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【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(6)】「意に反して日本軍の性の相手をさせられたというところをずっと書いている」

【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(6)】「意に反して日本軍の性の相手をさせられたというところをずっと書いている」

インタビューに応じる元朝日新聞記者の植村隆氏=7月30日、札幌市(早坂洋祐撮影)

 朝日新聞で初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)の産経新聞インタビューの詳報6回目は次の通り。聞き手は本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。

「(金さんが)言わないことは書けないと思った」

原川「でも訴状を読まれているわけですから」

植村「さまざまな例もあるけれども、(この)訴状は聞き書きのまとめではないですよね」

原川「聞き書きのまとめではなくて、さらにやっぱり裁判に訴えるわけですから、より情報に正確性を期すものだと思いますけども」

植村「民事訴訟というのはご存じですよね。刑事の起訴状とは違って、要するに弁護団の主張を書くわけですからね。私としては、ここ(弁護団の聞き取り)で養父って言わなかったから、言わないことはやっぱり書けないと思った。これは弁護団の前でしゃべったことだから、それで書いているだけ」

原川「それで、違うなということが分かると、金学順さんが当時、日本にしばらく滞在されて、関西でも何カ所か講演されているので、そういう場所に取材に行ったり、あるいは直接本人に、それだけではないだろうが、改めて取材、確認取材とか、そういう機会は設定されなかったんですか」

植村「これは、さっき言ったように、そこ(弁護団の聞き取り)の場でそういうふうに言ったということなんですよ。もっと言うと講演会で言ったこともそうですが、法廷で金学順さんが、どういうふうなことを言ったかというのはご存じ? 

 僕らは、弁護士の前とか、法廷とかそういうふうな所で見るから。それをちょっとお知らせしようと思って。まあ、だから、こっちの講演でこういうこと言っているからこうだとか言われても、やはり、その、なんちゅうんですかね、あの、いろんな所で多少ずれているのを、じゃあ、そのたびに違うことになるのかと言ったら、例えば、陳述書。これ平成6年6月の陳述書。それなんか見るとやっぱり、産経新聞と同じことを書いている。要するに日本軍に連れて行かれたと。まあ、養父は出てくるんですけど。それ(証言)はさまざまなずれがあると。あ、阿比留さん、金学順さんに取材したことあります?」

「慰安婦問題のスーパー記者みたいなイメージがあるかも」

阿比留「ありません」

植村「なんで取材しなかったの」

阿比留「韓国語できませんし」

植村「通訳をとか、使ってやったりもしなかった?」

阿比留「そういう機会はなかったですね」

植村「慰安婦の取材ってやられたことはあります? 直接」

阿比留「まあ、ナヌムの家に行ったりとか、そういうことはありますけどね」

植村「そこで、聞き取りとかされた?」

阿比留「まあ、テープを聞かされたんですけどね。ビデオテープ」

植村「ああ、見学に行かれたということですね。なるほどね。要するに直接、生身のおばあさんのインタビューというのは原川さん、されたことありますか」

原川「私はありません」

植村「阿比留さんは?」

阿比留「直接はないです」

植村「ですね。聞き取りというのはやっぱり(証言に)ずれがあるというのはご存じですよね。(金学順さんの場合も)それは、秦郁彦先生も本の中で書かれていると思うので、そういうことなんですよ。で、僕が言いたいのは意に反して、日本軍の性の相手をさせられたというところが共通してるんで、それをずっと書いているわけですよね、私の記事にはね。

 まあ、そこのところなんで、一つ一つ証言のそこのところが出ていないじゃんとか言われても、産経新聞のこの記事と同じで、僕はやっぱり意に反して慰安婦にされたということがずっと一貫しているんで、この証言というのは記事として存在意義があるんだろうなということ」

原川「分かりました。それで、今一度確認ですが、11月25日に高木(健一弁護士)さんとかの聞き取り調査に同行されたのと、あとは12月6日に東京で提訴があったとき、その周辺で、直接は(取材は)」

植村「僕は韓国語ができますから、遺族の取材とかで。いわゆる社会部とかでいうところのそういう取材ですよね」

原川「その後、関西で講演されたりとか、東京で講演されたりとか、そこは取材されてない?」

植村「あんまりね、だから、ほら、ご存じのように、みなさん僕が慰安婦問題のモンスターみたいで、何かスーパー記者みたいなイメージがもしかしたらあるかもわかんないけれども、僕は大阪社会部で人権担当記者だったわけです。在日コリアン担当で、その流れの中でやっていて、ずっとそれ(慰安婦問題)ばっかりはやっていなかった」

「済州島取材のメモは報告した」

阿比留「ちょっと時間が押してきたので、多少、順不同になりますけど、すいません。これはね、植村さんが影響を受けていないとおっしゃっている(自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の)吉田清治氏についてはどのような見方をされてますか」

