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Own Little World

僕だけの小さな世界。

僕の兄はニートです

ニート

昔は自分の兄がニートである事なんて知られたくなかったので、今自分がこうして兄がニートである事を題材にして記事を書く事に少し驚いています。

 

最近のライトノベルにありそうなタイトルですが僕の兄はニートです。

 

 

それも仕事が無くなって働かなくなったとかではなく、根っからのニートです。

 

 

もう昔の事なので当時の事はあまり覚えていませんが、僕が小学生に上がる頃に家族で引っ越しをしました。

 

兄は勿論、転校になり新しい学校に行くわけですが、ここで人間関係が上手くいかなかった様なのです。

 

程度はわかりませんが、苛めがあり、それが原因で不登校になってしまいました。

 

 

中学校も定時制に通っているのか通っていないのかわからない様な周期で行っていました。

 

 

そして中学校を卒業した後には、高校に行くでもなく、かといって働くでもなく普通にニートになりました。

 

 

一応、父の知り合いの元で1ヶ月だけ働いた事があった気がしますが、そのくらいです。

 

小学校高学年程から引きこもりになったので、もう15年近くは引きこもり生活を続けています。

 

 

家族にニートや引きこもりがいると兄弟は凄く苦労します。両親も勿論苦労するでしょうが、まだまだ幼い年齢の時に「お前の兄さんなにやってるの?」という質問に対して「何もやってない」と答えるのは結構な苦痛を伴います。

 

 

兄弟が何をやっているのか聞くのはごくごくありふれた質問なわけですが、肝心の兄弟がニートだと凄く気恥ずかしいというか情けない気持ちになります。

 

 

この質問が来るのは一回や二回ではないですし、一年後に同じ質問が来た時には「お前の兄さんまだ何もやってないのかよ!?」と驚かれます。

 

勿論ずっとニートである兄を馬鹿にされる事もあります。自分自身、兄に対して情けないし、何をやっているんだこいつはと思っていました。

 

そこで兄はダメなやつだから馬鹿にされて当然だと割り切れれば良いですが、自分と血の繋がった肉親だけに、どうしようもない兄であっても悪口を言われる事に腹が立つのです。

 

この気持ちは兄弟がニートか引きこもりである場合の人は良く分かると思います。

 

 

僕は兄と妹を持つ三人兄弟の次男なので、一番苦労してると思います。人の中には次男は楽と思っている方もいますがとんでもありません。

 

 

兄が優秀であれば下の人間は比べられますし、兄がダメ人間であれば下は頑張らなければというプレッシャーを感じるはめになります。

 

僕も子供ながらに兄をみていてこうなってはいけないと毎日の様に思っていました。

 

 

毎日学校を休めて羨ましいと思う一面があったのも子供ながらに感じていた事ですが。

 

生きていれば誰だって苦労をします。よく苦労は買ってでもしろなんて言いますが、何もしていなくても苦労を押し売りされる時代です。先に兄が転校した結果苛められていたと書きました。

 

兄はこのわずかな期間の経験を盾として使用していました。人から見れば酷く脆く小さな盾ですが、それで自分を正当化していました。転校した結果苦労した人なんてこの世の中に五万といます。

 

人それぞれで物事に対するとらえ方が違うため、同じ事象であろうと起きる結果は違うという事は十分に認識していますが、兄もいつまでも小さな盾に隠れていないで出る必要があったのでしょう。

 

 

今はお互い年齢だけみれば大人になっているので喧嘩をする事もありませんが、当時は毎日の様に喧嘩をしていました。

 

 

長男がニートだと周りからも色々と言われますし、両親の間でも喧嘩が発生します。

 

特に父親は兄の現状に対して怒る事が多く「いつまで引きこもっているつもりだ!」とか「学校にも行かないくせにえらそうな事をいうな!」と毎日の様にどなっていました。

 

そんな家が凄く苦痛だったので僕は高校を卒業すると、小学校の頃からずっとしたかった一人暮らしをしました。とにかく家をでたくてしかたなかったので家を出れるなら何でも良いと考えていました。

