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王人 作者:神田哲也(鉄骨)
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本編1話~38話ダイジェスト

 俺は不幸だった。
 大学四年の秋。
 不景気の中、いくら履歴書を送っても、面接しても、就職は決まらなかった。
 虐待にいじめに就職難。親は死に、恋人もなく、友達もいない。
 何をやってもうまくいかない。
 これまでの人生、何をやってもうまくいかなかった。
 そんな俺の命は、ある日唐突に終わりを告げる。
 電車のホームから突き落とされたのだ。
 気が付けば真っ白な空間。そこで俺を待っていた白いひげの神様に言われた。

「お主にはこのまま転生してもらうことになった」

 何故か人生の難易度をあげられていたらしい俺は、特殊能力を与えられて、違う世界に転生することになる。



 肌を包む柔らかなものと目の裏に感じる光。
 暖かな場所で意識は目覚めた。
 目を開けて見れば、ぼやけた視界。
 音もどこか遠く、ただただ眠い。

 気がつくと、大変綺麗な女性の顔が目の前にあった。
 距離は拳一個分くらい。……っていうか近づいてきてる!?
 ゼロになる距離。唇に感じる柔らかく温かい感触。
 そう、キスされてしまった……。嗚呼、俺のファーストキスが……。
 こんな綺麗な人になら大歓迎だけど、もしかしてこれがご褒美ってことはないよね? 
 というか、体が思うように動かない。
 意識だけははっきりしてるんだけど、なんというか自分の体であって自分の体じゃないような、感覚が一歩引いているというか、とにかく微妙な感覚だ。
 言葉を話そうと思っても口も回らないし、「あうあうあー」としか発言できない。
 ……どうやら今の俺は赤ん坊のようだ。
 ……本当に、転生したんだ。

 どうやら俺のファーストキスの相手である美人さんが俺の母親らしい。
 長くて綺麗な黒髪は(きぬ)のように柔らかくて、たまに肌にあたるのがなんとも気持ちがよく、匂いも最高だ。
 肌は日本人みたいな黄色がかった色をしているが、顔のつくりは違っている。
 一言でいえば西洋人っぽいのだが、黒い大きな瞳は常に慈愛に満ちていて、俺の目から見るその女性はまるで聖母そのもの。
 名前はマリア・ファー・レイナル。名前も聖母でした。

 父親はまだ二回しか見ていないのだが、これまたかなりのイケメン。
 名前はヤン・ファー・レイナルというらしい。
 一回目は西洋風の鎧を着ていた彼に勢いよく抱き上げられたのを覚えている。
 少し乱暴に抱き上げられたから母にものすごい勢いで怒られていたけど、父のその喜びようが手に取るようにわかった。
 だけどごつごつして痛かったな……。
 それを訴えて大泣きしてしまったのは早くも消したい記憶の一つとなっている。
 二回目の遭遇はその反省を踏まえてか抱き上げられなかったものの、「やわらけー! ちっせー! なんだこの生き物!」とか言いつつ、父が俺の頬をつんつんつんつんと突き続けるので、これまた泣いて抗議するのだった。

 俺に与えられた能力は「他者強化」能力だった。
 それは文字通り、自分以外の存在の能力を強化する力。
 能力には偶然気付いた。父に抱っこされているときに、何かができるような気がしてきて、なんとなく念じてみたらできてしまったのだ。
 目に見えた効果は俺にはわからなかったが、ある日父は母に言っていた。
「どうにも体の調子がすばらしくいいんだが」と。
 その調子の良さは継続し、それから父はこの力のお蔭で国の英雄となり、近衛騎士団の副団長になった。
 母のほうは宮廷法術師となり、料理の腕があがったらしかった。



 時は流れ、五歳。
 とある湖のほとりの森の中、俺は相棒と出会うことになる。

 湖のほとりには石碑が建てられており、水の精霊をモチーフに彫られたその石碑は600年経った今でも美しい様相を保っていた。
 水の精霊の碑は煌めく水面を背景にそびえ立つ。
 青い空に白い雲。湖の向こうには緑の森になだらかな曲線を描く山々。
 湖には小さな船がいくつか浮いており、その上で人は釣りをしたり、愛を語っているのだろう。

「ミランダ、あれはなんていう鳥?」
「え? ……え~と、アンタわかる?」

 森の小道を行く俺の後ろには、うちで働いているミランダとその夫、ジュリオが続いている。
 夫婦でレイナル家に働きに来ているこの二人は、俺のことを本当の子供のように思って接してくれている人たちだ。
 元から細い目をさらに細めてジュリオは口を開く。

「ああ、あれは木目鳥ですね。羽の裏が木目のようになっているのが特徴です。この辺ではあまり見ない鳥ですね」
「へ~」

 ジュリオは五歳の俺にも丁寧な口調で答えてくれた。
 木漏れ日を浴びて、風に揺れる木々の葉音を聞きながら歩く。
 時折聞こえてくる鳥の鳴き声に耳を澄まし、足元に咲く花を見つける。
 それから小川に架けられた小さな橋を渡り、少し開けた場所に出た。
 木を伐採したのか、いくつかの切り株が目にとまる。

「少し、休んでもいい?」
「勿論です」

 手ごろな切り株に腰を下ろして、頬を撫でる風を感じる。
 目を閉じて木々のざわめきや鳥の声に耳を澄ましていると、ふと何か気になる気配を感じた。
 ……とても強く、でも今にも消えてしまいそうな気配。
 俺は無意識にその方向へ走り出していた。

