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Own Little World

僕だけの小さな世界。

感情がないと言われる人達。

私言

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感情がない人を身近でみた事があるでしょうか。私はありません。

 

ただ、僕は高校から社会人になるまでの間に様々な所で「感情あるの?」と周りの人から言われました。

 

県を変えても、職場を変えても言われていました。ここ最近は言われなくなりましたが、場所が変わり人間関係が変わっても同じ事を言われるので僕自身に問題があるのは明白でした。

 

感情がない。言葉に気持ちが気持ちがこもっていない。そんな事いわれたってどうしようもない。

 

こっちは込めているつもりなのに、相手からはそう言われてしまう。

 

感情がない人なんていません。「感情あるの?」って言われてイラついたり、面倒だなと思う時点で感情があるのですから。

 

普段、感情を表に出さない人や気持ちを出さない人も心の奥では激情が渦巻いているのだと思います。

 

気持ちを素直に前面に出す事ができる人と違って、喜び、悲しみ、怒り、嬉しさ、諸々の感情を自分でも気づかぬうちに抑圧している人もいるんです。

 

特に怒りや、悲しみの感情を表に出さずに抑圧してしまっている人はそれらの感情が鬱積しています。

 

感情を表に出さない人はそれぞれ理由はあると思います。

 

僕自身の場合は口ではあれこれ言うけど結局行動が伴っていない人達がいて、それなら言葉に感情を乗せる意味なんてない。

 

と考えたのが始まりでした。そして言葉に感情を乗せる事にエネルギーを使うくらいだったら行動する事に使おうと考えていました。

 

言葉よりも行動にエネルギーを使う、だから言葉にエネルギーを込める事をやめる。

 

これは僕の例ですが、色々な事情があって表に出す事をしていない人がいると思います。

 

感情を素直に表に出す人と抑圧してしまう人は何が違うのでしょうか。

 

 

僕が思うに感情を抑圧してしまう人は

 

人に拒絶されるのを恐れている

 

からなのではないかと思っています。

 

 

感情を抑え込んでしまう人は内側には物凄い気持ちの喜怒哀楽が渦巻いているのだと思います。

 

ゴムボールは押さえつければ押さえつける程反発力が上がりますが、心もそれと似たようなものだと思っています。

 

自分の今思っている事を思いっきり吐き出したい、ぶつけたい、言ってやりたいと考えながらもそれをやめて、とにかく抑え込もうとしてしまう。

 

 

それは、その感情を周りの人達にみせた時に拒絶されるのを恐れているからではないでしょうか。

 

自分の思いをぶつけた結果、人に嫌われたら、怒られたら、理解されなかったら、仲間外れにされたら...。

 

それなら最初から感情なんて押し込めて、誰にも伝えなければ良い。

 

自分の中だけに留めておけば、誰を傷つける事もないし、傷つけられる事もないと考えているのではないでしょうか。

 

僕自身はそうでしたし、今もそれは残っている所があります。

 

自分の感情を否定される事は自分自身を否定される事だと考えてしまってそれを出せない。

 

ひたすらに心の中にマイナスなものが鬱積している様な感覚に陥る事がありました。

 

 

感情を抑圧して、心を抑圧しつづけるといつしか相手の気持ちにも素直に応える事ができなくなってしまいます。

 

相手が怒っていても、相手が悲しんでいても、相手が楽しんでいても、それに応じて感情を出す事ができないので一緒に喜んで、一緒に悲しんで、一緒に憤る事ができないのです。

 

どこか一歩引いた所から見ている感覚。

 

自分には関係なくて傍観している感覚といえば良いのでしょうか。本当は一緒に喜んで悲しんで憤りたいのに、それができない。

 

そしてそれが悲しいと感じてしまう。

 

 

感情を、心の動きを抑える人は全てを自己完結させていると思います。

 

湧き出た感情も、受け取った感情も全て自分の中だけで終わらせる。

 

外に出さずに内側に閉じ込めるのが当たり前になってしまった時に、言葉に抑揚がなくなり、周りから感情の有無を問いただされるのだと思います。

 

 

酷い状態だと自分自身の感情からも目をそむけて、向き合おうとしなくなります。

 

僕の場合は特に悲しい感情に対して目を背けていました。自分が悲しいと感じるなんておかしいと思って、悲しいと思う事に向き合わず抑え込んでいました。

 

自分の内側から湧き出る感情とすら向き合おうとしないので体と心がちぐはぐになった感覚がありました。

 

今では大分マシになったと思いますが、心が弱いからこそ自分の感情と向き合う事もしなかったのだと思います。

 

悲しい時は泣いたら良いし。嬉しい時は笑えば良い。そんな普通の事さえしないのは向き合うのが怖かったからだと思います。

 

人と向き合うのも怖いし、自分と向き合うのも怖い。だから全部拒絶して自分でも気づかない内にドス黒い感情だけが奥底に鬱積してしまう。

 

そして、鬱積した感情が心の器を超えてしまった時に「鬱」や「破壊行動」に繋がってしまうのではないかと思います。

 

破壊行動は周りの人を傷つける暴力行為から自分自身を傷つける自傷行為や自殺となって表れるのではないかと思います。

 

心に収まりきらずにいた感情が堰を切ったように溢れるので、鬱や破壊行動といった行き過ぎたものに繋がるのではないでしょうか。

 

 

 

では、感情抑え込まずに素直に表に出すにはどうすれば良いのでしょうか。

 

自分の内に感情を閉じ込め続けるのはしんどいですし、それが良くない事に結びついてしまう事は往々にしてあると思います。

 

ではどうすれば良いのか。

 

これは感情表現をする他にないと思います。自分の内側に貯めるだけでなく外に出してあげるのです。

 

