『Charlotte』ざっくり感想
まず、私自身はどう感じていたのか?
はじめ発表されたときは、正直喜びました。
ヒロイン(友利)と星空、ビデオカメラが描かれた初期キービジュアルから受けた静的な印象。
そして、お祭り感のあった麻枝准初オリジナルアニメ『
Angel Beats!』(以下、『AB!』)が少なくない批判を受けたこともあり、今作は『AB!』とは対照的な内容になるだろう、と考えていました。
静かで、コンパクトで、神秘的。
かつての『
AIR』のような雰囲気を持ちながらも、星空やビデオカメラといった今までにない要素から感じる、“新作”のオーラ。
もうこの時点で間違いなくどストライクで好きになると確信していました。
放送直前には、新たなキービジュアルが登場しました。
これまでのような静的なものと、かつての『
MOON.』を彷彿とさせる動的で破滅的なもの。
これを見たとき、当時私は「『
CHAOS;CHILD』やりたいなぁ」と考えていたこともあり、「きっと『Charlotte』は後半から死者を出すことも厭わない
カオスでダークで殺伐としながらも手に汗握る展開になるんだろう、ぞくぞくするぜ!」と思いました。
「
新しいタイプの麻枝准作品が観られる」という期待に、胸を躍らせていました。
実際に放送が始まり、第2話まで観た時点では、OP・EDの素晴らしさもあり、“麻枝准の新作”に興奮しっぱなしでした。
やや掴みに弱い印象はありましたが、そんなのはいつものことですし、『AB!』の「やりたいことを全部詰め込んでみた」感よりはすっきりしていて好みでしたし、
何よりゲスかわいい友利というこれまでにないヒロインを観ているだけで最高でした。「クソっ! 時間かけさせんなよ、見失っただろ!」と「すっごくないですかっ!?」の両極端ともいえるギャップにやられました。
もう神作品確定だと思いました。
しかし、第3話。
なんだか稚拙な展開、そして第1・2話とは比べ物にならないテンポの悪さ(尺の取り方)。
雲行きが怪しくなってきました。
第4・5話。
とにかく後半を待つことにしました。
後半になれば、きっと物語が加速度的に動き出す。
あのキービジュアルが示す世界の秘密が暴かれる。
“退屈な日常”が“幸せな風景”へと変貌する。
ゲスかわいい友利がもっと観られる。
気づけばそれだけが、心の支えとなっていました。
第6話で、展開はしました。
「有宇は死んだのか!? ループか!? それとも過酷な現実世界で見ていた夢だったとか!? あの超重要人物そうな新キャラは一体!?」
その興奮の大半が、
公式サイトで観た次回予告で消し飛びました。「あ、生きてたのね」
それ以降、次回予告は観ないようにしました。
第7話以降は、引き込まれることも多くなりました。
一方で、オムライスや友利兄のような実に麻枝さんらしい展開には、安定すぎてやや拍子抜けしてしまったことも事実です。
事前の個人的な予想から、もっと絶望的な展開になることを期待していたのかもしれません。
だからこそ、第9話で謎の研究施設が出てきたときには、「ついに待ちに待ったカオスの始まりだ!」と興奮していました。
第10話は、まああれで、未だ物語のゴールが見えないのが不安でしたが、第11・12話では、期待に応えるかのように、破滅的な展開になりました。
麻枝さんの物語には滅多に見られない(気がする)完全なる悪役まで登場し、これはもう能力バトル全開でなんかすごいことになりそうな気がしました。
もう残り話数がないことは、あまり考えないことにしました。
そして最終話。
当時の正直な感想を言えば、
拍子抜けでした。
どこかで見たような展開。
どこかで聴いたような展開。
「勇気」には心打たれましたが。
最後は、やっぱりどこかで見たような終わり。
それは、当初の予想よりも穏やかで、優しくて、希望に満ちていて、そして何よりいつも通りでした。
これはこれでいいのかもしれませんが、『Charlotte』という作品を通しての最終話としては、違和感がありました。
『Charlotte』は“新しい麻枝作品”ではなかった
前述のとおり、私は初見では「え、こういう終わりなの?」と最終話に唖然となり、期待の新作として世に出たものの期待に応えきれず消えていく様は
“シャーロット彗星”というよりまるで“アイソン彗星”のようだ、とさえ思ってしまった程でした。
他の麻枝ファンはどう思っているのだろうか……と思い、ネット(というか
Twitterという狭い範囲な時点であれですが)を見ると、そこには賛否両論のつぶやきが。
