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【芸能・社会】出棺時の拍手5分以上鳴りやまず 川島なお美さん告別式2015年10月3日 紙面から
9月24日に胆管がんのため54歳で亡くなった女優川島なお美さんの葬儀・告別式が2日、東京・青山葬儀所で行われ、関係者やファンら約1500人が参列。女優の倍賞千恵子(74)や作家の林真理子さん(61)らが弔辞を読み、出棺時は参列者の拍手に包まれて最後の舞台に幕を下ろした。 川島さんにとって“あこがれの女優”だった倍賞は、亡くなった当日を振り返り、「美しい顔を見て、ほほに触って、手を握って。あの夜から今も私のすぐそばにいるような気がしているよ」と遺影に呼びかけた。倍賞の自宅に来た際の思い出にも触れ「トシ(鎧塚さん)が酔ってしまって、その時のあなたはすばらしかった。女優川島なお美の本当の一面を見た気がした。古風な日本女性がなお美ちゃんの中に住んでいたんだねぇ」と懐かしんだ。 最後に電話した際は、苦しそうなせきをしながら「女優だから」と言い張る川島さんに「頑張らないように頑張って」と声をかけたという倍賞。「最後まで自分の意思を貫き、最善の道を自分で選んで生き抜いた川島なお美に、尊敬と感謝と限りない愛を込めて」と賛辞を贈った。 失楽園ブームのころに知り合い、ボランティア活動などを通じて親交を深めてきた林さんは「あなたの最愛の人、鎧塚さんを決して孤独にはしません。私たち仲間がきっと友情で支えますから安心してください」と誓った。 海外での仕事のため弔電を寄せた事務所の先輩・片岡鶴太郎(60)は、川島さん夫婦と3人でカラオケに行った際「なお美ちゃんはオリジナルを歌ってくれる。私はマッチで返す。鎧塚さんはコスプレで笑わせる」と思い出を紹介。 亡くなる直前には川島さんのもとを訪れたという。「髪も若々しかった。握った手の柔らかさ。ネイルもかわいかった。そのかわいさが、いじらしかった。また来るからねと病院を後にした。それから20分(後)、鎧塚さんからの電話。腰が崩れ落ちた」と衝撃をつづった。 喪主で夫のパティシエ鎧塚俊彦さん(49)は、あいさつの中で「女房は自分にできた腫瘍でさえも、『戒め君』と呼んで前向きに考えておりました」と明かし、川島さんが手術直前の昨年1月27日に書いたというメモを読み上げた。 「女優としてもっと可能性を広げ、川島なお美をもっと進化、熟成させる。そのための糧になる試練を与えてくださった神様、戒め君、ありがとう」 最後となったミュージカル「パルレ〜洗濯〜」についても「お医者さまから『舞台が寿命を縮めたのではない。舞台があったからあそこまで生きられた』と、うれしい言葉をいただいた」と語った。「最後は肝臓がまったく機能せず、腹水が5リットルもたまった中で、お医者さまも奇跡とおっしゃってた」という。 川島さんが大好きだった同ミュージカルの歌詞「洗濯物が乾くように涙だって乾くさ」という歌詞にも触れながら、鎧塚さんは終始気丈に振る舞った。 出棺時には位牌(いはい)を持つ鎧塚さんに、遺影を持った妹の川島さとみさんが続いた。鎧塚さんが「今、最後の幕の緞帳(どんちょう)が下りようとしている。女房は拍手をいただけることを何より喜び、生きがいとしていた。大きな拍手で送ってやってください。アンコールはございません」とリクエスト。 会場は5分以上も鳴りやまぬ“カーテンコール”に包まれ、鎧塚さんは何度も位牌を高く掲げて感謝と涙。午後1時10分、晴天と拍手と歓声、さらに川島さんの歌う楽曲「偶然の後で」(秋元康さん作詞)が響き渡る中、川島さんを乗せた霊きゅう車が会場を後にした。 ◆「実はお酒弱かった」秋野暢子明かす川島さんと女優仲間だった秋野暢子(58)は「鎧塚さんを初めて紹介されたとき一緒に舞台に立っていたんですけど、楽屋に来て『この人と結婚するの〜』ってすごくうれしそうでした」と振り返った。「一生懸命舞台を務めていたし、これからもいっぱい可能性があったのに、とても残酷だなと思います」と目を潤ませた。一緒にワインを飲んだ経験を問われると「あの人、実は弱いんですよね。お酒飲み始めるとすぐ寝ちゃう。(酒席で)芝居の話とか、鎧塚さんの話とかいろいろしましたね」と懐かしんだ。 ◆遺影を撮影「光栄」さかもと未明さん参列した漫画家、さかもと未明さん(49)は、川島さんの遺影を撮影したことを明かし、「友人として女優さんの最後の花道を撮らせてもらって光栄」と話した。 絵の個展用にモデルを川島さんに依頼し、今年6月5日に撮影したショット。仕上がりが良く、結果的に遺影となった。川島さんが亡くなる3日前、さかもとさんは「世界に川島なお美の美を見せつけよう」と再び撮影を依頼していた。川島さんは「今疲れているから年明けまで待ってね」と答えたという。 6年前から膠原(こうげん)病を患っているというさかもとさん。「一番優しくしてくれたのがなお美さん。励ましてくれた」と感謝し、「強くて優しいなお美さんを忘れず、生きていきたい」と誓った。 ◆別所「後輩役者を応援してくれた」川島さんが所属していたボランティア集団「エンジン01文化戦略会議」のメンバー、別所哲也(50)は、川島さんの遺作舞台「パルレ〜洗濯〜」に触れ、「降板するとき、川島さんは自分のこと以上に仲間を思いやっていた。僕は舞台で共演がかなわなかったんですが、共演したかった」と惜しんだ。最後に会ったのも、無名の後輩役者が出演している舞台の楽屋。「彼女は有名、無名関係なく、演じるエネルギーを持った後輩たちを応援してくれる。きょうも、こうしてカメラの前に立つことのない舞台役者たちが来ています。彼らがきっといちばん…」 川島さんを慕っていた後輩たちの悲しみをおもんぱかりながら、別所も涙ぐみ、「川島さんの大舞台を、千秋楽を送り出す。そういう思いだと思います」と言葉をつないだ。 ◆主な参列者 倍賞千恵子、林真理子、草なぎ剛、徳光和夫、別所哲也、ウド鈴木、さかもと未明、中島美嘉、国生さゆり、釈由美子、松本明子、秋野暢子、秋元康、デヴィ夫人、西川史子、有森裕子、永井大、三波豊和、錦野旦(敬称略、順不同) ▽錦野旦(66) 「2002年の舞台『新・演歌の花道』でご一緒しました。常におしゃれをしていて、いまだに僕は(川島さんの)年齢がいくつかわからないくらい。私の前の女房(女優の武原英子さん)も乳がんで亡くなった。抗がん剤を打たない治療法と聞いて、(前妻と)同じようなことが走馬灯のように浮かんだ。やっぱり女優なんだと思いました」 ▽松本明子(49)「最後まで女優を貫いて一生懸命頑張った。尊敬する先輩。去年ロケで鎧塚さんのお店に行ったとき、『なお美さんお元気ですか?』と聞いたら鎧塚さんが悲しそうな笑顔をされていた。それが気になっていた。今思うとご夫婦で病気と闘っていらしたんだろうなと。安らかに休んで下さいと(遺影に)お伝えしました」 ◆一般ファンも沈痛…母娘で川島さんのファンという東京都の女性(44)は「女優というイメージを強く持ち、キープされていた。あくまで“女優・川島”を演じていた。荼毘(だび)に付されてもイメージを保っている」とたたえた。 横浜市から参列した女性は「うわべだけでなく、どんな方にも優しくてきれいな方だったのに…」と悔やんだ。 PR情報
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