近くて遠いこの身体

第41回 南ア戦の衝撃とラグビーの楽しみ方について

2015.10.02更新

 元ラグビー選手の書き手であるヒラオは、この試合について書かないわけにはいかない。現在開催中のW杯イングランド大会で日本代表チームが南アフリカ代表に勝利した、あの試合である。新聞各紙一面を飾るほどにラグビーが取り上げられたのはいつ以来だろうか。ラグビーファンや関係者による仲間内だけでの盛り上がりではなく、その枠を超えてこの試合の勝利に沸いたことがなによりもよろこばしい。

 世界に目を向けてみると、英メディアが「W杯史上最大の衝撃」と称していた。その他「本物のセンセーショナル」「ラグビー史におけるグレーテストな番狂わせ」など、各国のメディアは日本代表に最大級の賛辞を贈ってくれた。ラグビーをよく知らない人からすれば、いささか大仰な表現だと思う向きもあるかもしれない。「史上初」や「歴史的」や「60億分の1」など、スポーツシーンを切り取るメディアの言葉が年々、大げさになりつつある現状を顧みれば、それも頷ける。
 だがしかし、今回ばかりは違うのだ。いささかも過剰ではないのだと声を大にして言いたい。肩入れしがちな自らの立場を弁えた上でも、この声の大きさは変わらない。
 日本代表が南アフリカ代表に勝利した。これは世界を揺るがす大事件である。ラグビーを知る者はこの番狂わせがどれほど大きいかを実感している。だがこの実感は、当たり前だが知らぬ者には伝わらない。どうにかしてそれを伝えようと腐心した人が多くいたのだろう。試合後にネットを覗くとこの試合の「番狂わせ度」についての喩えが飛び交っていた。
 いくつか紹介する。

「高校生チームがソフトバンクホークスに勝利するようなもの」
 こんなことはありえない。だが、野球選手という同じカテゴリー内での比較なだけまだましである。

「桐谷美玲が吉田沙保里に勝利するようなもの」
 そもそも桐谷美玲は女優だ。昔ラグビー部のマネージャーをしていたことで比較対象とされただけで、レスラーではない。女優とレスラー、ちょっと言い過ぎじゃないですか、これ...。

「具志堅用高が数学オリンピックで優勝するようなもの」
 これはもう比喩を通り越して侮蔑と解釈されても致し方ないレベルだ。具志堅さんにも代表チームにも、一言すみませんと頭を垂れるしかない。

 正直に申すと、元ラグビー選手からすればこれらの比喩は心穏やかには受け入れ難い。だけど、今回の「番狂わせ度」がいかほどのものかを想像する手助けにはなる。
 日本代表はこれほど(?)歴然とした実力差を覆して勝利したのである。そもそも番狂わせが少ないスポーツであるラグビーにおいて、これだけの実力差をひっくり返した試合は間違いなく「史上初」なのだ。

 試合が始まる前にヒラオは希望を込めて「30点差以内の負け」と予想していた。これが選手たちが自信を失うことなく次戦に臨める最低のラインだと、ラグビー仲間とともにそう予測を立てていた。自信を失えばそれに伴い闘争心も沈静する。コンタクトプレーが認められているラグビーでは、その根底に闘争心がなければ試合は成り立たない。どれだけ高度な技術を身につけても、それを下支えする闘争心がなければ試合でパフォーマンスを発揮することは到底できない。たとえ負けたとしても、闘争心にエネルギーを充填する自信だけは失わずに次戦に臨んでほしい。
 そう願ったがゆえの妥当なラインが30点差以内だった。
 試合が終了した瞬間、ヒラオはすぐに自らの腰砕けな見方を恥じた。これほど素晴らしい試合になるとは夢にも思わなかったからだ。
 世界中を駆け抜けたこのアップセットは、ラグビー界において後世ずっと語られ続けることは間違いない。
 かつてニュージーランドに145点を奪われたチームが南アフリカから勝利をもぎ取った。こんなチームは世界中どこを探してもない。日本代表が成し遂げたこの功績をヒラオは死ぬまで忘れないだろう。

 とまれ。
 ラグビー経験者のあくまでも個人的な感動を吐露するのはここまでにする。このままだとハイテンションのまま最後まで書いてしまいそうだ。
 今回の試合がいくら世間を賑わす快挙だったとはいえ、日本でラグビーはまだまだマイナースポーツである。これ見よがしにその快挙を讃えるだけでは、このブームは一過性のものにとどまる。それは避けたい。世間の目がラグビーに向いているこのチャンスに、ぜひともラグビーの面白さをできるだけたくさんの人たちに知ってほしい。

 マイナーにとどまる幾つかの理由の一つに、「ルールが複雑で取っつきにくい」ということがある。まずはここをどうにかしよう。
 というわけでここからはヒラオなりに考えた「初心者でも試合観戦を楽しめる簡単ルール説明」をしてみたい。今現在、絶賛開催中のW杯を観るときに役立ててもらえればありがたい。大まかな流れを理解するための一つの見方が提供できればと思う。