「落胆した」「憤りを感じた」という意見から、「素晴らしかった」という意見まで。
当時の私としては意外なことに、一部の層には絶賛すらされていました。
(『
Rewrite』アニメ化に心を切り替える派も多かったですね。あ、『Rewrite』アニメ化はいいと思いますよ。シナリオ再編は大変ですがアニメ向きの内容だと思いますし、何より「
旅」系をもっと多くの方々に聴いてもらえるのはとても素晴らしいです。最高ですよね「旅」系。)
『Charlotte』を絶賛する彼/彼女らの心を掴んだのは一体何なのか。
そもそも『Charlotte』には何を求めるべきだったのか。
私は考えてみました。
まず、
『Charlotte』は決してアニメ作品として良作であったとは言えないと思います。
私も素直に両手離しには楽しめませんでしたし、正直、落胆した部分もあります。
最初から最後まで素晴らしいアニメだったかと問われたら、間違いなくNOです。
これは、今でも変わりません。
序盤のテンポの悪さは言わずもがな、キャラも使い捨てが多く活かしきれておらず、設定はガバガバ、伏線(らしきもの)は放り出すか適当な感じで回収、挙句の果てに能力ものにもかかわらず息を呑むアクションシーンはありません。
目玉の1つであった音楽は、存在意義が不明な上にキャラぶれまくりでついには露骨な販促物をぶちこむ暴挙を見せたHow-Low-Hello(以下、ハロハロ)、せっかく良曲揃いで劇伴としての素晴らしさを見せ物語の核心を担っていそうに匂わせていたにもかかわらずギャグキャラと安直な展開で役目を終えたZHIENDと、作中で活かしきれていませんでした。
特にハロハロは、『AB!』におけるGirls Dead Monster(以下、ガルデモ)の商業的に大成功を収めた前例にあやかろうと取って付けた感じしかなく、実態の伴わない“バンド”設定はその最たるものでしょう。
ガルデモのような曲はライブでの盛り上がりもいいですからね。
そして新しさも、正直少なかったです。
先のハロハロもそうですが、高
松城というまんまキャラから
岩沢サラのような思わせぶりキャラ、劇中での映像など、『AB!』の前例にあやかろうとしているかのようなポイントが散見されました。
「人気作のネタがあるから、とりあえず観てみようという人もいるはずだ」と……まあ上手くいくかどうかはともかく、とにかくそういうセコい魂胆を感じさせられました。
歴代作品のキャスト起用はまあいいとしても、野球回・斉藤は「ファンの期待に応えた」以上に餌としての性格が強かったように思えます。
内容についても、テーマこそ新しいように映りましたが(『MOON.』感はあったものの)、ギャグ要素の多い学園(日常)パート、死をきっかけとした物語の暗転、主人公の絶望と復帰、愛しい人々との絆……。
なんというか既視感まみれでした。
これでは、期待していたファンの多くが肩を落とす……どころか怒りすら覚えるのも無理はない話です。
逆に、どんな人々が、『Charlotte』を良作として捉えているのでしょうか。
設定はガバガバだし、いつも通り人を死なせて物語を動かすし、最後には破滅的な世界で愛する人への想いを胸に進む主人公を描くし……。
そう、思えば、
“いつも通りの麻枝作品”だったのです。
物語に謎のSF要素を取り入れるのはいつものこと。
それは別に物語の主役ではなく小道具に過ぎないので、設定が曖昧でも許容されてきました。
今回はアニメとしてのキャッチーさを求めてからか“特殊能力”を前面に押し出したため、それが主役かと勘違いされてしまいやすく、設定について突っ込まれることが多くなってしまいましたが、それはいつも通りの小道具でしかなかったのです。
誰かを死なせることで物語を展開させたり、(“死”自体が重要な感動要素なのではなく)それまで当たり前だった日常の尊さを訴えかける手法は、言わずもがな彼の常套手段です。
それは、歩未の死をきっかけに絶望した有宇が、母や妹(家族)の大切さを悟り、自分は「ひとりきりじゃなかった」ことに気付かされ、友利への気持ちを意識するに至った一連の流れも同様であり、『Charlotte』でも健在でした。
最終話の、破滅に向かう中での二人の恋、孤独な中での絆の力……はい、まさに麻枝准ですね。
ラストはさすがに既視感が過ぎた感もありましたが、つまりそれだけいつも通りだったということです。
もう言いたいことはお分かりでしょう。
この『Charlotte』という作品を楽しんでいた(楽しめた)のは、“いつも通りの麻枝作品”を待ち望み、それを感じ取れた人々だったのです。コアなファンであるいわゆる麻枝信者の中でも、さらにコアな層。
