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【芸能・社会】

川島なお美さん通夜に1500人 余命宣告知らず 鎧塚さん明かす

2015年10月2日 紙面から

ワインボトルなどが飾られた川島なお美さんの祭壇(代表撮影)

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 先月24日に胆管がんのため54歳で亡くなった女優川島なお美(本名・鎧塚なお美)さんの通夜が1日、東京・南青山の青山葬儀所でしめやかに営まれ、ドラマ「失楽園」で共演した俳優古谷一行(71)や女優松嶋菜々子(41)ら関係者1500人が参列。ファン800人も記帳に訪れた。喪主で夫の鎧塚俊彦さん(49)は余命宣告を一切知らせなかったことを明かし「最高の女房でした」と気丈に語った。葬儀・告別式は同所で2日午前11時から行われる。

 無念の死を象徴するような激しい雨が降りしきる中、鎧塚さんが“なお美葬”と表現した最後の幕が上がった。

 祭壇中央には、最近撮影された川島さんの笑顔。ワイン愛好家らしく両脇には赤と白のワイングラスをかたどったキャンドル。川島さんが生まれた年のワインボトルや、愛犬シナモンのぬいぐるみも供えられた。

 戒名は「秋想院彩優美俊大姉(しゅうそういんさいゆうみしゅんだいし)」。夫婦2人の名前の1字ずつに女優として必死に生きた意味も込めた。会場入り口や通路にも先月13日に病院で撮影した最後のツーショットなど13枚の写真が飾られ、参列者の涙を誘った。

 通夜の後に報道陣に対応した鎧塚さんは、川島さんが亡くなる直前にも鎧塚さんの誕生日祝いを計画していたことに「何でこんなに愛してくれたのか」と告白。「一度大げんかした時に『別れよう、離婚しよう』と言ったら、女房は『私は絶対別れない。死んでも別れないから覚悟して』と言われ、じーんときた」と思い出を振り返った。

 祭壇に眠る川島さんは真っ白なドレス姿で「きれいでした」と鎧塚さん。ひつぎには出演舞台の衣装や写真などを納めた。

 手術後の昨年夏に医師から余命1年と言われた際や、先月舞台を降板後に「あと2、3日が峠」と言われた際にも川島さんに知らせなかったことも告白。抗がん剤を拒否したことも「自分で熱心に勉強して決断した。女優の美学。悔いはないと思う」と話した。一方で、川島さんは健診を毎年欠かさず受けていたといい「健康にはすごく注意していた」と悔しさもにじませた。

 通夜の冒頭であいさつした鎧塚さんは、川島さんが出演舞台を途中降板したことを謝罪。「女房は何度も『悔しい』と泣き続けた。『本当はもっとできたのに』と言う姿に胸が張り裂けそうになり、もう十分だと説得した」と説明。

 川島さんは23日夜に吐血して容体が急変。「ごめんね」という言葉を最後に意識不明の状態となり「医師から『眠るように亡くなる』と告げられた。ところが僕の方をしっかり見て頭を上げ、ハッと魂を吐くように人生の舞台の幕を閉じた。最後まで女優でした」と話した。

◆山田邦子 同い年寂しいです

 川島さんと同じ所属事務所で、深い親交があった山田邦子(55)は訃報を受け、川島さんが亡くなった24日の午後10時ごろ、病院で悲しみの対面を果たした。

 「最後の最後まで働いていたんだね。あらためて偉かったなと思います。取りつかれたように必死で頑張っていました。無念です」。口を真一文字に結び、必死で声を絞り出した。

 山田によると、川島さんは最後の舞台となったミュージカル「パルレ〜洗濯〜」に、体調が悪化した後もたまったがん性の腹水を抜いてステージに立ち続けたという。

 腹水を抜くと一時的に楽にはなるが、さらに量が増えてしまうリスクもある。川島さんが命懸けで女優業をまっとうした証しだ。

 「すごいまじめで、完ぺきを目指していた。かなり男前の人でしたからあらゆる手を尽くしたと思います」と山田。「同い年ですし、長きにわたってお仕事もプライベートも一緒でしたから寂しいです」と涙をこぼした。

◆川崎麻世 ミュージカル「成功させる」

 ミュージカル「クリスマス・キャロル」(11月8日初演)で川島さんと共演するはずだった俳優の川崎麻世(52)は「胸が痛くて、親友を一人亡くしてしまったかなという思いです」と涙を流した。この日、川島さんの遺影に向かって「絶対になお美ちゃんの分まで成功させるぞ!!」と誓いの言葉をかけたという。

 また、川島さんの代役の女優渡辺めぐみ(51)も「病院のベッドで(川島さんが)『めぐが(代役を)やってくれると聞いてホッとしている』と言ってくださったので頑張らないといけない。バトンを継いだ以上は初日の幕が開くように一生懸命稽古を頑張らせていただきます」とおえつを漏らしながら誓った。