楽しさや怒りといった喜怒哀楽をそのまま表現するのが苦手なら絵で表現したり、音楽で表現するなど創作活動に励むのも手だと思います。

 

僕自身は元々体を動かすのが好きだったので筋トレやランニングに励みましたし、とにかく本を読んで、音楽を聞きました。

 

このブログも一つの表現です。ネット上であれば自分の感情を文章で出す事ができる人もいるでしょう。

 

他の誰とも違って良いので自分なりの表現方法をみつけて、それを実行するのが良いと思います。

 

僕は違いますが、創作活動に結び付けれる人は、他人の感情を動かせる素晴らしいものが作れるのではないでしょうか。

 

 

もう一つ大事なのは自分の感情と向き合う事だと思います。悲しいと自分が感じている時は思いっきり悲しんで泣いたら良いのです。

 

楽しいと感じているなら思いっきり笑って楽しめば良いのです。

 

怒りを感じている時もそうです。

 

 

大切なのは今自分がどんな感情にあるかを認める事です。そしてその感情から目を背けて逃げずに真正面から向き合う事です。

 

難しいと感じる人は自分が一人きりの時にやってみてください。

 

その時に、感情とリンクした音楽を聞くのはオススメです。悲しい時には悲しい曲を怒っている時には激しい曲を聞く事で、自分の中にある感情を認めやすくなると思います。

 

最初は自分の感情と向き合うのがが辛いと思うかもしれません。ですが、しっかりと向き合った後は気持ちがスッと楽になると思います。 

 

最初の一歩は本当に小さなもので良いのです。いきなり大股で歩き出す必要はないです。

 

自分の感情がわからないし、表に出す事もできずにいて、しんどいと思う人は試してみてください。

 

同じように苦しんでいる人はいますし、あなたが感情を表に出す事を喜んでくれる人も受け止めてくれる人も必ずいます。

 

 

感情がない人なんていません。不器用なだけなんです。

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

遅刻の言い訳はしない方が良い。言い訳は逆効果。遅刻常習犯が語るダメージを軽減させる方法。

遅刻

このページを見ているという事は今あなたは必死に遅刻の言い訳を探しているのではないでしょうか。

 

そんなあなたの為になる記事です。5分とかからず読めるにも関わらず、目から鱗の遅刻の謝罪の仕方が学べます。

 

学生時代には数えきれない遅刻をした僕だからこそ、細かい部分まで分析した遅刻の謝罪の仕方、ダメージの軽減の仕方まで真面目に解説できると思います。

 

さて、今あなたは会社に、あるいは学校にどう連絡しようかと、良い言い訳はないかと頭をフル回転させているかもしれません。

 

いっその事、もう今日は休んでしまおうかと考えているかもしれません。

 

どちらにせよ何かしらの連絡は会社でも学校でも入れないといけませんよね。

 

ただですね。

 

脳みそをフル回転させ、言い訳を考えているかもしれませんが言い訳は一切しない方が良いです。

 

遅れてでも行く気持ちがあるなら遅刻した事に対してあーだこーだ言わない方が良いです。

 

遅刻した事はもうしょうがないのです。

 

起きてしまった事は変えられませんし、ミスをしない人はいません。

 

もしかしたらあなたはいつもセットするアラームをたまたまかけ忘れていたかもしれません。

 

昨日遅くまで仕事をしていて目覚める事が出来なかったのかもしれません。

 

徹夜で勉強していたためとりかえしのつかない時間まで寝てしまっていたのかもしれません。

 

理由は千差万別で様々だと思います。

 

ただ、遅刻した結果は変わりません。

 

どんな理由であれ、遅刻は遅刻なんです。

 

高齢者が横断歩道を渡るのを手伝っていたとか、妊婦さんがへたり込んでいたので介抱していたとか高尚な理由であれば話は別です。

 

ただ、そんな方は「遅刻 言い訳」なんて検索の仕方はしないでしょう。

 

僕自身学生の頃は遅刻の常習犯でしたし、社会人になってからは数回程度ですが遅刻をした事があります。

 

なので、遅刻をした事がわかった瞬間の汗が噴き出す感覚は知っています。

 

目が覚めた瞬間に遅刻を確信する気持ちも分かっています。

 

先方に連絡したくないけど、連絡が遅れれば遅れる程状況はマズくなってしまう気持ちの葛藤も味わっています。

 

遅刻常習犯だった僕だからこそわかりますが、遅刻の言い訳は一切しない事です。

 

相手に言う事はただ一つです。

 

ただ一言「寝坊しました!!

 

これだけ言う様にしましょう。ポイントは大きな声で元気よく、ヤバそうな感じを出していう事です。

 

間違っても小さい声でぼそぼそと「寝坊しました...。」と言ってはいけません。

 

弱気な声で言おうものなら、時間通りに来ない事に上司や先輩から容赦のない罵倒が飛んでくる可能性があります。

 

とにかく感情的な声で押し切ってしまうのです。電話も必要最小限のやり取りで切るようにしてください。

 

「すいません。昨日セットしていたはずのアラームがならなくてですね。セットされていたのは確かに確認したのですが、、、どうにも調子が悪かったみたいでですね...。」

 

などど言い訳をしてはいけません。

 

遅刻をした時に言い訳をするのは相手に攻撃するスキを与えるようなものです。

 

言っている本人は真面目な気持ちで理由を話しているかもしれまん。

 

ただ、傍からみたらツッコミ処満載の攻撃してくださいと言わんばかりの内容を話ている事が多いです。

 

「本当にアラームセットしたの。」

 

とか

 

「いつもはなってるのに何で今日だけならないの。」

 

とか

 

「アラーム二つ用意するとかさ、出来るでしょ。」

 

遅刻したせいで負った傷口に塩を塗り込まれること必死です。

 