 

 

そして地元の鳥取県を離れて一人大阪の夜間の専門学校に通いました。

 

 

僕の家は裕福ではないので学費は奨学金で補い生活費はアルバイトで月10万円程稼ぎ、それで支払っていました。

 

僕の妹に至っては高校で既に一人暮らしをしています。バイトを必死に頑張って行っており我が妹ながら凄いと思います。妹も色々な理由がありますが僕と同じように家を出たかったと言っています。

 

 

やはり上をみて様々な事を考えていたのだと思います。

 

 

そんなわけ僕と妹が出た家では両親と兄の3人が暮らしています。

 

 

大阪に出てからは仕事と勉強が忙しく一年に一回しか帰る事はしていませんが久々に会う兄はやはりニートです。

 

 

今の時代インターネットを使用してお金を稼ぐことも出来る時代です。人との関わりをゼロにする事は出来ませんが、人付き合いが少ない状態でもお金を稼ぐことは出来ます。

 

 

また、新聞配達などの極力人との関わりを排除した仕事もあります。

 

兄はパソコンを使用してネットサーフィンを良くやっているので、そこで何かしらの知識を得てアクションに移せば良いとアドバイスするわけですが何を言っても「いや、無理無理無理。無理だって」と言います。

 

 

この発言をする時に必ず手を体の前でバタバタと横に振る動作をするのですが、この動作と全てを無理の一言で片づける兄にはよくイライラしたものです。

 

 

もう兄も27歳になろうとしており、一体全体この先どうするつもりなのかわかりませんが世間的にみれば明らかに不味い状況にいます。

 

 

どうしようもない兄ですがやはり兄弟なので、僕も何とかしたいとは思いますし、色々と手伝ってあげたいとは思いますが、最終的には自分の意志でニートを脱却しようとする気持ちが必要です。

 

 

いくら周りがいろんなアドバイスや意見を提示しようと本人に気力がなければ暖簾に腕押しです。能力的な事もありますが一番は自分の気持ちの持ちようです。

 

 

ニートになったのは自分ではなく周りが悪いと思っていてはいつまでたっても前に進むことは叶いません。

 

 

また、人により様々な理由があるので一概には言えませんが人はニートに「なる」のではなくニートに「さしてもらっている」のです。

 

 

これは何かの人生相談に乗っていた方の受けゆりですがニートは親や兄弟の援助なしには続ける事が出来ません。

 

 

その点を考えるとニートにさせてもらっているのです。

 

 

兄がこの点について、どのような認識をしているのかはわかりませんが、自分なりに現状の問題点と向き合い、本当に進んだのかわからないくらいの小さな一歩で良いので踏み出して欲しいです。

 

 

ニートになるのは親のせいだと言う人がいます。僕としては兄が悪いとは思いますが、勿論親の影響も少しはあるでしょう。

 

 

ただ、仮に親が悪かったとして、それを認めさせたとして、兄がニートな現状は変わりませんし、救われるわけでもありません。

 

母親はまだしも父親は職人気質な所があり、それがマイナスに働いた所はあるでしょうが、僕は現在インドネシアに住んでおり妹は高校生ながらに一人暮らしをしている事を考えると親が全ての影響を与えているわけがないのです。

 

 

むしろ親のせいだと言っている人は自分の人生ではなく親の人生を生きていて悔しくないのか疑問です。

 

思いのままに書き綴っているので話が脱線しましたが、兄には自分の人生に対して一度向き合って欲しいと思います。

 

実は人知れず苦悩しているのかも知れませんが現状を変える努力をしなければ何にもなりませんからね。

 

 

現在日本には70万人のニートが居るとされており、僕の様に兄弟がニートで色々と悩んだり苦労をしている方もいると思います。

 

 

ニートを指導して職業訓練所等で再び道を歩かせる事業を行っている会社や自治体もあるそうですが、想像以上に困難を極めている様です。

 

