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【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(10)止】「『歴史戦』やるなら被害者の証言も聞いてほしい」

【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(10)止】「『歴史戦』やるなら被害者の証言も聞いてほしい」

産経新聞の取材を受ける元朝日新聞記者の植村隆氏(中央)=7月30日、札幌市(早坂洋祐撮影)

 朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの第10回詳報は次の通り。聞き手は本紙の阿比留瑠比・政治部編集委員と原川貴郎・外信部記者。

「阿比留さんは僕の敵じゃないと思う」

阿比留「今、訴えられているのは、西岡(力・東京基督教大教授)さんの他、櫻井(よしこ)さんと花田(紀凱・月刊『WiLL』編集長)さんですか」

植村「いやいや花田さんは訴えてないよね。(『WiLL』発行元の)ワックとかはもちろん、訴えていますが、花田さんは訴えてない。産経新聞にぜひお願いしたいのは、さまざまな考えはあるだろうけれども、家族までこんなふうなこと(脅迫・攻撃)を許す社会、これ、右であれ左であれ、リベラルであれ、なんであれ、やっぱり許せないと思うんですよ。だからこそ、世界が、こんなに関心もっているわけなんです。

 ぜひこれを食い止めるためにお力を貸してくれないかなあ。だから、本当にそういうことをぜひやめろと。まあ、いろんな社説でもちょこっといわれたり、阿比留さんもちょこっと書かれてるけど、具体的な実態と許せない事実を書いていただいて、バンとね、阿比留さんみたいな影響力のある人が…」

阿比留「いや、まあ、影響力はともかくとして、それは書きますけども」

植村「ぜひ、お願いします」

阿比留「あと、その…」

植村「で、それから強制連行の問題の間違いとかいうこともぜひその後の調べも教えていただきたい」

植村「あのー、最後にね、ぜひ、訴えたいのは元産経新聞の正論の常連メンバーで今、そこから外れている方で、小林節さんという方がいらっしゃって、その小林節さんは私の弁護団にも入ってくださっておるんですよ」

阿比留「司法記者クラブの記者会見でひどい対応とられましたよ」

植村「何かそんなことありました。どういうひどい態度でしたっけ?」

阿比留「ええ、まあ」

植村「で、その時に、ここの(資料集の)どこかにメモがありますけど、やっぱり、その一部の人々は敵と認めたら激しく嘘をついてでも攻撃する、みたいなね。そういうような傾向に歯止めをかけたいから、われわれは裁判を起こすんだという、弁護団の思いを代弁してくださったんですが、私もまさにその同じ思いで今おりまして、それもぜひね。阿比留さんと小林さんも多分、面識はおありなんだと思うんですけど、産経の正論まで書かれていた人まで、これですよ(資料を示す)。

 名誉毀損の裁判、これ多分、司法記者クラブで配ったと思うんですけれども、(読み上げる)『最初は挺身隊と慰安婦の混用・誤用の問題で、それは当時の彼国における用法と他紙の報道にならったもので、特別に批判に値しないものを、いつの間にか、悪意の捏造の話に変更され、それが攻撃の根拠にされた。しかし、重要な点は、その悪意が何ら実証されていないことである。だから、不法行為である。しかも、その架空の事実を根拠として、当人の就職先や未成年の子供にまで攻撃が向けられた。これは犯罪である。これは、冷戦時代のイデオロギー論争と同質で、相手を敵と認定したら、嘘をついてでも罵倒する手法である』」

植村「僕は、本当に、阿比留さんはね、僕の敵じゃないと思う。だけれども、阿比留さんはね、『歴史戦』ということで私をこういう形で書かれている。歴史の前に、真実の前に謙虚に、そして慰安婦のおばあさんのことも、阿比留さん、全然、取材、直接、被害を聞かれたことないと思うけれども、やはり歴史戦をやるには、そういうふうな被害者の証言も聞いてほしい。それだけじゃなくて、金学順さんを強制連行と書いた産経の記者たちにも話を聞いてほしい。つまり、当時、どういう状況だったのか、ということですよ。お願いします。本当にお願いします」

原川「あ、一点、すいません、よろしいでしょうか。91年12月25日の記事ですけれども、あの記事が掲載された段階ではすでに金学順さんを原告の一人とする訴訟ならびに…」

植村「もちろん、それ(提訴)は(91年)12月6日ですからね」

原川「ええ、で、遺族会が、実態は一体となって」

植村「うん、まあ、原告を支えるみたいな形でしょうけどね。はい」

原川「そういう意味では、義理のお母さんは、当時はもう遺族会の代表ではなく、まだ幹事の時代ですかね」

「僕が産経との間を仲介するのも…」

植村「あのときは多分、記事を見ると金鍾大(キム・ジョンデ)さんという方が会長で、主に僕はその方と非常にね、男同士で酒飲んだりして。それはまあ、さっき言ったように、僕は遺族会も取材してたし、韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉さんにもお会いして。あの、阿比留さん、尹貞玉さんにお会いしたことあります?」

阿比留「尹貞玉さんはないですね」

植村「ああ、ぜひね、1回お会いされたらいい」

原川「それは例えば、植村さん経由で直接アクセスできればいいんですけれども、植村さん経由で産経新聞が取材を希望していると、それはどうですか」

植村「ああ、尹貞玉さん。それちょっと僕が、産経新聞との間を仲介するのもあれだろうから。それは自分でやられればいいと思うんだけど。まあ、ちょっとそれは僕が間に入ると不思議な感じがするんだけど、ただ、つまり、どういうことかと言ったら、いろんな人に取材をしておったということで、その一つとして遺族会の会長、それから梁順任さんにも取材した。それはだから、家族だからということではないんですよ」