なので「寝坊しました!すぐに行きます!!」と感情的に必要最小限の情報だけ伝えて早く電話を切る様にしてください。

 

あなたの偽らない紳士的な態度に相手も思わず許してしまうかもしれません。

 

実際に僕自身もこの手を使って難を逃れた事は何度かありますし、言い訳をせずに正直に言ったら御咎めなしだったという例はあります。

 

今後遅刻して窮地に陥った方は是非一度試してみてください。

 

 

ここからは更なる応用になります。

 

 

しっかりついてきてくださいね。

 

遅刻をした際に伝える事は主に2つです。一つは謝罪、もう一つは到着する予想時刻です。

 

例えば9時に到着しないといけない予定だったのに、15分遅刻しそうだとします。

 

あなたなら予想時刻を何時だと伝えますか。

 

9時15分と答えた人は正直な人です。ただ、不正解です。

 

僕なら9時30分と伝えます。

 

遅刻をした際には予想到着時刻は余裕を持って答えるようにしてください。

 

これは非常に重要な事です。

 

上司や先輩、あるいは先生の立場になって考えてみてください。

 

相手の立場にたって物事を考える事が重要だと聞かされた事は一度はあると思います。

 

遅刻する人が来るのを待つ人の心理になりきってください。

 

あなたは15分遅れてくると連絡を受けたから待っています。

 

約束の時間まで後5分、4分、3分

 

「あれ、本当に来るのかな?」

 

約束の時間まで後2分、1分

 

「おいおい...。」

 

約束の時間まで後30秒、10秒

 

「イライラ...。」

 

約束の時間まで後1秒

 

「すいません!遅れました!」

 

おせーよ!!

 

とまぁ遅刻を待っている人の心理は概ねこんな感じだと思います。

 

勿論遅刻している人の心理も焦りと苛立ちが渦巻いているでしょうが、待っている人もそれは同じなのです。

 

時間ギリギリだと、約束の時間に来ないんじゃないかとイライラがつのってしまうのです。

 

既に遅刻しているのに、自分が言った時間を過ぎるなんでどういう事だ。

 

なんて頭の中で考えていたりします。僕は遅刻常習犯でしたので遅刻する立場だけでなく、遅刻を待つ人の立場も理解しているつもりです。

 

もしこれが30分と伝えていれば、予想よりも早く来たし、急いでいたんだなと思われます。

 

相手も言われた時間を過ぎるんじゃないかと余計な心配をする事もありません。

 

まさにお互いの為になるwin-winな状態が作れるのです。

 

大体遅刻してパニックになっている頭で予想した到着時刻は当てになりません。

 

相手に怒られるのが嫌なので、つい短めの時間で申告してしまったりします。

 

ですが短めの時間で到着予想時刻を伝えるのは絶対にやめましょう。

 

既に遅刻しているのですから15分や30分余計に時間をとって伝えた所で怒られ方は変わりません。

 

それよりも申告した時刻を過ぎる事によって2回目めの遅刻をするのが問題です。

 

ちなみに僕は道に迷いまくって申告時刻を3回過ぎるハットトリックを決めた事があります。

 

電車を乗り過ごしたり、あわてていたので家に忘れ物をした事に気づいて取りに帰る可能性もあるので、イレギュラーな要素が起きても対処できるように到着予想時刻は遅めに伝えましょう。

 

 

「言い訳をしない」「到着予想時刻を遅めに伝える」

 

これだけで遅刻をした際のダメージはある程度軽減できますが、他にも細かいテクニックはあります。

 

遅刻をした際にはいっその事休むのです。

 

遅刻してでも来た人間と欠席した人間だと往々にして、遅刻した人間の方が怒られます。

 

欠席した人は文字通りいないので怒られませんし、欠席なら仕方ないと思われたり、翌日に全てが持ち越されるのでリセットされた状態になってたりします。

 

「遅刻をしてでも来た僕の方が偉いんじゃないか?」

 

なんて怒られてる最中に思ってました。

 

遅刻して怒られるのが嫌ならいっそのこと休みましょう。

 

電話するまでは緊張しますが、その緊張も一時の事です。伝え終えたら布団の中にもう一度入りましょう。

 

サボれる幸せな気分に浸って夢の世界に飛び立つ事が出来るはずです。

 

 

休む事をせずに怒られる事を覚悟で選んだ責任ある方はとにかく急いできた感を出しましょう。

 

ある程度服装や髪乱れて、多少の汗をかいている方が望ましいと思います。

 

汗をかくのがいやな人でも会社や学校の近くにきたら走る様ににしてください。

 

どこから誰に見られているかわかりません。

 

ただ、走り出した瞬間を目撃されてしまうと逆効果になるので走り出す時は周囲に目をくばってから走りましょう。

 

部屋に入る時は扉はそーっと開けるのではなく、勢いよくあけましょう。

 

とにかく急いだ来た事をアピールする事を心掛けましょう。部屋に入ったら足早に責任者の所にかけより遅れた事を謝ってください。

 

その時にこの世の終わりかの様な表情をしていると情状酌量をかけてくれるかもしれません。

 

ただ、遅刻を繰り返している人の場合は逆に怒られる可能性もあります。

 

人によっては勢いよく「すいません!本当にすいません!!」と謝った方が良い場合もありますので、ここは見極めが必要です。

 

自分自身のキャラクターも加味して考える必要があります。

 

ポイントは普段とのギャップが出る方を選ぶ事です。

 

普段大人しい人は勢いよく謝るのが良いです。反対に普段元気な人は申し訳なさそうにいきましょう。

 

普段のキャラクターとギャップのある姿を見せる事で本当に反省しているんだなと相手に思ってもらえるでしょう。

 

 

 

まとめです。

 

