同じものを聞いても思うことは違うのである
みなさんこんにちは。
先週土曜日の筋肉痛がようやく癒えた金曜日。
がしかし。
明日も坂道ランをするので、ズタボロになること必至。
ということは、また来週後半から筋肉痛になること必至。
年がら年中、筋肉痛。
ああ、どこへ行くのだ中年のわたし。
ところで、うちには体重計がありません。
そのため、今自分の体重がわかりません。
若いころは体重計がない家なんて信じられない~と思っていましたが、
大丈夫です。
体重が減るかどうかはわかりませんが、確実にストレスは減る。
ということで、金曜日。
モコ目線の日記です。
吾輩はモコである。
文鳥である。
吾輩はときどき、動く前に羽をのばすことがある。
よく犬が散歩前にのびをするみたいな、ああいうものだと思ってもらったらいい。
それをしていると、とりぶうがかならず歌う。
やたら早口の高い声で、
「みなみ~にむい~てるま~ど~あけ~」
と歌う。
甲高いお経とか、インドの映画音楽みたいな、そんな歌い方である。
いきなり歌いはじめるものだから、吾輩はぎょっとする。
考えてもらいたい。
のびをしようとのびあがったとたん、後ろから「ワッ!」とおどかされたら、どう思うだろうか?
はなはだ中途半端なのびで終わった不満と、ワッといわれたオドロキとで、もやもやしたものがたまったままである。
迷惑な女だ。
とりぶうもしかちくも、歌を歌うことが好きらしく、よくカラオケに行っている。
しかし、しかちくは最近、
「オレ、最近の歌、まるで歌われへん」
と少し残念そうである。
反対にとりぶうはまるでそんなことを思うこともなく、
「歌いやすい歌、歌ったらええねん」
と昔の歌ばっかり歌っている。
このあいだは『ばんばひろふみ』を歌っていたそうだ。
夫婦でもアプローチは違う。
そういえば、いつもしかちくが聞いているネットラジオでは、ときどき音楽が流れる。
いつも同じ旋律。
それを聞いて、とりぶうは、
「これ聞いたら、ヨーロッパの湖でバカンスしてるとこが思い浮かぶ」
と言う。
しかちくは、
「オレはむしろ物悲しい感じがする」
とかなり違う印象を持っている。
しかちくは、
「これ、ショパンやねん。ショパンていうたら『別れの曲』やろ?それでなんか物悲しい感じがする。
とりちゃんみたいに、明るい印象はないなあ」
と言う。
夫婦で同じ曲を聴いても、印象はまるで違うのである。
同じものを見ても、同じものを聞いても、去来する思いは違う。
それを言葉で伝え合ってお互いを確認しあうのが夫婦の会話だし、
それぞれ人には人の考えがあると知るのは大事なことである。
そして、自分にはない考え方、とらえ方を知ることは、自分の感性によい影響を与えるのだと、とりぶうはえらそうに語る。
しかし、とりぶうは言う。
「明るいいうても、バカンスでは男女の愛憎劇が繰り広げられて大変やねんで。ドロドロやで」
と。
こういうことを聞いて、どこがいい影響なのかわからぬ。
どこまでいっても下世話が好きらしい。
なのにショパンをえらそうに語る。
「ショパンって、音のハーモニーというよりも、音がころころ転がってるみたいな、そんなんが多いよな」
などと、いっぱしの評論家きどりである。
ショパンよりも食パンを語れ、と言いたい。
吾輩としたことが、くだらないダジャレをはさんでしまった。
一緒に暮らしていると、悪影響があるのは必至である。
モコはますます飛ぶのが下手になってる気がします。
不時着する場所がなくて、地べたに下りてしまうことも多く、
「鳥なのに・・・」
と残念な気持ちになるんだなあ。
それでは~
とりぶう
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