 彼は死にかけていた。
 俺は彼を助けようと、治癒の術を施し、与えられた力を使った。
 その結果、黒い狼――ラスは、魔獣と言っても遜色のない力を得ることになるのだった。
 ラスっていう名前は父が名付けた。名前に特に意味はないらしい。
 聞いたら、「感覚だよ、感覚!」と胸を張って答えられてしまった。
 さすがに狼が家にいるってのはまずいから、対外的にラスは「犬」ってことになってる。
 だがすっかりと元気になったラスだが、どうにも俺の知ってる犬とは趣が違う。
 ……おかしいな? 俺の記憶では、犬は家の屋根に一発で飛び乗れるほどジャンプ力はなかったはずだよ?
 背中に乗せてくれるのは嬉しいけど、体は同じくらいの大きさなのに、すんごいスピードで走っちゃってる。
 ……これはやっぱりあれか? 俺の能力が原因ですか?
 俺の能力は動物にも有効なようです。

「ラス、お手!」
「わう!」
「おかわり!」
「わう!」
「伏せ!」
「わうう!」
「宙返りだ!」
「わふ!」

 俺の言葉にラスは前足を出し、伏せて宙返りをする。

「おおー!」
「すごいわねえ」
「きゃー!」

 家族はラスのその姿に惜しみない拍手を送っている。
 ラスは知能も少し上がってるみたいで、人間のことばも簡単な言葉なら理解できてるみたいだ。
 今ならトップブリーダーも夢じゃない。

 そんなラスは、いつも俺と行動を共にしていた。
 ご飯を食べるときも、勉強をするときも、剣の稽古をしているときも、夜寝るときも。
 ラスのお腹を枕にしながら本を読んでいると、不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「ちょっとアラン、何よその犬?」
「あ、フラン姉ちゃん、どうしたの?」

 近衛騎士団団長であるジョルジェット・カッティーニ侯爵。その娘であるフランチェスカが、その整った顔を不満の色に染めてこちらを睨んでいる。
 腰あたりまである綺麗な金髪は少しウェーブしており、切れ長の目は少しつり上がっていて、気の強い印象を他者に与えている。
 始めて会ったときは話しかけても逃げちゃうし、見た目によらず恥ずかしがり屋なのかと思ったけど、最近は大分話ができるようになっていた。
 フラン姉ちゃんは俺の3つ上で、身分も俺よりも上。
 以前、目上の人だからと思って「フランチェスカ様」と呼んだのだが、フラン姉ちゃんから返ってきたのは拳骨だった。
 生意気だからと言っていたが、他人行儀な態度が嫌だったのだろう。それ以来俺は「フラン姉ちゃん」という愛称で呼んでいる。

「どうしたの? じゃないわよ! 折角私が遊びに来てあげてるのに、挨拶もないってどういうこと!?」
「でも、今日遊びに来るなんて聞いてなかったよ? ジョルジェット侯爵様が来るのは知ってたけど」
「何よ、私がお父様と一緒に来ちゃいけないってわけ!?」

 そう、何故かいつも俺はフラン姉ちゃんを怒らせてしまうのだ。……誰か、理由を知っていたら教えてほしい。
 だけど、フラン姉ちゃんは優しかった。
 文句を言いながらも、いつもこうやって遊びに来ては、おいしいお菓子を持ってきてくれるのだ。
 お礼を言えば、顔を赤くするフラン姉ちゃん。彼女は可愛かった。
 だけど、そんなフラン姉ちゃんともお別れすることになる。
 俺達一家が、遠く山と森に囲まれた、領地へと引っ越すことになったからだ。
 理由は、ラスがあまりにも大きくなりすぎて、ダオスタでは飼うことができなくなったから。
 フラン姉ちゃんには泣かれた。「行かないで」と。
 俺は約束した。「必ず戻ってくる」と……。



 領地、レイナル領は、山と山に囲まれたすり鉢状の盆地で、四方八方どこを向いても山、山、山。山しかなかった。
 だけど、見たこともない草に花、木に虫、鳥に獣、景色がそこには溢れていて、俺はすぐに夢中になった。
 俺達が暮らすことになった城も、秘密でいっぱいだ。
 まるでゲームかアトラクションのような仕掛けに罠。……罠はガチだったが。
 やがて俺は発見する。囚われていた神様を。
 この地を守護管理していたという、女神様を。

『あなたはだあれ?』

 部屋の奥の扉の向こう。
 この部屋と違い、少しだけ整理されて広くなっている部屋の中。その片隅にその声の主はいた。   

 丸い水槽の中に浮かぶ、真っ白な女の子。
 そのどこまでも透明な瞳が、俺を見つめていた。



~side ???

 私を捕えた人間は言った。

「貴方の力を支配し、私がこの地の神となる」

 彼は私を罠にかけてここに閉じ込めた。
 深い深い、冥府のようなこの場所に。
 でも、それが私の全てを奪った。
 私の力は勿論、私が愛するもの、私を愛するもの、私が畏れるもの、私を畏れるもの、全て。

 はじめは怒りで震えた。
 次に悲しみを覚え、今では諦めに変わっている。
 永遠に自分の姿すら見ることが叶わない暗闇の中に閉じ込められるのだと……。

 私は誰かが来るのをただただ願い、ただただ祈っていた。

 あれから何百……いや、何千年の時が過ぎたのだろう?
 思い出すのはかつて私の眼下にあった、緑の大地とそこに暮らす生き物達。
 大地の恵みを一身に受け、生を謳歌する私の子供達はいつも喜びに満ちていた。
 今、私の名前を呼ぶ者はもういない。