  • 遅刻をした際は言い訳しない。
  • 寝坊しました!と勢いよく謝る
  • 電話での報告は必要最小限の事だけ伝えて早く切る
  • 到着予想時刻は遅めに伝える
  • いっその事休んだ方が怒られない
  • 服装や髪は乱れて、汗をかいていた方がよい
  • 部屋に入る時には急いで来た感を出す
  • 会社や学校の近くでは走っている姿をみせる
  • 申し訳なくいくか、勢いよくいくかは使い分ける
  • 自分のキャラクターとギャップの出る謝罪をする

 

 

こんな所でしょうか。

 

これらのテクニックを使えば遅刻で怒られる度合いを大幅に下げる事は可能だと思います。

 

是非一度試してください。

 

ただ、あまりにも頻繁に遅刻を繰り返していると話は変わってきますので注意してください。

 

 

僕くらいの常習犯になると遅刻してもジョルノ・ジョバーナの様な「光輝くさわやかさ」を出しますね。

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 あ、最後に伝えておきますが今回のテクニックは全て自己責任でお願いしますね。

 

今回のテクニックを使った事によって火に油を注ぐ結果となったとしても僕は責任をとれませんので、あしからず。

 

 

遅刻を繰り返す理由について書いた記事もありますので合わせて読んでみてください。

 

ishidatomo.hatenablog.com

 

 

 

ではまた。

集中力がない人間なんていません。集中できない事をやっている人間がいるだけです。物事は多面的にみないとわからない。

私言

集中力。日常でよく聞く言葉ですが、そもそも集中力ってなんなのかっていると漠然とした答え方しかできないと思います。

 

情報源として人気ながらも、情報源として用いるには信用のならないwikipedia先生によりますと

 

「集中力とは一つの事柄に注意を集中して物事に取り組む能力。」

 

だそうです。

 

わかるような、わからないような文章ですね。

 

僕自身集中力という言葉は何処か腑に落ちない感じがしているのであまり使う事はしていません。

 

ただ、集中している状態だったなって思う時があります。

 

僕は勉強する時に音楽を聞く事があるのですが、勉強に没頭していてハッと我に返った後、音楽がまったく聞こえてなかった!となる状態に陥る時があります。

 

このブログをくれている人の中にも同じ経験をした事がある人はいるのではないでしょうか。

 

周りの情報を遮断して一つの物事に取り組んでいる状態を集中しているというのではないかと思います。

 

そして、その状態に入る力を集中力というのかではないかと勝手に思っております。

 

日常生活のあちこちで「集中力」という言葉は使われていますよね。

 

会社や学校でも

 

「お前は集中力がない」とか「おれは集中力が凄い」なんて言ったりしますよね。

 

友達の中にも「私集中力ないんだよねー」っていう人がいますが、僕は集中力の無い人はいないと思っています。

 

集中力がないと発言する友達は授業中に先生の話を聞かずに落書きばかりしている人でした。

 

それもひたすら落書きをしているのです。

 

僕はその友達の後ろで見ていたし、一緒に落書きに参加もしていたのでわかるのですが途切れる事なく書いています。

 

先生の立場からしたら

 

「授業をちゃんと聞かない集中力のない学生」

 

に映ると思いますが、僕の目には

 

「ひたすら落書きに没頭できる凄い集中力をもった人」

 

に映りました。

 

授業を聞かずに落書きばかりしている友達を見て思ったのは、集中力のない人がいるんじゃなくて、集中できない事をやっている人がいるだけなんだという事です。

 

スポーツが大好きで体育の時間は熱心に頑張るけど、勉強は嫌いで全然出来ない人。

 

勉強が好きで本をぶっ通しで読むけど、運動は嫌いだから端っこで座っている人。

 

スポーツも勉強も適当にやるけど女性へのアプローチだけは熱い人。

 

普段から人の話をあまり聞かずに家に引きこもっているけど何時間でもゲームに没頭する人。

 

どの人も集中力がない人と言える要素をもっていますが、同時に見る角度を変えれば凄い集中力を持った人になります。

 

結局自分の好きな事をやっている人は誰に何を言われるでもなく集中してしまうんだと思います。

 

自分が好きでもない事や、自分が集中できる事に集中できない人を「集中力のない人」と呼んでいるだけなのでしょう。

 

適材適所という言葉がありますが、それぞれの人が一番集中力を発揮して取り組める物事を見つけられたらそれが一番なのではないかと思います。

 

「私集中力ないんです。」と悲観している人は自分が集中出来る事を見つけて取り組めば自分がどれだけ集中力のある人間なのかわかると思います。

 

 

 

 

 

ではまた!

 

 

いじめ自殺とかいう学校の闇。辛いなら休めば良い。助けを求めれば良い。

教育問題

学校のいじめ自殺問題がニュースで取り上げられているのを見ると「何故周りは気付かなかったのか。」という話になる。

 

真面目な人間ほどいじめられている現状を親や兄弟に言う事も出来ずに一人で抱え込んでしまうのではないかと思う。

 

でもいじめられて苦しんでいる人っていうのは何かしらのサインは出しているはずです。

 

以前に

ishidatomo.hatenablog.com

という記事を書きました。

 

学校が嫌、職場が嫌と感じる意識が遅刻という行動に表れる事を書きました。

 

学校でいじめられたり、嫌な事があった場合に休む人はむしろ安心だと考えています。

 

休む事が出来る人は辛い事があった時に逃げる事が出来る人だからです。自分がしんどい事を周囲にわかりやすいサインとして出せる人だからです。

 

いつも笑顔でにこにこしている人は周りに心配を掛けたくなかったり、自分がいじめられている事を親、兄弟に知られたくないのです。

 

要するに真面目すぎるのです。

 

