Twitter,Facebookの登場
TwitterやFacebookの拡散機能を私たちは日常的に使用しています。
ツイッターなら「ツイートボタン」フェイスブックなら「シェアボタン」をクリックする事によって自分の友人関係や知人、あるいはフォロワーといった第三者にまで情報が行き届くようになりました。
ネットでは周期的にインパクトのあるできごとが起きますがSNSの出現はその代表の1つでしょう。
SNSの衝撃
改めてSNS(social networking service)について話をすると、ネット上での交流を通して社会的ネットワークを構築するもののことを言います。
簡単にいってしまうとネット上で私たちユーザーがコミュニケーションをとれるものはSNSに属するので、広義的にはネット掲示板やコメント機能つきのブログもSNSになるようです。
ですが、この記事の中ではSNSはTwitter、FBを指すものとします。
それはTwitter、FBはネット掲示板やコメント機能付きのブログとは明らかに違う点があるからです。
それは情報の拡散力と情報の共有能力です。
SNSが登場するまでは、不特定多数の人がネット上でコミュニケーションをとる場所はネット掲示板やブログのコメント欄でした。
ただ、それらの機能はごく限られたコミュニティの中だけで行われるコミュニケーションに過ぎませんでした。
例えるなら「井戸端会議」が最適なのではないかと思います。
近しい興味を持ち、いつも同じ場所を利用している者同士での話し合いになります。
ゲーム掲示板であればゲーム好きな人だけが集まって意見の交換をしますし、芸能人のブログであれば、その芸能人を好きな一部の人たちだけでコミュニケーションが行われていました。
ですが、TwitterとFBは明らかに違います。
同じ団地の主婦だけで行われる井戸端会議のように、限られた領域だけではなく、全世界を巻き込んでの意志疎通が可能になりました。
SNSによって拡散される情報は友達の友達の友達の友達の友達といった具合に、まったく趣味も趣向も違う第三者にまで届くようになりました。
情報の拡散されるスピードも圧倒的で、1つの事柄に対して意見が集中すると、集団心理といって1つの集合体を形成するに至ります。
SNSによりネット上にうまれる集団心理
人間は集団になると個人の時と違い、思いもよらない行動に移ります。
立ち入り禁止である線路内に入った写真をツイッターに投稿したり、飲食店の冷蔵庫に入った写真をツイートし炎上しましたが、あれも集団心理の1つです。
もっと大規模のものになると数年前に中東で起きた「アラブの春」もそうです。
2010年から2012年にかけて起きたアラブ諸国での民衆の独立政権打倒運動にはSNSが大きな役割を果たしていたとされます。
事の発端はチュニジアです。失業者の青年が市場で青果を売ろうとしたところ、警官から商品を奪われ暴行を受けたことに対して焼身自殺しました。
命を落としてまで行った彼の抗議は、いつまで経っても生活の良くならない現状を打破するための意思を、民衆が持つきっかけになりました。
政権に対する不満は民衆の中には元からあったのでしょうが、Twitterによる反対運動の呼びかけはまたたく間に広がり、民衆に打倒政権の意識を持たせました。
Twitter上でどのようなやり取りがなされたのかはわかりませんが、41年に渡り独裁政治を続けていた、ガタフィ大佐を政権から引きずり下ろすまでに至ったのですから相当なものだったのでしょう。
集団意識は人数が多ければ多いほど狂気とでも言うような、通常では考えられない行動を引き起こします。
歴史上では民衆が集まる事によって引き起こされた事件として
- 無実の人々を疑わしいという理由だけで次々と処刑した魔女狩り。
- ナチスドイツの時代に反ユダヤを掲げて大量のユダヤ人を虐殺したホロコースト。
などが挙げられます。
他にも個人が集団になることで引き起こされた事件は数々ありますが、昔は集団といえば実際に1ヵ所に集まらなければ形成されなかったものです。
それがSNSの普及によってバーチャルの世界に大規模な集団をつくる様になりました。そして、ネット上であろうと人が集まると集団心理は発生します。
ネットに集団心理が起きる様になった事は、SNSがもたらした革命だと言えるのではないでしょうか。
1日に億を超える投稿が行われる
Twitterでは世界で1日5億回のツイートが行われています。
Facebookでは世界で1日3億5千万もの写真や動画の投稿が行われています。
億を超える投稿が成されていますが、その情報が拡散されることによって一体どれだけの人達に同じ情報が共有されているのか、考えてみると恐ろしいですね。
SNSで拡散された情報は、SNS以外にもニュースサイトやテレビ、新聞でも取り上げられます。
それによってネット発の情報はネットに触れない高齢者の目にも関節的に広がることになります。
一昔前には考えられなかったことですよね。
ネット掲示板での井戸端会議などは一部の閉鎖された空間で行われるだけでしたが、SNSは国境を越えてまで拡散されていきます。
SNSで1つの言葉や事象が爆発的に拡散されることを「バズる」と言います。口コミという意味のマーケティング用語「Buzz」が動詞化したものとされる造語です。
「バズる」も1つの集団心理を引き起こします。集団心理が引き起こした例として「魔女狩り」や「ホロコースト」「アラブの春」を挙げましたが、それ以外にも「正月の年明けにに全員でジャンプする」といった暴力を共わない事象が引き起こされるのも当てはまります。
