二元メッセージを知れば、最初の戸惑いはあったとしても、やがては心労が減っていき、気楽な状態を取り戻していきます。

しかしそれは最終目的ではありません。

何を手にしても埋まらなかった心の穴を完全に解決する唯一の道が、非二元のアプローチなのです。

地球規模で抱えてしまった諸問題も、非二元によってしか解決されることはないでしょう。



仏教界から、宗教全体への問題提起として、粛々と一元論を展開してきたのが堀澤祖門大僧正です。

彼との出会いも必然だったと感じています。

今回の琵琶湖リトリートには、奥さんと共に参加してくれました。



このブログで長きにわたって書き続けてきた一つの真実が、こうして具体的な形として展開を見せ始めたのは喜ばしいことです。

やっているのは自分ではなく、摩訶不思議な流れに運ばれながら、今日も景色を楽しんでいます。


また報告します。


あなたに大いなる気づきが訪れますように。



・・・・・・・・・・・



菜穂さんの対談講演会は、すべて一期一会。

もう一度見たいと思っても、そのような機会はありません。


黒斎君とのコラボも花火のように消えていってしまうでしょうが、その瞬間の輝きを心の奥に刻み込んでおきたいと思います。

どんな言葉が飛び出す事やら。



9月19日東京。


「世界が消えたときにある世界」

大和田菜穂 ・ 雲 黒斎 ・ 阿部敏郎


詳細はコチラから 満員御礼・締切ました  

Posted by Toshiro Abe at 09:58Comments(87)

2015年09月11日

途中経過 2

「End of Seeking」に、たくさんの反響をいただきました。


特にこのオープニング動画は、いろんな意味で興味深かったのではと思います。

ここで語られる内容と、真実のありかと共に、向禅師の人柄にも注目が集まりました。

もし自分の上司が、このような態度で話を聞いてくれたらどんなにいいだろうと思った人もいたようです。

メンツよりも真実に対する誠実さを優先する態度が、多くの人の共感を得たのではないでしょうか。


この先も、いろいろな分野の人達と対談していく予定です。

お相手は何かしらの権威を持っている方が中心になりますが、この企画は権威に認めてもらうのが目的ではありません。

むしろ、誰が相手でも、淡々と真実を明らかにすることで、その場に何が起きていくのかをドキュメントでお届けしていきます。


みんなが向禅師のような柔軟性を見せるわけではないですが、それぞれに独自の反応があり、それはそれで見応えがあると思います。

動画には、登場人物の表情や態度など、文面だけでは伝わらない立体的な説得力がありますね。

様々な人間模様をクローズアップすることで、ここまで明白な真実が、なぜ表面に現れて来なかったのかが見て取れたらと思います。


・・・・・・


さて、お待たせしました。

明日、午前10時から、

9月19日東京の、大和田菜穂、雲黒斎、阿部敏郎によるトークショー

「世界が消えた時にある世界」

の追加募集を行います。
  

Posted by Toshiro Abe at 09:00Comments(31)

2015年09月07日

途中経過

「大和田菜穂の変」は生き物です。

現在進行形で展開しているものであって、対象物としてあるわけではありません。

ですからいつも僕たちはその渦中にいます。


向老師とのオープニング動画の次は、三千院門跡堀澤祖門大僧正と大本山相国寺師家小林玄徳老師との対談を用意しています。

上下巻の二本組みで、やり取りされる真実談義以上に、そこに展開されている一人ひとりの人間の表れ方が興味深いです。

その辺りは見た人の感想に委ねるとして、いずれにせよ面白い動画なのでお楽しみに。


さて、そんな仏教界の重鎮たちとの対話が終わってからが、ある意味本当の「大和田の変」が始まると思ってきました。

大きな流れが、どんどん必要な人を連れてきてくれるという予感があったからです。


その一人目はすぐにやってきました。

二週間ほど前の話ですが、大和田菜穂さんのサットサンに何度も来てくれているIさんから連絡が入り、総理夫人が菜穂さんに興味を持って会いたいと言っているというのです。

なぜ総理夫人と知り合いなのか聞いてみたら、著名な量子物理学者の紹介で会ったとのことです。

その量子物理学者が総理夫人と大変仲がよろしいのだそうで、それを聞いて僕は、まずはその量子物理学者と会いたいと思いました。

するとIさんがすぐに取りついでくれて、その日のうちに秘書さんから連絡が入り、話は即決しました。


何が決まったかを話す前に、その科学者さんを紹介します。

その方は量子脳理論の世界的権威で、人間の意識を量子物理学の世界から研究している、保江邦夫博士です。

保江さんは京都大学大学院で湯川秀樹博士の指導を仰ぎ、スイスジュネーブ大学で理論物理学を教えていましたが、いまはローマ法王庁からの依頼でノートルダム清心女子大学大学院の教授をされています。

