昔は自分の兄がニートである事なんて知られたくなかったので、今自分がこうして兄がニートである事を題材にして記事を書く事に少し驚いています。
最近のライトノベルにありそうなタイトルですが僕の兄はニートです。
それも仕事が無くなって働かなくなったとかではなく、根っからのニートです。
もう昔の事なので当時の事はあまり覚えていませんが、僕が小学生に上がる頃に家族で引っ越しをしました。
兄は勿論、転校になり新しい学校に行くわけですが、ここで人間関係が上手くいかなかった様なのです。
程度はわかりませんが、苛めがあり、それが原因で不登校になってしまいました。
中学校も定時制に通っているのか通っていないのかわからない様な周期で行っていました。
そして中学校を卒業した後には、高校に行くでもなく、かといって働くでもなく普通にニートになりました。
一応、父の知り合いの元で1ヶ月だけ働いた事があった気がしますが、そのくらいです。
小学校高学年程から引きこもりになったので、もう15年近くは引きこもり生活を続けています。
家族にニートや引きこもりがいると兄弟は凄く苦労します。両親も勿論苦労するでしょうが、まだまだ幼い年齢の時に「お前の兄さんなにやってるの?」という質問に対して「何もやってない」と答えるのは結構な苦痛を伴います。
兄弟が何をやっているのか聞くのはごくごくありふれた質問なわけですが、肝心の兄弟がニートだと凄く気恥ずかしいというか情けない気持ちになります。
この質問が来るのは一回や二回ではないですし、一年後に同じ質問が来た時には「お前の兄さんまだ何もやってないのかよ!?」と驚かれます。
勿論ずっとニートである兄を馬鹿にされる事もあります。自分自身、兄に対して情けないし、何をやっているんだこいつはと思っていました。
そこで兄はダメなやつだから馬鹿にされて当然だと割り切れれば良いですが、自分と血の繋がった肉親だけに、どうしようもない兄であっても悪口を言われる事に腹が立つのです。
この気持ちは兄弟がニートか引きこもりである場合の人は良く分かると思います。
僕は兄と妹を持つ三人兄弟の次男なので、一番苦労してると思います。人の中には次男は楽と思っている方もいますがとんでもありません。
兄が優秀であれば下の人間は比べられますし、兄がダメ人間であれば下は頑張らなければというプレッシャーを感じるはめになります。
僕も子供ながらに兄をみていてこうなってはいけないと毎日の様に思っていました。
毎日学校を休めて羨ましいと思う一面があったのも子供ながらに感じていた事ですが。
生きていれば誰だって苦労をします。よく苦労は買ってでもしろなんて言いますが、何もしていなくても苦労を押し売りされる時代です。先に兄が転校した結果苛められていたと書きました。
兄はこのわずかな期間の経験を盾として使用していました。人から見れば酷く脆く小さな盾ですが、それで自分を正当化していました。転校した結果苦労した人なんてこの世の中に五万といます。
人それぞれで物事に対するとらえ方が違うため、同じ事象であろうと起きる結果は違うという事は十分に認識していますが、兄もいつまでも小さな盾に隠れていないで出る必要があったのでしょう。
今はお互い年齢だけみれば大人になっているので喧嘩をする事もありませんが、当時は毎日の様に喧嘩をしていました。
長男がニートだと周りからも色々と言われますし、両親の間でも喧嘩が発生します。
特に父親は兄の現状に対して怒る事が多く「いつまで引きこもっているつもりだ!」とか「学校にも行かないくせにえらそうな事をいうな!」と毎日の様にどなっていました。
そんな家が凄く苦痛だったので僕は高校を卒業すると、小学校の頃からずっとしたかった一人暮らしをしました。とにかく家をでたくてしかたなかったので家を出れるなら何でも良いと考えていました。
そして地元の鳥取県を離れて一人大阪の夜間の専門学校に通いました。
僕の家は裕福ではないので学費は奨学金で補い生活費はアルバイトで月10万円程稼ぎ、それで支払っていました。
僕の妹に至っては高校で既に一人暮らしをしています。バイトを必死に頑張って行っており我が妹ながら凄いと思います。妹も色々な理由がありますが僕と同じように家を出たかったと言っています。
やはり上をみて様々な事を考えていたのだと思います。
そんなわけ僕と妹が出た家では両親と兄の3人が暮らしています。
大阪に出てからは仕事と勉強が忙しく一年に一回しか帰る事はしていませんが久々に会う兄はやはりニートです。
今の時代インターネットを使用してお金を稼ぐことも出来る時代です。人との関わりをゼロにする事は出来ませんが、人付き合いが少ない状態でもお金を稼ぐことは出来ます。
また、新聞配達などの極力人との関わりを排除した仕事もあります。
兄はパソコンを使用してネットサーフィンを良くやっているので、そこで何かしらの知識を得てアクションに移せば良いとアドバイスするわけですが何を言っても「いや、無理無理無理。無理だって」と言います。