SNSではネット特有の集団心理が働くことがあり、その1つに「バルス」があります。
世界で1番同時刻にツイートされたことがある言葉は宮崎ハヤオ監督が手掛けた映画ラピュタの中に登場する「バルス」というセリフです。
ツイート数のピークは主人公であるパズーが「バルス」と発したタイミングとほとんど同時刻の日本時間の午後11時21分50秒。
ツイート数はなんと143,199回に上ったそうです。
映画の中のほんのワンフレーズを日本中の人が一斉にツイートするという一見すると、理解し難い事象が日本で起きていたのです。
バルスが拡散された様にネットではバズる事象には共通性があります。
バズる事象に共通する内容とはただ一つ
面白い
これに限ります。
面白さを追求するコンテンツの登場
感動した話や、批判的感情をあおることにより炎上するのもバズる内容だと言えますが、ほとんどの場合には、そこで起きている議論や批判、言い合いを面白がって周りの人が拡散することによってバズは起きます。
SNSの出現以降は「面白い」が大変重要なキーワードになりました。
ネットでは「面白い」記事を書いて拡散されることを狙ってマーケティングするサイトも出現しました。
サイトのライターが千葉市長とスーパーファミコンのソフト、シムシティの対戦を行った内容を記事にしたり、そうめんを如何にスタイリッシュに食べているか魅せる写真を撮るなど、ユニークな活動を記事にしています。
仕事中にサボってハワイに行ったらどうなるのか。仕事中にサボって帰ったらどうなるのか。パンを加えて全力疾走したら美女にぶつかれるのか。などなどこちらも面白さを追求した記事を書いています。
個人個人の人生を思いのままに綴った記事を投稿できるサイトです。映画化まで果たした「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」はSTORYS.JPがはじまりです。
上記のサイトはいずれもSNSで拡散される事を前提としたサイトであり、バズるためにどうしたら面白い記事を書けるかを追求しているサイトになります。
TwitterやFacebookが登場するまではネットで多くの人に見てもらうにはSEOといって人が検索しやすいキーワードに合わせて記事タイトルや本文を意識する必要がありました。
ですがSEOを意識していなくても
面白ければ多くの人たちに見られる
という概念をSNSは引き起こしました。
SEOはSearch Engine Optimizationといって検索エンジン最適化を目的としたものです。
例えば「渋谷 焼肉」のキーワードでyahooやgoogle検索する人が多いので「渋谷で行列ができるほどおいしい焼肉店10選」などキーワードを意識しタイトルを考え内容もキーワードを意識して書くのが普通でした。
他にもタイトルの文字数は32文字以内が良いなど色々なルールがあります。
如何に大元であるgoogleの認める内容にそって記事をかけるかが重要でしたが「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」なんてSEOを意識しているとは言い難いですよね。
「慶応大学 現役合格」はキーワードとしてありかもしれませんが、たったの1記事が映画化するまでに至ったのは一重に面白い内容だったからであり、それがバズる内容であったからです。
他にも
- 電車男
- ブラック企業に勤めているんだがもう俺は限界かもしれない
- もしも野球部のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら
なども内容が面白かった結果、拡散されて書籍化、映画化しました。
これはSNSが登場するまでは陽の目を見ることがなかった面白いコンテンツが脚光を浴びることになった良い例だと思います。
今までは井戸端会議の中でだけ語られていた内容が、多くの人たちの目にふれ評価されるようになったのです。
記事の製作者としても、変にgoogleからどう評価されるのかといったSEO的な要素を気にせずにコンテンツの面白さをひたすら追求することができるようになったのは、大きなメリットだと思います。
自分の意見や感情、体験を読者にイメージさせるほどに内容を突き詰めることができないとバズる記事を書く事はできませんし、ネット上に良質なコンテンツが多く出回るようになったのもSNSの功績の1つだと思います。
SNSが出現するまでは、個人の考えを綴った面白いコンテンツは極一部のものだけが大衆の目に触れるだけで多くは埋もれていました。
それ以外ではSEOを意識した似たような内容の記事がネットに氾濫している状態でした。
自分の作った記事、いわば作品が人の目に簡単に触れるようになったのは大きいですね。
ブログの登場時にはこぞってブログを開設して、記事を書いていた人が沢山いましたが「見られていない」理由でブログの更新を辞める人がほとんどでした。
それに比べればTwitterやFBは自分の発信した内容の多くは誰かしらの反応を得やすい作りになっているので、ブログを挫折した人でもTwitterやFBは利用しているという人も大勢います。
面白ければ良いわけではない。SNSによる弊害。
面白いコンテンツが多く作成されるようになったのは大変喜ばしいことですが、勿論悪い面もあります。