 まず、ラグビーは「陣取りゲーム」であることを頭においていただきたい。楕円球のボールを相手陣地の奥深くまで運び、地面にグラウンディングすれば「トライ」となり得点が入る。直線的に走って相手にぶつかってもいいし、タックルされないように左右にステップを踏んで相手を躱してもいい。ディフェンスに的を絞らせないようにパスをすることも認められている。
 コンタクト、ラン、パスを繰り返して前進を図る。これが基本だ。
 ただし、ボール保持者には以下のような制約が課せられている。当然、この制約を破れば反則となり相手ボールとなる。
 ボールを前方に落としてはいけない(ノックオン)。
 地面に倒れたらボールを放さなければいけない(ノットリリースザボール)。
 パスは真横か後方のみ。前方にはできない。(スローフォワード)。

 落とさないようにボールは大切に扱ってくださいよ、パスを前に投げるなんて横着なことはしないようにね、地面に倒されたらプレーできないんだから速やかにボールを手放さなきゃだめですよ。
 とまあ、平たく言えばこういうことだ。(「後ろにパスをしながら前進を図る」という二律背反こそがラグビーの複雑さを物語り、面白さを醸し出しているとヒラオは思っている)。

 ではこうした攻めに対してディフェンス側はどう止めればよいか。
 タックルだ。そのままもぎ取るようにしてボールを奪ってもよいのだが、走る相手にそれをするのはなかなか困難なので、タックルで選手を地面に倒す。ボールを放した隙にそれを奪おうと試みる。
 試合では、タックルが成立したのちに両チームの選手が互いにぶつかり合うシーンをよくみかける。あれはタックルされた選手が地面に置いたボールを奪い合っているのだ。双方のチームがイーブンボールを奪い合うこのプレーを、ラグビー用語で「ラック」と呼ぶ。ここでのファイトは試合の流れを大きく左右する。
 ただしここで一つ注意が必要だ。試合の実況や解説はこのラックのことを、「ブレークダウン」「コンテスト」「密集」「争奪局面」と言ったりするが、これらは「ラック」を言い換えただけに過ぎない。これらすべては「地面に置かれたイーブンボールを奪い合うプレー」と憶えておけば困惑せずに済む。

 さてさて、話を次に進める。
 ラックができると「オフサイドライン」ができる。数人の選手が重なり合って塊となっているラックの最後尾に、目には見えないが「オフサイドライン」が形成される。当然、防御側はこのラインまで下がらなければならない。だから攻撃側は少しでも前進を図るべく執拗にぶつかり続け、ディフェンスラインを後退させようとする。不用意なパスはただ後退するだけになる。それよりも直線的に走ってぶつかり、押し込んだ方が前進できる。

 ちなみに、ディフェンスはラックからボールが持ち出されたり、あるいはパスアウトすればオフサイドラインは解消され、前に出ることができる。これもよく観ていればわかると思う。

 まとめる。
 攻める→タックルで倒される→ラックができる→獲得したチームが攻撃権を確保し、ディフェンス側は横並びになる→再び、攻める→タックル...を繰り返す。 
 こうして陣地を取り合うのである。

 おっと忘れていた、説明しなければならないプレーがもうひとつあった。
 キックだ。
 先ほど前方へのパスは禁止されていると書いたが、キックは認められている。大きく陣地をとるためにドカーンと大きく蹴り込むシーンが試合でよくみかける。手っ取り早く陣地を稼ぐのにキックは有効だ。
 ただここにも制約がひとつあって、ボールを追いかけるのはキッカーもしくはその後方にいる選手に限られる。つまりあらかじめ前方で待ち伏せることはできない。すなわちキックは、大きく陣地を稼げる反面、待ち受ける相手に向かって蹴り込むわけだから攻撃権をみすみす渡すことになる。だから何を差し置いても陣地を回復しなければならないピンチのときや、攻撃を繰り返しても効率よく前進することができないときなどに選択されることが多い。

 陣地を稼ぐ目的とはまた別の目的を持つキックが「ハイパント」だ。遠くにではなく、頭上高く蹴り上げるキックである。先に対戦したスコットランドが多用するプレーで、なるべく滞空時間を長くすることにより落下地点に味方選手が到達する時間を稼ぐ。距離はそれほど稼げないが、うまくいけば味方選手がキャッチする可能性があり、もしキャッチできれば攻撃権を渡さずに済む。
 陣地を回復するために距離を稼ぐキックと「ハイパント」、この区別が分かればラグビー観戦はさらに面白くなる。もちろん相手にうまくキャッチされれば攻撃権が移るわけだから、基本的にキックは大きなリスクを伴うプレーであることに変わりはないのだけれども。
 コンタクト、ラン、パス、それにキック。これらを駆使して陣地を稼ぐスポーツ、それがラグビーなのである。
 

 以上のことを頭に入れながら、ぜひ試合を観ていただきたい。
 大男が大きなその身体をぶつけ合う様、見事にパスがつながったライン攻撃、小刻みにステップを踏んでの個人技、そしてキック。こうしたプレーをただ鑑賞し、交錯する身体にただただ見入る。
 そうこうするうちに細かなルールがだんだんわかってくる。必ず、わかる。その発見を通じてまた面白さが深まる。のめり込む。そうこうするうちにまた新たにルールがわかって、「おお!」と感動する。そうこうするうちにまた......以下繰り返し。

 こんな感じで、少しづつ謎を解くように観戦してもらえればと思う。疑問をぶつけられる経験者とともに観ることができればなおよし。
 W杯はまだまだ続く。この機会にぜひともラグビーの楽しさを味わっていただきたい。
 
 

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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