池内恵の中東通信無料

池内恵(いけうちさとし 東京大学准教授)が、中東情勢とイスラーム教やその思想について日々少しずつ解説します。

執筆者プロフィール
池内恵
池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。

ロシアのシリア介入はロシアに何をもたらすか

2015年10月2日 01:38

ロシアのシリア空爆が2日目に入っている。初日はラタキア付近やホムス近郊タルビーサの自由シリア軍系の勢力範囲を、2日目はイドリブの「アフラール・シャーム(シリア自由派)」の勢力範囲を攻撃するなど、安定して「イスラーム国」以外の反アサド勢力を狙っている。

もっともロシアとアサド政権は、政権に敵対する勢力を全て「テロリスト」と定義しているので、テロリスト掃討作戦だという主張に間違いはない、と主張するのだろう。

米国は少しでも「アル=カーイダ」に関わった勢力は全てテロリストと認定しがちなので、どっちもどっちと言えないこともあるが、しかし程度の差は激しい。ロシアの場合、言説はあくまでも米国の揚げ足取りをして反米世論を引きつけるためのものとして独自に発せられ、他方で全く別の論理から軍事行動が行われる。軍事行動の論理は、同盟勢力であるアサド政権の敵対勢力を攻撃する、という分かりやすいものである。

共和党のマケイン上院議員をはじめとした、アメリカの超大国としてのプレゼンスを志向する論者は、ロシアのシリアでの攻勢に手をこまねいていたオバマ政権を批判する。現地の同盟勢力を見捨てるのか、という議論には一つの筋が通っているが、米国が主導してシリア問題に深入りことがふさわしいのか、可能なのかについては依然として名案がない。

これに対して「リアリスト」的議論は、ロシアと協調してアサド政権を支援しろ、という議論になるのだが、それがシリア内戦の解決に逆効果であるという見方も強く、広く支持は得られていない。

ここでは、第3の議論を紹介しよう。昨日紹介したDreznerの議論とも重なるところが多い。この議論は概略を記せば、シリアへの軍事力配備でも、攻撃開始でも、ロシアに出し抜かれた形になったオバマ政権の弱さは容易に批判できるが、同時に、これによってむしろロシアが脆弱性を抱え込むことになる。であるからむしろロシアにシリア介入をさせて米国は見物していればいい、という論理展開をたどる。これはイソップ童話の「すっぱい葡萄」の説話のような腹いせの言説の類ではないだろう。

例えばこの論説。

Michael A. Cohen, “Russia’s Syria Intervention a Blessing in Disguise for U.S.” World Politics Review, September 30, 2015.

「そうは見えないかもしれないが、ロシアのシリア介入は米国にとって僥倖だ」という。

米ウィルソン・センターのケナン研究所のソ連ウォッチャーであるポメランツは、ロシアの「帝国の拡大過剰」による崩壊の始まりではないかと将来を占う。ここでは1979年のアフガニスガン介入が1989年にソ連邦崩壊の原因になった先例を想起している。なお、その前の1905年の日露戦争による敗北がロシア帝国を崩壊させた故事まで持ち出している。

William E. Pomeranz, “Imperial overreach: How Putin’s move into Syria could bring his government down,” Reuters, September 28, 2015.

トマス・フリードマンは、どっちつかずに見えるオバマのシリア政策を支持する。ただし、オバマはレトリックに優れすぎているが故に、効果が出ないと実はわかっている、やる気がない政策までも雄弁に弁護してしまい、後になって政策に効果がなかったと批判されてしまう、と穿った見方を示している。「アサド政権とは戦わない、イスラーム国とだけ戦う反体制派を養成する」という政策がまったく効果なく終わったことをここでは指しているのだろう。できるわけがないと知っていてやって、実際にできなかったのだが、レトリック上は巧みに正当化してしまったので、批判されてしまう。オバマ政権の独特の困難について、正鵠を射た論及である。

その上で、プーチンがアサド政権を明確に支持して空爆を行い、世界のスンナ派ムスリムに敵視される役割を買って出たことが、ロシアにとって意味する危険性を指摘する。リベラル派のアメリカ人にとっては、肩の荷を降ろしたような気分なのかもしれない。

Thomas Freedman, “Syria, Obama and Putin,” The New York Times, September 30, 2015.

こういった、「プーチンにやらせてみれば?困るのはロシアだし」という論調をまとめたのが、下記のワシントン・ポスト電子版への寄稿である。

Ishaan Tharoor, “Why Russia’s Syria war is bad news for the U.S. (and why it isn’t),” Washington Post, September 30, 2015.

米国にとっては、ロシアのシリア介入のデメリットは、「米国が弱くなったように見える」ことだけであって、実際にはロシアが米国以上にシリア情勢に変化を及ぼせるわけではないという。

ロシアに対抗して米国がシリア介入の主導権を争えという保守派の議論には国民的支持がなく、かといってロシアと協調して「イスラーム国」と戦えという「リアリスト」の議論は、倫理性においても効果の予測においても反論が有力であるだけでなく、ロシアの行動そのものに裏切られるため、支持を得難い。

こうなると、米国では、シリア介入でロシアが多少とも「イスラーム国」に対峙するならそれでいい、それでロシアが自滅すればそれはその時だ、という曖昧な黙認による消極的な協力が基調となりそうだ。

ただし、ロシアのシリア介入がロシアに「アフガニスタン介入」のようなダメージを与えるか、あるいはロシア領内のチェチェン独立運動に対して行ったように、焦土作戦で国土を荒廃させ、世界にジハード戦士を拡散させて、ひとまず沈静化するのか、結果は未知数である。

プーチン大統領は攻撃開始に際して国家安全保障会議に出席して発言をテレビで報じさせたが、そこでは、ジハード戦士たちがロシア内で立ち向かってくる前に、ロシアの外で先制攻撃を行って対峙する、と宣言した。これが自己実現的予言のようにロシア領内にジハードを呼び込むことになるかもしれない。

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