 ――光を捉えた。

 それは松明の、輝かしい火の光だった。

 光を持つ者は小柄で、人間の子供だということがわかる。
 でも、私達が使う神力に近いものを感じさせる、不思議な子供だった。

『あなたはだあれ?』

 私が問いかけると、光を持つ子供は動きを止めて辺りを見まわす。
 よかった。ちゃんと届いたようね。
 誰かに意思を伝えるのなんて随分と久しぶりだったから、うまくできたか不安だったのだけど。
 光を持つ子供は私を見つけると少しの間動きを止めて、その美しい瞳を私に向けるのだった。

 その子供はアランと名乗った。
 そして彼の身に感じた神力。
 それは自分以外の存在に対して、力を与える力だった。
 アランはそれがどれほどのものなのかよく分かっていないようだけど、恐らく運命さえ変えることができる素晴らしい力。
 別の世界の神様から頂戴したものだそうだけど、相当位の高い神様なんでしょうね。
 恐らくその世界全てを統治していらっしゃるくらいの。
 あと、アランは前世の記憶を鮮明に持っていた。
 前世の記憶を持っている人間はそれほど珍しい存在ではないけれど、別の世界から転生してきたというのが気になるわね。
 何かその神様の思惑があると考えるのが普通でしょう。
 どちらにしろ、その神様が何を考えてアランに力を与えてこの世界に転生させたのか、一地方を治めていたに過ぎない、私のような次元のものにはわかるはずもないわね……。
 ……それよりも。

『アラン、お願いがあるの』
「なんですか? え~と……ミミラトル、様?」
『ふふっ、ミミでいいわよ』
「あ、はい。ミミ様」
『あなたのその力を貸してくれないかしら? 力を封じられた今の私では、この肉身の束縛を解くことができないの』
「わかりました。……でも、どうやって触れれば?」

 アランはそう言って私を捕えている水槽を見上げる。
 そうね、アランは触れていないと使えないって言っていたわね。
 でも、それはあくまでも段階にすぎないはず。

『恐らく、器越しでも力を使うことはできるわ。私の手にアランの手を重ねてもらえる?』
「はい」
『いいわ。アラン、貴方の力を使ってみて』

 私がそう言うと、器越しのアランと手から暖かいものが私の中に流れてくるのを感じる。
 それは段々と熱く、力強くなって……? ……えっ!?

『ん……! すごい……! 大きくて、とても力強いのが、私の中に入ってくる……!』

 時間にして数十秒くらいかしら? ようやく落ち着いたと思ってアランを見ると、アランは顔を赤くして俯いてしまっていた。
 私は心配して声をかけるけれど、アランの返事は要領を得ない。
 ……本当に、どうしたのかしら?

 私は身に溢れる力を感じつつ、私を捕える透明な器を壊すためにその力を解き放した。
 高圧な光の力を受けて崩れ落ちる水槽。
 ようやく……ようやくこの暗闇から開放される! 孤独から開放される!

 私は喜びで、夢中になって力を解放し続けた。

 その後、我に返った私が見たのは、地響きとともに崩落する部屋と、瓦礫に埋もれて気絶しているアランの姿だった……。



 季節は巡り、夏。
 俺は10歳になった。
 俺は出会った。精霊樹の森に住む、エルフに。
 出会いは最悪に近かった。なんせ、足元に矢を射られ、怒鳴られたのだから。
 美しい金の髪と白い肌。切れ長だが大きい瞳。顔は小さく、各パーツの配置は完璧。手足は長いし細い。胸は控えめだけど、まるでファッションショーに出てくるモデルのよう。
 彼女の名前は、アルティリエといった。
 アルティリエ――ティーリさんに連れられて森の中を進んだ。

 獣道のような道なき道を、ティーリさんが鉈のようなナイフで行く手を阻む草や木をなぎ払いながら進んでいく。

「気をつけろ、一応切ってはおいたがその草には鋭い棘がある」
「あ、はい」
「足元に大きな根がある、気をつけろ」
「はい」
「その蛙は毒を持っている。触るなよ。もし触ってしまったらすぐに言え。水で洗い流せば大丈夫だ」
「はい」

 ティーリさんは、言葉こそ素っ気無く感じるけど、凄く優しかった。
 弓矢を向けられていたときは何だったのかと思うほどに。
 行く手に大きな水溜りがあったときなんて。

「お前の背ではここは危ないな。私に掴まっているといい」

 と言って、いきなり抱き上げられたしまうのだった。
 ティーリさんの髪が顔にあたり、花のようないい香りが鼻をくすぐる。
 緊張と申し訳なさでいっぱいになってしまって、抱き上げられたあとの記憶はあまり覚えてはいないのだが……。

 そして俺はエルフたちの住む樹央にたどり着き、精霊樹に力を使った。
 でも、精霊樹助けることはできなかった。
 精霊樹が弱り切っていたために……。
 その原因は、邪神の卵だという。
 精霊樹は命を繋ぐため、種を作ると言った。種を造れば、今までの記憶は全て消え失せてしまうらしい。しかしそれしか、精霊樹が生きながらえる道は残っていなかった。
 邪神の卵とは目には見えない卵で、褐色の光を放っているらしい。
 この世を憎み、世界を滅亡させて乗っ取るのが目的の邪神は巧妙に人の心やその地の霊界に入り込んで、自分の思いのままに操っていくという……。