 一番は自分の足で地面に立つ考えが無いのが理由ですが、ただでさえ不景気だと言われている世の中では、ニートに対する風当たりが強いのでしょう。当然です。

 

 

僕も兄が普通に仕事をしてお金を稼いでいる所を想像できません。

 

 

今まで書き綴っていた内容を見て頂ければ僕が兄にどれだけ苦労をかけられたかを感じて頂けたと思います。

 

 

でも、小学校や中学校の時のように兄がニートである事を恥じる事もすくなくなってきました。そうでなければ実名で書いているブログに自分の兄がニートである事を書くはずがありませんからね。

 

 

自分でも不思議ですが、ある種、このままでも兄は大丈夫だろうという気さえしています。何も根拠はないですがいつからかそんな気持ちを持つようになりました。これは母親の影響が強いです。僕の母親は兄だけでなく僕、妹を凄く信頼してくれています。

 

 

色々と迷惑をかけているにも関わらず全幅の信頼を置いてくれている母親は僕が最も尊敬する人間の一人です。

 

僕もいつか兄が良い方向に進んでくれると思っています。

 

結局、今日も、明日も、明後日も兄はニートであり、家でゴロゴロとし、極たまに母親と散歩に出る生活を続けるのでしょうが、それでも良いと思えます。

 

 

勿論出来れば将来的には何かしらの行動を起こして欲しいですけど。「僕は15年間ニートです」なんてタイトルの本なんかを出したら売れるのではないかと思っています。

 

僕が「兄は15年間ニートです。」なんて本を出しても良いですけどね。

 

ニートに対して腹が立つ一方羨ましい面もあります。専門学校時代は自分が理学療法士になるため、もとい一人暮らしをするために家を出たとはいえ、本当に苦労しました。

 

 

朝から仕事に出かけて夜は勉強。それをひたすら繰り返します。お金も生活費に消えていきますし、休みも仕事に消えていきました。

 

 

僕もニートになれたらと何度思ったかわかりません。

 

 

かといって僕までニートになって実家に寄生するわけにもいきませんし、養ってもらえるほど裕福な家庭でもないので厳しいのですが。

 

 

何が言いたいのかさっぱりわからない記事ですが、色々と思う所があったので書かせて頂きました。兄弟がニートで凄く苦労しているって人がいれば是非話を聴かせてほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。

過剰な健康志向はもはや病気だと思うわけです

医療

一昔前は医療の知識というのは医者を始めとし看護師などの医療に携わる方々だけが有しているものでした。

 

しかし、インターネットの発達により瞬時に自分の知りたい事を調べる事が出来る時代に置いては一般の方々であっても医療の知識を仕入れる事が可能になりました。

 

理学療法士の専門学校に通っていた時には病院でアルバイトをしていましたし、実習では合計で半年間程患者の方々と接する機会がありました。

 

約2年半は病院で働いていたわけですが、患者の中には仕事が医療とまったく関係がないのに「ミトコンドリア」といった単語を出される方もいて驚いた事があります。

 

 

自分の知りたい事を簡単に調べられる事が出来るなんて凄く良い時代だと思うわけですが、一方で困った事も引き起こされます。

 

 

その一つに過剰な健康志向が挙げられます。野菜は無農薬のものしか使用しないし、原産国は日本の物のみしか使用しない。

 

 

シャンプーやリンスは使用を続けると体に毒だからお湯で行う。歯磨き粉は研磨剤やフッ素が使用されているから使用してはいけない。

 

 

豆乳や牛乳を摂取する事は実は体に悪い。マーガリンはプラスチックと同じ材料を使用している。使用するならバターを使用しなければならない。揚げ物を料理する際には安い油を使うと体に毒だから使用してはいけない。ジャガイモは食べすぎると癌の発生率を高めるから気を付けなくてはならない。

 

 

スーパーで売っている食品はほとんどが着色料や防腐材を使用しており危険である。

 