原川「でも、家族が支援する裁判に関係…、その原告の一人の記事を新聞紙上に掲載することについて、詳しくはその人に聞いてくださいということでしたが、前川さんの文章によると、そのときの担当デスクが、もしそういうのだったら、もう…」

植村「まあ、だからその、これ、その前川さんと」

原川「(紙面に)載せなかったということを…」

植村「はいはい」

原川「言われていますけれども」

植村「当時の担当デスクというのは、社会部の担当デスクは僕が結婚してるのも知っているはずだしね。多分、だから社会部のデスクじゃないと思うんですよ」

「朝鮮半島を植民地化した負の遺産を見つめていかなきゃ」

原川「で、その裁判を支援する義理のお母さん、息子としての、その関係者としての一記者が、ああした記事、原告に関する記事を載せることについて、特に、そのなんでしょう、逡巡とかね」

阿比留「葛藤とか、そういうのは」

原川「葛藤というのはなかったんですか」

植村「まあ、その当時はね、最初から何回も言うけれども、僕は結婚する前からずっとこの問題を取材してきたわけじゃないですか。それはもう、大阪社会部のデスクたちはみんな知っているわけです。手記にも書いてます。

 僕は梁順任さんと結婚したんじゃなくて、単にその娘と結婚したわけでね。母親と結婚したわけではないわけですし、それと僕は別に家族のために書いたわけじゃないんですよ。それはもうさっきから言いましたように、朝日新聞がずっとやってきたことと同じ、戦争中に侵略戦争に加担して、朝鮮半島を植民地化したその負の遺産に対してやっぱりきちっと見つめていかなきゃなんないなと思って、取材したんです。まあ、もう、それ以上言えない。はい。ああもう4時だな」

阿比留「じゃあ、その時間の約束なので」

植村「あ、ありがとう、あ、まあ、どうもご苦労さまでした」

植村「阿比留さん、まあ、というふうな感じなんで、ざっくばらんにお願いしますよ。今日のやつでやっぱり一番大きいのは、産経から逃げたとか阿比留さんに」

原川「あ、そうだ。すんません」

植村「何で(取材から)逃げたのかという話?」

原川「逃げたというか」

植村「逃げてはない」

原川「なぜこれまでは取材受けていただけなかったのか」

植村「まあ、(昨年)8月の段階で、朝日が、検証記事を書くまでは、僕はどこも受けなかったんだ。産経新聞からは(取材)申し込みというのは、(昨年)10月にあったんだな」

原川「10月は私ですけども。その前段にも、あの時は、大学に(別の記者が取材依頼の取り次ぎを申し込んだ)…」

植村「あれ、それはちょっと僕はよく分からんけど、正式な申し込みがあったのは、10月ぐらいだったのか。まあ、その時は申し訳ないが、ちょっとまだ、いろいろと混乱しててさ、まあ、あの文書を見た時に、まあ、これだったら、まあ、ちょっと申し訳ないけど、(文書回答のみで、インタビューは受けなかった)ということはあったけど」

原川「分かりました。では、ありがとうございました」

植村「お願いします。それでもうさっきから何度も言うように、これは歴史に検証される話ですし、僕らは要するに産経の皆さんと戦争するつもりもないし、歴史戦するつもりもないんです。ただ、やっぱりこういうふうな、娘とか大学までね、こんな(攻撃される)ようなことが起きる世の中は防ぎたい。産経新聞と朝日新聞が、(慰安婦問題の)共同の取材班をつくったらどうですか。僕もちょっとだけまだ知り合いがいるから。阿比留さんやる気ないか?」

阿比留「やるんだったらそれ全然構わないですけど。ああ、ただ、まあ、私一人じゃ決められないですけどね」

植村「もちろんもちろん。だけど阿比留さんはすごく力のある人だから、それおもしろいんじゃない。産経と朝日が共同調査チームで、どこまで分かっててどこまで分かってないかってどうですか。いや、まじめに僕。結局、そうしないと。僕ら戦争するような関係じゃないじゃない、ジャーナリスト同士で、と思ってるの。それ、どう」

阿比留「相手側に誠意があればこっちは構わないです」

植村「いやははは。朝日の連中は相手方に誠意があればとかいうと思うんだけど。多分、朝日の現場の記者たちとこんな、こう違うじゃないかってあんまりやり合わないでしょ」

阿比留「この問題ではやり合わないですね」

植村「でも、もしそういうこともあったらおもしろいんじゃないか。このままいったら、いろんな意味で日本がじり貧になるよ。本当に僕は、それすごく(心配)だから、もし、そういう気持ちある? あるんであれば、みんな素っ頓狂でびっくりするかも分からないけど。でも、阿比留記者と朝日の記者が共同でやって、どこからどこまで言えるのかみたいな形の話だったらおもしろいんちゃうかな。僕ら2人、こんな戦争ずっと続けてもさ。ひとつそれよろしくお願いします」

阿比留「朝日の記者と対談の企画があって受けたことあるんですけども、向こう側が嫌だと言ってきたことがありました」

植村「あ、対談とかも。その時はいつ頃?」

阿比留「それは、1年ぐらい前」

植村「じゃあ、阿比留さん、もしそんな話があったら」

阿比留「最後は(社内で)ちょっと詰めないとあれですけど」

植村「それは多分、対談だから、お互い。それってすごい、いいよね。ぜひ、じゃあ、それも提案しますんで」

(終わり)

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