植村「取材したことがないので、分かりません」

阿比留「取材したことがないそうですけども、それは直接は」

植村「直接取材したことはない、もちろん」

阿比留「ですね。ただ、(朝日新聞社の)第三者委員会の報告書にもありましたように、ソウル特派員時代に、済州島に行って取材されたわけですよね」

植村「それはもうそこに出ている通りであります」

阿比留「どんな取材をして、どんな結果になったかということを少し教えていただけないですか」

植村「第三者委員会の報告書に出てる通りで、ちゃんと取材しました。だけど具体的にどうだということは、それは、新聞記者が新聞記者に聞くべき話ではないと思いますので。ただし、ちゃんと取材して上げた報告書の反映が、第三者委員会(の報告書)にも出ていたと思うんだけど、阿比留さん見なかった? それを引用していただければと思います。第三者委員会にはしゃべりましたので」

阿比留「その1999(平成11)年のですね」

植村「97(平成9)年だね」

阿比留「97年か。そうか97年か。朝日の最初の検証記事。あれには植村さんの取材成果というのは具体的に…」

植村「僕はね、メモを上げて報告はしているんだよね。朝日のあれ見ました。(以下、読み上げる)≪済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない≫ 要するに、四行しか記事には出ていないけれども、報告書はもっと長いはずだよね。ということであります」

阿比留「つまり、そういう趣旨のことをメモ上げしたと」

植村「まあまあ、メモ上げですよね。報告、報告書と言ったのか、メモ上げか、そういう分担で。当時、ソウル支局に私はいまして、97年ですよね。確かこれ。金大中の大統領選挙の年だった。すごく忙しい中で、まあ、(済州島に)行ってくれということで行って、それでメモを上げて、報告した」

阿比留「何日間ぐらい行ったんですか」

植村「それは第三者委員会に出ていると思うけど、そんなに長くは行っていない」

阿比留「当時、ソウル特派員という形で、何かを決定する立場ではなかったと思うんですけども」

植村「そういうことです」

阿比留「どれくらいの影響があったのかなということがやっぱり気になると思うんですけど」

植村「だからここに記事が出ているじゃないですか。つまり僕はちゃんと報告しているということですよね」

阿比留「今回、(朝日は)去年の記事取り消しにあたってはですね、済州島にまた改めて人が行って、今回は虚偽であると結論したと。前回は結論していなかった。これは最初、冒頭、趣旨を言いましたように、植村さん個人というか、朝日全体のことを聞きたい」

植村「申し訳ない。それはちょっと朝日の、今回済州島に行った人とか、あるいは取材班に聞いていただければと思う。その差は私には分からない」

阿比留「分からない?」

植村「それは分からない」

原川「それでまた、8月11日付の記事に関連する質問ですけれども、朝日新聞の第三者委員会が次のようにこの記事について指摘しているが、どう思われるか。報告書の17ページにあるんですけれども」

植村「僕は、これ朝日の記事しかないから、ちょっとどんなところか読んでくれる?」

原川「(朝日の第三者委員会の報告書を読み上げる)前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること、『だまされた』と記載してあるとはいえ、『女子挺身隊』の名で『連行』という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である。そもそも『だまされた』ことと『連行』とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない(読み上げここまで)、と指摘しているんですけれども、この指摘はどう受け止めていますでしょうか」

植村「まずね、これ阿比留さん専門家だから分かると思うんだけど、いくつかポイントがありますよね、第三者委員会の報告はね。捏造(ねつぞう)ではない、義母の便宜供与がない。そこのところもちゃんと書いてくれないかな」

「捏造記者でないことは第三者委員会の報告書からもわかる」

阿比留「いや、ちゃんと書きますよ」

植村「お願いしますよ。つまり植村が捏造記者でないということがここの第三者委員会の報告書からも分かる。そこを僕は強調したい。当時、金学順さんのことについて、さっき言いましたように、いろんな新聞がまあ、『強制連行』と書いたりしている。産経新聞は2度にわたって金学順さんを取材して、日本軍に強制連行されたと書いているわけですね。そういう時代状況の中で、安易かつ不用意で強制性みたいなことですよね。強制的な事案であるとのイメージを与えるもので、というんだけど、イメージじゃなくて、『強制連行』と伝えているメディアがあるということにも触れてほしかったなあ、と。

 つまり当時の時代状況としてね、なぜなら金学順さんは、強制連行されたということを何度も言ったりもしているわけです。それを産経新聞が正確に伝えて、ああいうふうなことになっているわけだから、僕としてはだから、むしろ、やっぱり植村が捏造記者じゃない。義母の便宜供与がなかったというところが、非常に、この第三者委員会で判断としてはすごい意味があるなと思っています」

<詳報(7)に続く>

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