「不快」をチョイスする。

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当たり前かもしれないけれど、人は自ら不快になるようなことを選んだりはしない。


例えば何か、セミナーに参加したときに。

・「自分がやりたいこと」「やりたくないこと」

を各項挙げましょう、なんてワークがあったとして。


わたしは、圧倒的に前者をたくさん挙げることができる。

それはきっと、わたしはもう潜在的に、わざわざ自分で自分の可能性を押し留める必要はないとわかっているからだろう。


そして当然こういったワークをやる目的は、「これは本当に自分のやりたいことなのか」「本当に自分にもできると思っているのか」を見極めるためであって。

だから、今回の合宿中も結局、「やりたくないことを挙げるのが目的でない」と諭され、「やりたいこと」にフォーカスを当てる流れになった。


だけどわたしには、どうしてもこの「やりたくないこと」の方が気になって仕方なかった。


「やりたいこと」はすでにもう自分の現状の中に入っていたから。

だから現状を突破するためのヒントは、この「やりたくないこと」の中に潜んでいるような気がしていた。

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今朝、目覚めたとき。

わたしは合宿中に挙げた「やりたくないことリスト」を読み返し、びっくりした。


わたしはもうすでに、「やりたくないこと」に片足を突っ込んでいた。

これまで、「好きなことしかしない」「やりたいことしかやらない」好き勝手な人生を送ってきたわたしにとっては、本当に驚きだった。


とは言え、「この流れは良くないかも?」とも思った。

好きなこと、やりたいことをやれば自分のパフォーマンスが上がることはわかりきっているから。


だけど現状から飛び出すためには、間違っていてもいいからこれまでと違うことをするしかない。

そして、違うことをするためには、これまでの自分の考え方を覆すしかない。


わたしは合宿中、一度だけ涙を流した。


どうして泣いたのか、今でもよくわからない。

だけど、あのときの感覚を忘れたくはない。


「人生を変えるってことは不快に決まってるだろ?」


この言葉が、ずっとわたしの頭の中を駆け巡っていた。


わたしは今、不快で不快でたまらない。

そして。

本当はちょっと、逃げ出したい。


うん、だから。

この方向で、きっと合ってる。

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