 

等などインターネット上では連日のように上記の様な情報を健康志向な人が拡散しています。そして、その情報を見た人は「私、今日豆乳飲んじゃった!どうしたら良いかな!?」なんて言うのです。

 

 

本人は健康に気を使っているつもりかもしれませんが、正直言ってここまでくると一種の病気の様に思います。我が子の身を案じる気持ちは素晴らしいと思いますが、小学生の子がオーガニック食品だけ食べる環境を作ろうとするのは異常です。

 

 

「綺麗な水に魚は住まない」という言葉がある様にキレイな状態を求めすぎるのは危険です。多少の着色料があろうが、歯磨き粉で研磨剤を口に入れていようが、牛乳を毎日飲もうがどうって事はないでしょう。

 

 

健康に関する情報を一般の方々が入手出来る様になったのは最近の話です。今、健康の情報に対して過剰に反応している人達は自分が何を食べて、何を飲んで育ってきたのか忘れているのでしょうか。

 

 

自分が生まれる前の戦争を経験している世代なんて有害な物質を今よりも大量に浴びているし、食べるものがなくて酷い栄養状態を経験しています。でも、そんな過酷な環境を経験している人達は元気に80歳、90歳の生活を送っています。

 

 

高齢になれば勿論身体能力は落ちますし、人によっては寝たきり状態になったり認知症になってしまう人もいます。でも80,90でも元気に歩いて、自分でご飯を作って日々の生活を送っている人も確かにいるのです。

 

 

にも関わらず、科学的な根拠が乏しい情報を盲目的に信用して「あれは危険だ!これは危険だ!」と叫んでいるのはいかがなものでしょうか。

 

 

日本で生活をしていればほとんどの人は健康的に活きる事が出来ます。遺伝的な問題で病気になってしまう人を除けば、ほとんどの病気は日々の生活習慣から来ています。

 

「適度な運動」と「バランスの良い食事」を心掛けていれば特に問題なく生活できるでしょう。

 

オーガニック食品を求めるばかりで、運動等は行わず筋肉を減少させ脂肪を蓄えている方が僕には問題だと思います。

 

あらゆる事が自分の健康に害を及ぼす可能性があるから敏感になっている人よりも多少の事は大丈夫だと考えて生活している人の方がずっと健康的です。

 

僕の言いたい事をまとめてくれている人がいますので画像を載せて終わりたいと思います。

 

 

 

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やはり地上最強の男は言う事が違いますね!

 

 

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。

 

 

日本人が嫌がる仕事を外国人で補おうとしたって無理でしょ

日本の抱える問題点

日本が抱える少子高齢化問題による労働力の減少は以前から議論されていますが、日本も留学生の受け入れ人数を2020年までに倍の30万人受け入れる方針を示すなど本格的な動きを見せています。

 

日本国民の中では移民の受け入れを賛成する者と、反対する者に分かれています。インターネット上の識者である ちきりん氏 も外国人労働者の受け入れを行うべきだと自身のブログで発信していました。

 

ただ、僕としては外国人労働者で日本の雇用問題を改善するのは非常に厳しいと考えます。

 

僕は現在インドネシアに住んでおり、僅かな時間ではありますがマレーシアやシンガポールにも赴き、外国人の働きぶりを見ました。

 

今までは移民の大半は中国や韓国、台湾といった国々がほとんどでしたが、現在はインドネシアやベトナムといった東南アジアからの移民獲得に向けて国が動いています。

 

実際、これらの国々では日本の漫画、アニメといったポップカルチャーが大変な人気を博しており日本への憧れを持つ若者は多いです。

 

僕もインドネシアに住んでいる中で日本人というだけで優遇される場面も多々あります。

 

日本の行う移民の受け入れは「外国人に来て欲しい日本」と「日本に行きたい外国人」の関係から言ってニーズに合った考えの様に思えます。

 

ですが、この関係の中には大きな問題が潜んでいます。

 