もうね。クソがつくくらい真面目な人間なんだと思います。

 

辛いなら休めば良いじゃないですか。しんどいなら周りにそういえば良いじゃないですか。

 

周りに助けを求めることも出来ずに自分1人で抱え込んでいるのは精神的にしんどいものです。

 

学校は閉鎖された空間であり、毎日同じクラスで同じ友達と接します。

 

一たびカースト制度が出来上がり下にされてしまったら、中々抜け出せないものがあります。

 

本来ならいじめ問題を解決するために動かなければならない教師がいじめを見て見ぬ振りしたり、加担する様なケースもあるそうです。

 

ネットによって不祥事があっという間に広がるようになった結果学校で揉み消そうとする校長もいます。

 

自分自身が大人になったからこそわかりますが子供は可能性の塊だと感じます。

 

小学校や中学校、高校生の年齢で自ら命を絶ってしまうのは非常に残念な事です。

 

辛い局面に立った際に「生きる」か「死ぬか」で考えてしまう様な真面目な人には「休む」選択肢も持って欲しいです。

 

休んだらまた歩きたくなります。ずっと1カ所で休み続ける事もないです。

 

自分1人で出来ないなら、周りを頼ってください。

 

自分の未来にどれだけ素晴らしい事があるか、どれだけ豊かな経験を出来るかを知らずに「死」を選ぶ人がいるのは異常な事です。

 

親にも兄弟にも言えないという人はネットに書き込むのでも良いと思います。

 

とにかく自分の中にあるものを掃き出す場を持つようにしてください。

 

最後にこれだけいったので私のメールアドレスも下記に載せておきます。ただ、辛い現状を書き綴るだけでも結構です。

 

もし、いじめられていたり、学校で苦しい環境にある様ならメールしてください。

 

akairoyamaneko02@gmail.com

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

とりあえず3年間頑張ろうとかいう暴論

私言

新卒が就職した会社を数ヶ月で辞める事がたびたび問題に取り上げられます。

 

今年も9月になりましたし、4月入社組の中には既に退職している人もいれば、辞めたくてしょうがないと考えている人もいるでしょう。

 

実際に私の友人でも2ヶ月足らずで辞めた人も1人や2人ではないです。

 

勿論スピード退職なので円満退社など望めるはずもなく会社の人事担当者や社長が憤慨している話を聞きます。

 

社会人なら辞める意思を周りの友人、先輩、親達に話すと結構な確率で

 

「とりあえず3年間頑張って見なよ。」

 

なんて返答が返ってくると思います。あるいは3年間頑張ろうと誰かに言った経験があるのではないでしょうか。

 

はっきり言って僕はこの「とりあえず3年間頑張ろう理論」は暴論だと思っています。

 

僕は理学療法士の資格を取ったにも関わらず、ビジネスの世界に行きたいと思い、一度も学校の進路指導室に行く事をしませんでした。

 

そんな時周りに言われたのは3年間理学療法士として勤めてみて、それから考えたら良いじゃないか。

 

というアドバイスでした。

 

ただ、正直言ってですよ。

 

とりあえず3年間頑張るって地獄じゃないですか?

 

自分が一所懸命の気持ちを持たずに会社に勤めていた所で生産性はあがらないし、ダラダラした日々を過ごすだけだと思います。

 

何より、とりあえずで3年間過した人間が3年後に自分の好きな事を出来る様になっているとは僕にはとても思えませんでした。

 

我慢した先に待っているのは更なる我慢でしかなく、そこから抜け出す為には何か行動をしないといけないのです。

 

20代の3年間って本当に貴重だと思うんですよ。

 

体力的にも精神的にも余力があって、多少打ちのめされようがなんとかなる年代だと思っています。

 

フットワークも軽くて、年配の方からも無茶をしても多少は多めにみてもらえます。

 

挑戦するにうってつけの年代だと思いますし、悩みながらも自分のしたい事を追いかけている人が多い様に感じます。

 

4年制大学を卒業した人であれば22,23歳なので3年たったら25,26と、あっという間に20代中盤になってしまいます。

 

貴重な20代という時間を考えるととりあえず3年間過ごした後に残されているのは4,5年しかないのです。

 

平均寿命までの残り時間を考えるのではなく、20代の残り時間を考えた時に僕はどうしてもとりあえずで3年間を自分が働きたいとは思わない職業に就こうとは思えませんでした。

 

結局新卒最初の仕事は理学療法士として働くのではなくインドネシアで8ヶ月程働く事になりました。

 

すぐに仕事を辞める人は入社前のイメージとのギャップが多いのだと思います。

 

自分がしたかった事は本当にこれなのかと悩んだ結果退職の道を選ぶのは全然ありだと思います。

 

3年間頑張ろうとアドバイスしてくれる人達は特に何も考えずに3年といっているのではないかと思います。

 

今すぐ辞めた方が良いよ。なんてアドバイスをする人は少数でしょうし、何故辞めたいのか具体的な理由を聞いて打開策を提示する人も少ないと思います。

 

結局3年間という年数は最もらしく聞こえて、尚且つ自分に責任が及ばないから使われる様になったんだと思います。

 

今すぐ辞めた方が良いなんてアドバイスをして本当にその人が辞めたら、その人の両親を始めとする周囲の方々から非難を浴びる可能性もありますし、最悪辞めた諜報人からすら「何で止めてくれなかったんだ!」などど逆恨みを買う恐れすらありますからね。

 

 

ちなみに社会人の時だけでなく学校でも同様の3年理論の話は出てきます。

 

私の学校では卒業する先輩数人から話を聞く授業がありました。

 

大体話をするのは素行不良少年ではなく先生から優秀だと思われている方々です。

 