 ――俺は救った。
 人を。死者を。
 信じられないものを見た。
 煙のような灰色の靄にあったそれは、顔だった。
 顔。顔。顔。顔の群れ。
 いくつもいくつも顔が浮かんでいた。
 ひとつとして同じものは無い。
 どれもどれも悲鳴をあげているような、苦痛の表情を浮かべている顔が、いくつも。
 それは死してなお地に縛り続けられ、苦しみの中にいる人たちだった。

『……たす……けて……。……くる……し……い……。……さ……む……い……』

 ゴオオオという、低い低い音の中に紛れた声。
 それを聞いて、俺は手をかざした。彼らが救われることをただ願って。

 その夜、夢を見た。
 白いひげの神様は言った。
『よくやった』と。
 俺のしたことは、間違いじゃなかった。
 神様は言った。
『それは、正しいことにしか使えない、神の力じゃ』と。



 成人した俺を待っていたのは、ミミ様との別れだった。

「神界に、戻る?」
「それって……おねえちゃんとお別れってことなの!?」
「ええ、そこで、レイナル家のみんなにお願いがあるの」
「ミミラトル様が私たちにお願い、ですか?」
「この子を、このレイナル家で預かってほしいの」

 そして、新しい出会い。

「……私の名前は、ミミア。よろしく」



 城の南側の湖。
 そこに浮かぶ一艘の小舟。

 晴れ渡った青い空には太陽が燦々と輝き、時折吹く柔らかな風は湖面を揺らして、そこに美しい光の模様を写しだす。

「あっ! ねえねえ、お魚さんが泳いでるよ!?」
「あっ、ほんとだ」
「おっ! まじか!?」
「本当、でも小さい魚ね」

 フィアスの言葉で一斉に湖面を見る親子。彼女が指し示す指の先には日に当たってキラキラと光る銀色の体表。
 小舟の下には10匹ほどの小魚が小さな群れを作って泳いでいた。

「ねえねえ、お魚さん、もっといっぱいになるかな?」
「そうね、そのうちいっぱいになるわよ」

 母の言葉に顔を綻ばせるフィアス。

「じゃあ、いっぱいお魚さん食べられるね!」
「そうだな! 俺もこの船でいっぱい釣ってやるぞ!」
「ふふ、それは楽しみね」

 俺もつられて笑顔になる。

 穏やかで優しくて明るくて、何物にも代えられない時間が、確かにそこに存在していた。









 ミミアが家族に加わり、俺は盛大に振り回されている。

「お父さん。起きて」
 朝はミミアに起こされ。

「お父さん。これ、なに?」
 わからないものはその都度服や袖を引っ張って聞かれ。

「お父さん。食べさせて」
 食事のときは俺のすぐ隣に座り、雛鳥のごとく口を開けるミミア。

「お父さん。散歩、行こ」
 暇を見つけては誘われ。

「お父さん。手、繋ご」
 何故か頻繁に手をつなぐことに。

「お父さん。おんぶ」
 そして歩き慣れていないのか、一定の間隔でおんぶをねだるミミア。
 そのまま寝てしまうこともしばしばだ。

「お父さん。着替え、させて」
 夜、寝間着に着替える時、まずは俺にそれを言ってくる。
 ……決してそれを了承したことはないぞ。これはヘラさんに丸投げしている。

「お父さん。前みたいに、お父さんの膝で、寝たい」
 昔ミミアがミミアだとわからなかったときにしたような覚えがあるが、たまにそれと同じことを求めてくる。
 ミミアも母から勉強を教わったりしているのでそこまで頻繁ではないが、合間合間でこのような感じなのだ。ミミアがミミ様じゃないことは頭ではわかっているのだが、美少女のミミア相手にはやはりどぎまぎすることが多かった。

「お父さん。一緒に寝よう」
 断っても、夜いつの間にかベッドに潜り込んでいることがある。
 ヘラさんに見つかったときは肝を冷やした。
 ……責められるとかじゃなくて、ニヤニヤしてるんだよ。どんな風に噂を広められるか、本当に肝が冷えた。まあ、普通に両親には報告されたけどね……。更にそれを知ったフィアスが「私も一緒に寝る!」とか言い出したのは本当に参った。

 しかし、だ。
「……お父さん。お風呂、一緒に」
「だあぁぁぁ! ダメ絶対!」

 これだけは了承できるわけがない。
 いや、まあ一緒に寝るとかもどうかと思うけど、一緒に風呂に入るほどではないはずだ。多分。

「……なんで?」
「なんでもなにも、年頃の女の子が、男と一緒に風呂はダメ!」
「お父さん、なのに?」
「俺はミミアのお父さんであってお父さんじゃないから、ダメ!」
「アランは、私の、お父さんじゃ、ないの?」
「…………う」

 潤んだ瞳で俺を見つめるミミア。
 それを受け、つい「お父さんだよ」とか言ってしまいそうだが、ここはなんとか我慢した。
 しかし、ミミアはさらに俺を追い詰める。

「……じゃあ、パパ?」
「お父さんでお願いします!」
「……? パパ、のほうが、言いやすい、かも」
「ミミア、俺が悪かったから、パパはやめてください。まじで」
「……言いやすい、のに」

 残念そうに眉を下げるミミア。
 俺は「パパ」呼びがなんとか回避できそうな流れに、肩の力を抜こうとするが。ミミアが袖を掴んで言う。

「じゃあ、お父さん。お風呂、行こ?」

 俺は地に手と膝をつき、跪いた。
 そんな日々がしばらく続いたある日のことだった。

「お父さん。今日は、どこに、行くの?」

 外へ出かける準備をしていた俺にミミアが話しかけてくる。
 俺の様子から、外へ出かけることを察したのだろう。

「えっと、ラスと領内の見回りに行くよ。作物の様子とか、家畜の様子とかを見てみたいからね。
 それでミミア、その、お父さんて呼び方は――」
「私も、行く」
「え?」
「私も、行く」
「行くって、俺と見回りに?」
「うん」
「そんなに面白くはないと思うけど」
「行く」
「……了解。じゃあ、一緒に行こうか」
「うん」