いつもとは異なる彼を望んでいた層は今回の『Charlotte』に失望したでしょうし、そこまでではなくても「使い回しかよ!」と憤りを感じた層もいたに違いありません。
それ以外の、まさに“いつも通りの麻枝准”が好きで、これからも彼に望むものは“いつも通りの”作品であり、むしろ“いつも通りの麻枝准”こそが(だからこそ)至高であると感じている麻枝信者の一定層。
そんなコアの中のコアな麻枝信者にとって、『Charlotte』という作品は、まさに彼/彼女らの望む麻枝作品そのものであったと言えそうです。
(「麻枝作品ならなんでもいい」という狂信的な信者にとっても最高だったでしょうが、そんなのは当たり前なのでここでは割愛します。)
私は、何よりも“新しい麻枝作品”を期待していたので、こういった“いつも通り”な部分にはむしろ否定的でした。
改めて見方を変え、“いつも通りの麻枝作品”として『Charlotte』最終話を観てみると、なるほど、好意的意見に納得できました。
『Charlotte』の良かった点/悪かった点
ここで一旦、個人的に感じた『Charlotte』の良かった点/悪かった点についてまとめてみようと思います。
【良かったところ】
- 友利
- OPは曲調が新鮮で、映像もそれとマッチして素晴らしく、「神アニメ」オーラがあった
- EDは良かった
- アニメのキャラデザは『AB!』より好みだった
- 美砂の母性「そいつは辛い思いさせちまったな……」
- 第7話の有宇の落ちっぷりと、金さんヌードルの活かし方
- 第11話での有宇のヘタレっぷり
- 最後の能力が「勇気」
- 大学時代の音源のリメイクに興奮
- 「Real」に込められた麻枝さんのメッセージと、あるいは麻枝さん自身の理想のあり方
- 何はともあれ、ところどころ麻枝作品の要素があった
【悪かったところ】
■キャラ設定
- ほぼ空気だった兄組や単発使い捨てキャラが多く、物語にのめり込めない/場当たり感が強い
- モブが多く、見るべき箇所がわかりにくい
- 母親についてほぼ描いていなかったにもかかわらず、重要なシーンで母親
- 妹の口調が最後まで気になった。フィクションと言われればそれまでだが、過去作における変口調より違和感が強かった
- 有宇のゲスキャラがぶれている。結局いつも通りの心優しい主人公になるにしても、過程がすっとんでる
■ハロハロ
- もはや完全悪
- 最後のエピソードに至るまで蛇足感。とりあえず落としといた感じ
- キャラも歌も活かしきれていない。作品上の必要性がない
- そもそもハロハロはバンドのはずなのに、劇中では柚咲のみしか描かれていない
- 曲調が普段の柚咲とはかけはなれており、キャラとしてぶれている
- 第3話だけならともかく、第4話でもハロハロEDなのはしつこかった。せっかくの「灼け落ない翼」の出番が少なくなってしまった
- そして歴史に刻まれたPV回
- つまりまたガルデモやってCD売ろうという制作サイドの思惑しか感じられない
■使い回し感
- 高城が高松。モブキャラならオマージュネタだとしても、メインキャラでこれだと、使い回し感と「AB!の関連作なのか?」という無用な詮索を生む
- 楽曲に過去曲が多い
- ラストの“記憶喪失”の既視感
- 今作が見切り発車であった感には留まらず、麻枝さん自身に新しいものを生み出す力が無くなってしまったのではと不安になる
■広報
- 謎の全話タイトル公開や先行カット公開(特に第3話ED)は完全にマイナスでしかない。視聴者の楽しみを略奪する能力に長けていた
- その意味では(広報ではないが)次回予告の内容も秀逸
- 振り返り全話放映が多過ぎて、「誰も観てくれてないんじゃね?」「糞アニメなんじゃね?」と思われるくらい必死さが空回り
- 麻枝さんによるコメントも、『AB!』であったところの「これ言っちゃっていいのかなぁ」チェックを通されているのか疑問なレベルで発信し放題
■設定
- 『Charlotte』というタイトルや初期から押し出されていた天体要素が、“シャーロット彗星”につながった時の絶望感。さすがにこじつけすぎる
- これまでのタイトルで最も意味を成していない。これなら『メロウにバラード・サンダース』の方がマシだった
- それも含め、期待させられた天体要素が空気だった
■伏線
- 全体的に放置が多く、回収されてもその手法が雑
- 有宇や友利の変化がやや唐突
■その他
- 下着の表現。それ自体で忌避するファン層もあり、広がりが限定される。念写の時は上手くぼかした友利も結局あられもない姿になるというブレ感