言われる内容の多くは「勉強に励んだ方が良い」「部活は苦しくて辞めようと思った時もあったけどやり通して良かった。」「友達との楽しい思い出を作ってください。」といったものです。

 

特に部活は3年理論に当てはめて語られる事が多いです。3年間諦めずにやって良かったと。

 

3年理論は反対の僕ですが、学生の部活の時に関しては賛成です。

 

というのも僕自身高校の部活では辞めようと思いながらも3年間頑張ったおかげで様々な面で良い影響を人生に与えてくれているからです。

 

実際に3年間頑張った結果報われた実績が自分の中にあるので、それを仕事ににも当てはめようとして苦しんだ時期もあります。

 

仕事も同じ様に3年間頑張れば同じように報われるのではないかと。

 

結局僕は仕事を3年どころか1年経たずに転職しました。

 

基本的に学校は3年間で終了します。それに伴って部活も終了しますので3年間がゴールになっていると言えます。

 

部活を1年に一回帰るのも学校という閉鎖的な空間に置いては部活に励んでいる学生や顧問の先生方からも良くはみられないでしょうし、大会に出て賞をとるほどにスキルアップするのは難しいでしょう。

 

その為3年間行えば自動的にゴールし卒業となる学校に置いては3年理論は当てはまると思います。

 

ただ、社会人として働く事になると3年働いたらゴールなどありえません。

 

少なくとも65歳までの40年間以上は走り続ける事になりますし、場合によってはもっと長い期間を仕事に捧げる事になります。

 

そのため、とりあえず3年間頑張っても終わる事はなく、酷い場合だと3年間成長する事もなく窓際族になってしまうケースもあります。

 

例えばこれが

 

「3年間の内に先輩から技術を全て盗んで仕事のスキルを上げて転職する。」

 

という風に目的意識を持って過ごしていれば結果は全く変わると思います。

 

ただ、とりあえずで3年間過した場合に自己成長が出来ているかと言うと僕にはそうは思えませんし、時間の無駄にすらなると思います。

 

就職氷河期と言われる時代にも関わらず数ヶ月で退職する社会人のスピード間は非難されるだけでなく、賞賛する部分も多分に含んでいると思います。

 

国家に住んでいる以上、労働は義務ですし人生の大半は仕事をして過ごす事になります。

 

ならば早めに自分が良いと思う環境を探す事は大切でしょう。

 

とりあえず3年頑張ろうという考えは人生で挑戦し易い時期を捨てようと棒に振る危険性を孕んでいると思います。

 

20代後半や30代になれば家庭を持つ事になる場合もあるでしょうし、20代前半の頃に比べて身軽に動けるという人は少なくなるはずです。

 

そうなる前に見切りをつけて別の場所に行くのは選択肢の一つとして絶対に必要なものだと言えるでしょう。

 

勿論、数ヶ月で退職するという事はリスクもあります。

 

日本では「履歴書」が全てという風潮があり、早期退職者が歓迎される事はまずありません。

 

3年間なんてやってられないと考えて早期に退職する人は今後の就職難を始めとする困難がある事を踏まえた上で尚やめる事にメリットを感じる様であれば辞めるべきでしょう。

 

履歴書に一生キズが残るのではないかと心配する人もいるかもしれませんし、怖いと感じる人もいるでしょう。

 

ですが、一つの扉が閉まれば、一つの扉が開くものです。

 

前進し続ける限り打開策は見つかりますし、僕自身学校を卒業後1年半で2回転職を繰り返し今の会社で3社目になります。

 

そして今本当に良い環境につく事が出来たと思っています。

 

途中何度も苦しむ時もありました。数ヶ月でやめる選択をした際には苦しむ事も当然あります。

 

それでも僕はとりあえずで貴重な20代の人生を浪費する方が恐ろしかったのです。

 

とりあえず3年間頑張ろうは暴論だと思いますし、具体的な理由を持っていなければ3年間頑張ろうなどというアドバイスもするべきではないと思います。

 

ただ、結局は自分の人生なのですから全て自分に責任が来ます。

 

どちらを選択するのかは自由ですが自分の気持ちに従って最良だと思う方を選んでください。

 

思考停止でとりあえず3年間頑張るというのだけはやめてくださいね。

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

遅刻常習犯が語る遅刻をする人の心理。遅刻する人は学校が、職場が嫌なのです。

遅刻

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「遅刻=悪の図式が成り立つ現代社会では遅刻者は基本的に怒られます。

 

この時に何故遅刻したのか、何故遅刻をしてしまうのか考える人は少ないです。

 

遅刻を繰り返す僕が自分の学生時代を思い出しながら遅刻常習者が何故遅刻するのかを書き綴りたいと思います。

 

 

遅刻を繰り返す学生時代

僕は学生時代遅刻の常習犯でした。小学校の時は登校班の班長だった事もあって嫌々ながらも時間通りに集合していました。

 

中学校に上がると登校班なんていう制度もなくなり、各々が朝礼に間に合えば好きなタイミングで家を出てよい事になります。

 

入学当初は頑張って早めに行くようにしていましたが1ヶ月、2ヶ月と経つ内にチャイムと同時に教室に駆け込む毎日に変わりました。

 

そんなギリギリの時間に行くようになっていたので雨が降ったり、風が強かったりする日は当然遅刻します。

 

遅刻を繰り返していた僕が言うのもあれなのですが、ギリギリで教室に入るのは割とストレスになります。毎日「間に合うか間に合わないか」のせめぎあいなのですから実は心身ともに疲労を感じているのです。

 

学校に隠れて自転車登校を始めた中学2年生

 

本当はもっと早かったかもしれませんが、記憶があやふやなので中学2年生にします。

 

僕は小学校の時は自宅から徒歩5分とかからずに到着する好立地な所に住んでいました。

 