「……兄様!」

 そう言って歩きだした俺とミミアだったが、背後からかけられた声に立ち止り振り向く。
 その先にはフィアスが拗ねたような表情でこちらを睨み付けていた。

「フィアス、どうしたんだ?」
「……兄様、またミミアちゃんと、どっか行くの?」
「ああ、うん。ミミアがついて行きたいっていうから、これからちょっと一緒に出かけてくるよ」

 普段の活発な妹とは違う様子に、俺は怪訝に思いながらもフィアスに応える。
 フィアスは俺の言葉にショックを受けたような悲しそうな表情を浮かべると、表情を歪めて絞り出すような声で叫んだ。

「……たしだって! 私だって、兄様と遊びに行きたいのに! ミミアちゃんばっかりずるいっ!」

 そう言い放ち、背を向けて走り出すフィアス。その目に涙が浮かんでいることを俺は見逃せなかった。

「……フィアス」

 俺は気付けなかった。フィアスが悲しい思いをしていることを。
 確かに最近はミミアのペースに乗せられて…………いや、言い訳はよそう。俺はフィアスを蔑にしていた。

「どうする、の?」

 ミミアが俺の顔を見上げる。どことなく、困惑しているようにその目が揺れている。

「どうするって、謝るしかないだろうね」
「謝、る? それは、どうやれば、いいの?」

 謝り方を聞いてくるミミア。
 そうか、こういうことも知らないんだ。

「……俺が先に見本を見せるから、しっかり見ているといいよ」

 俺はミミアの頭を撫でながら、力なくミミアに笑いかける。ミミアは「……わかった」と、フィアスが走り去った方向を見つめ、呟いた。

 レイナル城を中心として築かれた城下町の町並みは整っており、道は馬車が対面通行ができるくらいに広くとられている。道のわきには様々な露店や屋台が並び、売り子の声が行きかっていた。
 道を行く人々はその店々に目を耳を捕われながら歩く。時折フラフラと店先に引き寄せられては商品を物色する姿も珍しい光景ではない。
 俺はそんな街の中をミミアを連れて小走りに進んでいた。

「おや? アラン様、そんなに急いでどちらへ?」
「あ、アラン様ー! 新作できたから食べに来てよ!」
「お! アラン様、可愛い子連れてるけど、どこの子ですか?」
「アラン様だー」

 道を行けば色々な人が声をかけてきた。
 人々の人種は様々だ。それは獣人であったり、亜人であったり、人間だったりした。
 王都とは違い、ここでは皆自由に己の生を満喫している。
 レイナル城を中心とした西側は湖での漁業と、湖を挟んだその向こうでは農業が盛んに行われている。
 南側では沼地を利用しての水田が作られ、今俺たちがいる東側の城下町では商工業が発展し続けていた。
 商工業発展のもととなっているのは虹石である。
 虹石は王都のほうで随分と流行になっているらしく、値はどんどん上がっていっているらしい。
 つい最近など透明な虹石が採掘され、王都のオークションで王国金貨で1000枚にもなったとのことだ。
 透明な虹石は向こう側が透けて見えるほど透明度が高く、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色が綺麗に折り重なったものだった。それまでも部分的に透明な石はごくごく稀に採掘されていたが、全部透明なものはこれが初めてだった。
 ちなみに王国金貨は1枚で大体王都の庶民の平均的な月給と同じくらい。と考えれば、金貨1000枚は相当な額だということがわかる。円で考えれば約2億円前後になるだろうか。
 流石にそんな金のなる木を王国としても放っておくわけもなく。虹石の鉱山は二年ほど前からレイナル領と王国との共同経営となっている。
 取り分は王国7に対しレイナル家が3。
 数字だけで見ると大分ぼられている感があるが、王都への輸送や鉱山の警備、採掘にかかわる人員の給与の半分以上を王家で負担してもらっているのだから、まあこんなものかと思う。

 城下町には虹石を加工する工場がいくつか作られており、職人達が多く暮らすようになっている。
 職人の多くは鉱族。所謂ドワーフのことだが、彼らがレイナル領に来てくれたのは非常に大きい。彼らの力なくして、今の発展はなかっただろう。
 彼らはイメージ通りのずんぐりむっくりとした外見で、手先が非常に器用だ。身長は人間の大体半分から三分の二くらい。黒ずんだ肌色に、男性ならば必ずひげを生やしている。女性でもひげを蓄えている人が半数近くおり、それを初めて見た時はカルチャーショックを受けたものだ。
 彼らに扱えない素材はない。そう言わしめている彼らは、本当になんでも作った。
 水車の仕組みを伝えれば3日でその原型を作り出し、その僅か2週間後には試作品の実運用テスト。さらにその1か月後には量産化が進んでいる。稲こき機なんかは2日で作り上げた。
 水車の動力を利用した機構もどんどん作り上げていて、この間は研磨機と皮革なめし機の試作品を見せてくれた。今は扉の開閉装置とか、木材を加工する機械みたいなものを作ろうと息巻いているみたいだ。本職の虹石の加工そっちのけで。
 ……それでいいのか、ドワーフのおっちゃん達よ? そんなふうに思った俺だったが、これでもっといい品質の装飾品を作れるだろうって笑う彼らの顔は眩しかった。