(疲れた&他でも散々言われていると思うので以下略)
『Charlotte』は“いつも通りの麻枝作品”でもなかった
こうして観てみると、良い点は確かにありましたが、それらを遥かに凌駕するほどに悪い点が際立ちます。
“いつも通りの麻枝作品”と書きましたが、
さすがにいつもはここまでではありませんでした。いつもは、悪い点があっても「そんなものは瑣末なことだ」と思わせてしまうほどの魅力がありましたが、今回は完全に逆です。
そして“いつも通り”具合も、さすがに使い回し感が過ぎます。
早くも前言撤回です。
本人が描きたかったことは、例えば『
Love Song』的世界(テーマ)だったのかもしれません。
それ自体は悪くありません。
むしろ好みです。
ただ、それを描ききれる程、その他の部分ができていませんでした。
作品として完成していなかった、とでも言いましょうか。
そこに、ファンのニーズに応えた(と思われた)ネタを入れ、ハロハロのような商魂を入れ。
制御はしないが、入れたいものは無理矢理にでも入れさせる周囲のスタッフ。
それで破綻しないわけがありません。
“いつも”の麻枝作品は、周囲に支えられて完成していました。
麻枝さんの掲げたコンセプト、メインストーリーに、サブストーリーがつくことで補完される。
麻枝さんが出した脚本を、監督たちがアニメ向けに修正する。
「ひとりきりじゃなかった」のは麻枝さんも同じで、過去作では、他のスタッフによって補完され、制御され、調整され、良さを引き出されていました。
『Charlotte』では、このプロセスが上手く働いていなかったように思えてしかたがありません。
広報もそうですが、麻枝さん1人の失敗だけならまだしも、周囲の環境の悪さが足を引っ張っていたのは非常に残念なことです。
麻枝作品としてのエッセンス、いわば“麻枝要素”は確かにありました。(過去作ネタとかの意味ではありません、念のため)
物語全体としては正直微妙でしたが、ところどころ出てくる麻枝要素には喜べます。
ここで、麻枝さんを天才ショコラティエと考えてみましょう。
麻枝チョコレート好きが「麻枝准、ケーキ挑戦第2作目!」という触れ込みの新作チョコケーキを買ってみたところ、箱はかわいいのに中身のケーキは形も崩れスポンジもパッサパサな粗悪品で、なぜかサンタの砂糖菓子が乗ってるけど別に時期とは関係ないし、それもそのはずいつもはチョコ以外の部分は他のパティシエに手伝ってもらっていたのに今回は「サンタ乗っけたら受けそうじゃね?」とか余計な口出しをする人しかいなくてこの有様で、でも使っているチョコは今までどおり美味しいからそれを口に含んだ時は美味しく感じられる、という感じ。
いや、ちょっと自分でも何言ってるのかわからなくなってきましたけど、『Charlott』はそんな印象です。
麻枝要素を見つけ、あるいは感じ取れた人が、この『Charlotte』という作品について(大小の差はあれど)好感を持つことができたのでしょう。
逆に言えば、この『Charlotte』という作品は、
散りばめられた麻枝要素を探し、感じ、楽しむ作品だったのです。“いつも通りの麻枝作品”……を感じさせる要素を探す作品。
もはや宝探しゲーム状態です。
ファンではない視聴者にはハードルが高すぎます。
麻枝さんご自身の意図はどうあれ、『Charlotte』は
超コアな麻枝信者御用達アニメと化していました。
逆に、「麻枝准とかいう人は知らないけどこの作品は好き」という方がもし万が一いれば、ぜひ他の麻枝作品にも触れてみることをおすすめします。
具体的には『Love Song』とか『
智代アフター』とか『
ヒビキのマホウ』とか。
もちろん、「信者御用達作品として素晴らしかった! 分かる人にしか分からないけど、それでいい!!」などと言うつもりはありません。
そんな擁護の仕方しかできない時点で、それは作品として正直失敗の部類に入ると思います。
『Charlotte』は、コンセプトやキャラ、展開に至るまでの全てがだめだったことは決してなく、あくまでも1つ1つの要素は魅力的で、それらの選別や調理法を誤ったことが最大の敗因だったように思えます。
麻枝さんも周囲のスタッフも、もっと構想を練ることができていれば、作品全体として魅力的なものになっていたのではないかと悔やまれます。
これからの麻枝作品のために
以上から、私の個人的な『Charlotte』の感想をまとめると、
- 友利が素晴らしいヒロインだったことは間違いない