ところが中学校は徒歩30分はかかる遠い場所にあったのです。

 

そのため、普通に歩いていても遅刻する僕は学校に隠れて自転車登校を行う様になりました。

 

あまり近くに止めると先生に会うリスクや学校にばれてしまうリスクがありますので少し離れた所に自転車を隠して何食わぬ顔で登校していました。

 

正確な距離はわかりませんが中学校では近くに住んでいる学生は徒歩なのに対し、遠くに住んでいる学生は自転車が許可されていたのです。ですが、そんなの知らないよという思いで僕は学校に隠れての自転車登校を続けていたのです。

 

歩きに比べて半分程の時間しかかからない自転車通学は本当に快適でした。

 

 

それでも変わらない遅刻率

 

自転車を使用する事により通学時間を短縮する事に成功した僕ですが、そうなるとまた別の問題が出てきます。

 

そう、家を出る時間がその分遅くなるのです。もう少し寝てても自転車だから大丈夫と思ってしまい、結局は徒歩の時と同じくチャイムと同時に駆け込む毎日でした。

 

時間ギリギリになると自転車を一生懸命こがないといけないし、少し離れた所に自転車を隠す必要があった僕は、途中からは自転車を降りて走らないといけない羽目になります。

 

汗をかくのが嫌だと思いながらも一向に遅刻は改善されませんでした。

 

 

テレビのニュースを見るために1時間以上遅刻する

 

中学ともなると、親の見ているニュースの内容がわかる様になります。

 

小学校の時にはまったく興味を持たなかったニュースが分かる様になり、自分が成長していると感じると共に、世界で起きている事象を自分が知れている事に感激し朝のニュースを見る時間が増えました。

 

気になるニュースがあると最後まで見たくなってしまい学校が始まっている時間になっても構わずにニュースを見る事もありました。

 

1時間以上遅刻していっても多少怒られるだけで、特に問題ないなんて生意気な事を考えていた僕は数えきれない程の遅刻をしていました。

 

何で遅刻したのと友達に聞かれると「ニュースを見ていたから」なんて今でいう中二病ともとれる発言をしていました。

 

 

変わらず遅刻を繰り返す高校時代

 

結局最後まで遅刻常習犯である僕でしたが、中学校は義務教育でありいくら遅刻をしようと無問題であったため問題なく卒業した僕は、これまた普通に高校に進学しました。

 

高校では全員自転車通学が許可されており、途中に自転車を隠す事のなく堂々と自転車に乗れる様になりました。

 

距離としては中学校より更に遠くなり、自転車でも30分はかかる様になっていました。

 

高校に上がったら自然と遅刻はしなくなる。なんて事はなく中学校時代と同じように遅刻をしていました。

 

とはいっても中学校と違い、あまりにも遅刻を繰り返すと欠席扱いになってしまい出席日数が足りなくなるため数自体は減っていたと思います。

 

それでも1年生の時には遅刻、欠席共に20回以上は繰り返していたと思います。

 

これだけ遅刻を繰り返すと「遅刻指導」といって学校の清掃活動を行う必要があるのですが、それにも遅刻して先生から大目玉を喰らった事もあります。

 

また、新年あけの始業式にも遅刻をして担任の先生から激怒された事もあります。

 

いつもよりも開始時間が遅く、通常だと8時15分までに着席する必要があるのですが、その日は8時45分には着席していれば良く、いつもよりも30分は余裕があります。

 

いつもより時間に余裕があり尚且つ始業式なんて大事な日に遅刻するとは何事だと言われ、体育館にいる生徒指導の先生の所まで連れていかれて怒られたりもしました。

 

どれだけ怒られても遅刻率は変わらない

 

遅刻が原因で怒られた経験は豊富にある僕ですが、怒られる事によって遅刻率が改善する事はありませんでした。

 

むしろ遅刻をして怒られたから学校にいくのも億劫になって、遅刻しそうになる場面も増えましたし、遅刻が確定した時には途中で引き返して学校をサボったりする事もしょっちゅうでした。

 

遅刻した人は怒られるのが普通ですが、怒られる事によって遅刻が改善される事は少ないのではないかと思います。

 

 

部活に熱中する事で誰よりも早く学校に来るようになる

 

僕は高校時代は自転車競技部といってロードバイクや競輪を行う日本ではマイナーな部活に所属していました。

 

1年生の時はただなんとなく練習していた僕ですが、ある出来事があって2年生からは部活に打ち込む様になりました。

 

強くなりたい一心で自転車の練習に打ち込んだ僕は朝練を開始する様になり誰よりも早く学校に来る様になりました。

 

あれだけ怒られても改善しなかった遅刻常習犯が部活に打ち込む事で遅刻する回数が大幅に減少したのです。

 

遅刻が減少したのは部活をするために学校に来た結果得られる副次的な効果でしたが、明らかに怒られていた時よりも状況が良くなっていたのです。

 

 

 

遅刻をする理由は結局はつまらないから

 

遅刻をする人はたまにしてしまう人を除いてメンバーが決まっているものです。

 

「いつもあの人は時間ギリギリに来るな」とか「あの人はしょっちゅ遅刻するな」と思う人は身近にいたと思います。

 

遅刻を繰り返す人は十中八九、学校であったり仕事場に行くのがつまらないと考えています。

 

正直行くのが嫌なのです。面倒なのです。

 

もし、学校や仕事場に行くのが楽しみであれば遅刻しません。部活に熱中していた僕がそうであるように、行きたいと思っていれば遅刻はしないのです。

 

少年漫画で好きな人が学校に来ているから学校を休まない男子が描かれる事がありますが、まさしくあの心境です。

 

あの男子は好きな子を見るために学校に来ているし、話しかけるチャンスがあるかもしれないから早めに学校に来たりします。

 

 