まず日本で働きたい外国人は夢見る少年の様な者です。日本で働く事の大変さを認識している人は全然いません。

 

認識としてはせいぜい「日本の人達は仕事に厳しいんだよね?」程度です。

 

日本は世界でも稀にみるホスピタリティ(おもてなし)の高さから各国から賞賛されています。僕も日本人としてその事を自慢に思いますし、今後も続いてほしいと思っています。

 

ですが、この日本人の持つホスピタリティ精神は諸刃の剣でもあります。ホスピタリティを受ける立場、つまりは消費者の場合だと大きな満足を得る事が出来るでしょう。

 

しかし、逆にホスピタリティを与える立場である労働者になると大きな負担を強いられる事になります。日本ではモンスタークレーマーと呼ばれる方がいます。

 

安価な料金を払えば事足りるコンビニや牛丼屋でも高級料亭やホテルと同じような対応を要求してきます。

 

正直、海外の人からみたら日本人は全員モンスタークレーマーになりえる程の基準の高さを有しています。

 

勿論、海外から労働者として外国人を受け入れた場合、同じ基準を要求されます。挨拶の仕方や時間の正確さ、度重なるクレーム、上司からのプレッシャーなど外国人が夢見ていた日本とは全く異なる現実をつきつけられます。

 

少子高齢化で特に労働力が不足している介護の世界では海外からの労働力を得ようと必死な動きがあり、実際に外国人が働いています。

 

でも、当の日本人が嫌がる仕事を外国人が好き好んで続けるわけがありません。実際に介護の世界で働きにきたけど1年も立たずに辞めてしまうケースは当然の様にあります。

 

「きつい、安い」の仕事を日本人の労働力が減少したから外国人で補おうとしても無理でしょう。まず、受け皿である日本が外国人を受け入れる体制が出来ていないですからね。

 

不景気といってもGDPは3位を保持しており、先進国であるにも関わらず日本は海外からの観光客の誘致にも失敗している歴史があります。海外の人が住みやすい環境であったり訪れたいと言う思いを引き出す事が下手なのです。

 

何せ自国を海外にPRする際に、日本国内でしか人気のない「嵐」が招き猫のマネをしてニャーと鳴く動画を世界へ発信し、海外からバッシングを受けたことがあるほどですからね。

 

文化も教養も違う海外の人への理解を示す考えが、日本国内には根ずいていませんし、道を聞かれた時にも「I'm can't speak english」といってコミュニケーションをとる事を嫌がる人が多い現状から変える必要があるでしょう。

 

また、仕事で成果を出した際の出世が望みにくいのも日本で働く外国人に嫌われる理です。能力があれば人種は関係なく出世させるのではなく、あくまでも日本人を上に据え置きたい考えは外国人からは受け入れられません。

 

 

人が足りないから外から探してこようっていっても簡単にはいきません。

 

 

僕としては海外からの移民に頼るよりも日本に70万人はいるとされるNEETの方に立ち上がってもらうのが一番だと思います。

 

 

ただでさえ仕事がないと嘆いている人が多いのに、外国人を受け入れて稼ぎの無い日本人を増やしてどうするのかと思います。

 

 

最近はNEET株式会社なんてものも出来ましたし、NEETの方に立ち上がって欲しいですね。

 

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

「24時間働けますか」で働ける人たちと「3,4時間働けますか」で働く人たちの違い

私言

80年代にエナジードリンクを「24時間戦えますか?」というキャッチコピーで一世を風靡したリゲインが「3,4時間戦えますか?」へ大胆な変更をした事でネット上では賛否両論となっていました。

 

元記事http://snn.getnews.jp/archives/352903

 

この賛否両論する人達をみると悲観的な捉え方をしているのは年配の方々が多い様に思います。勿論中には今の時代に合っている素晴らしいキャッチコピーと好意的に受け取る方もいますが、やはり24時間戦う姿勢を見せるのがビジネスマンだという考え方を持っている方の方が多くいます。

 

 