「面白い」と一口に行っても、人の感心を誘うものから、ただバカ騒ぎしたいだけの面白いまで幅広い意味合いがあります。
ツイッターをバカッターと揶揄する人がいるようにツイッターでネタ画像、投稿と称して、
- 飲食店の業務用冷蔵庫に体をいれた写真をとる
- 電車で盗撮した画像をアップする
- 飲酒運転など犯罪自慢をした写真を載せる
といった行動を行う人達が出てきています。
大勢の人に自分の発信した情報が見られる。影響を与える可能性のあるSNSでは承認欲求を満たすためのツールとしては優れているといえます。
問題は当事者にとっての「面白い」は、他人にとっての「不快」かもしれないということです。
面白いをはき違えた投稿をすることによって、炎上して当事者の個人情報が流出する場面は何回も見てきました。
SNSの特徴は拡散速度の速さですが、拡散されるだけに消去したい情報がネット上にずっと残ってしまう可能性があります。
今まで以上にインターネットを使用する人は節度を守ったネットリテラシーを意識する事が大切になります。
他にも食品に異物が混入している写真を載せて大事になるケースもあり、SNSは今までにはない問題を引き起こしています。
何事にも良い面と悪い面がありますが、SNSも例外ではありません。
承認欲求の肥大による無自覚な犯罪行為の助長の他にも、SNS疲れという独自の問題も引き起こしています。
SNS疲れとはネット上でんのコミュニケーションをとる事に疲れてしまうことを言います。
学校や職場での人間関係でお腹いっぱいなのに、ネット上でまで人とコミュニケーションを取りたくないという事ですね。
ネット上での社会的コミュニケーションを築くために利用した人たちが逆に、コミュニケーションの場などいらないと言うようになるのですから面白いなと個人的には思います。
その他としては、拡散されやすいが故に自分が気付かない所で浮気がばれたり、個人情報が流出したり、会社の愚痴が上司に見られるといったことも起きている様です。
「昔の人は壁に耳あり、障子に目あり」と言いましたが、今や「ネットに耳あり、SNSに目あり」の状態となっています。
世界がフラットに。SNSによる恩恵
インターネットは誰にでも平等に情報を与えてくれる性質があります。
ネットで検索すれば小学生だろうと大学生だろうと同じ情報をみることができます。
今でもいると思いますが、昔は情報屋といって情報をお金で売る人たちがいました。
情報は何物にも代えがたいシロモノだったのです。
今は昔に比べて情報の入手難易度が容易になったためパワーバランスが大きく変わりました。
個人がネットで大企業にも負けないくらいのブログやメディアを作り上げて収益を上げることが可能になりました。
一部のお金持ちしか勉強する環境がなかったのに、ネットの動画で貧困層の子供が教授から授業を受けることが可能になりました。
クラウドファンディングの様にネット上で出資者を募って事業を起こす事が可能になり、人脈やお金を持っていた人以外でも有益な活動だと認めて貰えればネットからお金を集め、資本金がなくても事業を立ち上げることが可能になりました。
このようにネットの普及はパワーバランスを大きく変化させました。
「アラブの春」もネットによってパワーバランスが変化したことによって起こった例の1つでしょう。
しかもアラブの春は貧困層の多い中東で起きた出来事です。
FBの創始者であるマーク・ザッカーバーグは数年前に今後はネット環境を有していない60億人に向けてビジネスをすると宣言していました。
マーク・ザッカーバーグに限らずネット環境を持っていない人たちを次の市場と捉えている経営者はいます。
ネットがパワーバランスを変える力を有しており、フラットな状態を作り上げる力があるとすれば、貧困相であるアフリカや、力を着々とつけて注目されている東南アジア諸国が先進諸国を脅かす存在になるかもしれないのです。
現在はITの聖地はシリコンバレーと言われていますが、今後はジャカルタやバリが聖地になる可能性もあるということです。
インターネットを世界の人が有してフラットな状態になった時、ただでさえ国際競争力の落ちている日本はどうなってしまうのでしょうか。
また、将来的にGoogleの即時翻訳の技術が向上すれば、日本語で発言した言葉が英語やインドネシア語、ポルトガル語、フランス語など世界各国の言語に翻訳され、世界の人たちに発信が可能になるかもしれません。
世界がフラットになった時がXデーなのか
聖書には人が使う言語が地域によって違うのは大昔に知恵を身に着けた人々が神に近づくために協力して天にまで届く「バベルの塔」を建設した怒りをかったからだと記されています。
言語による意志疎通ができなくなった人間はバベルの塔の建設を中断することになりました。
googleの技術は言語の壁を取り払うことになるかもしれませんが、そうなった時はネット上に世界中の人を巻き込んだ集団心理ができあがるわけなので、恐ろしい事件に発展する可能性もあるのではないでしょうか。
まだまだチャンスの多いネット事業ですが、それ故にリスクもはらんでいると言えます。
世界がネットの力によって言語の壁を取り払った状態で繋がるのは大いに興味がありますが、ネットリテラシーの力が今以上に必要とされるのは言うまでもないですね。
Xデー(重大な出来事が起こると(予想)される日。)が来ないことを祈ります。
どちらにせよ、今後もネットがどのように変化していくのかは常に追っていく必要がありますね。
ではまた!