 この王国でのドワーフの身分は奴隷である。
 奴隷といっても、技工奴隷と呼ばれる、奴隷の中でもかなりいい待遇の奴隷たちだ。
 奴隷には色々と種類がある。
 前述した技工奴隷のように、国によって身分を保証されている奴隷。
 農業や荷物持ち、鉱山などで働く、主に力仕事をする労役奴隷。労役奴隷は奴隷イコール労役奴隷と認識されているほどに数が多い。多くの奴隷はこの労役奴隷と言われるもの達だ。
 他には主に愛玩奴隷、剣闘奴隷などがこの国では存在している。
 奴隷は誰かの所有物という扱いなので、普通ならば奴隷が財産を持つことは許されない。しかし、技工奴隷ならば所帯を持つことができるし、土地や奴隷などの財産も持つことができる。
 唯一できないことと言えば国を離れることだが、国内であれば転居は可能。
 ただし住居を移動する際には煩雑な申請の手続きを行い、更に転居した先は兵のいるような大きな町でないといけないという取り決めが存在しているらしいが。

 太陽は山の影に隠れ、暗い雲の向こうに星々が瞬いている。
 夕飯の時間が迫ってきているが、俺は妹にいまだに謝れないでいた。
 フィアスが捕まらないのだ。
 姿を何度か見つけたが、こちらの姿を確認するや否や、風のように走り去ってしまう。
 見つけては追いかけて。追いかけては見失った。
 今も俺は城下町を走り、フィアスを追いかけている。
 とても謝れるような状況じゃない。

「これが、謝、る?」
「違うぞ!」

 俺の両肩に手を乗せ、ミミ様がやっていたように体を浮き上がらせて後ろからついてくるミミアが聞いてくるが、即座に否定する。

「これは、単なる、追いかけっこ、だ!」



~side フィアス

 ミミアちゃんが家族になった。
 お姉ちゃんはミミアちゃんになった。
 見た目は同じだけど、中身が違うって兄様が言っていた。
 優しくて暖かいお姉ちゃん。ミミアちゃんを見てるとやっぱりお姉ちゃんじゃないってわかる。
 ……だって、ミミアちゃんは笑わないから。
 兄様が大人になって、ミミアちゃんが家族になって、嬉しいことのはずなのに、私は素直に喜べなかった。
 なんだか兄様が遠くに行っちゃいそうで、不安だったんだ。
 ミミアちゃんが一緒に生活するようになって、兄様はミミアちゃんにつきっきりみたいになった。
 朝起きればミミアちゃんと顔を洗いに行くし、ご飯も隣で食べさせてあげてる。
 散歩にだっていつも一緒に行ってるみたいで、手も繋いですごい仲が良さそう。
 この間なんて一緒のベッドで寝たって言ってた。

 ……私だって、兄様にそんなことしてもらったことないのに。

 ミミアちゃんが母様に勉強を教えてもらってるときは流石に兄様はそばにいない。
 だけど、ミミアちゃんが勉強してるとき、兄様は一人で鍛錬に行ったりしているから、私がそばにいることもできなかった。
 私の中に、なんだかもやもやした嫌なものが少しずつ、少しずつ溜まっていった。

「……フィアス!」

 後ろから追ってくる兄様。
 名前を呼ばれて思わず立ち止まりそうになるけど、私はそれに従わない。
 従ってなんか、やらない。

 街の中を私は全力で兄様から逃げる。
 人と人の間をすり抜けて。
 建物と建物の間を走り抜けて。
 屋根の上を、塀の上を駆けて。

 大きくなった町だけど、私はこの町のことを知り尽くしていた。

 兄様は知らないでしょう? この先のお米屋さんのわきに小さな路地があるのを。
 その路地が魚屋さんの裏に通じていることを。

 兄様は知らないでしょう? 私が風の術をこんなに上手く使いこなしていることを。
 父様と母様にいっぱい習ったんだよ? だから、兄様に捕まらないんだよ?

 兄様は知らないんだよ。……私がいっぱい兄様と遊んだりしたいのを我慢してることなんて。

 ……ううん。違う、兄様は悪くない。
 ……でも、なんでミミアちゃんだけなの?

 目に涙が溜まって、袖で乱暴に拭って私は走る。

 兄様は時々私を見失った。
 だから、私はわざと兄様に見つかるように、姿をちょっとだけ見せるようにしたりした。
 兄様から逃げてるはずなのに。
 なんだかわたしはおかしかった。
 やってることが、ちぐはぐなんだもん。
 でも、兄様が追ってこないと、私はすごく不安になった。
 兄様が追ってこなかったらどうしようって。呆れられちゃったらどうしようって。そんなことを考えながら私は走って兄様から逃げ続けてる。

「うおっ!?」
「あら?」
「きゃっ!?」

 私がそばを走り抜けると小さな風が起こって、町の人は驚いてる。
 大工のおじちゃんも、買い物してるおばちゃんも、洗濯してるお姉さんも。洗濯物が舞い上がって地面に落ちちゃったりしてた。

 ごめんなさい。

 兄様から逃げて、逃げきれたと思ったらまた見つけてもらって、また逃げた。
 そんなことをしていたら、いつの間にかお日様はその姿を消してしまった。

「……暗くなっちゃった」

 暗い空を、私は屋根の上から見上げる。
 足元に目を移せば町の通りには明かりが灯って、ここから見る景色はまるで光の川のようで綺麗だった。
 私はそんな光の川の中に兄様の姿を探す。

