立憲主義と民主主義と労働法
後出しじゃんけんの気味もなきにしもあらずですが、ここ数ヵ月間もやもやしていたことについて、メモ書き的に。
要は、憲法学者が掲げる立憲主義って、そんなに偉いの?ってことなんですが。
アメリカにおける労働法の歴史をひもとけば、裁判所が、契約自由という至高の原理や共謀は悪だという法原理を掲げて、労働組合などという不逞の輩のやらかすあれやこれやを一生懸命叩いてきたことが分かります。民主主義原理に基づいて、クレイトン法を作っても、ひっくり返されるし、ローズベルト大統領の下で、NIRAを作っても、違憲だとひっくり返される。ワグナー法も違憲なるところを、ローズベルト大統領がむりやり最高裁の判事に自分の側の人間を押し込んで、なんとか合憲にしてしまったわけで、民主主義に批判的な立憲主義の立場からすれば、ほとんど民主的な独裁政権でしょう。
労働法という新たな法原理が産み出される場では、そういうある種の「非立憲」がありうるということは、実は形は違えど、多くの諸国で見られることでしょう。実は日本だって、「8月革命」という「非立憲」がなければ、このようなものにはなっていないはず。
いや、特定の分野の特定の事案についてあれこれ論ずるつもりは全くないのですが、そもそも論として、法と政治全般を広い歴史的観点で眺めるならば、立憲主義を掲げていさえすれば万事がうまくいくという話でもないというのが原点のはず。
後は個別論点についてどう考えるかになる。どこかにデウス・エクス・マキナがあるわけではない。
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