特に会社の代表である社長の方々はこの色が強い様に思います。FBでもリゲインの記事について意見が交わされていましたが意見を述べている社長の方々の中には「24時間どころか72時間でも働く」といった方もいました。

 

 

個人的な意見としては「3,4時間戦えますか?」というのは今の時代をしっかりと理解している人が作ったものだと考えています。

 

 

そもそも「24時間戦えますか?」で実際に戦っていた人達はバブル時代に働いていた方々です。好景気の中にあり、働けば働くほどお金がもらえ、一介のサラリーマンでさえ毎日豪遊出来る程のお金があったと聞きます。

 

 

実際にその時代を生きていたわけではないですが、バブル時代のお金の使い方を調べていると、夏のボーナスが150万円貰えたとか、毎日タクシーで送り迎えしてもらっていたとか、海外研修では100万円まで使用して良いと言われゴールドカードを貰った等など嘘か本当かわからないような話が出てきます。

 

 

こんな時代に合ったのならば働くのも楽しいでしょう。むしろ働かなくてもお金がもらえたと言われる時代です。

 

 

対して僕たち「3,4時間働けますか?」の世代は生まれてこの方日本が好景気だと聞いた事がありません。ニュースでは毎年毎年飽きもせずに不景気だと言われます。とにかくやる気を奪うかのような陰鬱なニュースばかりやります。

 

 

このような時代だからこそ、もっと自分に厳しくし仕事に邁進すべきという意見もあります。勿論それはそれで正しいのだと思います。暗いまま日々を過ごした所でプラスになる事はないでしょう。

 

 

ただ、理論ではわかっていても感情がそうさせてくれるかは、また別の問題です。今の若い世代が抱える問題として将来への希望を見出せない人達が多い事が挙げられます。せっかく仕事が見つかっても直にやめてしまったり、社会で働くのが嫌だといって働く事をしないニートと言われる人も増え続けています。

 

 

このような人達が増えている背景を考えると「3,4時間働けますか?」のキャッチフレーズは方の力を抜いてまずは少しずつ頑張ろうという意味が込められている様で僕は良いと思います。

 

 

ただ、前述した様にバブルを経験した人でも、今現在の不況を味わっているわけです。そんな中でも24時間でも72時間でも働きたいと言える人達がいるのです。

 

 

これらの発言をする人は社長の方々が多いわけですが何故そのような発言をする事が出来るのかを考えると主に2つの理由があるのだと思います。

 

 

1つは皆が24時間働いたおかげで実績が生じた場合に一番利益を得る立場にある事です。倒産した場合のリスクを考えれば社長が一番利益を享受出来るのは当然だと思いますが、やはり頑張れば頑張るほど自分の利益になるのは働く上でのモチベーションとして大きいでしょう。

 

 

必死に頑張れば社員も、社長から認められたり、世間から認められる場合もありますが、日本においてはそのシステムがうまく会社の中に組み込まれていない気がします。頑張れば良いのではなく、会社では結果を出した人間が認められます。

 

 

時代が目まぐるしく動き、臨機応変な対応をとる能力が最も必要とされる時代にあっては誰もが結果を残せるわけではありません。そのような中にあって例え結果は残せなかった人であっても残そうと頑張っている人は何かしらの形で認められるべきだと思います。

 

 

頑張っている人というのは今ではなくとも将来的に結果を残す可能性の高い人物だと思います。最近はほめ育という頑張っている社員をほめて育てるという考えを持って教育にあたる会社が増えているそうですが、そのような取り組みをしてくれるだけでも社員は働く意欲を出してくれるのではないかと思います。

 

 

2つめは裁量権の高さです。裁量権の高さとは自分で考えた事を実行に移せる度合いの大きさです。自分が正しいと思った事に対して取り組むのと、人から言われた事をただこなしていくのでは疲労度が違います。

 

 

僕自身も自分でやろうと決めて実行した事は徹夜で行っても対して苦ではありませんでした。反対に機械的な作業や人から言われたから仕方なくやっている作業は本の数時間であろうとも多大な疲労を感じていました。