 ……いた。

 兄様が走ってた。その背中にはミミアちゃんが兄様の肩に捕まって、お姉ちゃんみたいに浮いてついてきてる。
 なんだか走ってる人が多いなと思って見れば、ヴィルホさんやセアドさんまで一緒に走ってる。
 でも、こっちにはまだ気づいていないみたい。

「……もう、見つけてもらえないのかな……」

 そんなふうに呟いても、やっぱり兄様は気付いてくれなくて……。
 私はまた兄様に気付いてもらいたくて、暗い屋根の上、兄様のほうに足を向けた。

 そしたら。

「……えっ!? きゃあ!」

 踏み出した足に何かが絡まって。
 うまく止まれなくて。
 足が動かなくて。

 私は屋根から落ちた。

「……フィアス!」

 私を呼ぶ兄様の声が光の川の中から聞こえた。

 暗い空を見ながら、私は落ちた。
 混乱した私は風の術を使うことも忘れて。

 風を切る音が耳に聞こえて、体をひねる事さえもできなくて、やがて来る地面の衝撃に私は恐怖した。
 ……だけど、目を瞑って痛みに耐えようとしたけれど、いつまで経ってもそれは来なかった。
 代わりにあったのはなんだか安心する匂い。
 何かに包まれる感覚に恐る恐る目を開けた私の目の先にあったのは、こちらを心配そうに眺める兄様の顔だった。
 私は、兄様に抱きかかえられてた。

「……兄、様」

 息を切らして、汗をかいてる兄様はほっとしたような顔をしてる。
 気持ちを落ち着かせる為か、兄様は一度深く息を吸い込み目を瞑った。
 そして、兄様は私の目を見て言った。

「……フィアス、ごめんな」

 真剣な顔だった。
 私の胸はドキドキしていて、うるさいくらいに鳴ってる。
 それは、屋根から落ちた怖さからなのか、それとも兄様に抱かれているせい?
 私には、よくわからなかった。

「ここ最近、ミミアにばっかりかまって、お前とあんまり話もできなかった。……ごめんな、フィアス」

 兄様が私に謝る。
 それを見て、私の胸は苦しくなった。

 違うの、兄様は悪くないの。……私が。……わたし、が……。

「……わたしも、……ごめんなさい! ……私、……私、……兄様を困らせた! ……私、我侭だった……でも……兄様に見てもらいたかった! ……一緒にいたかったの! わ、わだし……わた…………ふ、……ふああああああああ!」
「うん、うん」

 私は兄様の胸に顔を埋めて、声をあげて泣いた。

 兄様の胸を濡らし続けた。

~side out



 俺は胸の中で泣くフィアスをただ優しく撫でていた。
 周りにいる人達の目なんて気にもせず、俺の服を掴み体全体を使って己の感情を吐露し続けるフィアスは俺の胸に顔を埋めて、暫くの間泣き続けた。

 やがてフィアスは思い出したかのように顔をあげ、鼻声交じりで躊躇いがちに声を発した。

「………兄様」
「うん?」
「……そういえば、なんで? 私、あんなに遠くにいたのに……」
「ああ」

 ……屋根から落ちたフィアスを見つけられたのは偶然に近い。

 たまたま、目が建物の上を向いていたから。
 たまたま、フィアスのいる近くを走っていたから。
 しかし、それだけでは2階建ての建物の屋根から落ちたフィアスを受け止めることはできなかった。
 それだけの距離があったのだ。
 20メートルほどの距離を一瞬で移動するなんて、俺には不可能だった。
 では、どうやってフィアスを受け止めたのか。

「ミミアが、助けてくれたんだよ」
「……ミミア、ちゃんが?」
「うん。ミミアがフィアスに術を使ってくれたんだ」

 そう。ミミアは術を使った。
 それがどんな術なのかはミミアに聞いてみないとわからないが、術をかけられたフィアスは落ちる速度を緩やかにし、無事に俺に受け止められたのだ。

 俺が目を移した先にフィアスも移す。
 俺達から少し離れたそこにはミミアが立っており、静かに俺達を見つめていた。

 ミミアの微かに揺れる瞳を見て俺は小さく頷く。
 それを見てミミアは静かに深呼吸をし、控えめにフィアスに声をかけた。

「フィアス、お姉ちゃん、大丈夫?」
「……うん。
 …………あれ?」

 うん。
 ……お姉ちゃん? ミミア、今フィアスのことお姉ちゃんて言ったか?

 突然のことに反応が追い付かないでいるフィアスに、なおもミミアは続ける。

「フィアス、お姉ちゃん、どうした、の?」
「え、あ、うん。……えと。
 なんでミミアちゃんが私の事お姉ちゃんて呼ぶの?」

 フィアスの顔には戸惑いの表情が浮かんでいる。多分それは俺も同じだと思うが、その内容は違うだろう。
 フィアスは何故自分がミミアのお姉ちゃんなのか、ということについてなのだろうが、俺は何故フィアスがお姉ちゃんで、俺はお父さんなのか、ということだ。……お兄ちゃんではいけないのだろうか?
 だって、父のことは普通にヤンお父さんと呼んでいるのに、俺はお父さんなのだ。呼び方の理由としては理解できるが、どうにも納得がいかない。

「私はフィアスより、年下。だから、お姉ちゃん」
「……お姉ちゃんが私の妹になるの?」
「私は、ミミ様では、ないから。フィアスは、お姉ちゃん」
「……私が、お姉ちゃん?」
「そう」