この発言をする時に必ず手を体の前でバタバタと横に振る動作をするのですが、この動作と全てを無理の一言で片づける兄にはよくイライラしたものです。
もう兄も27歳になろうとしており、一体全体この先どうするつもりなのかわかりませんが世間的にみれば明らかに不味い状況にいます。
どうしようもない兄ですがやはり兄弟なので、僕も何とかしたいとは思いますし、色々と手伝ってあげたいとは思いますが、最終的には自分の意志でニートを脱却しようとする気持ちが必要です。
いくら周りがいろんなアドバイスや意見を提示しようと本人に気力がなければ暖簾に腕押しです。能力的な事もありますが一番は自分の気持ちの持ちようです。
ニートになったのは自分ではなく周りが悪いと思っていてはいつまでたっても前に進むことは叶いません。
また、人により様々な理由があるので一概には言えませんが人はニートに「なる」のではなくニートに「さしてもらっている」のです。
これは何かの人生相談に乗っていた方の受けゆりですがニートは親や兄弟の援助なしには続ける事が出来ません。
その点を考えるとニートにさせてもらっているのです。
兄がこの点について、どのような認識をしているのかはわかりませんが、自分なりに現状の問題点と向き合い、本当に進んだのかわからないくらいの小さな一歩で良いので踏み出して欲しいです。
ニートになるのは親のせいだと言う人がいます。僕としては兄が悪いとは思いますが、勿論親の影響も少しはあるでしょう。
ただ、仮に親が悪かったとして、それを認めさせたとして、兄がニートな現状は変わりませんし、救われるわけでもありません。
母親はまだしも父親は職人気質な所があり、それがマイナスに働いた所はあるでしょうが、僕は現在インドネシアに住んでおり妹は高校生ながらに一人暮らしをしている事を考えると親が全ての影響を与えているわけがないのです。
むしろ親のせいだと言っている人は自分の人生ではなく親の人生を生きていて悔しくないのか疑問です。
思いのままに書き綴っているので話が脱線しましたが、兄には自分の人生に対して一度向き合って欲しいと思います。
実は人知れず苦悩しているのかも知れませんが現状を変える努力をしなければ何にもなりませんからね。
現在日本には70万人のニートが居るとされており、僕の様に兄弟がニートで色々と悩んだり苦労をしている方もいると思います。
ニートを指導して職業訓練所等で再び道を歩かせる事業を行っている会社や自治体もあるそうですが、想像以上に困難を極めている様です。
一番は自分の足で地面に立つ考えが無いのが理由ですが、ただでさえ不景気だと言われている世の中では、ニートに対する風当たりが強いのでしょう。当然です。
僕も兄が普通に仕事をしてお金を稼いでいる所を想像できません。
今まで書き綴っていた内容を見て頂ければ僕が兄にどれだけ苦労をかけられたかを感じて頂けたと思います。
でも、小学校や中学校の時のように兄がニートである事を恥じる事もすくなくなってきました。そうでなければ実名で書いているブログに自分の兄がニートである事を書くはずがありませんからね。
自分でも不思議ですが、ある種、このままでも兄は大丈夫だろうという気さえしています。何も根拠はないですがいつからかそんな気持ちを持つようになりました。これは母親の影響が強いです。僕の母親は兄だけでなく僕、妹を凄く信頼してくれています。
色々と迷惑をかけているにも関わらず全幅の信頼を置いてくれている母親は僕が最も尊敬する人間の一人です。
僕もいつか兄が良い方向に進んでくれると思っています。
結局、今日も、明日も、明後日も兄はニートであり、家でゴロゴロとし、極たまに母親と散歩に出る生活を続けるのでしょうが、それでも良いと思えます。
勿論出来れば将来的には何かしらの行動を起こして欲しいですけど。「僕は15年間ニートです」なんてタイトルの本なんかを出したら売れるのではないかと思っています。
僕が「兄は15年間ニートです。」なんて本を出しても良いですけどね。
ニートに対して腹が立つ一方羨ましい面もあります。専門学校時代は自分が理学療法士になるため、もとい一人暮らしをするために家を出たとはいえ、本当に苦労しました。
朝から仕事に出かけて夜は勉強。それをひたすら繰り返します。お金も生活費に消えていきますし、休みも仕事に消えていきました。
僕もニートになれたらと何度思ったかわかりません。
かといって僕までニートになって実家に寄生するわけにもいきませんし、養ってもらえるほど裕福な家庭でもないので厳しいのですが。
何が言いたいのかさっぱりわからない記事ですが、色々と思う所があったので書かせて頂きました。兄弟がニートで凄く苦労しているって人がいれば是非話を聴かせてほしいです。
それではまたお会いしましょう。