◆石田純一 祭壇に向かって謝罪

 「早過ぎる。役者としてめいっぱい生きられず、悔しいだろうが、彼女は幸せだっただろうと思う」。石田純一(61)は何度も声をつまらせた。そして、祭壇に向かって「これまでずっと言えなかったことを彼女に伝え、謝りました」と切り出し、石田は川島さんの代表作「失楽園」について語り出した。

 石田によると「失楽園」の原作者、渡辺淳一さんは石田をモデルに同作を執筆。当初は石田が主演し、石田自身は川島さんではなく別の女優との共演を強く望んでいたという。結局、石田は降板し主演は古谷一行に代わり、川島さんの熱演で同作は一世を風靡(ふうび)した。

 「そのことがずっと心にひっかかっていた。でも今日、ごめんねと言いました。ぼくが降りたことで人生が広がったように、彼女は運と念を持った人だったと思う」と何度も目をぬぐっていた。

◆山田まりや なお美さんは「命の恩人」

 夫で俳優の草野とおる(47)とともに取材に応じた山田まりや(35)は「私の出産に立ち会ってくれて、ラテン系のノリで盛り上げてくれた。命の恩人です」と、当時を思い出しながらにこやかに語った。

 出産を怖がる山田が、川島さんに立ち会ってほしいと相談したところ「エッ、立ち会わせてくれるのー?」と快諾。朝5時に陣痛が始まり、連絡を入れると、タクシーを飛ばして病院まで来てくれたという。山田は2012年12月29日に第1子となる長男を出産した。

 ▽古谷一行 「ドラマ『失楽園』で共演してから18年ですか。あの時も作品にかける思い、もうひとつ上のステージにいきたいという彼女の気持ちがひしひしと感じましたからね。ぼくの舞台は必ず見に来てくれ、6月の舞台の時に会ったときは、少しやせすぎじゃないかと…。降板した舞台は、あれに出演するために舞台をやってきた、頑張るって言ってましたね。病気のことは話していなかったし、抗がん剤を拒否していたことも知らなかった」

 ▽南野陽子(48) 「ドラマでの共演も多く、いいお姉さんでした。なお美ちゃんは賢いから病気のこともちゃんと分かっているから、きっと大丈夫だと思っていました。祭壇を見てもお花を見てもディナーショーみたいで、パッとなお美ちゃんが出てくる感じ。もっといっぱい話したかった」

 ▽永井大(37) 「身体がつらい状態だったのに、8月のぼくの結婚式にも駆けつけてくれ、笑顔でおめでとうって…。本当に悔しいです。ショックです。影響力のあるありがたい先輩、頼れるお姉さんでした。川島さんが富士山の頂上で御来光を見ながら、シャンパンを飲みたいからって一緒に登ったことは思い出ですね」

 ▽平尾昌晃(77) 「名古屋で歌謡スクールをやっていたときに、高校生だったあの子がオーディションを受けに来た。天真らんまんでかわいくて、今でも目に浮かぶ。反対するお父さんをぼくがくどいて、彼女は上京できたんだ。病気のことも気が強いから大丈夫、来春にはカムバックすると思っていたからつらいな。遺影もね、参列者のみんなを見ている目線があの子らしい」

 ▽荒川静香(33) 「自宅に招いてくれ、サプライズで私の誕生パーティーを開いてくれたり、仙台での私のショーにも駆けつけてくれるなど、なお美さんはいつもいつも前向きに生きている方でした」

 ▽三波豊和(60) 「舞台『パルレ〜洗濯〜』に3年前から川島さんと共演してきた。9月16日(川島さんの最後の出演となった長野公演)は、徐々にセリフが出なくなり、立ち位置が分からなくなったりしていた。でもね、演技はすごく力強かったし、いい声も出ていました。だから僕らもまさかこんなに…(早く亡くなるとは)と思っていませんでした」

 ◆主な参列者 勝間和代、山田邦子、長野智子、片岡護、坂井宏行、さかもと未明、ピンクの電話、寺泉憲、永井大、南野陽子、秋元康、薬丸裕英、中島史恵、川崎麻世、中島美嘉、松嶋菜々子、デヴィ夫人、古谷一行、三田佳子、小沢真珠、平尾昌晃、高島礼子、山田まりや、城田優、荒川静香、せんだみつお、石田純一、吉田羊、安藤和津、向井亜紀、市川右近、片岡愛之助、安田大サーカス・HIRO、久本雅美、黒田アーサー、つまみ枝豆・江口ともみ夫妻、神田うの、横田滋・早紀江夫妻、三波豊和 (順不同、敬称略)

 

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