 俺がミミ様に力を使ったときに生まれたのだから、確かに年齢的にはフィアスのほうが姉になるということか。

 いまだ戸惑っているフィアスを見つめ、ミミアは徐に頭を下げた。

「ミミア、ちゃん?」

 一呼吸ほどの時間、ミミアは頭を下げたまま微動だにせず、その姿勢のまま声を発した。

「フィアスお姉ちゃん、ごめんなさい」
「……あ」
「……お父さんを、独り占め、して、ごめんな、さい」

 か細く消えてしまいそうな声色はまるでミミアのその姿まで消えてしまいそうな印象を受ける。
 ミミアは微動だにせず頭を下げ続けた。
 沈黙が二人の間を支配した。

「ミミアちゃん、頭を上げて」

 フィアスの願いを聞き、ゆっくりと頭を上げるミミア。
 その顔を見れば無表情に見えるがよく見れば眉はほんの少しだけ下がっており、目は不安そうに揺れている。
 ミミアも怖いのだろう。
 怯えるような雰囲気が表情に表れていた。

「……!」

 フィアスはそれを見てビクリと体を震わせる。
 そして俺の腕を飛び下りるとミミアに駆け寄り、その華奢な体を勢いよく抱きしめて言った。

「ごめんね! ミミアちゃん!」

 腕ごと体を抱きしめられたミミアは少しだけ目を見開くとフィアスを見て、俺を見て、フィアスを見て、俺を見て、またフィアスを見て、ミミアは恐る恐るといった口調で言葉を発する。

「……悪いことをしたのは、私、だよ?」

 ミミアは何故自分が謝られているのか、理解できていないようだった。
 しかしフィアスはそんなことは関係ないとばかりに謝罪の言葉を口にする。

「ううん! 私、ミミアちゃんのこと、私から兄様をとった泥棒みたいに思っちゃってた。心の中で、ミミアちゃんのこと、よく思ってなかった。だから、だからごめんなさい!」
「……でも、それは私が」
「ううん! ミミアちゃんはまだうちに来て、全然経ってないのに、不安とかいっぱいあるはずなのに。それなのに、私わかってなかった! だから謝るのは私のほうが先なの! だから、ミミアちゃん、ごめんね! これからは私に…………お姉ちゃんにいっぱい甘えていいからね!」
「フィアス、お姉、ちゃん?」
「うん! お姉ちゃんだよ!」
「フィアス、お姉ちゃん」
「うん!」
「……許して、くれる、の?」
「当たり前だよ! ミミアちゃん、私もごめんね!」
「……うん。私も、ごめんな、さい」

 二人の少女は抱き合ったまま涙をこぼした。

「お父さん、手、繋いで?」
「あ、私も。
 ……いい? 兄様?」
「いいよ」

 帰り道、ミミアがいつものように手を繋ぐように求めてくると、フィアスもまた同じように俺と手を繋ぎたがった。
 俺は左手をミミアに、右手をフィアスに差し出すと二人はその手をそっと握ってくる。
 フィアスの目はまだ赤く、泣きはらしたあとが消えてはいないがその顔には朗らかな笑顔が浮かんでいた。

 三人で手を繋ぎながら城への道を歩む。
 先ほどから周囲の生暖かい視線が気になるがしょうがない。俺だってこんな光景を傍から見れば同じような心持になってしまうのだろうから。

 建物の向こうに城の影が見えてきたとき、フィアスは声をあげた。

「あ!」

 俺とミミアは徐に顔をフィアスに向ける。

「どうした? フィアス」
「お姉ちゃん、どうした、の?」

 俺たちの声を受け、フィアスは満面の笑みを浮かべて手を繋いだまま俺たちの前に歩み出る。

「んふふー」

 いかにも「いいこと思いついた!」といった顔のフィアスだったが、フィアスが何を思いついたのか俺には検討がつかず、頭にはてなマークを浮かべることしかできない。
 そんな俺を尻目に、フィアスは「ミミアちゃん、手繋ご!」と自分の空いている右手をミミアに差し出した。
 ミミアは言われるがままに手を差し出し、フィアスと手を繋ぐ。
 すると道の真ん中、三人で円になって手を繋ぐ絵が出来上がった。

「えっと、フィアス、何がしたいんだ?」
「あのね、私、兄様もそうだけど、ミミアちゃんとも手を繋ぎたかったの。それでね、こうすれば二人とも手を繋げるでしょ」
「……フィアスお姉ちゃん、頭、いい」
「でしょでしょ!」

 はしゃぐフィアスに純粋に賞賛するミミアだったが、これは。

「そっか……だけど、これは歩きにくくないか?」

 そう、すごく歩きにくい。
 いや、まだ歩いてはいないのだが、これは歩きにくいだろう。

「いいのっ! それにほら、こうすれば楽しいよ!」
「うわ!」
「……!」

 フィアスは俺の指摘など意にも返さず俺の手を引っ張った。
 するとつられて俺もミミアの手を引っ張ってしまい、その勢いのままぐるぐるとその場で俺たちは回る。

「あはははは!」
「! ……!」
「お、おいフィアス」

 町の明かりが流れる。
 フィアスの笑顔の後ろを。
 戸惑うミミアの後ろを。

「あはははは! 兄様、ミミアちゃん、楽しいね!」

 そんなただただ楽しそうに笑うフィアスを見て、なんだか色々と馬鹿らしくなってきて。

「ははは、全く、お前は」

 と笑い。

「ふ、……ふふふ」

 つられてミミアも控えめに笑みをこぼした。

 俺たちは意味もなく回り、その場で笑いあった。
2015/9/24 加筆修正
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