 

 

裁量権は、その人に見合っていない大きさを与えるとかえってしんどいもので調整難しいと思いますが、ある程度自分の裁量で決定を下せる立場の人はモチベーションが高いと思います。

 

 

これらの要素から24時間働こうと考えている人は社長の方が多いのだと思います。

 

 

逆に3,4時間しか働きたくないという人は人生における大切な要素は仕事ではなく自分の好きな事をする時間だと考えている人だと思います。。

 

 

仕事はあくまでも生活をしていくための費用を稼げる手段と割り切っている人もいます。仕事は必要最低限だけやって残りの時間は自分の好きな事を思いっきり楽しむのも素敵だと思います。

 

 

仕事に重きを置くのではなく、自分の好きな事をして人生を送りたいと考えている人が増えているのも今の時代の流れだと日々人に触れる中で感じています。

 

 

時代が違う、立場が違うとなれば仕事に対する姿勢も変わってくるものです。24時間働くのも3,4時間だけ働くのもどちらが良いとは言えません。

 

 

自分が24時間と3,4時間の仕事どちらをしたいかを考えてそれに見合った働き方が出来るようにしていくのが良いと思います。もし、自分の望んでいる仕事時間と実際の仕事時間が違う様であれば自分の働き方を変えていくようにシフトしていくべきでしょう。

 

 

まとめますと

24時間働ける人達は「働く程、利益を教授出来る立場にある」「仕事における裁量権が高い」事が挙げられる。

 

 

3,4時間から働きたいと考える人は仕事ではなく自分の好きな事に価値を感じており仕事はあくまでも生活を送るための手段と捉えている。

 

 

になると思います。

 

 

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。

癌治療の矛盾点を理解していますか?

医療

本日WHOが抗癌剤の使用が害悪だとして以降の治療にぴて使用を禁止する記事を読みました。

 

元記事http://bit.ly/1pjng5J 

 

私は医者ではないし、医療従事者として働いているわけでもないのでので偉そうな事はいえませんが、理学療法士の資格を取得しており、昨年まで学校でも医療について勉強していたので、少しお話ししたいと思います。

 

タイトルに銘打っている様に癌治療にはいくつかの矛盾点があります。

 

一つは「早期発見・早期予防」を行う事で拡大を防ぎ治療する事が出来るというものです。

 

これは一見すると最もな意見に感じます。早く見つけて早く治療すれば癌の治療も

スムーズにいきそうです。

 

ですが、果たして現実にはそうでしょうか。日本人の死因の1位は癌です。およそ3人に1人は癌によって亡くなっています。

 

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上の図は厚生労働省が出している日本人の死亡原因の推移です。

 

医療が日進月歩で進化し、早期発見が可能になっているにも関わらず癌で死亡する人は増加する一方なのがわかると思います。

 

早期発見、早期治療が癌に対して有効ならば癌による死亡数は減少してしかるべきです。

 

何故このような矛盾点が起きているのかについては「医者に殺されない47の心得」の著者として知られる「近藤 誠」さんが答えられています。(※現在、手元に本がありませんので思い出して書いています。実際に本に以下の分が記載されているわけではありません。)

 

「昔は癌を発見する技術が無かった。恐らく老衰によって亡くなったとされる人の中には癌によって死亡していたケースがあったはずです。癌は程度が小さければ自覚症状がなく安らかに亡くなられる方が多いです。現在は癌を発見する技術が発達したため分母が増えた事により癌による死亡者が増加しているのだと思います。」

 

 

 また医療に関する著書の中には健康診断を受ける事により癌の発症率が上昇すると警鐘を鳴らしているものもあります。

 

特にCTによる検査においては日常生活において普通浴びる事の無いほど放射線を体に受けます。そのため癌の発症リスクを増加するとされています。まだまだ、真偽を確かめるために科学的に研究していく必要はありますが、健康診断を受ける事により健康を害する可能性があるという事は理解しておくべきです。