- 所々に散りばめられた麻枝要素に「麻枝作品っていいよね」と思わされたことも確か
- しかしどう考えても、そもそも1本のアニメ作品として微妙な出来だったと言わざるを得ない
- ただし友利は最高だった
という感じです。
何はともあれ友利は最高でした。
今回、私が視聴中~視聴後を通して最も強く感じたのは、
今後新しい麻枝作品が生まれてこなくなることへの危惧です。
作品としての穴が多いこと、先述のとおり過去作のオマージュ(?)や既視感が多いことから、麻枝さんの新作に対するモチベーションが下がってるように感じられてしかたがありませんでした。
思い返してみると、そうした“過去作の流用”(作風が似ているというレベルでなく、明らかに流用とわかるレベルのもの)はだんだんと増加しているようにも思えます。
事実、『Charlotte』の楽曲についてはモチベーションが上がらなかったため過去作を多く流用した、という旨のコメントを麻枝さんご自身がしています。
ゼロから作品を生み出すことには相当な気力が必要と仰っていたこともあり、このままでは完全新作が拝めなくなる、無理に新しい要素を生み出してもそれを活かしきれない、ということになりかねません。
なら、ここで批判をすれば麻枝さんの心は完全に折れ、クリエイターとしての活動を終える危険がある……とさえ思ってしまいますが、かといって全肯定はいけませんし、できません。
「信者向けだけどいいよね!」「いつも通りで最高だった!」とは言うことは簡単です。
しかし、もしそれが許容されるのであれば、本格的に破綻しまくりで何が何やら分からない作品に対しても、「信者目線で観れば最高」「分からないやつは観なくていい」「破綻してるのはいつも通りだし」という意見が出続けることになり、麻枝さんもそれに甘んじるようになってしまえば、もはや破滅に向かう麻枝作品になってしまいます。
そんな作品は観たくありません。
最悪です。
確かに麻枝作品は人を選ぶとは思いますが、一部のコアな信者しか楽しめない、というほどではなかったはずです。
ファンはもちろん初めて触れた人の心の奥底にも響き、その人の支えになれるような作品。
“いつも通りの麻枝作品”はそういう作品だったはずであり、私が今後も観続けたい麻枝作品もそういう作品です。
「じゃあそれはどんなの?」と聞かれてもよくわからないので、無責任かもしれませんが。
批判だけして必要以上にモチベーションを削ぐだけでも、全肯定しておだててモチベーションを上げるだけでも、観たいと思える麻枝作品にはつながりません。
いい所はいいと言い、悪い所は悪いと言う。
麻枝さんはこれまで全力で作品を作り上げてきました。
『Charlotte』も彼の全力の作品の一つである以上、それに応えてファンも全力で作品に向き合うべきです。
それが議論を生み、様々な意見を生み出し、本人のサーチに引っかかり……何らかの形で、麻枝さんの次回作につながれば、と思います。
とりあえず、麻枝さんは、作品をゼロから生み出すための相当な気力が満ちるまでの間は、ひとまず新作作りは休止されてもいいと思います。
といっても、クリエイターでありサラリーマンである以上は、仕事をしない(売り上げに貢献しない)わけにもいかないと思いますので、そこは例えば、今流行りのHD商法ならぬ(未発表の)過去音源リメイク商法で食いつないでいただくとか。
KIMELLAやSailing Ships、「ひきこもりの唄」への食いつき方を見ても、それらを求める熱心な麻枝ファンがもはや200人などという小規模でないことは明白で、新作アニメには到底届かないにせよ十分な商品力があると考えられます。
というか、『Charlotte』関連楽曲はほぼ「
Smells Like Jun Maeda」な感じでしたし。
何はともあれ、当分の間は鋭気を養っていただき、モチベーションが上がったところではじめて次の新作に挑戦してくださればと思います。
散々書きましたが、これで麻枝さんのファンをやめようとは思いませんし、もちろん嫌いにあったわけでもありません。
麻枝さんの新作が発表されれば、間違いなく飛びついて観る・聴くことでしょう。
だから、「麻枝准ってどう思う?」と聞かれたら、迷うことなくこう答えます。
「ぼくは好きだよ」
~おまけ~
『Charlotte』の視聴を終え、後悔したことが1つあります。
それは、ED「灼け落ちない翼」に気づかなかったこと。
完全に忘れていました。
気づいていれば最初に聴いた時に「あああッッッッッ!!!」という衝撃を受けていたことでしょう。
(「なんのこっちゃ」という方はスルーしてください、はい)