学校に早く行こうという目的意識が芽生えるのです。

 

 

 

遅刻をする人の理由を突き詰めて考える

 

遅刻をする人を怒る人はいても、その理由を聞く人は少ないです。

 

もし理由を聞いたとしても表面的な理由だけ聞いて終わる場合がほとんどです。

 

寝坊する人は行くのが嫌なんです。学校が職場が楽しくないのです。

 

遅刻常習犯の人をみるとテストの成績が悪かったり、仕事の業績が低い人が割合として多いです。

 

特に学校生活の中で遅刻を繰り返している人は留年、退学する人が多かったです。

 

それも、そのはず行きたくないと考えながら通っているのですから良い成績を出せるはずもないのです。

 

 

 

遅刻は最初のサイン

 

僕は学生生活の中で多くの遅刻を繰り返しました。

 

何故なら僕は学校に行くのが面倒だったからです。

 

別の項目でも書きましたが僕にはニートの兄がおり、毎日学校を休めるなんて羨ましいと思っていたのも僕の遅刻率を押し上げていたのだと思います。

 

学校では必ず遅刻する人がいます。遅刻をした人を先生は怒りますし、周りの人間も何をやっているんだという目で見ますが、遅刻は最初のサインなのです。

 

これは学校だけでなく職場でも言える事だと思います。

 

遅刻を繰り返す人は何かしらの不満、問題点を抱えています。

 

その時にただ、怒ったり、注意をしたりするだけでなく、もっと根底にある原因を探ってください。

 

もしかしたら寝坊で遅刻すると言っている人は、友達にいじめられていたり、クラスになじめていないのかもしれません。

 

会社に5分遅れますと連絡してくる人は上司とうまく関係が築けていないのかもしれませんし、仕事が上手くいっていないのかもしれません。

 

日本は只でさえ時間に厳しく「遅刻=悪」の図式が出来ていますが、条件反射的に怒るのではなく、もっと根底にある遅刻した理由を考えてほしいと思います。

 

遅刻をやめさせるのではなく、早く来たくなる環境の構築を

 

僕の体験談ですが、遅刻者にはいくら言っても効果はありません。

 

むしろ反発して、状況が悪化する事さえあります。

 

大事なのは遅刻をさせない事ではなく、早く来たくなる環境を構築する事にあると思います。

 

僕の好きなイソップ物語に北風と太陽があります。

 

ある旅人の着ている服を脱がそうと勝負を持ちかけた北風は強風を起こして旅人の服を脱がせようとします。

 

その結果旅人は服が飛ばされないようにがっしりと服をつかみ、北風がどれだけ強風を起こそうと旅人の服を脱がせる事はかないませんでした。

 

太陽は北風と違い、旅人が服を着ているのは寒いからだと考え、周りの気温を上昇させ、ポカポカと温かい空気を作りました。

 

その結果旅人は自ら服を脱いだのです。

 

この話からわかるのは周りの人間が力づくで人を変えようとしても、駄目だと言う事です。

 

環境をつくり、働きかけ、その結果その人自身が変わる手助けをする事が大事なのだと思います。

 

遅刻してしまう理由の根底を考えて、遅刻者には接してほしいと思います。

 

時間通りに来ている人からすれば、只の甘えや、怠けに見えるかもしれませんがグッと我慢して誠実に接してあげてください。

 

元(?)遅刻常習犯からのお願いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。

 

【合わせて読みたい記事】

ishidatomo.hatenablog.com

何を言ったかが重要ではなく、誰が言ったかが重要です

私言

世の中では様々な意見が対立していますが、その内の一つに「何を言ったかが重要」vs「誰が言ったかが重要」が挙げられます。

 

耳障りの良い意見では「誰が言ったかではなく何を言ったかが重要」であり、時折こちらの意見がもてはやされる事もありますが、僕は違うと思います。

 

重要なのは「誰」が言ったのかだと思います。

 

例えば自分の人生に悩んでいる人にアドバイスする事ばとして「人生は長いんだからクヨクヨするな」と言う人がいたとします。

 

ではこの言葉をまったく違う人に言わせてみましょう。

 

小6「人生長いんだからクヨクヨするな」

 

お爺ちゃん「人生長いんだからクヨクヨするな」

 

いかがでしょう。経験豊富なお爺ちゃんが言うと説得力がありますが、小学校6年生の子に言われても君に言われたくないよとカチンと来ますよね。

 

別の場面で想像してみましょう。お金が無くて悩んでいる人に対して「人生はお金が全てじゃない」という言葉をかける人がいたとします。

 

お金持ち「人生はお金が全てじゃない」

 

貧乏な人「人生はお金が全てじゃない」

 

これも良い悪いではなく、受ける印象が事なると思います。

 

 

上記の例以外でも自分が尊敬する人から受け取ったアドバイスを人は大事にしますし、自分が好きな人から告白された方が人は喜びます。これは誰が言ったかが重要だと考えなければ成り立たない事です。

 

 

感情面から見るだけでなく、社会的な面からみても同様の事が言えるでしょう。一評論家の発言と首相の発言では明らかに言葉の持つ重みが変わります。

 

 

もう少し突き詰めて考えるとすれば「何を言ったか」を重視するのは「理論」を重要視しており「誰が言ったか」を重視するのは「感情」を重視しているのだと思います。

 

人間は元々感情を司る大脳辺縁系の上に大脳皮質という理論を乗っける事により理性を手に入れる事に成功しました。

 

ですが、理論が感情に勝つのは生物である人間にとっては困難極まりない事だと思います。

 

何が言いたいのかというと皆無意識の内に誰が言ったかを気にしているので、良い事なんて言おうとせずに自分の思った事を素直に口に出しておけば良いのではないかという記事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それではまたお会いしましょう。