 

もし、様々な検査を行った結果、癌が発見された場合医者は当然治療を勧めます。悪性であれば全身に転移する前に除去手術するでしょうし、薬を投与するでしょう。

 

これらの癌の治療には患者に多大な負担が生じます。言い方は正しくないかもしれませんが、手術では文字通り身体を切り裂かれるわけです。肉体的な負担が小さいわけがありません。

 

また抗癌剤には癌を抑制する働きがあるとされますが、処方した人全員に効き目があるわけではありません。うまく薬と適合した人にのみ効果が表れます。また、薬には必ず副作用というリスクが付きまといます。

 

抗癌剤の副作用としては「悪心、嘔吐、倦怠感、浮腫、脱毛、免疫力低下、出血、下痢」など様々なものがあります。

 

抗癌剤のもたらす薬の作用、副作用について近藤先生は以下の様に言われています。

 

「薬には作用、副作用がある。副作用という名前だから稀にそのような症状が現れると考えている人が多いが、副作用は発症する可能性が高い。ほとんど作用の一つと捉えてもかまわない程だ。」

 

3人に1人が癌で亡くなる時代ですから、皆さんの周りにも癌と闘病されている方はいると思います。身近にいなくても人づてに闘病の様子について聞く機会があると思います。

 

僕も話を聞く事がありますが、その話の多くは2つに分ける事が出来ます。

 

1つは闘病生活の大変さです。繰り返す嘔吐、突然の痛みなど本人だけでなく家族も心配から疲弊してしまいます。

 

この症状は癌ではなく、抗癌剤が引き起こしているものです。冒頭に申し上げたように私は医者ではないので断定した事は言えませんが、治療を受けるか受けないかは身長に判断した方が良いと思います。

 

もう一つは治療を受けなかった人が元気に生活している話です。

 

私のお爺ちゃんは病院が嫌いで、癌の診断を受けても治療を全部拒否してしまった。医者からは余命半年と言われたのに、それよりもずっと長い2年間の歳月を元気に生活してたよ。昔から病気に強かったけど、凄いと思ったよ。

 

何人かからこの様な話を聞きましたが、そのたびに現在の癌治療が正しいのかを疑ってしまいます。

 

かのスティーブ・ジョブスが恐らく世界最高峰の癌治療を受けていたにも亡くなってしまった事を考えると、やはり癌治療については安易にゴーサインを出す事は危険でしょう。

 

 

ジョブスの事例から分かる様に、本当に手の施し様がない癌は手術してもダメなのです。むしろ手術をした結果、免疫力の低下から感染症のリスクや体力の低下といったリスクが倍増します。

 

 

現在は誰もがインターネットを使用して簡単に情報を調べる事が出来る時代です。またセカンドオピニオンといい、一つの病院だけでなく複数の病院から意見を貰う事が出来ます。

 

癌の治療については、本人だけでなく周りの家族と一緒に情報を集めて治療の有無を決定するべきでしょう。

 

 

今一度矛盾点を記載すると

1,癌は早期発見、早期治療で治ると言われているが現実には癌による死亡者数は増加する一方である。

 

2,癌の治療を受けた人が苦しみ亡くなる一方で、治療を受けない人が元気に生活している。

 

 

最後に書いておきますが、僕は癌の治療を受けるのはやめた方が良いと言いたいのではありません。もっと癌治療の現状について理解してもらい別の視点で見て欲しいという事です。

 

最終的に判断されるのは患者です。医者が進めたからといって安易に治療を受けるのではなくと自分のアタマでしっかりと考えた上で判断を下してください。

 

 

「医者に殺されない47の心得」に癌治療の事が詳しく書かれていますので癌治療について知りたい方は一度読まれる事をお勧めします。

 

 

また、途中に紹介した近藤先生が癌治療のセカンドオピニオンを行っておりますので

URLを張っておきます。

http://www.kondo-makoto.com/

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。