当時共同代表でソウル市麻浦乙から出馬したクォン・ワンス氏にうわさを頼りに電話をしてみたところ、「今は職場に通っている」という。クォン氏は「一言で言ってわれわれの準備が不十分だったし、実力が足りなかった」と話した。韓国の選挙と政党制度が新しい政党や新しい人物の進出をどれだけ妨げているかということに、クォン氏があえて触れなかったのは、ストーリーをさらに悲しくさせた。卵で岩を割ろうとしたものの今ではバラバラになってしまったクォン氏の仲間の中には、今では竹やりを手にしようとする人もいることだろう。
ひよこが堅い殻を破って出てくるのは、卵を抱いてくれるめんどりがいるからだ。これまでの体制にメスを入れて立ち上がったり突破したりする1次的な責任は青年たちにあるが、青年たちが自由に背伸びできるようにカバーするのは大人たちの責任だ。
新政治民主連合が革新案をめぐり頭を抱えているとしても、党の公認を受ける競争で29歳以下は得票数の25%、30-35歳は20%を加算することにしたのは意味がある。主流でない人々は、これを親廬派(故・廬武鉉〈ノ・ムヒョン〉元大統領寄り)らが自分たちを仕分けしようとする企みと疑っているが、政界での新人の登場を奨励する主旨を無視してはならない。セヌリ党は青年を増やす策について代案を提示していない。ただ、青年雇用を創出するために努力する姿を見せることで、青年の心をつかもうといった戦略だ。しかし、全北大学の康俊晩(カン・ジュンマン)教授が書いた『青年よ、政党に乗り込め』には「青年は年老いた政党のシワを隠すBBクリームか」と政界の姿勢を皮肉るくだりが見て取れる。青年を偽装用のアクセサリーや消耗品として利用すべきではないというのだ。結局、ジャングルのような政界で慈善を期待するのは愚かなことなのかもしれない。