量子物理学だけではなく、数理物理学と脳科学の専門家でもあります。


そんな保江さんから大和田菜穂さんがどう見えるのか、そこに大きな興味を持ちました。

なぜなら保江さんは科学の世界から大和田菜穂さんと同じ結論に至っているからです。

であれば当然、生きて存在する菜穂さんには最大限の関心を持つはずですし、すごく会いたいはずです。


で結果は、やはりその通りでした。

普段ならそんな話が来てもお断りになるそうですが、保江さんは僕のことを前からご存知だったそうで、菜穂さんについても知っていたのとのことで、しかも今回はご本人の様々なタイミングが、全部ここに向かっていたということです。

ことが起きるというのは、そういうことです。


10月31日に東京で、保江邦夫博士と大和田菜穂さんと阿部敏郎で対談講演会をすることになりました。

だれもが一番知りたかったことを、かなりの精度で、しかも解りやすくお伝えできると思います。


それに先立って、つい昨夜のことですが、そのコラボ講演会の紹介もかねて、保江さんと菜穂さんに東京の僕の部屋に来てもらい、対談動画を収録しました。

出会ってすぐ、挨拶もそこそこに撮影に入りました。

でも、たぶん何分もしないうちに意気投合したと思います。

楽しくて時間を忘れてしまいました。


どうせならその動画を、「大和田菜穂の変」の2番目に持って来ようかと思います。

そしてすでに収録済みの仏教界重鎮たちとの対話は、その後に持ってきます。


うん、それでいきます。


最初に言ったように、この流れは生き物なので、どうなっていくのか、どこまで展開していくのか、いまの僕にも分りませんが、自らの直感に従い淡々と進めていきたいと思います。



この動画シリーズは、最後まで無料で公開していきます。

まずは会員登録をして、オープニング動画をご覧になってください。


登録はコチラから。
  

Posted by Toshiro Abe at 10:26Comments(182)

2015年09月05日

オープニング 2




いま御殿場に来ています。

70名の参加者と不思議空間を体験中。

言葉では言い表せないけれど、みなさんいままで触れたことがない何かに触れ始めています。

石垣島に来てくれたみなさんも、いまごろは余韻に浸っていることでしょう。


今日から後半に突入。

毎回味わいが違うのが面白いです。

今夜はBBQとキャンプファイヤー。

一応、内緒でギターも持参しました(^^)



僕たちが物心ついてからずっと信じ続けてきた自分という存在の基盤を、もういちど改め直すのは勇気がいります。

なぜなら自分が存在するという確信が、生活の、そして人生の大前提だったからです。

この大前提が幻想なので、人生がこんなに苦しく感じてきたのです。

苦しみの大きさとは、幻想の強さのことです。


幻想・・・それが「私」という感覚。

「私が全体から分離して存在する」という感覚です。



どうやら僕たちは問題の核心を見つけたようです。

ところがその問題は自分には解決することができません。

解決しようとすればするほど、それをしている自分が大きくなってしまうからです。


あえてもし道があるとするならば、解決しようとする衝動をどこまで消すことができるか、自力でことを達成しようとする絶え間ない衝動を止めることができるかという、消極的アプローチしかありません。

それを実感として掴むのが、サットサンであり、リトリートです。

ですからこれらに参加することで個人にいいことは何もありません。

目指していることは個人(分離意識)の消滅であり、個人にとっては最も避けたいことです。


でも消滅したからといって、何かがなくなるわけではありません。

そもそも個人(分離意識)は幻想だからです。


これがいまの僕に伝えられる精一杯です。

本当はサットサンのような現場で、ノンデュアリティ(非二元)の臨在に触れるのが一番早道ですが、物理的に難しいという人は、これから提供する動画シリーズが何かを感じさせてくれることでしょう。



今日の10:00から、第一話「大和田菜穂の変」オープニングを公開します。


「End of Seeking」


会員登録を終了しているみなさんには、10:30ころにメールが届きます。

そこに記載されたアドレスにアクセスしてください。

  

Posted by Toshiro Abe at 08:25Comments(123)
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